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2026年10月23日金曜日

イラガに腫れた手と芋虫、秋ジャガ、大根

9月末、長雨がやんでようやく秋らしい過ごしやすい季節となった。

(しかし実際は9月は東京で毎日少しでも雨が降り、完全に晴れたのは10月3日という。37日間連続雨というのは、1886年の統計開始以来、過去最長を大幅に更新した。

その間の千駄木菜園のことを書いておく。

2026-09-30
この写真のころは秋ジャガはまだ全部発芽していない。
日差しが弱かったからひょろひょろ伸びてしまった。

それから3週間たってだいぶ伸びた。
2026-10-20
1番畝、秋ジャガ
みな太陽に向かって伸びているのがおもしろい。

この間、9月29日、レッドロビンの生垣のそばで作業していたらまた右手に激痛、見ればイラガが1匹、落ちていた。
さらに10月1日、今度は左手が刺された。
2026-10-03
右手の腫れはひいたが、左手がふくれてきた。
いつもどおり何の処置もしなかったが、毒のトゲ(繊毛)が付着していたかもしれないから、ガムテープで手の甲をぱたぱたするべきだったかもしれない。

今回は気持ち悪い写真を何枚か出す。
2026-10-04
翌日はさらに左手がふくれ、指が曲がらなくなった。
この日、千駄木駅から沼津見物に行った。

翌日、大和芋の葉っぱが全部落ちていて、不思議に思っていたら巨大な芋虫がいた。
2026-10-05
葉を食べつくす芋虫
エビガラスズメの幼虫である。
後ろのブロック塀、210センチ支柱の太さと比べるとその大きさが分かる。
わたしの指より大きい。
2026-10-05
こちらにも2匹いた。
芋虫とはよく言ったもので、わたしはこれをサツマイモ、山芋、里芋以外の植物でみたことがない。(ジャガイモにはいない。)
これだけ大きいとつぶせない。
乾燥死させようと鍋状容器にいれた。
2026-10-05
4匹の芋虫
ちょうどイラガもいたので入れる(左下の緑)
左上は普通の毛虫。

芋虫は無害なのに見るからに恐ろしい。
ふつうの人よりも自然の造形とみなせる理性はあるつもりだが、やはり本能が恐れるのだろうか。
2026-10-05
サツマ芋はだいぶ虫に食われた。
エビガラスズメだけでなくナカジロシタバの幼虫もいる。
2,3本試し掘りしたが非常に小さかった。
2026-10-21
玉ねぎ、春菊
サツマイモ、里芋、落花生、と遅くまで畑を占拠するものを作ってしまったため、育苗は移動できる箱や鉢で。
2026-10-21
大根(宮重総太り)2次
10月6日に種まき

これもまた場所がなくイチジクを抜いた場所(12番畝)に種をまいたら日照不足でひょろひょろ。夏のナスは何とか育ったが、太陽が低くなると生垣の陰になってしまう。

8月29日に播いた大根1次は順調。
種から育てる野菜では、ニンジン、レタスなどと比較すると大根が一番簡単な気がする。
他の物は発芽はするが大きくなる前に何者かに食べられてしまう。
2026-10-23
手前2番畝、左:ラッカセイ、右:大根1次
向こう、3番畝:ラッカセイ、4番畝サトイモ
サトイモの向こうの生垣の手前に12番畝のネットがかすかにみえる。

現在、物干しの前は北(左)から3番、4番、通路、12番、生垣、と並んでいる。12番を少しでも生垣から離すために、4番の里芋、12番の大根がなくなったら、通路と12番を入れ替える予定。通路の下にある石も移動せねばならないから結構大仕事。

こういう計画はとても楽しいが、自分の健康を考える年齢になってしまった。

イラガに刺された手はまだ少し跡があるが、前回のように水疱はできなかった。


2026年9月28日月曜日

利己的な遺伝子(続)脳と宗教

前のブログで個体(我々の本体)は遺伝子の乗り物にすぎず、遺伝子こそが永続を目的としている生命(種)の本質であることを書いた。

今読み返すと言葉足らずだったので書き足しておく。

自然界では生存競争に勝つ個体が生き残り、子孫を残す(自然淘汰)。それが進化につながる。しかし自然界にはグループ全体に奉仕する個体が多くいる。たとえば仲間に危険を知らせる鳥とか、群全体に奉仕するミツバチなどの存在である。こうした奉仕、自己犠牲する個体は生存競争に劣るのになぜ存在するか?

そこでコンラート・ローレンツは群同士の競争を考え、自己犠牲の個体を含む群が競争に勝ち、群こそ自然淘汰の単位とした。
(ローレンツは1973年動物行動学、社会生物学でノーベル生理学賞を受賞し、日本でも多くの著書が出版された。1975年に大学に入ったわれわれもそれらを読み、教養、薬学時代を通して友人だった成田恵一氏は動物行動学から生態学をやりたいと言って、対象のスケールの点で薬学と全く正反対のエコロジーに興味を持ち、留学して文筆業に進んでしまった。)

群選択は自己犠牲のある動物行動をうまく説明したが、少し問題があった。それは仲間に危険を知らせる鳥と、黙っている鳥がいた場合、黙っている鳥のほうが子孫を残し、群全体では自己犠牲する鳥がどんどん減っていってしまい、群全体の競争力が減ってしまうことである。

そこで、ドーキンスは自己犠牲は肉親のためであるとし、兄弟、子供が残れば自己の遺伝子コピーを守れるとした。すなわち自然淘汰の単位が群ではなく遺伝子としたのである。

先日99歳で亡くなった妻の母が、娘や孫をかわいがり、また用が済んだとしてこの世から退場したのもすべて遺伝子のなせる業である。
2026-09-22
終了したスイカネットに落花生が登っている。

人間、肉体、個人は永続していく遺伝子の乗り物、外套であり、遺伝子の表現型にすぎない。

ところが、現実世界では目に見えない遺伝子より個体、個人のほうが重要である。
葬式ではそれがはっきりする。

今回、9月の100歳と99歳の葬儀の読経中に思ったのは、なぜ、ヒトでは遺伝子より個体が重要になったかということだ。

考えたことを書いて整理しておく。

1.個体が優位になったのは脳が巨大化したからである。
実際、自然を見れば多くの生物は(特に下等になるほど)個体より遺伝子のほうが重い。微生物の走化性、走光性などは遺伝子のみのなせる業で、そこに個体の意思はない。植物はいくら高等になっても遺伝子だけで生きている。魚のような脊椎動物となり個体として進化しても脳が不十分なら学習、思考がなく、本能(=遺伝子)で動く。そこに自我はない。

ところがヒトは脳を大きく発達させた。遺伝子では動かず、自我、社会規範で動く。
それだけでなく自己を潜在的に支配している主(あるじ)というべき遺伝子の本体を明らかにしてしまった。DNAという化学物質と分かればそこに神秘性はなく、神の領域であったはずの生物改変すら厭わない。
現代人は出産・誕生、成長、病気、死などの面では遺伝子の支配下にあるが、日常生活は完全に個体(脳)が遺伝子を支配している。

戦時中の特攻隊はもちろん、政治家秘書の自殺では完全に脳が遺伝子を無視している。避妊などは脳による遺伝子への反抗である。無駄に放出される精子よりも、傷ついて流れる血のほうを惜しむ。

2.ほぼ同じ遺伝子、細胞、肉体を持つサルと比べ、なぜヒトだけ脳が巨大化したか?

指先の発達や二足歩行への移行はダーウィンの突然変異、自然選択による進化の結果であろう。サルなどと同じである。しかし脳の発達は違う。まず、サルの社会に少々頭が良い個体が表れても、手先の器用さ、直立の仕組みなどと比べたら、生存競争には大して影響しない。また、脳の発達の速さはある時点から指数関数的に急激である。

すなわち、脳の発達は、自然淘汰による進化ではなく、それがもつ自己増殖性、自己発展性の結果であろう。
自己増殖性とは少し発達すると、さらに発達することだ。
例えば、産業革命は工作機械を生み出し、その機械はさまざまな機械を作り、産業は爆発的に発展した。近年ではコンピューター、半導体である。コンピューターの利用によってソフト、ハード両面の設計が加速され、さらなる高性能コンピューターを作り出した。
2026-09-22
落花生は子房柄を潜らせる土を探すうちにネットを地面の土と反対方向に登ってしまった。

3.サルの脳もヒトとまったく同じ部品でできているのだから自己増殖するはずである。
なぜヒトの祖先だけが発展させえたか?
それは猿になかった、ほんの小さなきっかけであろう。
多分考えられるのは、火の利用とか直立歩行などではなく、(身振り手振りを含む)言語だろう。
言語(ジェスチャー)によって、親が子に知識を与え、それを子の脳が刺激としてさらに知識を得ようとして脳内の爆発が始まり、その爆発が単語を生み、やがて文字を生んだ。文字ができると親以外の知らない人や過去の人の知識も得られるようになり、さらには印刷術でひろく広まり、指数関数的に脳が巨大化した。現代人でも生まれてすぐ文明と離れたオオカミの世界で育てられたら、脳は発達せず、男女でオオカミ社会で暮らすことで子孫を残しても、何代続いても、脳はそのままかもしれない。

(ドーキンスは、サルと違って脳が巨大化したきっかけは、言語のほかに想像力と道具と考えた。想像力というのは、例えばたまたま木が川に倒れて、サルがそれを渡った時、ほかの場所に橋を作ろうと思うかどうかである。初期のほんの幼弱な想像力でも自己増殖性の前では大きな力を発揮する。道具もそれを使えば新たな道具を産むという自己増殖性を持つ。これら3種はお互いに補って交じり合って自己増殖していく。)

4.自己増殖性というのは恐ろしい。
いまはAIである。AIの改良にはAIを使っている。AIは自らを驚異的な速さで発展させうる。その次はロボットであろう。AIを搭載したロボットは人間と同じように社会を作るかもしれない。そしてダーウィン的進化と生身の神経細胞で制限されたヒトとちがって、あっという間に進化するだろう。その前では何億年も生物を支配、発展させてきた遺伝子は無力である。ウィルスと同じように、しかしDNAによらない自己増殖性を持つ点では、まったく新たな地球の支配者になるだろう。

2026-09-23
雨が続いてナスは大きくならず、肥大を待っていたら腐ってしまった(左の3つ)。
東京都心は8月28日から途中太陽が2回出ただけで本日(9/28)まで連続33日雨が降っている。

(宗教と進化、遺伝子)

さて、話を戻すというか、今回書きたかったことは、脳すなわち自我が巨大化すると何が起こるかということだ。脳は何を考えるか?
一つは神である。

自分の力が及ばない自然のまえに、人間は災害や疫病を神のせいにした。
また、万物は神が作ったとした。
しかしダーウィンは、そのようなキリスト教の教えに対し、神などいなくてもヒトはサルから進化でできることを示し、さらにドーキンスによって宗教が妄想とされ、完全否定された。
(ドーキンスは、遺伝子と似たように自己複製して世代を越えて伝わる文化的な情報単位を考え、meme(ミーム)と名付けた。ミームの例として、歌、言葉、習慣、宗教的信念をあげた。
つまり、偉大な先人が万人を救う素晴らしい思想を産んだというのではなく、宗教という情報が、人間の脳を「媒体」にして複製・伝播しているとした。)

宗教は悩みから生まれたものだろう。
我々の悩みは脳が生み出す。恋愛、学業、健康、仕事、近所づきあい、すべて個体(脳)の悩みである。
しかし、生物の本体は遺伝子の流れであるという考え方は、我々の思考を大きく変える可能性を持つ。

遺伝子を中心にすれば、個人が病にかかり、死んでいくのは当然ことであり、むしろ何億年も続いてきた生物にとっても、5万年程度しか続いていないホモ・サピエンスにとっても、正しいことであり、少しも悲しむことではない。むしろ遺伝子を新しい乗り物に無事運んで役目を終えたという、めでたいことなのである。

これは現世の悩みと死の恐怖から人間を救うことを目的とした、宗教としては最も優れたものではないか?

今まですべての宗教はごく狭い範囲、一部の人が信じているものだった。違う家庭、違う国に生まれれば成立しない「ウソ」「迷信」である。
(よく、欧米人は無宗教の日本人を「信じられない」と野蛮人のようにいうが、なんでも自分こそが正しいという傲慢な無知である)

一方、遺伝子が生命の本質であるというのは科学である。
悠久の大河のように種族全体に流れる遺伝子の群れは、神と言ってもよい。
もし、遺伝子の前では苦しみも死も、悩んだり悲しんだりすることはない、という思想が生まれれば、最も優れた宗教になるだろう。その教えは無理やり天国や極楽を想定して押し付ける必要はないし、個人の悩み(利他による損失、老い、死)も、むしろ遺伝子を守るものとして正当化され、心の安らぎが得られる。

脳の肥大化は安らぎをもとめて迷信と言える宗教を無数に育ててきた。しかし、ここへ来て脳(個体)が遺伝子を外から眺めることによって、科学的に安らぎを産みうる思想の芽を作れるのではないか?

脳は何億年も支配してきた遺伝子を越えた。
脳はもう遺伝子に支配されることはないが、遺伝子を神として尊重することによって、自己の精神の安定と万物が生きる自然環境の永続を目指せるのではないか?
そこにAIは必要ない。
2026-09-23
バジルはみんな葉っぱが落ちてしまった。
サトイモは日光を求めて巨大化し周りを日陰にした。
これらは遺伝子を残し続けてきた成功者である。

結局、借りてきた「利己的な遺伝子」はそのぶ厚さに恐れをなし読むことなく返却した。

前のブログ


2026年9月17日木曜日

縞なしスイカ。ヒトの長寿はおめでたいか?利己的な遺伝子の観点から

2026-09-01
2番畝、手前はエダマメとバジル。ネットは種まきしたばかりの大根。
4番畝、里芋は初めてのセレベス種だが巨大化し私の背丈ほどある。

9月は雨ばかり。
8月27日から続く雨は9月もやまない。各地で豪雨被害が出た。東京でも晴れたのは9月14日だけ。

この間に、妻の姉の嫁ぎ先の義父がなくなった。
9月3日、つくばの葬儀場へ通夜にいく。
100才だから悲しい葬儀ではなかった。みんなで俳句の好きだった故人を褒めるような会だった。私自身は法事で2,3度会った(見た)だけだからなんの感慨もなく、他人の死であり義理の出席である。

長いお経の間に思ったことは、どんな健康な人でも必ず死ぬということ。
死ぬようにできている。死は進化の過程で生まれた仕組みである。生物の種が存続するというのは、その遺伝子が存続するということ。遺伝子を大事にくるんでいるのが個体であり、個体は遺伝子の乗り物に過ぎない。生物が生存、繁殖しやすいように進化してきた理由はすべて遺伝子の永続のためである。100歳の彼はとっくに遺伝子を次代に送ったにもかかわらず、個体が頑健すぎて、主(あるじ)である遺伝子が想定していた以上に長生きした。

遺伝子としては新しい住まいである次の個体が十分な食料を得て生存していくために、抜け殻のような古い個体には消えてもらわねばならない。伊勢神宮が20年に一度の式年遷宮により、古い社殿を壊すことによってご神体が1300年以上も常に新しい住まいに安置されてきたように、遺伝子も外殻を新しくすることで自らの不変を保つ。
2026-09-01
例年のごとく5番6番7番はサツマイモが繁茂。

この雨の時期に、妻の母も危なくなってきた。
こちらは1927年7月生まれの99歳。ずっと自宅で暮らし、頭はしっかりしていて塗り絵をしたり心情を書き綴っていたりしていた。1週間ほど前に入院した。熱が出て心臓も弱ってきたのか足がむくみ息も苦しくなって酸素吸入になった。妻を含めた3人の娘(といっても婆さんだが)は、見舞いに行っていたが、3人の婿さんにも会いたいと言ったそうだ。しかし私はまだ大丈夫だと思い、妻がそれ以上言わなかったので行かなかった。今までのようにじきに退院して100才を迎えられればいいなと思っていた。ところがみるみる弱り、話すこともできなくなり、最後のあいさつのように目をつぶったまま指でバッテンをしたという。
9月10日、それを聞いて次の日曜に行こうと決めた。
ところが夜になって危ないとなった。

9月11日、金曜の午後、雨の中、取手医師会病院に見舞いに行った。
もう目をつむったままで意識がない。呼びかけても反応はなかった。しばらくいたが意識が戻ることはなく、私は息子一家(彼女の孫にあたる)と一緒に帰った。
妻は夕方千駄木に帰宅したが、虫の知らせか、夜になってふたたび茨城の病院に向かった。
夜中、熟睡中に妻からの電話で起こされた。すわわち日付が変わった12日の0:10、亡くなったという。
12日、土曜。午後妻が帰宅。
聞けば娘3人だけで母を看取ったという。他の人は誰もおらず、故人が最も愛してきた3人だけに送られるというのは最高の最後ではないか。
2026-09-01
3番畝東の空きスペースにニンジンをまいた。
しかし里芋が巨大化し日陰になってしまう。
ミカン(右)も大きくなってきた。

帰宅した妻は睡眠不足なのか、持病のめまいなのかソファでぐったりしている。彼女は私の何千、何万、何億倍も故人との思い出がある。なんせ生まれた瞬間からずっと一緒だったわけだから他人の私に悲しみは理解できるはずはない。

なにも言葉はかけず、ただ夕飯は私が作ることにした。
千駄木産の野菜(枝豆、トマト、ナス、甘長唐辛子)のみそ炒めに、株主優待の冷凍から揚げを解凍した。うまくできだが、彼女はあまり食べなかった。
2026-09-13
保存中に発芽した春ジャガ

13日、日曜、妻と二人、何もせず家でぼーっとしていた。私は他人だし人はみな死ぬものだと思っているから悲しくもない。しかし、6日後に迫ったダンス競技会の練習に行くわけにいかない。小雨があがったすきに庭に出て秋じゃがを植えた。

夕飯は味噌炒めの各野菜の比率が変わっただけで昨日と同じ。庭のスイカをとったが彼女は食べず、梨をむいたら食べた。
2026-09-01
3番畝の西は枯れなかったスイカ

14日、月曜、久しぶりの晴れ。午後納棺。
15日、火曜、大雨の午前中に告別式。
家族葬だから皆顔見知り。
死の数日前に書いて死後発見された「お礼の手紙」が額に入ってあった。たどたどしくも長文であり、苦労して書いたのだろう。読んでいるうちに涙が出た。
「感謝」という言葉が何度も出てきた。3人の婿さんに会いたいと言ったのは、娘たちと一緒に良い家庭を作ってくれてありがとう、と伝えたかったのかもしれない。お礼を言うのはこちらである。
写真も飾ってあった。多くは孫やひ孫と一緒であったが、中に、若き日の義母と小学生の3人の娘(文字通り)が一緒の一枚があった。その写真の娘たちがその後の各人の娘とそっくりなことに驚いた。遺伝子というのは不思議である。同じようでいて少しずつ違い、それが顔の違いになるのだが、顔を見れば確かに遺伝子が中で生きていることが分かる。

焼香が終わり、最後に皆で棺に花を入れた。
後から少し大きな花が追加されてきた。前にいた妻を含む3人の娘が入れ始めたとき皆は遠慮して、3人だけが最後のお別れをする形になって、涙を誘っていた。

あらためて祭壇を見る。故人の遺影と供花に添えられた木札の名前。
彼女はこの世から退出したが、3人の子供と8人の孫、7人のひ孫に遺伝子を残した。遺伝子の保護者、中継者として十分な働きをし、悲しむよりたたえるべきものだが、個体である我々は、やはり遺伝子よりその外側の乗り物のほうを大事に思ってしまう。
2026-09-08
今年は雨が多いからか、
ここまで3つ収穫、2つ食べたが今一つ。

遺伝子こそが生命の本質で、それが永続するように、乗り物、外套を進化させていくという考え方はリチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」で有名になった。もともとこういう考え方は複数の研究者が述べていたのだが、「利己的な遺伝子」というタイトルや個体を「生存機械」「乗り物 Vihicle]という分かりやすい比喩を使ったことで爆発的に広まった。

原著 The selfish gene が出たのは私が大学2年の1976年。日本語版の初版は1980年。「生物=生存機械論」というタイトルだった。
駒場の最後、2年生の終わり、薬学に進学が決まった70人で自己紹介文集を作った。私は代々木オリンピックプールのスケート場に行ったくだらない話を書いたのだが、渋谷雅明氏が、利己的な遺伝子のことを書いていた。彼は原著を読んだのだろうか?

名著でありすぎたため、その内容はあちこちで取り上げられたから、かえって読んだような気分になり実際に読んだことのない人が多いのではないか。
私もその一人である。今回近くの図書館にあるかと思って検索したら初版のほか、増補第2版、30周年記念版、40周年記念版があった。「利己的な遺伝子」という原著の直訳タイトルは第2版からである。

借りてきたものの、その分厚さに、読むのを躊躇している。多分読まずに返すだろう。
2026-09-08
利己的な遺伝子の代わりに利己的な個体を考えるとどうなるか?
生物は突然変異と自然淘汰で進化してきたと考えられてきた。しかし生物には自己犠牲によって種族全体を生かすものが多くいる。群れを守るために敵を引きつけるように鳴くサルや鳥などである。これは生存競争に勝つ個体が生き残るという自然淘汰では説明できない。なぜなら自己犠牲の個体は遺伝子を残せず、利己的な個体ばかりになってしまうからだ。

この現象は遺伝子こそが自然淘汰と進化の主役だと考えると矛盾しない。なぜなら自己犠牲の個体の遺伝子のコピーは、生き残った群れの中の子供や兄弟に残るからだ。利己的な遺伝子は、利己的な個体も自己犠牲となるような個体も、両方生じさせるよう進化しているのだ。

大量に卵を産む魚類なども、遺伝子を残すために犠牲となる個体を余分に作る。これらの仕組みは遺伝子で決まっており、各個体が考えて大量に産むわけではない。
2026-09-08
スイカは6個なった。
同じ種(ピノガール)をまいたと思うのだが、縞のある実とない実の2種類ができた。
同じ株にできているのか調べようとしたが、つるがこんがらかっていて分からない。

植物ももちろん遺伝子が自分のコピーを広くばらまくように進化した。鳥などが食べてくれるように実を大きく、甘くしてきた。ところが農耕時代になると遺伝子のゆっくりした変異が進化の主体ではなくなり、ヒトが代わりに作物として実を大きく甘くした。
2026-09-08
板幅は18センチ
縞がない小玉スイカ。

個体が自己犠牲になるのは人類でもみられるか?
戦時中、国を守ろうとした特攻隊は、社会が強いたもので、個体が内蔵する遺伝子のせいではないだろう。
しかし、子供や孫のために自己犠牲になるのはどうだろう。DNAという物質である遺伝子に意志などあるわけではないのだが、自己のコピーを残すことを大原則のように進化してきたのなら、自己犠牲は合理的である。
しかし人類は脳(=個体)が大きくなりすぎて、見えない遺伝子よりも今ある個体を優先する。
極限状態でない限り自己犠牲はない。

自己犠牲の代わりに残ったのが、肉親に対する愛情であろう。
故人は妻や孫をかわいがった。その心(=現象)は、ずっと代々、遺伝子の形で続いていく。

2026年8月20日木曜日

カミキリムシのイチジクを伐採、運転免許更新せず

 いつの間にか1年の半分が過ぎたと思ったら立秋をすぎ、8月が終われば残り4か月である。

千駄木菜園の7月からここ1か月を書いておく。

2026-07-18
5番畝のスイカが生ったが枯れてしまった。
メロンはもっと前に枯れた。
根が腐ったか線虫にやられたか?
2026-07-18
サツマ芋に大きな虫の糞
巨大な芋虫(エビガラスズメ)だと思うが見つからず。
2026-07-18 8:12
この朝の収穫

定年退職してから非常に忙しい。
昔は休んでも、誰も組織も困らなかったが、今は休むと穴が空く。人手不足のためこちらが空いているとシフトに入れられてしまう。さらに4月からアルバイト先の一つが正社員にしてくれた。
お金に困っているわけでもないのだが、頼まれて応じると暇がなくなってしまう。その結果休日も仕事している。
まあ、もともと農家で育ったから過労死というのはあまり信じず、また幸いなことに、今までずっと仕事と趣味の区別があいまいな人生だから苦にはならない。

7月20日、海の日祝日、珍しく何もない。
ぼんやり庭に出る。
2026-07-20 9:41
イチジクにカミキリムシがいた。
下のほうも穴が開いている。
これは幼虫が出した木くずだと思うのだが、すると捕まえた成虫は親ではないのだろうか?
木くずの親は昨年の成虫なのだろうか?
そもそも卵から成虫までどのくらいかかるか?
よく分からない。

イチジクにあこがれ、今まで4本育ててきたが、すべてカミキリムシにやられた。最後の一本であったが、このまま回復を期待して温存すると他の果樹もやられるかもしれない。伐採することにした。
9:44
伐採前
イチジクの木はバニラに近い匂いがする。
今までカミキリムシが数ある千駄木果樹の中でイチジクだけ狙ってきた、その理由だろうか。
9:53
伐採後
2026-07-23
トウモロコシ収穫
キウリやナスと違い、市販品のようなものが取れない。
草丈が大きくなれば実入りも良さそうだが、相変わらず難しい。

7月25日、古希を迎えた。
運転免許証を返上することにした。
誕生日の3か月前くらいから通知が来ていて迷っていた。というのは今年から手続きの前に自動車教習所に行かねばならず、面倒になった。返上するのでなく「更新しない」が正しい。
数年前に数年ぶりに一度乗っただけだから免許がなくてもよいのだが、迷ったのは寂しかったから。

高校3年の冬にスザカ自動車学校に入学した。交通規則などの学科を受講しながら内職で大学受験の勉強をしていた。忙しいのに入校したのは高校生割引があったのと、登校日が減って定期券を買わなかったので自動車学校の送迎バスを使って高校に行こうと思ったことによる。しかし二兎を追うもの一兎を得ず、と祖父が苦言を呈した。
一期校の試験が終わると、二期校の試験はまだだったが、何とか春休みでとってしまおうと本格的に実技実習を始めた。もちろん田んぼ、畑の農道でも毎日練習した。あるとき一人で田んぼの道を運転していたら、でこぼこ道で揺れたときにダッシュボードの上から鎌がおちてきた。それを拾おうとして目を離したすきに側溝に落ちてしまった。合格待ちだったから小川に落ちたのは縁起が悪いとなったが、近所の人にも手伝ってもらって皆で上げたということで却って縁起が良いとなった。こうして運転技術は素晴らしく上達したのだが、幸か不幸か、一期校に合格した。その結果入学手続き、入寮手続きなどに何度か予定外に上京したこともあり、春休みでは免許を取れなかった。結局免許取得は7月になったが、これでも友人より早かった。

叔父から車を借りて友人を乗せたりデートしたこともあった。私らしくない青春のごく短い一時期だった。そのまま行けば全く違う人生になったかもしれないが、たいして車は好きでなかったのだろう。

家族ができて毎年長野や取手の実家に行くときは、叔父の車を借りたり、レンタカーを使った。留学中はアメリカ車で通勤に、家族と買い物に、旅行に、毎日運転したが、結局この時以外は車を持たなかった。

それでも長野では家族で野尻湖、木崎湖でキャンプしたり、小川村、菅平、志賀高原を回ったりした。子供たちは小さかった。
夫婦と子供が車で旅行すると家族5人が一つになった気がした。車があると無しでは家族の在り方、関係、思い出=人生が全く違うものになるだろうと、ファミレスに入ったときに思ったものだった。

免許証には50年の人生の思い出が詰まっている気がした。この運転免許を捨てるというのは、今後運転できないというだけでなく、終活のような、人生の区切りをしたように思えた。

この日、古希を迎えたことより免許更新をやめたことのほうが、はるかに人生の節目に思えた。
2026-07-26
古希翌日に、1番畝トウモロコシを片付けた。
2026-07-26
毎年不作で、来年はどうしよう、という出来。

2026-07-30
3番畝のスイカも枯れてきた。

2025-07-30
枯れていないのもある。育つだろうか。
(8月20日、まだ枯れていないが収穫にはあと数日かな。)

2026-08-08
久しぶりに作ったトマトが良い。
年齢を考えると、あと何回も作られない。


20241105 素人にイチジク栽培は無理

2026年7月13日月曜日

イラガ幼虫のセロトニンによる痛み

2026-07-03 10:44
梅雨の合間の曇り空。今年二回目の生垣の剪定をした。
突然、右手親指の背中(指紋が無いほう)に痛みを感じた。とげが刺さったかと思ってみたが何もない。

そのまま作業を続けていると、毛虫がいた。
ウミウシのような形と鮮やかな色は、以前も見たような気もするが思い出せない。
10:59
AIに聞いたらヒロヘリアオイラガ(学名: Parasa lepida)という。
漢字で書くと広縁青毒棘蛾、チョウ目イラガ科の昆虫。

イラガという蛾がいるのか。
漢字を見るとイラガは毒棘蛾である。つまり毒棘がイラとなる。

イラとは何か?
数年前まで薬理の講義を担当し、皮膚疾患のところで蕁麻疹について毎年話した。
私は教科書というものは教科の方針と概略を示すもので、試験の前に復習するには良いと思う。しかし教科書を暗記するという勉強は少なくとも大学生はするべきではない。だから講義ではなるべく教科書に書かれていないことを話すようにしていた。
たいてい病名から話し始めた。

すなわち、なぜ蕁麻疹というか、と講義を始めたものだった。
大人数が相手だと一方的に自分で答えなくてはならない。
蕁麻疹の「蕁」はクサカンムリだから植物である。蕁を調べるとイラクサ。
イラクサにはヒスタミン、アセチルコリンを含むとげがある。スタミンは肥満細胞や好塩基球で産生され、アレルギー、アトピー性皮膚炎などの原因物質となる。これが健常人の皮膚内に注入されれば痒みや発赤、腫れを引き起こす。奈良公園のシカはこれを避けるため、イラクサが増えたという。
千駄木菜園に戻れば、イラガのイラは「毒棘」だが、国語的にはイラは「刺」「苛」とかく。

もとは草木のとげや刺激の強さに関わることから、きびしい・むごい・責めるなどの意味に発展したとされる。いらいらするというのもここからだろう。

イラガ幼虫の棘には
・ヒスタミン
・セロトニン
・タンパク質・ペプチド
・低分子の炎症惹起物質
・酵素類
などが含まれるという。

あとの3者は「そりゃ、何にだってあるだろう」という、書かれても意味のない成分だが、セロトニンが重要。

もともと生理的にはセロトニンは遠心性神経の伝達物質で、脊髄シナプスの5-HT1Rにはたらき求心性の痛覚伝達を抑制している。その意味では痛覚抑制物質といえる。(中枢のセロトニンやノルアドレナリンを増やす抗うつ薬が痛みにも効くというメカニズムはこれだといわれる)

しかし組織が損傷したり炎症を起こせば、集まってきた血小板が活性化され、それがセロトニンを放出し、これが求心性の痛覚神経の受容体(5-HT2/3R)に作用して痛みを引き起こす(いっぽう同時に肥満細胞などから出るヒスタミンはかゆみを引き起こす)。

こういう仕組みになっているところに皮膚の外からセロトニンを注入されたら、まず第一に痛みを引き起こすだろう。私が感じた「激痛」はこれだと思う。
11:12
剪定して道路に落ちた葉っぱにもイラガ。
無防備で集めていたら、そりゃ、つかんだり触れたりするだろう。
11:16
びっしり集まっている葉っぱもあった。

激痛はやがて鈍い痛みに代わり、腫れは2,3日続いた。
後ろのほうの反応はヒスタミンやペプチド性の炎症物質が関与しているのだろう。
10:44
家の前は数年前に空地となった。このあたりは地主さんが一族で共同所有していて、その複雑さから売却も住宅建設もなされず、空き地のままである。その隣は独身の初老の男性が住み、手入れもなされずツタでおおわれているが、そのうちここも空き地となったら大きなアパートでも立つのだろうか。
10:43
メロンは全滅した。
食べたあと保管していた種から育てていたが、梅雨の間に枯れてしまった。
接ぎ木の市販苗と比べ、根が弱く、梅雨で腐ったか、センチュウにやられたか。
同様に自家採種のスイカ苗も枯れてきた。

2026-07-07
1番畝のトウモロコシ。
今年も丈が小さい。肥料をけちるからか、直播きにせずポットに播くせいか。
2026-07-09
3番はスイカ、落花生、4番はナス、サトイモ。
この日とったフキはいつもより1か月遅い。
職場の人が食べるというからとった。フキは調理が面倒だから我が家でも年に1回しか食べず、大部分は放置されて枯れていく。

まだ梅雨は明けない。明けたら猛暑、それが過ぎ里芋、落花生を収穫すれば今年も終わってしまう。

7月11日、NHKスペシャル 「私の往生際 養老孟司が見つめた“生と死”」がん闘病の記録 が放送された。ずっと死を冷静に見つめ、何でも達観していると思われた彼もさすがに従来の威勢のよさがなくなっていた。肉体的なしんどさが頭の活動にも及ぼしているのだろう。

人間はどんな元気な人も死んでいく。千駄木で市販品に負けないほどうまく作れる作物と、何度やっても失敗する作物。今年こそ、と挑戦して毎年失敗しながら老いていく。

(追記 2026-07-20)
2026-07-16
2週間近くたって突然、刺されたところに水疱ができた。
この長い潜伏期間は何だろう?
イラガの媒介するウィルスじゃなければいいな。
真皮と表皮の間のデスモグレインなどが分解される自己免疫疾患に似ている。
とりあえず、安全ピンで水を何回か抜き、7月20日、ほぼ治った。


2026年6月30日火曜日

サツマ芋植え付けとジャガイモ収穫

2026-06-19
2番畝のジャガイモを一部収穫したことはすでに書いた。
第一次、6月13日、4.31㎏

その後、第二次、6月17日、1.44㎏

まだ葉が青かったりして全部掘らなかったのだが、このあと2番畝にはエダマメ、7,8番畝にはサツマイモを植えねばならないため、そろそろ全部掘らねばならない。
2026-06-19
日陰で発根させているサツマイモの苗。

サツマ芋は根のある株ではなく茎を植えるから、発根するまでに晴れが続くと乾燥死することがある。2020年以来7回目だが、当初は植えた直後に直射日光が当たらないようにしていたが、最近はいきなり植えるず、2,3日水につけて白い根を出させてから植える。そのほうがだんぜん活着しやすい。

植え付けるべきサツマイモの苗は自家製。
昨年室内で越冬させた芋づると種芋を土に植えて、そこから伸びたつるを使う。
この時期になると種芋用に保存した芋以外の、食用芋もどんどん発芽してくる。
芽を見ると捨てるのも勿体ないからすべて土に植えて育苗した。
2026-06-19
食用さつま芋から出た芽
しかし苗が増えすぎて、千駄木菜園には場所がなく、これらは廃棄した。

2026-06-19
6番畝のサツマイモ
土饅頭を作り、一山に10本ずつ植えた。

2026-06-20
左、6番畝、右、5番畝
5番畝も少し残っていた玉ねぎを片付けたので、植え付け開始。
2026-06-21
左5番、右6番
手前のキャベツは、昨年11月に一つだけ発芽したもの。
本来、6番は20株近くキャベツを取る予定だったが、昨年晩秋、例年使っているダイソーの種が発芽しなかった。そのため6番は不本意ながらF2のロマネスコ(F1から採種したためか食用にならず)とノラボウ菜であった。
2026-06-22
この日の収穫。
この時期のキウリはまっすぐ。
キャベツの穴はヨトウムシの古傷。一玉だけだったから消毒はせず、たまに夜、見回って2,3匹捕殺した。
2026-06-23
7番8番のジャガイモ掘り。
ここらはファミリーマートで古くなって安売りしていたジャガイモを植えてあった。緑になっていたり発芽したりしていたもの。
2026-06-23
7番8番は柿の木の下で日当たりが悪かったが、5.63㎏とれた。
翌6月24日には残っていた2番畝も掘った。2.37㎏。

4回分を合わせると13.75㎏
ジャガイモは年に二回取れるからスペースパフォーマンス(土地効率)が良い。
今までの成績をまとめると

2026春 13.75 (2番,78番畝)

2025秋 5.62 (1番畝) 
2025春 6.77 (6番畝のみ) (2番畝モザイク病)

2024秋 0.89 (4番畝 
2024春 5.4 (4番畝 

2023春 2.8(2番畝 モザイク病)

病気がなければ、半期、1畝につき6~8キログラムは取れそうだ。
ジャガイモは2畝で年間30キロを目標とする。
2026-06-30
5番6番(向こう)に続き、ジャガイモを片付けた78番畝にもサツマイモを植えた。(手前)
結局、
5番 22本
6番 35本(うち饅頭に20本)
78番 21本
合計78本植えた。千駄木菜園の畝部8分の3を使っている。
植えてすぐ雨だったので元気である。
秋が楽しみ。

2026-06-30
3番畝、メロン、スイカ

梅雨に襲ったダブル台風による長雨の影響か、メロンの木が腐っていた。もともと雨に弱く、農家はビニール栽培で作る。しかし昨年は露地でも何とか枯れずに済んだので今年もそうしたのだが、実が生る前に甘かった。
同様に雨に弱いスイカのほうは何とか持っている。

今日は6月末日。半年過ぎた。
さっき、紙兎ロペで1年365日のちょうど半分は7月2日の正午だと言っていた。