タイトルの年齢から老いが進んで66歳になってしまった。
退職後5か月、週2回程度の菜園アドバイザー(一回3時間)だけだったのは、仕事がなかったこともあるが、原稿書きをしようと思ったから。
薬学会から退職記念総説を薬学雑誌に書いてくれと頼まれた。A4で30枚程度というから、かなり書ける。進学振り分けで薬学部を選んだ大学3年生のころから、大学の研究室時代、企業、大学まで、テーマは化学(薬物代謝)から生物(生理、薬理)、スクリーニング、シミレーションまで、東大、シンシナチ大、京都などでの研究活動、ユニークな人々のことを書けば、今までの退官、退職された有名教授より面白い記事を書く自信はあった。
しかしなかなか筆は進まず、下書きとなるはずのブログ「私と薬学」シリーズも31歳で止まったまま。昔のことを書くことに興味がなくなってしまい、これでは薬学会に迷惑をかける。
退職記念総説をかく教授は限られているから大変名誉なことでもあるし、自分の人生の記念にもなる。もったいない気もしたが、8月のお盆明けに謝って辞退させてもらった。締め切りから2か月も過ぎていた。
さて、心配事がなくなると、とたんに心に暇ができた。
ダンスのレッスン、練習は週3,4回あるが、どれも夕方だから、ほぼ毎日家にいる。見たくもないテレビやネット記事で暇をつぶし、食事を待つだけの生活になった。
とにかくこの夏、事件が欲しいテレビのニュースバラエティは、番組枠の時間を埋めるため、コロナや天気(熱中症)を必要以上に大げさに報じた。利権が絡んでいるのか、責任感を回避したいのか、「専門家」「コメンテーター」は事を大げさにしていく。さらに視聴者の健康を第一に思いやっている感を出すため、コメントが自粛、規制に偏っていく。すべてサイエンスよりも当たり障りのない建前、優等生的発言を優先している。もちろん真面目な表情、声色は必須である。
これらを見たくもないのに見てしまい、国民を誘導する政府、マスコミに腹を立て、この国の行く末を心配した。危機感をあおって税金を無駄遣いしていく。報道番組は善良な市民を洗脳してしまうことで、ドタバタバラエティより害だと思う。
このままイライラしながら年を取っていくのはマズイ、と思った。
・・・・
そこでパートのアルバイトをすることにした。
ネット画面の端にも、メールにも求人情報は毎日来るが、通信販売の商品ピッキングとか弁当製造が多い。電車に乗って通うほどやりたい仕事ではない。
近所を歩いていて、谷中さくらホテル(住所は千駄木)、それから不忍通りを渡った田端生協でもパート従業員を募集していた。どうしようかな。
またムジナ坂を下りた不忍通りの居酒屋でも、募集の張り紙があった。ここは歩いて4分、一番近い。一度ランチで入ったことがあるが、魚料理を売りにしている。
一生のうち、生活費、健康の心配もなく、時間だけある状態などめったにない。未知の仕事にチャレンジすることにした。
66歳でもいいかと恐る恐る電話すると履歴書をもってきてくれという。
学歴、職歴など関係ないのだが、空欄にするわけにもいかず、ごく簡単に書いた。
店が空いている午後、面接。
こういうところは学生アルバイトがメインだから、私の経歴は異色である。
「なぜ、アルバイトする気になったのですか?」
「飲食店での仕事は経験ありますか?」
「日本酒は飲みますか?」
ここは全国の銘酒、焼酎にこだわりがあるらしい。
店主は笑顔を見せないが、面接は緊張しなかった。不採用でも構わないから気楽である。
後日、採用の電話をもらい、仕事用の靴をもって初出勤。
着替え(作務衣)、タイムカード、先輩へのあいさつ、手洗い、は春先のベーカリーのときと同じ。
日本酒はこのメニューにない銘柄が大量にある
初日はアルバイトの女性が二人。30歳くらいのRさんと、大学4年生のCさん。
私の経歴はすでに聞いていたようで、「全然違う職種にチャレンジするのはすごいです」と好意的に受けいれられた。
ここでは店主は大将と呼ぶようであり、厨房は大将と30歳くらいのIさんのお二人。
我々アルバイトは、ホール中心で
1 オーダーお伺い
2 厨房からチーンとベルが鳴ったら料理を運ぶ
3 カウンターでドリンク調製
が最優先で、ほかに手が空けば洗い物など雑用も担当する。もちろん、日によってはテーブルが二回転することもあるので、帰った席の片づけ、箸、取り皿などのリセットも必須である。
ベテランのRさんにいろいろ教わった。
まずテーブル番号を覚える。8卓、40席。
注文はスマホのアプリでするが、入力でテーブルを間違えたら一大事。
アプリは便利で、注文を聞きながら品目にタッチすると、テーブルごとに蓄積、記録されていくと同時に、ドリンクは準備カウンターのプリンターに、料理は厨房のプリンターに品目、数量、テーブル番号が書かれた小さな紙片が出力される。
この小さな紙があれば、複数人から日本酒を注文されたとき明鏡止水だったか楯野川だったか分かるし、出来上がった料理も、お盆に料理名とテーブル番号が書いてある紙片が乗っていれば間違えない。
しかしスマホの文字が小さくて、タッチしようと思っても暗いと読めない。また品目も日本酒、焼酎、刺身、揚げ物、煮物、珍味、などと分類はされていても、どこに何があるかすぐ分からないので当面は紙にメモしてすぐ後で入力することにした。
それにしても、お客さんはこちらの書き留めるスピードなどお構いなしにどんどん注文を言ってきて間に合わない。メニューを見ながら決める人はいいが、6つ、7つ決めてからまとめて言われると、何度も聞きなおさねばならない。
ドリンクもみんな一緒なら楽だけど、それぞれ梅サワー、生レモンサワー、ビール、ウーロンハイ、などバラバラだと作るほうも大変。日本酒も冷酒だと楽だが、熱燗もある。
店員の立場に立つと、今まで先方の苦労も考えずに食事をしていたことがよく分かる。
さて、実際にやってみて最初に分かったのはお盆に乗せて運ぶことの難しさ。
飲み物などは水面が揺れ、こぼれないように静かに動こうとするとますます揺れる。お盆をテーブルに置くときも、よたよたして、お客さんも不安な顔をした。
ビールのジョッキなどは手で持って行っていいよ、と言われ一安心。
客層はターミナル駅の居酒屋と違い、住宅地の家族連れが多く、みな紳士的である。自然と耳に入る断片的な単語から、医師、研究者も結構来店していることが分かる。近所の駒込病院か日本医大か、学生のような若手医師のグループが多い。ノートパソコンを見ながら「このシーケンスは~」と言っている二人連れもいた。
そして料理をもっていくと「ありがとうございます」という人が多い(特に若い人)。
週に1,2日入ることにしたのだが、上達、慣れのスピードが、「そろそろこれくらいはできるだろう」と期待されるレベルに追いつかない。
熱燗をセットして他のことをしていて熱くなりすぎたり、グレープフルーツサワーをつくるとき焼酎をいれたあと炭酸水のかわりにグレープフルーツジュースを入れてしまったり。
このくらいはまだかわいいほうで、問題はドリンクの作り方がすべて頭に入っていないこと。客がスタッフにドリンクの注文している声が聞こえたら、もう一人は紙片が出力される前に作り始めなくてはいけない。チームプレーでやらないとさばききれない。
ベテランアルバイトのKさんには「もう何回も言いましたよね?」と呆れられる。しかし彼はすぐそのあと、世間話などして私が委縮しないように気を配ってくれる。
物のありかが分からないことも困る。
全国の銘酒はいくつかの冷蔵庫にびっしりしまわれていて、言われた銘柄を探すのも一苦労。(黒龍は九頭竜と大吟醸の二種類あるし、八海山はおちょこが違ったりする)。
また、下げた食器はすぐに洗わなければ流しがいっぱいになるし、食洗器にかけ終わった食器はすぐしまわないと次の洗浄ができないのに、終わった食器を置く場所が分からないからうろうろしている。
注文をうけるときも「おすすめのお酒は?」と聞かれて、すぐ大将のところにいくと「辛口なのか甘口なのか、そのくらい聞いてきてください」と言われる。焼酎のおすすめを聞かれたら、芋なのか麦なのか。また銘柄を指定されたも、水割りなのかソーダ割なのかロックなのか聞いて来ないと二度行くことになる。
これはダメだな、退職老人には無理だな、と思った。
10月4日、大将に「このままだと皆の迷惑になってしまいます。戦力にならないので辞めさせてください」とメールしたら、「どうやったら戦力になるか考えてください」。「もうシフトが決まっているので今辞められたら困ります。今月だけやってそのあと進退を決めたらどうですか」と返された。
このメールをもらって初めての出勤、10月7日は、いつもより早く出るように言われた。
恐る恐る行くと、まだ客が来る前に、大将が仕事の段取りをいろいろ教えてくださった。彼はいつも厨房の中で調理しているのに、私の仕事ぶりを実によく見ていらしたようで、その観察眼に驚いた。そしてアドバイスも理にかなって適切である。
「今まで学生に教えるときも教科書通りにやるのでなく、学生が満足するようにいろいろ工夫したのではないですか? この店でもお客さんが期待していたより満足するよう、工夫、気配りしてください」と言われた。
この店は大将だけでなく、アルバイトスタッフも優秀である。
気配りができて、てきぱき動く。
でも時給は安い。1200円だが、私のようにいつまで続くか分からない見習い期間は都内最低賃金の1050円。
製薬企業、大学と、41年間の職業人生はなんと楽だったことだろう。
気が利かなくても、ぼんやりしていても、成果に見合わない給料をもらえた。
私より高給だった(偉くなった)人は、もっと私より現場力がないから、居酒屋は決して務まらないだろう。
定年退職して、いろんな職業の大変さが分かった。
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