2022年1月25日火曜日

日本医大病院の改築と薮下通り(その2

湯島のキャンパスで入試業務があり、終わってから歩いて帰宅した。

東大構内を突っ切り、根津神社裏門坂上の日本医大の角に来た。いつもはまっすぐ漱石旧居跡の前を通って、大観音の横を北上、養源寺の前に出るのだが、久しぶりに坂を下りてみた。

長く工事中だった日本医大病院の薮下通り側がすっかりきれいになっていた。

2022‐01‐25 13:51
広々としたタクシープールができていた。
以前は道路に止まっていたのではなかったか?

薮下通を渡る陸橋も撤去され、長いものが新設されていた。

これだけ新しいと中も入ってみたくなる。

13:53

薮下通の上の陸橋

坂の上からは地下1階に見えるが、薮下通と同じ地面

13:57
2年ほど前、ここの院内薬局に来た。
セミナーに使える会議室もあって、広い面積を占めていたが、この案内板は外来患者用だから窓口の「お薬渡し口」としか書いてない。

13:59
薮下通に出た。古い建物が道路まで迫り、病院で出たごみが通りから見えたものだったが、すっかりきれいな斜面になった。
植込みの間を歩けるようになっている。

14:00
解剖坂もすっかりきれいになった。
工事のフェンスに覆われていた時は、ぎりぎりまでビルができるかと思ったが、いい感じになった。利益を上げようとベッド数を増やすため床面積を広げたら、つまらない景色になるところだった。日本医大はこの空きスペースを作ることで、大学病院としての品格を保った。45年前から薮下通を愛してきた私は、変化を残念に思っていたが、この景色はうれしい。

日本医大千駄木2号館
解剖坂下から薮下通をすすむとすぐ。
以前ここの土地が売りに出されたことを記憶している。
日本医大は近隣で広めの敷地が空けばたいてい買っている。

14:02 汐見坂下

朝倉響子邸はマンションとなり、その石垣はほんの一部を残して消滅した。
右側にあったレンガの塀はもっと前に消滅している。

ほんのわずかになった石垣をしみじみ見たことで、「汐見坂」という標石を初めて見た。

朝倉邸跡にできたマンションは落ち着いた雰囲気だった。
14:04
かつて朝倉段々と名付けた石段は、セットバックが必要だったのか広くなっていた。
右側の石垣はかろうじて残っている。

しかしここも空き地だから、石垣もいつまであるかわからない。

14:07
坂を上がり、汐見小学校の上まで来ると、旧早川邸あとのマンションも洗濯物を干している部屋があり、生活感が出て、景色になじんできていた。

見れば、ベランダを部屋のように奥まで引き込ませている。これなら洗濯物が外に出ず、雨にも当たらない。いすを置けば外の空気を楽しめる。

かつての薮下通の写真を載せておく。

根津裏門坂と日本医大 2018
右側手前の建物が撤去された。
解剖坂 2018
左側が日本医大解剖室のあったところ
汐見坂下(2001)
かつての朝倉石段 2017
20181015 拡大する日本医大、解剖坂、猫の家
20181014 ふれあいの杜とお化けだんだん

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