3月12日、野田市に来た。
キッコーマンの工場に囲まれた野田市駅から真っすぐ西へ歩き、キッコーマン創業家の一つである高梨本家と、醤油を積みだした江戸川の河岸問屋の遺構をみた。
10時から高校で薬物乱用防止講演を頼まれていて、9:45までに会場に行かねばならないため、江戸川から急いで市の中心部まで戻ってきた。
もう時間がないが次々と魅力ある建物が目に入る。
9:28
興風会館
昭和4年(1929)の竣工当時は、千葉県庁に次ぐ大建築であったといわれ、最大506人の客席を持つ大講堂や集会室、地下ギャラリーがあり、現在は市内の文化、体育関係の事務局がおかれているらしい。国の登録有形文化財。
設計者の大森茂は、神田駿河台の明治大学旧校舎を設計した人で、あちらは1996年に解体され、私の記憶も薄れてきて似ているかどうか論じる眼力はない。
9:29
興風会は、ご大典(昭和天皇の即位)を記念して昭和3年に、千秋社(後述)の寄付により設立された(現在の価値で27億円)。その事業の拠点となるべく建てられたのがこの会館である。
以来、野田における教化、厚生、図書館事業などに貢献してきたが、戦後は図書館事業は市に移管、いまは育英(奨学金)、市内学校設備への助成、教育・文化活動に貢献した人への表彰、また生涯学習活動の支援などを行っている。
9:30
興風会館の隣はキッコーマン本社
というか、本社の敷地の一角に会館が建っている。
9:31
本社の隣の道路はキッコーマンの敷地内私道なのか、公道なのかよく分からない。
地図を見れば本社と研究所の間の道である。
9:32
表札には株式会社千秋社とある。
興風会に巨額の資金を提供した千秋社である。
以来、茂木、高梨、中野、石川、堀切の5家によって所有される。
1944年、野田商誘銀行(しょうゆにかけた)と合併し株式会社千秋社に改組した。
ちなみに市内の清水公園は、アスレチックで有名、入園無料のため埼玉千葉の幼稚園小学校の遠足でも人気があるが、ここは明治時代に茂木家が開園したもので、現在この千秋社が所有、管理・運営していることはあまり知られていない。
さて、この建物はかつて存在した醤油業者による銀行、旧野田商誘銀行でありその後、一時、千葉銀行野田支店となったが、1970年、しょうゆう銀行ゆかりの千秋社となった。
地図を見れば、千秋社の後ろ一帯は茂木七郎右衛門家の敷地のようである。
約束の時間が迫ってきたので足を速め、その敷地の角を東に回った。
道を急ぐが、平日の午前の静寂の中、竹刀の音とメーンとかいう声が聞こえてきた。
つい、立ち止まってしまった。
9:36
野田市春風館道場
かつてはキッコーマンの福利厚生施設だったらしい。2008年に市に寄付され、耐震補強などの改修工事を行ない、2010年にオープンした。
ふと振り向くと道場の向かいは豪邸。
表札を見ると中野とある。
9:37
左:中野邸 右:春風館
千秋社からずっと歩いてきた道の右側は茂木七郎右衛門家の敷地であるが、ここの5代茂木七郎右衛門の子、6代目の弟が1873年、中野長兵衛として分家独立した。長兵衛は兄・6代七郎右衛門の二男を養子にとって中野栄三郎とした。
栄三郎はキッコーマンの野田醤油(株)時代に社長になった(1946 - 1958)。中野家からは中野孝三郎(1985 - 1995)、中野祥三郎(2021- 現職)の3人が歴代社長の14人の中に入っている。
敷地は七郎右衛門家と地続きだから、その中野に間違いないだろう。
しかしなぜ茂木でなく中野なのかは知らない。ちなみに江戸川ぞいの河岸問屋・戸辺家やキッコーマンフードテックのあたりは中野台という。
よく見れば市の施設である。
9:38
野田市郷土博物館、野田市民会館
火曜休館日だった。
入館無料だが他の日にこの門が開いて、自由に入れるとは信じられないほど立派な門である。
ここは旧茂木佐平治邸である。ネットを見れば博物館は門を入った左手の建物で、醸造関係の資料は国内屈指らしい。敷地の大部分は広大な日本庭園(千葉県初の国登録記念物)
と大正13年建築、国登録有形文化財の旧茂木佐平治本邸である。
本邸は昭和32年から野田市民会館として市民に開放された。この貴重な、贅を尽くした歴史的豪華建造物を、6畳から10畳までの各部屋は1時間100円から240円で、茶室は710円で市民が文化活動に利用できる。
箱モノの代表のような市民会館の概念をぶち壊す。
9:38
門の前の駐車場に市内の地図があり、しょうゆ関連施設が塗り分けられていた。色が薄いな、と思ったら「むらさき」だった。
紫の部分は市中心部の大半を占めている。さらに、塗られていない茂木左公園は名前からして茂木家から市に寄贈されたのだろうし、市立野田中央小学校は明治9年に茂木家が校舎を(多分土地も)寄付したことから茂木学校が正式名称で、明治12年には市内の上花輪、吉春、岩名、横内、山崎に分校が置かれた。明治32年に野田高等小学校と改称したが、これらも紫色でおかしくない。
ふと道路を挟んで向かいに豪邸あり。
9:43
写真だと分かりにくいが、黒い四角は表札で「茂木佐平治」とあった。
博物館・市民会館となった旧本邸の敷地と地続きであり、市民に開放した後、こちらに平屋の豪邸を建てたのだろう。
時間がなく、写真を撮っただけであわただしく道路を渡った。
(続く)

















































