2022年10月4日火曜日

京成線の車窓、青砥駅と高砂駅のホーム

東京の東部には土地勘がない。

高校を出て上京したころ、叔父叔母は座間、綱島、南浦和にいたから小田急、東横、京浜東北線は親しみがあった。
就職してからは職場も住まいも大宮周辺の埼玉となった。都内に出る時は上野、池袋、新宿、渋谷であり、東は縁も用事もなかった。

千駄木に来てからもせいぜい浅草、ダンス競技会のある錦糸町くらいで、東は依然として未知の世界だった。

聞けば東京生まれの人も東はあまり行かないという。要するに千代田区、港区などのようにイベントなどの集客施設があるわけでもないから、ベッドタウンのように、住んでいる人しか知らない街ということだ。(むしろ千葉のほうまで行けば東京が遠くなるから集客施設が増える。)

さて、退職後のアルバイトとして葛飾柴又の市民農園に行くことになった。
町屋あるいは日暮里から京成線に乗る。
2022-03-05 8:30
千代田線から乗り換えるときは、町屋駅。


京成線の下を都電が通る

京成線は成田空港までは10年ほど前まで年一回くらい行っていたが、特急は途中を素通りしてしまう。各駅停車というのは、ほとんど初めてで(柴又帝釈天に一度行った)、車窓の景色は新鮮だった。
ほとんど高架あるいは土手を走るから、家々がよく見える。
全くおしゃれな建物がなく、普段着の家並みが続いている。

8:33
荒川区町屋を出て隅田川をわたると足立区

川を渡るとほんの少し、地上におりて踏切があるが、町屋の次の千住大橋駅は再び高架となる。

千住大橋駅をすぎる

日暮里を出て高架の区間が多いのはなぜか?
京成電車は、明治通り、都電、隅田川、国道4号、常磐線、東武伊勢崎線、荒川、国道6号、環7通り、中川、と放射状に出る線路、幹線道路、そして川を越えなければならない。これは理由ではなかったかもしれないが、結果的に高架にすることで便利になっている。この沿線事情は総武線などと似ている。つまり西武線や東武東上線のように線路自体が放射状に延び、川や他線と交わりの少ない路線と違う。

次の京成関谷は東武伊勢崎線牛田駅と近く、乗ってくるひとがいる。
京成関谷を過ぎ、荒川を渡る。
ここは明治に計画され、大正から昭和の17年をかけて掘削された大きな放水路である。1965年に正式に荒川の本流とされ、分流点以降の旧荒川を隅田川とされたが、依然として旧荒川と区別するため荒川放水路と呼ばれていた。それでも最近の地図は単に「荒川」となっているのが多いかな。

荒川がはるか東に移動して、もう少し経つと荒川区とか荒川小学校(北区東十条)の語源が分からない人も増えるだろう。(ダンス練習場「富士学院」の前にある都内最古級の荒川小学校は、この2022年4月、十条台小学校と統合され、十条小学校となった。)

荒川を渡ると足立区から葛飾区に入る。
昨年はじめて自転車で走った墨田区はもっと南のほう。

やがて「堀切菖蒲園」。
次は「お花茶屋」。
きれいな駅名が続くが、車窓の景色は密集した住宅ばかりで、全く木々の緑がない。
もっとも、お花茶屋は八代将軍吉宗の時代に「お花」という娘がいた茶屋があったことより名づけられたそうだから、緑がなくとも仕方がない。

この二つの駅の間で線路は高架から地上に降りる。
家々はますます近くなる。
お花茶屋駅に停車
すぐ先は踏切。
お花茶屋は駅名だけでなく、住所としても駅の北に1~3丁目まである。

8:42
お花茶屋を出ると線路は再び高架となる。青砥駅手前で右から羽田空港にも通ずる押上線が合流する。
高架はかなり高く、5,6階建てほどあるのではなかろうか。これは中川を越えるためというより、押上線や特急待ち合わせ用の線路用地が確保できず、立体的にしたためだろう。
8:46 京成高砂着
路線図を見ると、高砂、青砥近辺は降りたことのない魅力的な駅名が満載。
東京西部を走る私鉄の、~が丘、~台といった文化も歴史も感じさせない軽い駅名と違い、一癖も二癖もあるような駅名が多い。

京成は本線が上野から成田までだが、青砥から分岐して押上線は、都営地下鉄浅草線、京急線で羽田や三浦半島三崎口までいくし、東は高砂から北総線が分岐し千葉ニュータウンを経て成田へ、また津田沼から分岐して千葉市方面にも行く。

京成電鉄は
1907年、押上―成田間の鉄道敷設免許を得て、
1909年(明治42年)京成電気軌道株式会社設立、
1911年 着工、
1912年 押上~江戸川間、曲金(現京成高砂)~柴又間開通

押上から都心、浅草への乗り入れは東武と競合し、東京市会議員に賄賂を贈った京成電車疑獄事件が発覚、浅草乗り入れは断念した。
(押上は隅田川の東、北十間川の北であるが、明治22年から南葛飾郡ではなく東京市本所区の北端だった。とはいえ、言問橋などもなく渡し船だった)

浅草をあきらめた後、都心への乗り入れを模索、日暮里~筑波に鉄道敷設免許を持っていた筑波高速度電気鉄道を東武との競合の末に1930年吸収合併。
1931年 青砥駅~日暮里駅 開業、
1933年(昭和8年) 地下軌道となった日暮里駅~上野公園駅(現・京成上野駅)開業。
今は上野~成田が本線となった。

・・・・・

2022年、アルバイトは通い始めて6か月、すっかり慣れた。
市民農園での菜園アドバイザーは楽しい。
東京都最低賃金の時給で一回3時間、一回行けば1日の食費を稼げる。年金生活者には十分な収入である。

週2回ほど通う京成線について、もう少し書く。
新たに写真も取った。

初めて青砥駅に着いたとき、その景色の良さに驚いた。
2022‐10‐01 12:28
青砥駅。 成田方面行ホーム。
すぐ目の前を中川が蛇行していく。
日暮里以東で一番の景色ではないか?
中川にかかる青砥橋
北側は特に面白くない。
何か見えるわけでもないが、ホームの高さがわかる。

12:29 高砂方面

青砥を出ると電車はだんだん高度を下げ、中川を渡ると地上に降りる。

12:32 高砂駅到着
ホームは地上にあり、すぐ先は踏切。
これが特急停車駅とはどうしても思えない。

12:34 高砂駅北口広場
広場と言えるかどうか? ポストがあるくらい。
たまにタクシーが1台入るくらい。
駅前らしく道路の向こうに交番と不二家があった。

北口広場全景
高さ制限2.7メートル、一般車両進入禁止。

12:35
駅前の道路に信号がないが、開かずの踏切のため、いつも簡単に渡れる。
振り返ってもう一度、高砂駅前の道路もあわせた広場の「全景」。

ちょうど成田へゆくスカイライナーが通過した。
ほとんど乗っていない。乗客は外国に思いをはせ、窓の外の葛飾区などに興味はないだろう。

駅を背に職場に向かう。
左手の清水屋の日替わり定食480円は、質、量ちゃんとしていてお得。
家のそばの不忍通りのランチは800円から1200円、ここの営業努力に頭が下がる。

12:37
駅の景色が他の小さな駅とまったく変わらない高砂が特急停車駅になっているのは、柴又金町線(写真、右の高架)と北総線(スカイアクセス線)の分岐点になっているからか。
高砂の一番の名所はイトーヨーカ堂かな(左)。

12:37
京成の車両基地もあるが、これは特急停車の理由にはならないだろう。
特急すらも追い抜くスカイライナーをやり過ごすためかなと考えていたら、さすが開かずの踏切、警報が鳴り慌てて出た。

(つづく)

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