2021‐11‐03 11:31
新しくなった原宿駅に降りるのは二度目。
前回(昨年10月)は東口から竹下通りに行ったので、この日は渋谷のほうに行く。
西口を出ると明治神宮に行く人でいっぱい。
ああ、今日は11月3日、明治神宮の祭神、明治天皇の誕生日か。
しかし、七五三の人が多く、明治節も関係ないようだ。
神宮には寄らず、代々木体育館のほうへ行こうと思ったが、すぐ代々木公園が目に入った。
代々木公園東口
あれ? 公園入口はこんな感じだったっけ?
大学を卒業して、明治神宮はたまに来たが、代々木公園は来たことがなかった。
せいぜい結婚前に池田さんと1回来たかどうか。
グループがダンスの練習していたり、ヨガをしている。
今どきは見知らぬ同士がSNSで集まったりするらしい。
我々の頃はカップルがレジャーシートでゆったりするか、せいぜいフリスビーだった。
噴水のところに来たが記憶にない。
公園南口(渋谷門)
あっ、このNHKのほうからくる歩道橋は覚えている。
右(西)のほうに行けば「日本航空発始之地」という碑があるらしい。
行ってみようかな・・・
そちらに行けば、公園の南西の隅は、南の道路に向かって斜面になっていた。
40年以上前の夜、その柔らかい芝生の上に座り、下を通る車を眺めていた。
当時は歴史などに興味はなかった。だから初飛行した徳川好敏と日野熊蔵などの像も気づかなかったし、いまだに見たことがない。
代々木公園は昼でも夜でもたいていNHKのほうからこの橋を渡ってきた。
40年ぶりか。
東の原宿方面をみる
江戸時代、一帯は井伊家下屋敷だった。
明治になって宮内省管轄の南豊島御料地と陸軍代々木練兵場となり、いま、前者は明治神宮、後者は代々木公園となっている。
代々木公園は意外と新しく、東京オリンピックの3年後、1967年に開園した。
終戦で陸軍練兵場が廃止されてから20年余り、公園オープンまで何があったか?
進駐軍の兵舎、宿舎すなわちワシントンハイツがあったことが知られている。
しかし、どんな様子だったか、実態が分からない。
国土地理院の航空写真を見てみた。
1936/06/11(昭11)
練兵場は南のNHK、渋谷公会堂のほうまで広がっていた。
これなら飛行実験もできるはずだ。
終戦後、進駐軍がこの地を接収し、日本の費用でアメリカ軍のための住宅を建設した。
幹部は都心の接収邸宅に住み、中級クラスが住んだらしい。
サンフランシスコ講和条約で占領はなくなったが、代わりに日米安保条約が発効したため、引き続きワシントンハイツは維持された。
そのご、東京オリンピック開催が決まり、競技場と選手村の候補地として返還された。
建設中の写真が下である。
国土地理院1963-06-26撮影
選手村の宿舎として米軍の退居した戸建て住宅だけでは足りなかった。
写真で北西の隅にみえるのは、4階建て独身将校用宿舎。
さらにオリンピック用に新築された棟もあったらしい。
また南側に代々木第一体育館と第二体育館も建設中。
開会式がこの1年3か月後だから突貫工事である。
1975-01-20
私が大学に入る直前。公園オープンから7年しかたっていない。
選手村(ワシントンハイツ)を更地にしてから植林したから、まだ木が小さい。
北西の隅の4階建ての選手村宿舎のほうは壊さず、オリンピック記念青少年総合センターになった。宿泊棟のほか、体育館、研修棟が増設された。
海外青年協力隊に行った弟はここに泊まって研修を受けたらしい。
1990年代には全面改築が行われ、宿泊棟、国際交流棟、センター棟、スポーツ棟、カルチャー棟が建てられ、私も2005年、競技ダンスの練習会で何回か来たことがある。食堂はご飯とサラダが食べ放題だった。
こちらは原宿駅のそばの歩道橋
左、代々木体育館、右、代々木公園
ここもほぼ40年ぶり。
80年代初め、この下は竹の子族でにぎわった。
一度くらい見た気がする。
2021-11-03
代々木体育館は夏はプール、冬はスケートでよく来た。
駒場寮から歩いて15分くらいだった。
今、体育館はどういう風に使われているのか、チケット売り場、入り口を見たかったのだが、近づくことさえできない。
仕方がないので線路に近い外周を歩く。
お城のような石垣。
昔と積み方は同じだろうか違うだろうか。
左(南)の岸体育館は解体されていた。
岸記念体育館は岸信介総理大臣の名を冠した体育館と思っている人がいる。
しかしこれは1940年、第2代大日本体育協会会長・岸清一の遺言により100万円(現在の28億円ほど)が寄付されて神田駿河台に建てられ、1964年にこの地に新築移転してきたもの。
ワシントンハイツが返還されオリンピック関連施設が建てられた頃である。体育館と名があるが、実際は日本スポーツ協会の事務所ビルであった。
代々木体育館の南に来る。
左に第二体育館とNHKがみえる。
なんでこんなに閉鎖的にしたのだろう、と見ていたら、工事現場にいるような守衛さんと目が合った。彼女が仰るのには、オリンピックのあと復旧工事があり、いま資材を運び出しているそうだ。11月11日には再び通れるようになるとのこと。
するとこのフェンスもオリンピックのために新設したのかな?
門番の彼女は特別に中に入れてくれ、写真を撮らせてくれた。
学生時代は渋谷で食事したあと、ここを原宿まで歩くのが定番コースだった。
体育館の横は石畳で、ハイヒールだと歩きにくい、といったのは誰だったか。
何人もいたというわけではなく、ただ昔のことで思い出せないだけだ。
それにしてもオリンピックの復元工事って、いったいいつまでやっているのだ?
代々木体育館エリアの西南の隅にNHKの新しいビルができていてびっくり。
金が余っているのだな。
NHKは企業努力をしなくても安泰。
公務員のようなものだから給料も公務員と同じにしないとおかしい。
受信料は見ない人に対しても税金のような強制徴収なんだから、事業を最低限に縮小して、受信料を100円くらいにするべきだろう。それではやっていけない、というなら解体して、スクランブル化で月額2000円くらいの有料配信する新会社にすればよい。
こちらはNHKホール大規模改修のための建築事務所。
近ごろ工事事務所は高床式が多い。
3000億円の巨費をかけることで批判された、建て替え工事の始まりだろうか。
2021‐11‐03 12:07
代々木公園に行くときは駒場あるいは渋谷から、この道をまっすぐ歩いて歩道橋を渡った。
だから原宿駅から公園には行ったことがない。
先に述べたように、ここは代々木練兵場からワシントンハイツになった場所。
1964年の東京オリンピックのときに、NHKがオリンピック中継の放送施設を作り、その後、ここを恒久的な本部施設と位置づけ、10年かけて日比谷地区(内幸町、東京放送会館)から引っ越してきた。移転完了は1973年。
1975年、大学入学した翌5月、寮から平野氏、市川さん、鈴木さんと男ばかり4人で散歩に来た。ちょうどエリザベス女王のパレードの日で、NHKの前をオープンカーで通過したのに出くわした。1年上の市川さんが一番早く気が付き、「あ、リズだ」といった。
女性名エリザベスの愛称がリズと私が知ったのはずっと後のことだ。
当時の記録を調べたら、
5.7 来日、宮中晩さん会。
5.8木 NHK訪問。
5.9金 都内パレード。
5.10土 京都御所、竜安寺。
5.11 伊勢神宮、鳥羽水族館。
5.12 離日。
とあるから、来たのは木曜か金曜の午後ということになる。たまたま学年もクラスも違う4人が寮に帰ってきて、突然出かけたのだろうか。
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