2019年5月31日金曜日

青空個展、手づくり市の母娘

5月というのに北海道帯広で38.8℃、佐呂間で39.5℃、
など年間最高記録を更新、
都心でも32.6度まで上がった。
2019-05-26 
こんな日に娘が露店を出すという。
彼女は趣味でイヤリングを作っていて、はじめはネットで売っていたのだが、露店を出すようになった。

東京リサイクルという会社が、そういう趣味人のために「青空個展」という手づくり市を運営していて、都内近郊にてほぼ毎週開催されている。

彼女はいままで代々木八幡、根津神社のときに出店した。
この日はよみせ通り。
谷中と千駄木の境となっている道。
代々木八幡では朝10時から16時までいて7個くらいしか売れなかったらしいが、根津神社は20個売れたという。
暑くなってきて、娘から帽子が欲しい、と電話がかかってきた。
妻が届けに行ったまま帰ってこないので、庭いじりを中断して見に行った。

延命地蔵と腰塚ハムの中間あたり、二人して落ちた部品を探していた。
暇そう。
と思ったら客が来た。
ここはあまり人通りがない。
店もぽつりぽつり。名前負けした通りだ。
よみせ通りはかつての谷田川(藍染川)のあと。
本郷区(千駄木坂下町)と下谷区(谷中初音町)の境を流れていた。
その昔、周りが田んぼだったころ鴎外の青年、漱石の三四郎が散歩した川である。
ここに、こうした素人露店が30店ほどあった。
聞けば出展料が3500円。レンタルの机と椅子が700円という。
えっ、それじゃ大赤字じゃないか。
でも、それでいいらしい。
「趣味だから」
なるほど、魚はスーパーで買ったほうが安いけど魚釣りに行くものな~。
ポツンポツンとある青空手作り店を見て歩いたら谷中銀座を過ぎた。
谷中銀座
こちらは人が多いが、露天を出す余地はない。

谷中銀座とは反対の不忍通りのほうへ路地に入るとサクラホテル。
この建物は昔、日本医大の千駄木寮だったが、ホテルと共同で使っているのだろうか。

鉄平がなくなったのでグーグルから写真をとってきた。
2018年6月

和菓子むさしやは変わらない。
昔、この店から出て来たばかりの若い女性が、不忍通りの信号待ちで大福を食べ始めたのを見たことがある。
2013年、森村秋山が来宅。お土産にここの和菓子をもってきてくれた。

娘たちのところに戻ると、先ほどの客がまだいた。
3つ売れたようだ。

端に妻の石鹸細工もあった。
暑さで水分が蒸発しケースが汗をかいている。
「日陰を作るか、一つだけ出して残りは日陰に置いた方がいい」
と妻に言ったら、「もううるさいから帰って」と追いやられた。

家でぐだぐだしたあと、この日は15時から日暮里ファーストプレイスで練習だったので、再び娘の前を通ると、大道芸人が前にいた。
私も才能があれば客寄せにやってやるのだが。

あんまり売れていないように見える。
「じゃあ、ばいばい」
「いってらっしゃい」

谷中銀座を避けて狭い道を抜け、夕焼けだんだんを上がる。
経王寺の前を通ったので、ちょうど1週間前に妻と娘と歩いた路地に入って写真を取った。
本行寺側の家
この狭い道と、風情あるが古くて使いづらそうな民家。
まったくの推測だが、ここは両寺の私道で、家々は寺が大家の借家なのではなかろうか?簡単に売買、建て替え出来ないから道も狭いままなのでは?
経王寺側の塀にふと気づいた。
冠賢一 という表札。
この寺は明暦元年(1655年)創建。
要詮院日慶が開山、この地の豪農冠勝平が堂宇を建てたという。
冠家は代々新堀村の名主を務めた。大正期、日暮里町の助役でもあった冠権四郎氏は自分の土地を中心に区画整理を行い、いまも冠新道の名前が残っている。

経王寺側の民家

先週は表札に気づかなかったので、この話は彼女らにしなかった。

娘は頭が良さそうだから、アクセサリー作りばかりでなく、ほんの少しだけでも読書など自己啓発に向けば、出世すると思うのだが、妻とそっくりである。

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