2021年5月19日水曜日

テレビ東京、アマンド、CCCビル、六本木高校

最寄りの本駒込から南北線で16分、六本木一丁目。

しかしホームが深くてエスカレーターが長い。
改札出るとびっくり、いきなり住友六本木グランドタワーの広大なエントランスホール。
さて外への出口はどこだろう、と田舎者はきょろきょろするとテレビ東京への入り口。
横目で見ながら地上に出る。

テレビ東京は東京放送(TBS)と紛らわしい。
TBSテレビ、Tokyo Broadcasting System Televisionは株式会社東京放送ホールディングスの会社だったが、昨年2020年株式会社TBSホールディングスに商号変更した。

テレビ東京は東京12チャンネルである。
1975年、学生100人だったか50人だったか生放送バラエティ番組のアンケート回答者として出た。出演料は3000円だった。
このとき東京タワーの下、芝公園にあった。

1981年株式会社テレビ東京に商号変更。
1985年芝公園から虎ノ門に移転
2016年六本木の現在地に移転。
他のチャネルがみんな似ている中で、力の抜けた、独自の番組が多くて好きだ。

2021‐05‐16 9:54
正面がテレビ東京の入る住友グランドタワー
写真にはなだれ坂の標柱があるが、再開発で相当地形は変わってしまったと思われる。

1995年
もとこの場所には六本木プリンスホテルがあった。
1984年開業、中庭のプールを内側の廊下のどこからも見下ろせるという黒川紀章の設計。バブルとともに栄え、バブル崩壊とともに人気が落ち、2006年西武は住友不動産に売却した。住友は再開発に着手する2010年までビジネスホテルに改装して営業したらしい。
私には全く縁のない場所で、見たこともない。

9:56
六本木通りを西に市三坂(イチミ坂)を上がっていく。
名主の名がついた麻布市兵衛町と、松平三河守の屋敷があった麻布三河台町からとった。
この坂の水の行く先は先日歩いた溜池である。

9:58 六本木交差点
対角線にアマンドはまだあったが、かつての白とピンクの縞模様の庇ではなかった。
日曜の10時だからか、昔ほど待ち合わせの人はいない。


10:00
交差点を渡り溜池方面を見る。
左に行くと東大生産研、防衛庁があった。
(別ブログ)

2002年4月20日、この写真の背後、六本木7丁目15-2、TSK・CCCターミナルビルという複合ビルでふるさと信州中野会があった。今検索したら1973年以来暴力団の関与するいわくつきのビルだったようで、所有権が転々としたあと2008年解体、一等地にありながらずっと更地のまま。今グーグル航空写真を見れば何か基礎工事をしているようだ。
当時はレストランなど多くのテナントが入っていた。もちろん、ふるさと中野会の参加者は何も知らなかった。
 
10:06
アマンド側に渡り、外苑東通りをみると正面に東京タワーがみえた。

少し歩くと有名なロアビル。
Roiだからロワビルだろう。
二階にディスコがあったらしい。今は空室もありそうな古いビル。
今のダンスパートナーIさんは高校時代通ったという。

10:09
ロアビル裏に回るとハードロックカフェと駐車場
バブルがはじけ、六本木にもこんなところがある。

六本木に初めて来たのはたぶん就職して1,2年ころ。
1981年か82年、スウェーデン・ファルマシア社主催、液クロのワークショップに来た。
2003年にファイザーに買収された医薬品のファルマシア社と起源は同じである。ウプサラ大学と関係が深くライフサイエンス関連の試薬、製品を扱っていた。

当時、彼らはたんぱく質を高速で分離精製するHPLCシステムを売り出した。私は低分子の精製ばかりだったが、上司に勧められ製品紹介のシンポジウムに来た。
会場は六本木、アマンドの横から芋洗坂をおり、西側だった気がする。
10:14 芋洗坂。右は饂飩坂
スウェーデン大使館ではなかったが、スウェーデン関連のガラス張りの小さな建物で行われた気がする。しかしそれらしき建物はない。プログラムにスウェーデン大使館共催とでも書いてあった記憶違いだろうか。

10:17
探して下りる途中、倉庫のような六本木らしくない古いビルあり。
水産経済新聞社と書いてある。
探しているうちに坂を下り環状三号線に出てしまった。

1995年
当時から13年後、1995年の地図を見れば坂の下にスウェーデンセンタービルとある。

10:18
今その場所は蔦屋などがはいる六本木ヒルズゲートタワーになっている。
ファルマシアのワークショップはここではなかった。
坂の途中の会場は消えてしまったのだろう。

改めて1995年の地図を見ると、芋洗坂を下りる途中にある区立六本木中学は城南中学と書いてある。六本木ヒルズゲートタワーの裏にある都立六本木高校も城南高校である。
なぜ城南といったか?
江戸城の南にあったから、という答えはつまらない。

昭和40年ころの住居表示以前、六本木という地名は今と違って非常に狭い範囲だったから、と答えたい。
1940
六本木中学(城南中学)は麻布区麻布日ヶ窪町、府立第三高女(現都立駒場高校)の敷地に建ったことがわかる。
これでは六本木という地名を校名にすることはない。
1998年4月、城南中学校に区立三河台中学校が統合されたことに伴い校名を変更した。
市三坂で述べた麻布三河台町もいまや文句なしに六本木である。

六本木高校は麻布高等小学校の跡地である。
(ウィキペディアなどネットでは南山小学校跡地とあるが、南山小は昭和2年にすぐ南の現在地に移転、そのあと麻布高等小学校の敷地になった)
1942年府立22中として設立、翌年城南中学と改名された伝統校であったが、近年進学実績は低迷、2004年閉校。2005年、都内の定時制課程を集めて新たに三部制(午前、午後、夜)の高校として開校した。

1998年、2005年なら、六本木の地名は高度成長時代、バブル時代を経て文句なし、堂々としたものになっていた。


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