2018年6月1日金曜日

往復走って大聖寺城へ

芦原温泉駅で50分も待って、やっと来た各駅停車に乗る。
17:30発、金沢行き。
4つ目の大聖寺駅に 17:41着
降りてみた。

通勤通学時間帯だからか、次の電車はすぐ、18:13に来る。
駅前看板地図で大聖寺城を見た。
地図で見れば行ってみたくなる。
徒歩で行けるらしいが、何分かかるか?
このとき17:45。

持ち時間は25分しかないから12分で行けるところまで行って(なにも見なくても)引き返すことにした。大聖寺の町を見られればそれでいい。
単独行動だからこそできる芸当。

しかし、急ぐ。
いい年の老人が走るとは格好悪い。旅の恥はかき捨て。
汗だくで、なんとか到達。

無理してきたのは、本郷の東大が大聖寺藩の上屋敷跡だったから。
前田本藩の上屋敷に隣接して、富山藩とともに今の病院あたりにあった。
この藩の土地を一度見たかった。

城跡は山。
 
建造物があったような、自然でない山の形

「贋金造りの洞穴」看板が朽ちて落ちていた。

大聖寺藩は明治新政府から武器弾薬の供出を命じられた際に、贋金をつくって資金を工面した。この事実が発覚、責任者の市橋波江は切腹した。しかし藩はその子に倍の禄高を与え報いたという。

道案内の標識には
JR大聖寺駅 徒歩27分とかいてある。
ここまで来たのも奇跡だが、再び8、9分で帰れるか?

急いで写真だけ撮って、帰路につく。
今読めば、この城自体は、前田家の分家としての大聖寺藩10万石とは関係なく、それ以前のものだったようだ。

本当に急いだが、振り向いて1枚。
このあたり藩士の屋敷が並んでいたのだろうか。

見張り櫓のようなものがあったが、一瞥で駅に急ぐ。

大聖寺という地名は、錦城山に白山寺の末寺、白山五院の一つ大聖寺があったからというが、いまも城山の南、駅の西の山すそに寺院が多数並ぶ一角がある。(下の写真の正面に見える山)。もちろん行けなかった。

寂れているが、史跡の多い文化の町だ。
暗くなってきたせいか、あるいは急いでいたせいか、ピンぼけ。
うだつのある街並みを撮ろうとした。
ここのうだつは土壁ではなく、板であった。

奇跡。なんとか、18:13に間に合った。
往復54分かかる城山の見物を25分でするとは、絶対無理、無謀と思われたが、挑戦してみるものである。

真っ暗な中、列車は東に走った。
しばらくぼーっとしていたが、金沢の手前、松任にも城のあったことを思い出す。
跡かたもないはずだが、場所は駅前。北川祥賢の地元でもある。
どうしようか。
しかし疲れて早く帰りたくて、降りるのはもうやめた。

2 件のコメント:

  1. 力さん、
    寄って頂ければ、実家におりましたのに〜

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  2. お~、久しぶり。
    本人が読んでくれるとは。
    そう、行きも帰りも思い出したのだけど、会えていたら20年ぶりくらいだったね。
    北陸はいいところでした。

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