2026年7月17日金曜日

上野公園18 科博2 地球館ができる前と噴水の縮小


5月2日に国立科学博物館に来たときは時間がなくて日本館しか見られなかった。
そこで1か月後の6月5日に再訪した。

2026-06-05   12:47
平日だからすいていると思ったが、団体の学校生徒たちが多くて連休中とあまり変わらなかった。

この日は日本館の一部をさっとみて新館のほうに向かった。
12:56
新館入り口
12:58
新館は本館・日本館の対の意味か、地球館と言う。
地上3階、地下3階。

この場所はかつて、「むらさき館」「おれんじ館」「みどり館」と呼ばれる古い展示館(旧新館・旧理工学館など)が建っていた。

これらは、戦後、昭和6年開館の本館が手狭になったために建てたもので、
1953年 、理工学館(旧2,3号館、→たんけん館・むらさき館)起工。
1972年、自然史館(4号館→みどり館)起工。
1979年、 航空宇宙館(旧5号館、→おれんじ館)開館。
これらは戦前に建てられた本館に対して新しい建物であったが、科博全体の狭さから、文化財的価値のある本館を残し、これら「新館」群を建て替えることになった。

1994年 たんけん館閉館。
1999年 むらさき館、おれんじ館閉館。地球館一部(南側)完成、公開。
2003年 みどり館閉館。
と順に閉館、建て替えしながら、2004年、北側も完成、南とつながり今の地球館ができた。
グーグル2026(撮影は2025?)
飛行機の形をした旧本館(現・日本館)と四角いビルの新館(現・地球館)。

まず入口のある一階を見る。
12:58
一階の展示はアロサウルスから入る。
本館は「日本館」だから国産のフタバスズキリュウであったが、地球館はそういう制限はない。ユタ州産。
アメリカでホテルを経営していた小川勇吉がホテルを売却して購入、国立科学博物館に寄贈し1964年日本で初めて公開された恐竜の全身骨格となった。
12:59
マッコウクジラ
特徴的な頭の形から知能が高そうに見えるが、よく知らない。
13:01
クジラの裏に回ると内部が見られるようになっている。
脳の大きさは比較がないからよく分からない。
頭部には油が大量にあるらしい。これは海水を取り入れて冷やすと固まり比重が増える。それでも水より軽いが、クジラ全体としては重りとして役立ち、潜るときに都合良いらしい。
(以上、科博は説明がないから帰宅後に知った)
13:02
ダイオウイカ
手前はオオアナコンダの骨格。
科博は実物を強調したいのだろう、これらもタイトル以外説明文がない。
ダイオウイカは島根県沖産らしいことを帰宅後に知る。
13:04
腸の長さ
左:ライオン、右:牛
牛はどんな牛か不明。
ところで肉食の西洋人と草食の日本人は腸の長さが違うと聞いたことがあるが本当かどうか。
製薬会社にいたころ、病理の友人が腸管でのグルコース吸収を抑える糖尿病薬を研究していた。長期連続投与するとラットの腸がうんと伸びたというから、ヒトの腸管の長さは食生活によって違うというのはありうる。

このあたりは、どういうテーマで並んでいるのか、いろんな珍しいものが陳列されている。
13:05
ミンククジラの胃の中
(たぶん切開して裏返しにしたようだが、そういう説明は必要だと思う)
寄生虫がびっしり。胃酸でやられないのだろうか?
液はどのくらいの頻度で入れ替えるのだろう?
13:05
同じくミンククジラの腸(これも切開)
これだけ寄生虫がびっしりだと、共生が自然なのかもしれない。
13:07
他の階には行かず、一階だけで十分。
再びアロサウルスをみて科博を出た。
あまり多いと見るのも疲れる。
これから何度でも来ればよいと思った。
13:10
外に出ると子供たちがいっぱい。
この日は金曜。
学校の先生は苦労なことである。大人数の引率は大変だろう。むしろ、こういうものは個人で来たほうがちゃんと見る。興味がない人に見せることもないと思う。

13:12
隣の西洋美術館も生徒がいっぱい。
私は彼らの年の頃、こういうものに全く興味がなかった。

噴水広場(竹の台広場)ではフィリピンエキスポ2026をやっていた。
要するに屋台が大量に並ぶイベントである。

帰宅後、かつて地球館の場所にあったオレンジ館など旧新館群の航空写真を見た。
(国土地理院 1979-11-06撮影)
本館の飛行機型は今よりはっきりしていて、地球館の場所には旧2~5号館だろう、いろいろある。

1979年というと私が大学院1年生の秋。
1978年1月から谷中に住み始め、上野が地元になって2年近くたっている。
公園の中心は池だった。
ベンチにカップルが座り噴水を眺め、そのうち水際まで歩いて行って談笑する光景が浮かぶ。相本久美子が写真撮影していたのも見た。
ここは何度も来たが、科学博物館は特に興味がなく、入らなかった。
国土地理院(2019-08-08 撮影)
戦後建てられた展示館はすべて壊され、直方体の地球館ができている。

ここで、それより目立つのは噴水池の縮小とイベントスペースの創設。

グーグル2026
現在(2026-7-18閲覧)のグーグル航空写真で噴水広場を見れば、いつの撮影か知らないが(秋のようだ)、イベントをやっている。
最初、イベントは偶然かと思ったが、必然だった。

すなわち、例えば
この噴水広場の今年7月のスケジュールをみれば、毎週やっている。
 ・ふるさと東京応援祭 第三回ビールと浴衣de盆踊り 7/3(金)〜7/5(日)
 ・台湾フェスティバル2026   7/9(木)~7/12(日)
 ・タイ・サマーフェスティバル 7/17(金)~7/20(月祝)
 ・3×3 JAPAN TOUR 2026    7/25(土)〜7/26(日)
その前後に準備片付けがあるからほぼ休みなしである。

それ以外の日は灼熱の広いコンクリート地面となる。

公園というのは静かに緑と水に親しむところではないか?

ビールとソーセージ、騒音と匂い。

五輪や万博など事業をやる目的として「経済効果」が一番に出る。
何事も金儲けである。製造業がだめになってから観光立国を目指し、官民一体となってインバウンド客を呼び込もうとした。上野公園は東京観光地図を広げれば、皇居の次に目に入る。山手線駅の前の立地と言い、規模面積と言い、最も魅力的な東京の観光資源だが、押し寄せるインバウンド客を全部受け入れるキャパはなかった。

そこで木を伐り、池をつぶした。
そして毎日のように騒々しいイベントをやっている。
こんな乱暴なことをしていいのだろうか?
金儲けのためなら何をしてもいいのか?
私の好きな上野公園が消えてしまった。

2026年7月13日月曜日

イラガ幼虫のセロトニンによる痛み

2026-07-03 10:44
梅雨の合間の曇り空。今年二回目の生垣の剪定をした。
突然、右手親指の背中(指紋が無いほう)に痛みを感じた。とげが刺さったかと思ってみたが何もない。

そのまま作業を続けていると、毛虫がいた。
ウミウシのような形と鮮やかな色は、以前も見たような気もするが思い出せない。
10:59
AIに聞いたらヒロヘリアオイラガ(学名: Parasa lepida)という。
漢字で書くと広縁青毒棘蛾、チョウ目イラガ科の昆虫。

イラガという蛾がいるのか。
漢字を見るとイラガは毒棘蛾である。つまり毒棘がイラとなる。

イラとは何か?
数年前まで薬理の講義を担当し、皮膚疾患のところで蕁麻疹について毎年話した。
私は教科書というものは教科の方針と概略を示すもので、試験の前に復習するには良いと思う。しかし教科書を暗記するという勉強は少なくとも大学生はするべきではない。だから講義ではなるべく教科書に書かれていないことを話すようにしていた。
たいてい病名から話し始めた。

すなわち、なぜ蕁麻疹というか、と講義を始めたものだった。
大人数が相手だと一方的に自分で答えなくてはならない。
蕁麻疹の「蕁」はクサカンムリだから植物である。蕁を調べるとイラクサ。
イラクサにはヒスタミン、アセチルコリンを含むとげがある。スタミンは肥満細胞や好塩基球で産生され、アレルギー、アトピー性皮膚炎などの原因物質となる。これが健常人の皮膚内に注入されれば痒みや発赤、腫れを引き起こす。奈良公園のシカはこれを避けるため、イラクサが増えたという。
千駄木菜園に戻れば、イラガのイラは「毒棘」だが、国語的にはイラは「刺」「苛」とかく。

もとは草木のとげや刺激の強さに関わることから、きびしい・むごい・責めるなどの意味に発展したとされる。いらいらするというのもここからだろう。

イラガ幼虫の棘には
・ヒスタミン
・セロトニン
・タンパク質・ペプチド
・低分子の炎症惹起物質
・酵素類
などが含まれるという。

あとの3者は「そりゃ、何にだってあるだろう」という、書かれても意味のない成分だが、セロトニンが重要。

もともと生理的にはセロトニンは遠心性神経の伝達物質で、脊髄シナプスの5-HT1Rにはたらき求心性の痛覚伝達を抑制している。その意味では痛覚抑制物質といえる。(中枢のセロトニンやノルアドレナリンを増やす抗うつ薬が痛みにも効くというメカニズムはこれだといわれる)

しかし組織が損傷したり炎症を起こせば、集まってきた血小板が活性化され、それがセロトニンを放出し、これが求心性の痛覚神経の受容体(5-HT2/3R)に作用して痛みを引き起こす(いっぽう同時に肥満細胞などから出るヒスタミンはかゆみを引き起こす)。

こういう仕組みになっているところに皮膚の外からセロトニンを注入されたら、まず第一に痛みを引き起こすだろう。私が感じた「激痛」はこれだと思う。
11:12
剪定して道路に落ちた葉っぱにもイラガ。
無防備で集めていたら、そりゃ、つかんだり触れたりするだろう。
11:16
びっしり集まっている葉っぱもあった。

激痛はやがて鈍い痛みに代わり、腫れは2,3日続いた。
後ろのほうの反応はヒスタミンやペプチド性の炎症物質が関与しているのだろう。
10:44
家の前は数年前に空地となった。このあたりは地主さんが一族で共同所有していて、その複雑さから売却も住宅建設もなされず、空き地のままである。その隣は独身の初老の男性が住み、手入れもなされずツタでおおわれているが、そのうちここも空き地となったら大きなアパートでも立つのだろうか。
10:43
メロンは全滅した。
食べたあと保管していた種から育てていたが、梅雨の間に枯れてしまった。
接ぎ木の市販苗と比べ、根が弱く、梅雨で腐ったか、センチュウにやられたか。
同様に自家採種のスイカ苗も枯れてきた。

2026-07-07
1番畝のトウモロコシ。
今年も丈が小さい。肥料をけちるからか、直播きにせずポットに播くせいか。
2026-07-09
3番はスイカ、落花生、4番はナス、サトイモ。
この日とったフキはいつもより1か月遅い。
職場の人が食べるというからとった。フキは調理が面倒だから我が家でも年に1回しか食べず、大部分は放置されて枯れていく。

まだ梅雨は明けない。明けたら猛暑、それが過ぎ里芋、落花生を収穫すれば今年も終わってしまう。

7月11日、NHKスペシャル 「私の往生際 養老孟司が見つめた“生と死”」がん闘病の記録 が放送された。ずっと死を冷静に見つめ、何でも達観していると思われた彼もさすがに従来の威勢のよさがなくなっていた。肉体的なしんどさが頭の活動にも及ぼしているのだろう。

人間はどんな元気な人も死んでいく。千駄木で市販品に負けないほどうまく作れる作物と、何度やっても失敗する作物。今年こそ、と挑戦して毎年失敗しながら老いていく。

(追記 2026-07-20)
2026-07-16
2週間近くたって突然、刺されたところに水疱ができた。
この長い潜伏期間は何だろう?
イラガの媒介するウィルスじゃなければいいな。
真皮と表皮の間のデスモグレインなどが分解される自己免疫疾患に似ている。
とりあえず、安全ピンで水を何回か抜き、7月20日、ほぼ治った。


2026年7月10日金曜日

上野公園17 西洋美術館5 ブリューゲル、モネの破損作品を見て、レンブラント展は入らず。

7月8日、3週続けて西洋美術館に来た。
目的はブリューゲル(父)の版画を見ること。
前のブログを書くときに西洋美術館の「作品検索」で彼の名を入れたとき、27件もヒットし(すべて版画)、そのうちの1件が展示中とあったからだ。
しかし常設展の版画展示室にはなく、係の女性に聞いたら、企画展のほうだという。
いま、レンブラントの版画展をやっていて、影響を与えた作家の作品として出ているのかもしれない。

せっかく入ったので父と同名のフリューゲル(子)の絵を見に行った。
好きな絵だけど4回目にして初めて写真に撮った。

2026-07-08   11:38
「鳥罠のある冬景色」
ピーテル・ブリューゲル(子)(1564-1637)

私の好きな父親の「雪中の狩人」とそっくりだった。
フランドル地方の北方ルネサンスの画家として知られる父は5歳のときに亡くなり、長男の彼は父の作品の多くを模写し、さらには何枚も複製した。実際、父親にも「鳥罠のある冬景色」(1565)がある。

ブリューゲル父の作品は私学共済の組合員誌に連載された「名画物語」で紹介され、ページを破いてとっておいた。
「雪中の狩人」(1565)
Pieter Bruegel the Elder(1525?‐1569)
彼は「バベルの塔」のほうが有名かもしれない。

さて、「鳥罠のある冬景色」に戻す。
親子だからタッチが似たわけではないのである。
2つ前のブログに書いたが、絵というものは実物を写すのは難しいが、絵になったものを写すのはたやすい。画家ならば息子の彼でなくてもそっくりな絵は描けただろう。

となりに彼の弟、すなわちピーテル・ブリューゲル(父)の次男の絵があった。
ヤン・ブリューゲル( 1568 – 1625)
彼の子も同名の画家であり、この一族は何人も有名画家が出ている。

19世紀の作品がある新館に行った。
11:42
「春(ダフニスとクロエ)」(1865)
Jean-François Millet(1814‐1875)
ミレーは落穂ひろい、晩鐘、種をまく人など農民の姿を描いた作品が有名だが、それらより
10年ほど後の作品である。
昔、山梨県立美術館がミレーの絵を購入して話題になった。

モネの部屋を出たところに休憩スペースがあり、ビデオを上映している。
腰を下ろして見ていたら、川崎重工が2023年3月から西洋美術館のオフィシャルパートナーになっているという話をしていた。西洋美術館の核となった松方コレクションの松方幸次郎が川崎造船の社長だった縁による。
11:47
ふと背中の壁を見ると、「寄贈者御芳名」があった。筆頭はもちろん松方幸次郎。つぎの大阪商船というのは三井船舶と合併して今、商船三井になっている。川崎造船からスピンアウトした川崎汽船とはライバル関係にある。船運会社というのは絵画が好きなのだろうか。

ふたたびモネの部屋に戻った。
作品検索によれば、モネの作品は19点ああり、油彩画が16点、そのうち12点が展示中とある。
ほんとにあるのだろうかと数えたら、確かに展示されていた。

2つ前のブログに油彩画が全部で370点、常設展が120~150点と書いたが、16点中12点を展示しているということは、全作品を平等に入れ替えるのではないことを示す。
やはり来館者は有名作品を見たいから、それに応える形で入れ替えているのだろう。

2年前に入ったとき見た「波立つプールヴィルの海」(1897)、「しゃくやくの花園」(1887)は今回なかった。モネの働き者16点は4点ずつ倉庫で休めるのだろう。

今回、3週続けて前を通り過ぎた、ある大型作品を初めてじっくり見た。
12:12
「睡蓮・柳の反映」(1916)
一瞥すると上部に金箔をはった、例えば尾形光琳の屏風絵のように見え、とても睡蓮とは思えず、先々週も先週も通り過ぎていた。
近くに寄ったら、金色の部分は絵の具が剝げた後だった。
要するに大破している。
横の説明を読んだ。
12:16
この作品は松方が購入したあとロダン美術館に預けられ、大戦中地方に疎開されたときに損傷したらしい。戦後、敗戦国資産としてフランス政府に接収されたが、あまりの損壊ぶりに、接収リストや返還リストにも入っていなかった。2016年というから最近だが、ルーブル美術館の中で発見され、2017年、松方家から西洋美術館に寄贈されたという。
この数奇な来歴を知って、もう一度絵の具のはげ具合を見て、この部屋を出た。

1階に降りた。
3週続けて入って、そのたびに気になっていた絵を初めて撮影した。
12:24
「ケイテレ湖」(1906)アクセリ・ガッレン=カッレラ(1865‐1931)
2021年度購入
フィンランドの画家らしいが初めて知った。
フィンランドは人口500万人。1809年までスウェーデン、その後ロシアの支配下にあり、1917年に独立した。反ロシア感情からEU諸国の中では最も親日度が高いらしい。
彼は1904年の日露戦争のニュースを聞いていただろう。

改めて絵を見ると、静かさの中に水面の動きが見えて不思議な絵である。

ここで常設展会場を出た。
地下の企画展ではレンブラントの版画が展示されているらしい。

ポスターを見ると協賛キッコーマンという。
野田の茂木本家美術館がレンブラントを所蔵しているのかと思ったが、そうでもないようだ。
しかし出口近くの特設売り場にキッコーマンがあった。
12:29
醤油さしにレンブラントの自画像が描いてある。660円。
しかし文字は英語。veganとも書いてある。ますますわからなくなった。

調べたら、キッコーマンは1997年、オランダに初のヨーロッパ工場を完成させた。それ以来、社会貢献活動としてレンブラントハウス美術館の改修増設などに寄付を行ってきて、新館にはKikkoman Roomという展示室もあるらしい。その美術館ではヨーロッパ限定の醤油さしを売っているらしく、今回特別に日本でも販売したようだ。

オランダは確かに江戸時代を通じて国交があったが、レンブラント(1606‐1669)が醤油を知っていたかどうかは分からない。

醤油さしの向かいではレンブラント作品の複製品も展示されていた。(版画自体も複製品だが。)
4万円くらいである。見入っていると、係の女性に声をかけられた。
聞けば美術館とは関係なく販売するササキアートの人らしい。
12:32
雑談すると、いまアジア人が非常に多いらしい。
昔は外見、雰囲気から日本人と区別できたのだが、今は全く分からないという。「話してみて日本人じゃなかったらこのカードを出すんです」。見れば英語、中国語、ハングルのカードが置いてあった。手書きだからこの場でスマホを見ながら書いたのだろうか?ハングルを見ながら写すのは大変だ。
読めば40年前、オランダのレンブラントハウス美術館で限定複製され日本に輸入されたもの、というが、本当だろうか?

ここで外に出た。

梅雨も明けるかな、と思う暑さだった。
12:54
この日は野球場の裏、西洋美術館と交番の中間にあるスペースの縁石に座り、相変わらず多い外国人を見ながらサンドイッチを食べた。

不忍池におり、池をぐるっと回って午後の仕事に向かう途中、ギーンという変な音が聞こえた。
13:14
何かイベントの準備をしていて蓮池の中の遊歩道にまでびっしり風鈴がぶら下げられていた。
風鈴というのはたった一つがたまに来る風で鳴るものだ。
無数に並べればひっきりなしの連続音になってしまう。一つ一つを見ればガラス製のきれいなものである。企画した人は「夏」「涼しさ」ということから風鈴を選んだのだろうが、多いほうがいいだろう、と大量に並べた結果、雑音となり、壮観という視覚的なものしか生まれなかった。

2026年7月7日火曜日

上野公園16 西洋美術館4 版画展、ゴッホ、モネ、クールベの所蔵作品数

 6月24日に上野公園にきて、ちょうど1週間後の7月1日、また来た。というか北千住の畑バイトから湯島の仕事に行く途中に公園に立ち寄った。

上野の森美術館の前に行列ができていた。
2026-07-01 11:43
展覧会入場口でなく、ショップのほうである。
お土産買うにも入場まで30分待たねばならないという。
大ゴッホ展である。
「大」という文字がさらに大きくなっている。
11:44
前日までは「日時指定予約優先制」という扱いだったが、この日から「完全日時指定予約制」になった。
平日で予約券を持っていてもこの行列である。
公園内に多い欧米人はここだけいない。

公園で食べようとサンドイッチを持ってきていた。
ちょうど目の前の林の中に切り株があったので、そこに座って、木々の間から行列を見ながら食べた。
11:53
犬を6頭引き連れた女性が林の中に入ってきた。
鵜飼いのようにひもを6本もっている。通過するのでなく散歩していらした。6頭もいたら糞尿するだろう。
一般に、飼い主は水をかければ良いと思っているが、私などは「水を加えただけ、汚れを広げるだけ」で何の意味もないと思っている。飼い主とそれ以外の人で考え方が全く違う。これは喫煙者とそれ以外、騒ぐ子供の親とそれ以外、などにも通じることだ。

食べ終わったので植え込みから出て大ゴッホ展入口までいってみた。
12:06
完全予約制だが、数に限りがあるとはいえ当日券もある。
売られていたのは14:00からのチケットだった。
一般2,800円、土日は3,000円である。
12:07
私は実はピカソやゴッホの良さがよくわからない。
いい絵だな、と思うのは他にいっぱいあって、彼らの絵はそこに入っていない。

この日は先週休館で入れなかった科学博物館に行く予定だった。
12:10
しかし大ゴッホ展の行列を見て、西洋美術館に変更した。
ここにもゴッホがあった気がする。
12:11
こちらは行列どころか、チケット売り場は誰もいない。

順路に従って本館2階にあがると、14-16世紀の絵画から始まる。
まっすぐゴッホのところに行く途中、そこを飛ばし新館に入ってすぐの大きな絵を何気なく見た。
12:16
「グイド・カヴァルカンティの亡霊に出会うテオドーレ」(1783?)
ヨーハン・ハインリヒ・フュースリ(1741 - 1825)
前の週はちゃんと見ずに通り過ぎていた。
276 x 317 cmという最大級の作品で、壁際まで下がってようやく写真に納まった。
裸の女性が犬?に襲われ、中央に目の光る馬が浮かぶ。
亡霊のような馬のモチーフ、構図に見おぼえがある。

そう、「夢魔」である。眠っている色っぽい女性の上に乗る猿のような悪魔と暗闇に浮かぶ牡馬の顔。フュースリには、眠る女性の上に悪魔やオスの馬の顔が浮かんでいる「夢魔」の絵がいくつもある。
この場所は、館内図では19世紀の絵画となっているが、18世紀後半の作品。
ルネッサンスの後、バロック、ロココの装飾過多の時代をすぎ、近代絵画の時代である。印象派などが出てくる前、新古典主義(ナポレオンの騎馬図など)からロマン主義への転換期に位置する。

すぐ隣から19世紀の近代絵画が並ぶので、これは絵の大きさからこの場所にあるのだろうか。
続いてクールベの絵があった。
12:17
「罠にかかった狐」
Gustave Courbet (1819-1877)
私の好きな絵だが、上野では見ていないので、どこかの本で見たのだろうか。
12:19
「波」(1870?)ギュスタフ・クールベ
彼は顔の目立つ人物画や風景画でも有名である。
前時代の宗教画や物語の絵に対し「私は自分の目で見たことのない天使は描けない」と有名な言葉を残した写実派の画家である。

近代絵画は、新古典主義、ロマン派、写実主義と続き、世紀末には象徴派、アールヌーボー、印象派がでて現代につながる。

モネの作品ばかりが並ぶ「モネの部屋」を出て、ビデオ上映のコーナーから1階に降りようとしたら、奥まった部屋で版画の特別展示があったので少し覗いた。
12:30
「死と名声の寓意」(1518)
作者ヴェネツィアーノについては何も知らない。

版画には銅板に直接掘るengravingと、防錆処理した銅板に鉄筆で描いたあと酸で腐食させて凹線をつくるEtchingがある。後者のほうが筆に力が要らないから繊細な絵が描ける。
しかし55年前の中学校の美術の時間では、プラスチック版に鉄筆で描いてインクを乗せて拭いてから紙に写したのを「エッチング」といっていた。今思えばエングレイヴィングのほうが近い。正しくはドライポイントというらしいが、なぜエッチングといったのか不明である。

1階にゴッホがあった。
12:31
「ばら」(1889)Vincent van Gogh (1853–1890) 
精神疾患を患い、拳銃自殺で37歳で生涯を閉じる1年前の作品である。
大胆な筆使いはゴッホらしい。ポスト印象派といわれるが、印象派の影響が見える。
モネより13年、ルノアールより12年後に生まれた。

雑に回って目的のゴッホを見たので、再び二階の絵を見ようと思った。
出口近くの階段を上がるとフュースリの大型の絵の前だった。
(館内図は前の週、2026-06-25)

12:41
クールベの狐の前をすぎると、モネが3点並んでいた。

続く隣の部屋はモネの作品ばかりである。
12:41
松方コレクションから始まった国立西洋美術館はモネのための美術館のようにさえ見える。
入場チケットの絵もモネの「舟遊び」だし。
レストランも「すいれん」だし。
12:42
(反対方向から)
本当にモネが多い。
日本人がモネ好きなのも、西洋美術館の影響かもしれない。

ということは所蔵品にモネの作品が圧倒的に多いのだろうか?

美術館公式サイトの作品検索で調べてみた。
AIはこのサイトにアクセスできないらしく、思いつく作者について自分で数えた。
前のブログに書いたように、所蔵品は油彩画よりも版画、デッサンが圧倒的に多い。
そこで、全作品数と( )内に油彩画の数を書いた。

クロード・モネ  19(16)
ピエール=オーギュスト・ルノワール 12(9)
ポール・セザンヌ 7(3)
ポール・ゴーガン 8 (5)
エドゥアール・マネ 15(3)
カミーユ・ピサロ 6(4)
ギュスターヴ・クールベ 9(9)
アルフレッド・シスレー 1 (1)
ベルト・モリゾ  1(1)
ピーテル・ブリューゲル(子)1(1)
ピーテル・ブリューゲル(父)27(0)
ジャン・フランソワ・ミレー 7(1)
ゴッホ 1(1)
ピカソ 27(6)
ルソー 0

すなわち、常設展に飾れるような、油彩画の数はモネが16点で圧倒的に多い。次いでルノワール、クールベの9点、ピカソが6点と続く。松方が好きだったというセザンヌは3点しかなかった。

モネの部屋を出て、版画の部屋の前を再び通った。
12:42
前の週に来たとき気づかなかったのは、この日の前日6月30日から始まったためだ。

西洋美術館の収蔵数・約6000点のうち4000点が素描、デッサン、版画などだという。
版画、素描などはカンバスでなく薄い紙だから油絵と比べ傷みやすいらしい。インクの量も少ないから退色も速い。
だから開放されおらず締め切りで、照明も暗い。
12:42
神話や物語を題材にしたものが多いから、知識がないと面白さが分からない。
午後は湯島の会社で仕事があるので、早々に退出した。

弁天堂に降りる階段前にきた。
この階段は上京した1975年以来、何度上り下りしたことだろう。
77,78年は秋になると戸田のボートの合宿所から通学するとき、毎朝降りたし、1987年4月から1年2か月、週6日、この階段で薬理学教室に通った。
12:55
1975年当時は戦後30年、このあたりに白い衣装の傷痍軍人の人が座っていた。
花見シーズン以外はそれほど人も多くなかった。
今はインバウンド客で毎日年中いっぱい。

昔は階段下の道路を渡ったところには左に自動販売機とビーチテーブル、パラソルが外に置いてある売店があった。池の向こう、不忍通りのビルはこれほど高くなく、また多くなかった。当時ここから東大や旧岩崎邸、湯島天神の森が見えたかどうかは記憶にない。