4月22日、早朝岡山について倉敷、高梁、総社、備中国分寺、足守、備中高松、吉備津彦神社をまわって夕方、岡山駅に戻ってきた。
17:38
岡山駅の在来線料金表
これを見てちょっと驚いた。姫路(1520円)、尾道(1340)、三原(1520)まであるのは分かるが、南に高松(1660)、伊予三島(2060)、阿波池田(2060)まである。
そう、以前高松駅でも思ったことだが、かつて四国4県の特急列車は高松駅に集まり、そこから宇高連絡船で本州にわたった。ところが1988年瀬戸大橋ができて4県の特急電車はすべて岡山駅に集まり、人はここで新幹線に乗り換えるようになった。(もちろん宇高連絡船の時代も宇野から岡山は通過したが、直通、時間短縮は大きい)
すなわち四国の玄関口は高松から岡山に代わったのである。
さらには北は新見を経て伯備線の特急やくもで山陰(米子・松江・出雲)と直結しているし、鳥取も(東京からは姫路経由のほうが便利だが)岡山から特急スーパーいなばでつながっている。
中国・四国地方9県を管轄する支店などは岡山に置けばよい。岡山は広島よりずっと発展するのではなかろうか、いや、今すでに発展しているのではないかと思って外に出た。
再び東に歩き始めたらここで脚がつった。
17:40
岡山駅東口
まあ、普通の駅だった。
一番手前が新幹線のはず。
岡山は2005年以降、周辺4町と合併したこともあり、人口は70万人を突破した。2009年には新潟、浜松(2007年移行)に続いて全国で18番目の政令指定都市となり、北・中・東・南の4区が置かれた。北区は駅前、お城などがある市の中心部から、この日訪ねた足守や
空港、さらにその北の山間部にまで広がっている。
(ちなみに、政令指定都市というのは地方自治法で「政令で指定する人口50万人以上の市」と定めている。つまり50万以上あっても十分でなく、「政令で指定する」から政令指定都市なのである。岡山のあと相模原、熊本が続き、現在20ある)
17:41
上が南。左が東。
駅前から真っすぐ東のお城に向かう通りは「桃太郎通り」という。
前のブログでも書いたがちょっと桃太郎がしつこい。
岡山は倉敷とつながっている。隣接しているだけでなく買い物や仕事も行き来している。平成の大合併以前においても岡山と倉敷(48万人)合わせて優に100万を超す人口を擁していた。合併すれば政令指定都市は容易であったが、備前と備中、外様の城下町と商人自治の天領、規模も同程度といった立場からライバル関係にあり、以前も合併に失敗していた。そこで岡山は他と合併して70万になったのである。
17:45
西川緑道公園筋
道路が広いのは6月29日未明の岡山大空襲のせいか。
市街地の73%が破壊され死者は1737人に及んだ。
西川は外堀ではなかったが、外堀だった二十日堀と並行に流れていた。
17:49
国道180号との柳川交差点
あとで分かったが、岡山城三之外曲輪の西、すなわち外堀の跡である。
南の大雲寺交差点とともに、交差点用地が大きく円形にとられていて、四隅が広く空いて植栽になっている。
路面電車が通った。
これがある都市は文化が高いという先入観がある。
西日本では岡山のほかに広島、松山、高知、長崎、熊本、鹿児島だが、行ったことがない松山を除いたら全部乗った。しかし今回は疲れていたせいか面倒くさくて道路を渡る気すら起きなかった。
吉備路で自転車をこいでいた時は脛が攣ったが、今度は腿だった。夕方自転車を返してから歩きはじめて突然攣るのは昨年3月の近江安土と同じである。
痛くて歩けない。
ここまで来て岡山城は見れないか? 駅まで戻れるだろうか? 路面電車に乗ったほうがいいか?など色々と思った。
じっと立っていたら痛みが治まったので少しずつ東に歩き始めた。
近くに藩校としては日本で一番創立が早かったという岡山藩・藩学があったはずだが、もう立ち寄る余裕はなかった。
17:57
岡山シンフォニーホール
同じ政令都市の千葉やさいたま市よりおしゃれな建物が多いと思う。
桃太郎通りはこの交差点までで、南北は城下筋(しろしたすじ)、東は烏城みちとなる。
岡山城は黒いから烏城と言われる。恥ずかしながらカラスジョウと読んでいたが、ウジョウということが、ここで路上地図のローマ字で分かった。
烏城みちをいくと石山公園という小さな公園があり昔の地図があった。
17:58
地名由来碑案内図
城下と岡山城の縄張りがわかって見入った。
この公園は西の丸の北の内堀だったようだ。今まで外堀から三之外曲輪、三之曲輪を歩いてきたようで、岡山城の巨大さが分かった。
石山公園を抜けると旭川に出て東に岡山城が見えた。
17:59
左:後楽園 右:岡山城天守
大手門でなく北の裏から本丸に入る形になった。
18:02 岡山城本丸
岡山城は本丸、西の丸、二の丸が内堀に囲まれ、その西に三之曲輪、中堀、三之外曲輪、外堀があった。それなのに、本丸だけで3段になっていてこの広さである。岡山城の巨大さが分かる。
18:06
本丸、本段の天守
18:07
戦前の国宝だった岡山城天守は空襲で焼失。
戦後1966年、鉄筋コンクリート造で外観復元した。
中は博物館のようである。
もう夕方だから人はほとんどいなかった。
アジア系外国人のグループとすれ違うように本丸を出た。
旭川を渡って後楽園に行く。
18:17 月見橋
本丸は東の端にあったからこれを防備するため、旭川の水を引き込んで東の内堀とした。
本流との間に中州ができ後楽園となったが、非常時は城郭の一部となるのだろう。
やがて正面入り口を過ぎて橋があった。
18:28
鶴見橋(後楽園通り)
これを渡って市街地に戻った。
岡山というのは交通の要衝になっていることに驚いたが、お城、旭川、後楽園が一体となった公園の広さにまた驚いた。
県庁所在地というのは城下町が多い。京都奈良は別として、港町の長崎横浜千葉新潟やあえて避けた青森宮崎滋賀などを除けばほとんど江戸時代の城下町である。とくに大藩の城下町は城が大きく、現在も大きな公園となっているところが多い。金沢、広島、熊本、仙台などが浮かぶ。しかし金沢は川がなく、広島は緑が少ない。仙台は少し駅から遠い。歴史を持つ都市公園としては岡山が一番大きくて優れている気がした。
後楽園通りから城下筋に入って南下した。
道に傾斜があり、天神山の出城があったことが分かる。
右手に岡山県立美術館、RSK山陽放送、岡山市立オリエント美術館が並んでいた。
地図を見れば石山の西之丸には林原美術館とラビットホール(現代美術館)もある。
後楽園の対岸には岡山出身竹久夢二の美術館。
岡山は芸術が盛んなのだろうか。藩政時代から教育・芸術を貴ぶ精神があり、林原一郎など地方実業家の貢献も大きかったことが理由か。
思えば、明治19年に全国を5つの学区に分け、近畿中国四国の第三学区に第三高等中学校を置いた。当時はその下に学部もあった。三高の本部は京都であったが、三高医学部は学区内の京都でも大阪でも広島、松山でもなく、この岡山だった。岡山藩医学館の流れをくむ岡山医学校がその母体となり、秦佐八郎らが卒業した。
高等学校(高等中学を改称)はこのほかに旧藩主の肝いりで地元密着の長州(山口高校)、薩摩(造士館)にも置かれた。しかしこれでは足りなくて全国に増やすとき、最初になる第六高等学校は大阪でも名古屋でも福岡でもなく、ここ岡山に置かれた。
それを考えれば政令指定都市・岡山の発展は明治以来の復権ともいえる。
近年東京集中が病的にまで進んでいる。かつては地方から人が集まるだけだったが近年はアジアからの移民も増えている。そんな東京一極集中の時代こそ、こういう地方の都市が伝統を大事にしながら美しく発展することがますます望まれる。
18:44
大きなサークルの柳川交差点に戻ってきた。
この近くで腿が攣ってからちょうど1時間経っていた。
脚は何とか持ったがどこにも行く元気はなく、ゆっくりと駅に向かった。
ほんの僅か雨が降ってきたが、傘をさすほどでもない。
一日曇りだった。
山陽地方は塩田があったように雨が少ない。特に岡山市は1989年以降、年間の雨の日(降水量1mm以上)が全国の県庁所在地で最少であり、岡山県のキャッチフレーズ「晴れの国おかやま」はこれに由来する。
帰りのバスは20:40である。
バス乗り場を確認したあと駅の地下の食堂街に入った。
この日は高梁山田方谷記念館前と備中高松城でコンビニパンを食べ、備前一宮駅でも片付けるように食べた。
食べ過ぎたせいか食欲はなかったが、夜腹が減るかもしれないし、なにより時間つぶしで座りたかったので一軒に入った。
19:33
近くに中国人グループがいてうるさかった。
食べ終わった二人が席を立って別の席にいた仲間のところにきて話をしている。
あまりうるさいのでさらに見たら、一人が彼らと同じ場所にいながらスマホで誰かと大声で電話していた。もうめちゃくちゃである。
料理を運んできてくれた娘さんに言うと「すみません、外国の方なので」と答えにならない返事。「席を変わられますか?」といわれたが、そういう問題ではない。
むっとして、もういいです、と言った。
高梁、備中国分寺、古墳群、足守、高松はもちろん、岡山城ですら人のいない静かなところを回ってきて大いに満足したが、最後はまゆをひそめる場面に出くわし旅の終わりとなった。
昔の平凡な、外国人などいない寂れた観光地に戻ってほしい。
景観、雰囲気、歴史は空気のような国民共通の財産であり、それを国・自治体が旗を降って金儲けの材料にしてはいけないと思う。
岡山のブログ
20260520 岡山10 烏城の縄張りと後楽園、岡山朝日高校、池田氏
20260516 岡山9 中国四国9県の中心都市になっている
20260514 岡山8 大鳥居から桃太郎伝説の吉備津神社まで
20260512 岡山7 備中高松城、水攻めと中国大返しの現場にて
20260511 岡山6 自転車で洪庵と木下家の足守は遠かった
20260507 岡山5 痙攣しても備中国分寺と古墳群をまわる
20260505 岡山4 レンタサイクルで備中国総社宮にゆく
20260502 岡山3 高梁2 三島中州、御根小屋の名門校、山田方谷、板倉勝静
20260430 岡山2 高梁、吉備国際大学と備中松山城
20260427 高速バスで岡山、倉敷へ
















0 件のコメント:
コメントを投稿