2026年5月9日土曜日

三太郎大根とヒキガエル、ネズミ、鉢植えリンゴ

5月の連休が終わり、半そででもいいような季節になってきた。

庭の畑も日に日に変わる。
1か月近く書いてなかった。
2026-04-14
4番畝にトカゲがいた。
冬眠から出てきたのだろうか。
2026-04-17
3番畝
三太郎もさすがにこの時期になるとトウが立つ。
これ以上成長しないように抜いて地面に埋めて保管する。
2本とも葉を除いて1.6キロあったからスーパーの青首大根より重い。
2026-04-18
4つ股、2つ股もあった。
それぞれ2.3キロ、1.7キログラム
2026-04-26
自家製の最後の里芋を食べた。
皮に芽が出ていたので育つかどうか地面に埋めた。

2026-04-29
1番畝
トウモロコシ、スイカ、メロンが発芽している。
これらをどこかに植えなくてはならないが、まだ決まらない。
都会で野菜を作るときもっとも難しいのは場所のやりくり。
作付け管理表(一部)
エクセルで9番畝までの管理表を作り、それぞれの作物の栽培期間、時期を考慮しながらパズルのように植える場所をやりくりする。

3番畝の三太郎大根とほうれん草を全部抜いたが、まだ春菊とレタスが残っている。
まだ食べられるので抜くのに忍びなく、ほかに移すことにした。
2026-04-26
3番畝のレタスを移植しようとするとヒキガエルがいた。
もう絶滅したと思っていた。
2026-04-26
しかし非常に小さい。
昨年久しぶりに見た個体とは別である。
3月に斜め前の家が取り壊したのでそこから来たのだろうか。
2026-03-22
ヒキガエルは陸生とはいえ、繁殖には水たまりが必要だから、よく絶滅しなかったなと思う。引っ越してきた2013年には我が家の庭だけで5,6匹いたが、いまや2年に一度、1匹見るかどうか。「良かった、まだ絶滅してなかったのか」と思うほど減ってしまった。

ヒキガエルを草むらに放し、レタス春菊の移植を完了した。
2026-04-29
レタス、春菊は場所がないので4番6番の間の敷石のわきに植えた。
どうせ、2週間程度だろう。
下の4番畝、不織布の下はサトイモを植えてある。
(5月8日、半分くらい発芽していた)

2026-04-29
2番畝の春ジャガは順調
おそらく6月に収穫した後はエダマメになるだろう。
1番畝で育てているトウモロコシ苗は当初、大根レタスのあった3番に定植する予定であったが、洗濯物に花粉が付く恐れがあったので、急遽苗を育てている1番に植えることにした。

そのため、ポットの苗だけでなく、生育中のサツマイモの苗も移さねばならなくなった。
2026-04-29
サツマイモ
越冬した芋づるからの苗と、越冬した種芋。
ところが見てびっくり、一番大きな芋がネズミに掘り出されていた。
2026-05-08
芋の苗を1番から8番畝に移動したが、ここでもネズミにかじられ転がっていた。
2026-05-08
5月3日、苗を移動した1番にトウモロコシを植えた。
25センチ間隔、3 x 11で少し密だが33本。
2026-05-08
スイカ、本葉が1枚でたところ。

2026-05-08
メロン苗。
スイカ同様、一昨年と昨年に食べて保管していた種をまいている。
スイカメロンは当初1番の予定だったが、トウモロコシを植えてしまったので、大根レタスを片付けた3番に植える。
2026-05-08
3番畝にメロン定植
まだ本葉が1枚しかないが、ポットよりも地植えのほうが生育がいいかと思って。
2026-05-08
5番畝玉ねぎは不作だった。
もう葉が倒れているが、まだ緑なのでもう少し玉が大きくなると思って放置。
2026-05-08
30年ほど前に息子がリンゴを食べてその種をまいた。そしたら発芽した。
一度も花が咲かないが、「なつかしさ」のためにここまで維持してきた。
2年前に切ろうとしたが思いどどまって鉢植えにした。
どかそうと持ち上げようとしたら底から根が出て動かなかった。
2026-05-08
底からの根を切って動かした。
陰になっていたナスに日があたった。
いよいよリンゴを廃棄する時期か?
種をまいた息子にラインしたら「切ってもいい」といった。
私が一番「なつかしさ」を感じて踏ん切りがつかない。


20251211 山芋、里芋、大和芋を掘る。ヒキガエル発見

2026年5月7日木曜日

痙攣しても備中国分寺と古墳群をまわる

4月22日、急遽岡山県に来て、伯備線に乗って山間部に入り、山城の備中松山城をみた。

そのあと岡山県らしい平野部に戻ってきて、
総社駅に下車。11:50。
ここでレンタサイクルを借りた。

備中国分寺や古墳を結ぶサイクリング道路が整備されているが、その前にふつうの街中を走って、市名、駅名にもなっている備中総社宮を訪ねた。(前のブログ)

そのあと12:20に総社宮を出て、地図を見ながら県道272号線を南下すると両側が田んぼになった。
やがてサイクリング道路の標識があった。
左折して入っていく。
要するに農道である。

よく見るパンフレットなどは光あふれる緑の田園地帯だが、この日は曇り。
しかし暑くもなく寒くもなく自転車日和といえる。
12:30
久しぶりにレンゲソウをみた。
この道を東に向かう。
古代の山陽道はこのあたりを通っていた。
12:34
水田だったところにナスの苗が植わっている。
しかしマルチ張りがずさんではげている。

このあと突然、右脚のすねが攣った。
脛というのは骨が出ていて痙攣する筋肉などないと思っていたが、はじめて経験した。
自転車は足首を曲げたままペダルを踏み続けるから、その形を維持するためには脛にわずかにある筋肉を縮める。それを長時間(といっても20分程度)続けて痙攣したらしい。
総社駅から総社宮まで1.7km、総社宮から痙攣地点まで2.5km、あわせて4.2kmしか乗っていない。ふだんならありえないことだ。
しかし朝から急いだ倉敷見物に、続く備中松山城見物の2時間(うち登りが1時間)が効いたか。
このまま治らなかったらどうしよう。
自転車を押して元のレンタサイクル店まで戻るのは不可能である。

安土、近江八幡とのきは自転車を返した後、夕方に太ももが痙攣して歩けなくなったが、今回はこれからというときである。

幸い、しばらく休んだら何とか痛みは消えた。

ちょうど作山古墳の横だった。

地図では作山古墳だが、なぜか道の両側に墳丘らしき森がある。
よくわからず右脚をいたわりながら大きなほうの裾をまわる。
12:41
左:古墳? 右:?
「滑りやすいので足元に気をつけてください」
脚のことを考えると登って確かめることもできない。

作山(つくりやま)古墳は5世紀中ごろ築造。長さ282メートル、岡山県では第2位、全国では第10位の規模になる。あとで調べたら上の写真の右側は古代に独立丘陵を削って造成したときの残りの部分らしい。

古墳の南側に集落があり、ぐるりと回るようにそちらの道を行く。

「つくりやま」とはいかにも地元の人が古くから呼んでいた名前に思える。古墳という教科書的単語をつけて屋上屋のようになっている。
12:45
案内板がなく、まだ古墳かどうかよく分からず。
簡単に先まで行って戻ってくるという自転車のありがたみを感じるが、やはり大きすぎると全体像が分からない。
そのまま離れた。
12:47
離れると確かに前方後円墳のように見える。
なおも農道をすすむ。

広い道に出た。
この平野は古代の吉備王国、さらには律令時代の国府のあったところである。
12:54
周りの低い丘丘を眺め、あっちのほうも古墳がありそうだな、と思う。

気持ちよく走り続け、現在地をスマホで確認して仰天した。
作山古墳の周りを走ったため方向感覚が90度ずれて、国道429号を北に向かっていた。
東に行くつもりだった。
来た道を引き返した。再び農道に入り、田んぼの中を信州中野の篠井川のような川に沿って走ると何かがバシャバシャと水に飛び込んだ。それこそ篠井川のようだった。カエルには季節が早い。ネズミか?
13:03
すこし離れてカメがいた。
飛び込んだのは日向ぼっこをしていたカメの群れか? この日は曇りだし、亀もあれほど俊敏とは思えないが。
13:04
東方に備中国分寺の五重塔がみえた。
山の中でもなく街の中でもないことが、昔らしい風景で良い。
しかし行く道がない。
13:06
さらに南にいくと東への自転車道路にぶつかった。
平日だからほとんど人がいないが、ランニングしている人がいた。
13:09
備中国分寺
自転車の欧米カップルがいた。
13:10
真言宗である。
讃岐国分寺を思い出した。
国分寺はもともと聖武天皇(701-756)の時代、諸国の国府の近くに建立した無宗派の寺院だった。平安後期以降いったん荒廃し、中世に復興するにあたり、もともと国分寺は国家鎮護(国家安泰・災厄除け)が目的だったから、加持祈祷をする真言密教と相性が良い。結果として再興時に真言宗に取り込まれやすかったという構造がある。
13:10
城と同じく立地には興味があるが、建物、仏像にはあまり関心がないので早々に退出した。

なおも田園の自転車道(農道)を東に行くと古墳らしき森があった。
13:15
こうもり塚古墳
これもこうもり塚と呼ばれていたのだろう。
全長96メートルの前方後円墳。
13:17
前方部に穴が開口している。
作山古墳よりあと、6世紀後半とされる。仁徳天皇の側室黒媛(くろひめ、吉備出身)の墓とされるが時代は合わない。古墳は時代が下がると小さくなる。
13:18
花崗岩を組み合わせた石室になっている。
なかに家型石棺が見えた。

ここが面白いのは5,6世紀の古墳群と8世紀以降律令制時代の国府(国分寺、国分尼寺、総社)の場所が完全に一致していることである。よほど暮らしやすいところだったのだろうか。

律令制になったとき地方豪族は国造として国司と併存したが、古墳の主と国造は連続していたのかどうか? 吉備王国は筑紫、出雲、大和とならんで4大先進地域だった。
山陰、中国山地の鉄が当時の国家の交通主軸であった瀬戸内海に出てくる場所にあたり、弥生時代からの製塩(昔は海がもっと内陸まで入っていた)もあって、4つの中では一番豊かになる条件を備えてる。しかし神話(記紀)では大和政権に滅ぼされたことになっていて、古墳の主は豪族として残らなかっただろう。
13:25
備中国分尼寺跡
国分尼寺は国分寺とセットで全国に置かれたが、国分寺と違って現在残っているものはまったくない。
尼寺は経済基盤が国分寺より弱く、また女性僧の組織は弱かった。

さらにサイクリングを続けた。
次は造山古墳に行く。
道を間違えて、路傍で草取りしていた女性に聞くと田んぼの向こうを指さされた。
13:36
造山古墳全景
道を間違えたおかげで全景が見られた。
これもツクリヤマといわれてきた。
おそらく備中平野には無数のツクリヤマがあり、古墳の名前というより大川とか丸池と同じような普通名詞だったのだろう。
先に見たツクリヤマ(作山)古墳と区別するため、サクザン古墳、ゾウザン古墳ともいうらしい。
13:38
造山古墳
墳丘長は約360メートル、大仙陵古墳(堺市、486メートル、伝16代・仁徳天皇陵)、誉田御廟山古墳(羽曳野市、420メートル。伝15代応神天皇陵)、上石津ミサンザイ古墳(堺市、365メートル、伝17代履中天皇陵)に次ぐ全国第4位の規模を誇る。

大阪の「百舌鳥・古市古墳群」が2019年、ユネスコによって世界文化遺産として登録されたことに対し、こちらは1923件(2026年)ある国の史跡の一つに過ぎない。
13:38
左:造山古墳の前方部
右:陪塚(1号、2号)

13:39
2つの陪塚。
左:榊山古墳(造山第1号墳)、右:造山第2号墳

13:42
近畿にこれだけ巨大な古墳があれば天皇陵とされ宮内庁の管轄になり、研究者ですら立ち入りできない。しかし、ここはなんと自由に登れる。

13:45
上に神社があった。

思ったより高い。
平地に土を盛ったとすれば大変な土木事業である。
土を取った跡(堀)などないことから、自然の丘を利用したのだろうか。

13:46
前方部から後円部を見る。

13:47
秦の始皇帝の陵と同じくらいの大きさ。
登れる古墳としては日本で(世界で)最大という。
前方部には阿蘇山の溶岩でできた石棺があり、後円部には讃岐の安山岩でできた板石が発見されたという。石などどこにでもあると思うが、もし実際に運んできたものなら、ここの大王は相当力があったのだろう。

先を急ぐので早々に下山した。
13:50
前方部の斜面は畑になっていて、柿の木が植わっていた。
私有地なのだろうか?
段々は古墳の構造なのか、畑にするために削ったのか良くわからず。

古墳は3つ見たのでもういい。先を急ぐ。

(続く)


2026年5月5日火曜日

レンタサイクルで備中国総社宮にゆく


4月22日、急遽岡山県に来て、備中松山城をみた。
前回三重県のときは出発前に訪問すべき都市を決め、各駅の到着、出発時刻まで調べてから訪ねた。しかし今回は突然のことで計画を立てる暇がなかったこともあるが、訪問先を決められなかった。

駅から離れたところが多く、どのくらい時間がかかるか分からないから計画など立てようがない。行ってみて、夕方までの時間を計算しながら行き先を決める旅になった。
一人だと便利だ。

朝、岡山、倉敷を通って、一番の目的地だった備中松山城をみて備中高梁駅に戻ると11:25になっていた。急いで乗った列車は高梁川に沿って山間部を南下するとやがて岡山らしい広い平野に出た。

総社駅に下車。11:50。
この駅の東側にいわゆる吉備路が広がるはずだ。
田んぼの中に五重塔が浮かぶ、美しい風景はよく写真になっている。
ここからレンタサイクルであちこち回ろうと思った。
12:06
JR総社駅と借りた自転車

荒木レンタサイクル(JR総社駅前)
・軽快車(ママチャリ):1,500円
・スポーツ車:2,200円
・電動自転車:2,800円
・乗り捨て:+500円(借りた場所とは別の以下の2店舗へ返却)
JR備前一宮駅:ウエドレンタサイクル 
備中国分寺近く:高谷レンタサイクル
営業時間:9時から17時

備中高梁からの電車の中でずっと迷っていたことは、鬼ノ城(きのじょう)に行くかどうか。
この城はどの文献にも出てこない謎の山城でありながら日本100名城に選定されている。
写真を見ればアニメ「もののけ姫」のたたら場のモデルとなったような山城である。
行ってみたいが、すでに備中松山城で2時間の登山をした脚が再び山道に耐えられるかどうか。途中で痙攣するのではなかろうか。
電動自転車ならいけるかもしれないが、長い上り坂で電池がなくなることはないか? かなり離れた鬼ノ城に行ったら他の名所に行く時間はなくなるのではないか? などと大いに迷った。

ところが、荒木レンタサイクルのにいちゃんが、こちらは何も言ってないのに
「鬼ノ城へ電動自転車で行く場合、○○から先へは行かないでください。行ったら罰金5,000円いただきます」
といわれた。モーターが焼き切れるのかな?
ま、これで鬼ノ城は行かないと決断できた。

行かないと決めると吉備路サイクリングの行き先選びに余裕ができ、時間的にも体力的にも楽になった。
標準サイクリングコースには入っていないが、まず以前から気になっていた総社宮にいくことにした。
のどかな吉備路でなく、街中の道を走った。
予定はないといえど、あとで時間が無くなると困るので飛ばした。

最近レンタサイクルをよく借りるようになったが、どこでも自宅の自転車と違ってよく整備されていて気持ちがいい。

8分で到着。
12:14
石柱は「県社総社神社」
その最初の「社」の字が消されている。社を3つも使っているから減らした?(冗談)。
県社というのは明治以降、戦前までの近代社格制度で官社(官幣・国幣、大・中・小)218社の下に位置し、諸社(県、郷、村)の一番上だが、全国約11万社のうち最終的な府県社は1,148社もあった。(郷社は3,633社、村社は44,934社、残りは無格社)

それよりも備中国総鎮守という肩書がすごい。
家のそばの駒込天祖神社は駒込村総鎮守(村社)である。

入口は期待したほど大きくなかったが、進むと参道が屋根付きになっていた。
12:15
平日だったがお宮参りの家族がいた。

総社というのは全国にあった。
前橋の上越線に群馬総社駅がある。
岡山は伯備線に総社駅、吉備線(桃太郎線)に東総社駅がある。

この神社のすぐ裏に駅があるのに東総社駅となってしまったのは、幹線でもある伯備線の総社駅が先にできて駅名を取ってしまったからだと思っていた。しかし調べたら、そちらは1925年2月「西総社駅」として開業し、いまの東総社駅は1904年総社駅として開業していた。ところが1959年、総社駅が東総社駅、伯備線の西総社駅が総社駅と改称した。そんなことをしないほうが良いと思うが、山陽本線からの乗り入れ列車もある西総社を総社市の代表としたようだ。
大きな木々や背後の山はないが、確かに境内は広い。
12:17
祭神は大国主命(出雲の国造りの神)と妻の須世理姫命の2神に、備中国内大小304社の神々、さらに相殿神として御鎮魂八柱神 、つまり合計314柱の神々、さらに摂末社が12柱である。
この祭神の多さこそが総社である。

律令制において、国司着任後の最初の仕事は赴任した国内の定められた神社を順に巡って参拝することであった。しかしその煩雑さから平安時代になって国府の近くに総社を設け、そこを詣でることで巡回を省くことが制度化された。

説明板には備中国内大小304社の神々と書いてあるが、実際は304の神社というべきであろう。大国主の命、素戔嗚尊などは重複しており、神々の数は数十~100程度といわれる。
今年しめ縄を自分で作ったから、大きな注連縄をみるとどうやって作るのだろう、とつい思ってしまう。
12:18
屋根付き参道は本殿から三方に延びている。

総社の多くは国司の派遣がなくなった中世(鎌倉、室町)に廃れたが、後に再興されたものも多い。しかし再興されず、どの神社が総社だったのかわからなくなってしまった国もある。

名前については岡山だと美作総社宮(津山市)備前国総社宮(岡山市)、備中国総社宮(ここ)が名前とともに残っている。
しかし、武蔵の総社は府中の(=国府の近くの)大國魂神社であり、下総は市川の六所神社である。(六所の名前自体が6つの神々、あるいは6つの神社を合祀したという意味)。

社格は武蔵府中の大國魂神社が官幣小社に列するが、多くは県社、郷社どまりである。やはり、オリジナルでなく簡略化のため二次的に作った神社の社格は高くはない。
12:19
池は岡山藩池田家が後楽園を作るときに参考にされたとされるが、こちらに作庭の知識がなくよくわからない。

さて、昔から地図を見て気になっていた「岡山の総社」がどういうものか分かったので、次はいよいよ吉備路サイクリングに出発する。

(続く)