2026年7月10日金曜日

上野公園17 西洋美術館5 ブリューゲル、モネの破損作品を見て、レンブラント展は入らず。

7月8日、3週続けて西洋美術館に来た。
目的はブリューゲル(父)の版画を見ること。
前のブログを書くときに西洋美術館の「作品検索」で彼の名を入れたとき、27件もヒットし(すべて版画)、そのうちの1件が展示中とあったからだ。
しかし常設展の版画展示室にはなく、係の女性に聞いたら、企画展のほうだという。
いま、レンブラントの版画展をやっていて、影響を与えた作家の作品として出ているのかもしれない。

せっかく入ったので父と同名のフリューゲル(子)の絵を見に行った。
好きな絵だけど4回目にして初めて写真に撮った。

2026-07-08   11:38
「鳥罠のある冬景色」
ピーテル・ブリューゲル(子)(1564-1637)

私の好きな父親の「雪中の狩人」とそっくりだった。
フランドル地方の北方ルネサンスの画家として知られる父は5歳のときに亡くなり、長男の彼は父の作品の多くを模写し、さらには何枚も複製した。実際、父親にも「鳥罠のある冬景色」(1565)がある。

ブリューゲル父の作品は私学共済の組合員誌に連載された「名画物語」で紹介され、ページを破いてとっておいた。
「雪中の狩人」(1565)
Pieter Bruegel the Elder(1525?‐1569)
彼は「バベルの塔」のほうが有名かもしれない。

さて、「鳥罠のある冬景色」に戻す。
親子だからタッチが似たわけではないのである。
2つ前のブログに書いたが、絵というものは実物を写すのは難しいが、絵になったものを写すのはたやすい。画家ならば息子の彼でなくてもそっくりな絵は描けただろう。

となりに彼の弟、すなわちピーテル・ブリューゲル(父)の次男の絵があった。
ヤン・ブリューゲル( 1568 – 1625)
彼の子も同名の画家であり、この一族は何人も有名画家が出ている。

19世紀の作品がある新館に行った。
11:42
「春(ダフニスとクロエ)」(1865)
Jean-François Millet(1814‐1875)
ミレーは落穂ひろい、晩鐘、種をまく人など農民の姿を描いた作品が有名だが、それらより
10年ほど後の作品である。
昔、山梨県立美術館がミレーの絵を購入して話題になった。

モネの部屋を出たところに休憩スペースがあり、ビデオを上映している。
腰を下ろして見ていたら、川崎重工が2023年3月から西洋美術館のオフィシャルパートナーになっているという話をしていた。西洋美術館の核となった松方コレクションの松方幸次郎が川崎造船の社長だった縁による。
11:47
ふと背中の壁を見ると、「寄贈者御芳名」があった。筆頭はもちろん松方幸次郎。つぎの大阪商船というのは三井船舶と合併して今、商船三井になっている。川崎造船からスピンアウトした川崎汽船とはライバル関係にある。船運会社というのは絵画が好きなのだろうか。

ふたたびモネの部屋に戻った。
作品検索によれば、モネの作品は19点ああり、油彩画が16点、そのうち12点が展示中とある。
ほんとにあるのだろうかと数えたら、確かに展示されていた。

2つ前のブログに油彩画が全部で370点、常設展が120~150点と書いたが、16点中12点を展示しているということは、全作品を平等に入れ替えるのではないことを示す。
やはり来館者は有名作品を見たいから、それに応える形で入れ替えているのだろう。

2年前に入ったとき見た「波立つプールヴィルの海」(1897)、「しゃくやくの花園」(1887)は今回なかった。モネの働き者16点は4点ずつ倉庫で休めるのだろう。

今回、3週続けて前を通り過ぎた、ある大型作品を初めてじっくり見た。
12:12
「睡蓮・柳の反映」(1916)
一瞥すると上部に金箔をはった、例えば尾形光琳の屏風絵のように見え、とても睡蓮とは思えず、先々週も先週も通り過ぎていた。
近くに寄ったら、金色の部分は絵の具が剝げた後だった。
要するに大破している。
横の説明を読んだ。
12:16
この作品は松方が購入したあとロダン美術館に預けられ、大戦中地方に疎開されたときに損傷したらしい。戦後、敗戦国資産としてフランス政府に接収されたが、あまりの損壊ぶりに、接収リストや返還リストにも入っていなかった。2016年というから最近だが、ルーブル美術館の中で発見され、2017年、松方家から西洋美術館に寄贈されたという。
この数奇な来歴を知って、もう一度絵の具のはげ具合を見て、この部屋を出た。

1階に降りた。
3週続けて入って、そのたびに気になっていた絵を初めて撮影した。
12:24
「ケイテレ湖」(1906)アクセリ・ガッレン=カッレラ(1865‐1931)
2021年度購入
フィンランドの画家らしいが初めて知った。
フィンランドは人口500万人。1809年までスウェーデン、その後ロシアの支配下にあり、1917年に独立した。反ロシア感情からEU諸国の中では最も親日度が高いらしい。
彼は1904年の日露戦争のニュースを聞いていただろう。

改めて絵を見ると、静かさの中に水面の動きが見えて不思議な絵である。

ここで常設展会場を出た。
地下の企画展ではレンブラントの版画が展示されているらしい。

ポスターを見ると協賛キッコーマンという。
野田の茂木本家美術館がレンブラントを所蔵しているのかと思ったが、そうでもないようだ。
しかし出口近くの特設売り場にキッコーマンがあった。
12:29
醤油さしにレンブラントの自画像が描いてある。660円。
しかし文字は英語。veganとも書いてある。ますますわからなくなった。

調べたら、キッコーマンは1997年、オランダに初のヨーロッパ工場を完成させた。それ以来、社会貢献活動としてレンブラントハウス美術館の改修増設などに寄付を行ってきて、新館にはKikkoman Roomという展示室もあるらしい。その美術館ではヨーロッパ限定の醤油さしを売っているらしく、今回特別に日本でも販売したようだ。

オランダは確かに江戸時代を通じて国交があったが、レンブラント(1606‐1669)が醤油を知っていたかどうかは分からない。

醤油さしの向かいではレンブラント作品の複製品も展示されていた。(版画自体も複製品だが。)
4万円くらいである。見入っていると、係の女性に声をかけられた。
聞けば美術館とは関係なく販売するササキアートの人らしい。
12:32
雑談すると、いまアジア人が非常に多いらしい。
昔は外見、雰囲気から日本人と区別できたのだが、今は全く分からないという。「話してみて日本人じゃなかったらこのカードを出すんです」。見れば英語、中国語、ハングルのカードが置いてあった。手書きだからこの場でスマホを見ながら書いたのだろうか?ハングルを見ながら写すのは大変だ。
読めば40年前、オランダのレンブラントハウス美術館で限定複製され日本に輸入されたもの、というが、本当だろうか?

ここで外に出た。

梅雨も明けるかな、と思う暑さだった。
12:54
この日は野球場の裏、西洋美術館と交番の中間にあるスペースの縁石に座り、相変わらず多い外国人を見ながらサンドイッチを食べた。

不忍池におり、池をぐるっと回って午後の仕事に向かう途中、ギーンという変な音が聞こえた。
13:14
何かイベントの準備をしていて蓮池の中の遊歩道にまでびっしり風鈴がぶら下げられていた。
風鈴というのはたった一つがたまに来る風で鳴るものだ。
無数に並べればひっきりなしの連続音になってしまう。一つ一つを見ればガラス製のきれいなものである。企画した人は「夏」「涼しさ」ということから風鈴を選んだのだろうが、多いほうがいいだろう、と大量に並べた結果、雑音となり、壮観という視覚的なものしか生まれなかった。

2026年7月7日火曜日

上野公園16 西洋美術館4 版画展、ゴッホ、モネ、クールベの所蔵作品数

 6月24日に上野公園にきて、ちょうど1週間後の7月1日、また来た。というか北千住の畑バイトから湯島の仕事に行く途中に公園に立ち寄った。

上野の森美術館の前に行列ができていた。
2026-07-01 11:43
展覧会入場口でなく、ショップのほうである。
お土産買うにも入場まで30分待たねばならないという。
大ゴッホ展である。
「大」という文字がさらに大きくなっている。
11:44
前日までは「日時指定予約優先制」という扱いだったが、この日から「完全日時指定予約制」になった。
平日で予約券を持っていてもこの行列である。
公園内に多い欧米人はここだけいない。

公園で食べようとサンドイッチを持ってきていた。
ちょうど目の前の林の中に切り株があったので、そこに座って、木々の間から行列を見ながら食べた。
11:53
犬を6頭引き連れた女性が林の中に入ってきた。
鵜飼いのようにひもを6本もっている。通過するのでなく散歩していらした。6頭もいたら糞尿するだろう。
一般に、飼い主は水をかければ良いと思っているが、私などは「水を加えただけ、汚れを広げるだけ」で何の意味もないと思っている。飼い主とそれ以外の人で考え方が全く違う。これは喫煙者とそれ以外、騒ぐ子供の親とそれ以外、などにも通じることだ。

食べ終わったので植え込みから出て大ゴッホ展入口までいってみた。
12:06
完全予約制だが、数に限りがあるとはいえ当日券もある。
売られていたのは14:00からのチケットだった。
一般2,800円、土日は3,000円である。
12:07
私は実はピカソやゴッホの良さがよくわからない。
いい絵だな、と思うのは他にいっぱいあって、彼らの絵はそこに入っていない。

この日は先週休館で入れなかった科学博物館に行く予定だった。
12:10
しかし大ゴッホ展の行列を見て、西洋美術館に変更した。
ここにもゴッホがあった気がする。
12:11
こちらは行列どころか、チケット売り場は誰もいない。

順路に従って本館2階にあがると、14-16世紀の絵画から始まる。
まっすぐゴッホのところに行く途中、そこを飛ばし新館に入ってすぐの大きな絵を何気なく見た。
12:16
「グイド・カヴァルカンティの亡霊に出会うテオドーレ」(1783?)
ヨーハン・ハインリヒ・フュースリ(1741 - 1825)
前の週はちゃんと見ずに通り過ぎていた。
276 x 317 cmという最大級の作品で、壁際まで下がってようやく写真に納まった。
裸の女性が犬?に襲われ、中央に目の光る馬が浮かぶ。
亡霊のような馬のモチーフ、構図に見おぼえがある。

そう、「夢魔」である。眠っている色っぽい女性の上に乗る猿のような悪魔と暗闇に浮かぶ牡馬の顔。フュースリには、眠る女性の上に悪魔やオスの馬の顔が浮かんでいる「夢魔」の絵がいくつもある。
この場所は、館内図では19世紀の絵画となっているが、18世紀後半の作品。
ルネッサンスの後、バロック、ロココの装飾過多の時代をすぎ、近代絵画の時代である。印象派などが出てくる前、新古典主義(ナポレオンの騎馬図など)からロマン主義への転換期に位置する。

すぐ隣から19世紀の近代絵画が並ぶので、これは絵の大きさからこの場所にあるのだろうか。
続いてクールベの絵があった。
12:17
「罠にかかった狐」
Gustave Courbet (1819-1877)
私の好きな絵だが、上野では見ていないので、どこかの本で見たのだろうか。
12:19
「波」(1870?)ギュスタフ・クールベ
彼は顔の目立つ人物画や風景画でも有名である。
前時代の宗教画や物語の絵に対し「私は自分の目で見たことのない天使は描けない」と有名な言葉を残した写実派の画家である。

近代絵画は、新古典主義、ロマン派、写実主義と続き、世紀末には象徴派、アールヌーボー、印象派がでて現代につながる。

モネの作品ばかりが並ぶ「モネの部屋」を出て、ビデオ上映のコーナーから1階に降りようとしたら、奥まった部屋で版画の特別展示があったので少し覗いた。
12:30
「死と名声の寓意」(1518)
作者ヴェネツィアーノについては何も知らない。

版画には銅板に直接掘るengravingと、防錆処理した銅板に鉄筆で描いたあと酸で腐食させて凹線をつくるEtchingがある。後者のほうが筆に力が要らないから繊細な絵が描ける。
しかし55年前の中学校の美術の時間では、プラスチック版に鉄筆で描いてインクを乗せて拭いてから紙に写したのを「エッチング」といっていた。今思えばエングレイヴィングのほうが近い。正しくはドライポイントというらしいが、なぜエッチングといったのか不明である。

1階にゴッホがあった。
12:31
「ばら」(1889)Vincent van Gogh (1853–1890) 
精神疾患を患い、拳銃自殺で37歳で生涯を閉じる1年前の作品である。
大胆な筆使いはゴッホらしい。ポスト印象派といわれるが、印象派の影響が見える。
モネより13年、ルノアールより12年後に生まれた。

雑に回って目的のゴッホを見たので、再び二階の絵を見ようと思った。
出口近くの階段を上がるとフュースリの大型の絵の前だった。
(館内図は前の週、2026-06-25)

12:41
クールベの狐の前をすぎると、モネが3点並んでいた。

続く隣の部屋はモネの作品ばかりである。
12:41
松方コレクションから始まった国立西洋美術館はモネのための美術館のようにさえ見える。
入場チケットの絵もモネの「舟遊び」だし。
レストランも「すいれん」だし。
12:42
(反対方向から)
本当にモネが多い。
日本人がモネ好きなのも、西洋美術館の影響かもしれない。

ということは所蔵品にモネの作品が圧倒的に多いのだろうか?

美術館公式サイトの作品検索で調べてみた。
AIはこのサイトにアクセスできないらしく、思いつく作者について自分で数えた。
前のブログに書いたように、所蔵品は油彩画よりも版画、デッサンが圧倒的に多い。
そこで、全作品数と( )内に油彩画の数を書いた。

クロード・モネ  19(16)
ピエール=オーギュスト・ルノワール 12(9)
ポール・セザンヌ 7(3)
ポール・ゴーガン 8 (5)
エドゥアール・マネ 15(3)
カミーユ・ピサロ 6(4)
ギュスターヴ・クールベ 9(9)
アルフレッド・シスレー 1 (1)
ベルト・モリゾ  1(1)
ピーテル・ブリューゲル(子)1(1)
ピーテル・ブリューゲル(父)27(0)
ジャン・フランソワ・ミレー 7(1)
ゴッホ 1(1)
ピカソ 27(6)
ルソー 0

すなわち、常設展に飾れるような、油彩画の数はモネが16点で圧倒的に多い。次いでルノワール、クールベの9点、ピカソが6点と続く。松方が好きだったというセザンヌは3点しかなかった。

モネの部屋を出て、版画の部屋の前を再び通った。
12:42
前の週に来たとき気づかなかったのは、この日の前日6月30日から始まったためだ。

西洋美術館の収蔵数・約6000点のうち4000点が素描、デッサン、版画などだという。
版画、素描などはカンバスでなく薄い紙だから油絵と比べ傷みやすいらしい。インクの量も少ないから退色も速い。
だから開放されおらず締め切りで、照明も暗い。
12:42
神話や物語を題材にしたものが多いから、知識がないと面白さが分からない。
午後は湯島の会社で仕事があるので、早々に退出した。

弁天堂に降りる階段前にきた。
この階段は上京した1975年以来、何度上り下りしたことだろう。
77,78年は秋になると戸田のボートの合宿所から通学するとき、毎朝降りたし、1987年4月から1年2か月、週6日、この階段で薬理学教室に通った。
12:55
1975年当時は戦後30年、このあたりに白い衣装の傷痍軍人の人が座っていた。
花見シーズン以外はそれほど人も多くなかった。
今はインバウンド客で毎日年中いっぱい。

昔は階段下の道路を渡ったところには左に自動販売機とビーチテーブル、パラソルが外に置いてある売店があった。池の向こう、不忍通りのビルはこれほど高くなく、また多くなかった。当時ここから東大や旧岩崎邸、湯島天神の森が見えたかどうかは記憶にない。



2026年7月6日月曜日

上野公園15 西洋美術館3 写実性の進化、入れ替えの頻度

 6月24日、水曜、上野を通りかつ時間があったので国立科学博物館にいった。しかし、まさかの臨時休館。6月22日(月)から6月26日(金)まで、館内の害虫駆除のためという。21日閉館後から剥製たちを大移動して消毒する。毎年のことらしい。

仕方がないので隣の国立西洋美術館に行った。
こちらも65歳以上は無料。
ありがたいことだ。
テレビは年金が少ないとか、医療費が高いとか街の老人の声を伝えているが、年寄りは十分優遇されている。
と思ったが、小中高生も無料である。
大学生は西洋美術館は半額(250円)だが、科学博物館なら関東のほとんどの大学生(パートナーシップ校、関東83大学)も無料である。
2026-06-25 12:50
順路に従って本館2階にあがると、14-16世紀の絵画から始まる。
12:52
JV クレーフェ(1485-1540)「三連祭壇画:キリスト磔刑」
同時代のものは作者が違ってもどれも顔や構図が似ている。

なぜ似るか?
現在、絵というものは写真そっくりのものがあるが、昔はそうではなかった。
素晴らしい技術で精巧に描かれていてもどこか実物と違う。
つまり、われわれ人間は、もともと3次元の現実世界を紙に写すことはできず、誰かの描いたものを真似することしかできなかったのではないか?
天才がそれまでの絵より現実に近いものを描けば、それを皆が真似することにより、アルタミラから何万年、何千年もかけて絵は進化した。
そして写真が登場してからはそれが見本となって写実性の点では完成を見て、同時に絵画は別の方向に進み始めた。

「キリスト磔刑」も当時の最先端の写実性を備えていたが、顔などよく見れば現実的ではなく、かつ同時代のほかの絵の顔と似ている。

それにしても精巧である。印象派の絵画と対照的に非常に細かい。
近くまで顔を寄せて筆というより針のようなタッチの様子を見る。

ここで注目すべきは、何もカバーがないことである。何世紀もの前の貴重な絵が裸で不特定多数の前にさらされている。
ぐっと近づいてみている時にくしゃみをするかもしれないし、狂った人がペンキをかけるかもしれないが、カバーがないことで精巧なタッチがよくみえる。
この露出展示を可能にするためか、温度湿度計はあちこちにあり、係員は死角のないように多数配置されている。
メモをしていたら、すかさず彼女が近づいて「ここではボールペンは禁止されていますので、よろしければこちらをお使いください」と小さい声で囁きながら簡易鉛筆をくれた。
12:55
ヤン・ステーン(1626ー)
「村の結婚」
2年前もここで見たが写真を撮らなかった。
2世紀で写実性はぐっと上がった。
当時の家や服装が良くわかって、こういう絵が好きである。

新館に行く。
ここから19世紀の絵画である。
13:04
つきあたりにÉdouard Manet(1832₋1883)の2枚が見えた。
2年前も見ている。
右のカメラを持つ男性は1階の20世紀の絵画を上から撮っているのだろう。

13:06
ルノワールとセザンヌ
これらは2年前も展示されていた。
どのくらいの頻度で入れ替えているのだろう?

西洋美術館の収蔵数は、約6000点だそうだが、4000点が素描、デッサン、版画などで、彫刻が100点、油彩画が370点という。一方、常設展は彫刻なども含めて250~280点、そのうち油彩画は半分の120~150点。つまり、3分の1が飾ってあるらしい。入れ替えは基本的に1年に1回。平均すれば3年に1回展示されることになる。
13:07
クロード・モネ
ボートに二人の女性が乗る「船遊び」(1887)は、国立西洋美術館の入場券にも印刷されていることから、ここでもっとも有名な絵の一つである。こういうものは3年にいっぺんではなく、毎回飾られるのだろうか。
2年前に来たときはちょうどモネの特別展の時で、松方コレクションの多くのモネはそちらに展示され、船遊びも常設展にはなかった。
13:08
睡蓮(1916)
これも特別展にいっていたらしく、今回初めて見る。

1階に降りた。
13:11
「羊の剪毛」(1884)
Giovanni Segantini(1858 - 1899)
今回一番目についた。
セガンティーニの絵は初めて見た。遠くから見ると写実的だが、よく見ると絵の具を粗く置いていて、同時代の印象派の点描法である。
13:13
「オークの木」(1907) 
ドイツの印象派の一人、Lovis Corinth (1858-1925)

西洋美術館に入ったものの、実は科学博物館が閉まっていたからという理由だけで入ったから、申し訳ないほど雑に見た。

出口の右側のレストラン「すいれん」を通ったら、2年前より値上がりしていた。
13:24
パスタセット 1700→1900
オムライス 1600→1800

出る直前、19世紀ホールに来ると昔の写真が飾られていた。
13:31
まだ新館はなく、科学博物館との間は林になっている。
線路側、科学博物館地球館の場所は平屋の木造建物が雑然と立っている。駅側の隣、東京都東部公園緑地事務所(1階はカフェ・上野グリーンサロン)も更地になっている。
13:33
彫刻は見ずに退出。

外は平日というのに観光客でいっぱいだった。
東京文化会館の西の摺鉢山に上がってみた。
13:39
学生時代はよく登ったが、その後はいつも下を通り過ぎていて、45年ぶりかもしれない。
上野公園は観光客誘致のため植え込みや噴水を小さくして通路を広げイベント広場を作ったりスタバを誘致したりしたが、この上だけは昔と変わっていなかった。


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2026年6月30日火曜日

サツマ芋植え付けとジャガイモ収穫

2026-06-19
2番畝のジャガイモを一部収穫したことはすでに書いた。
第一次、6月13日、4.31㎏

その後、第二次、6月17日、1.44㎏

まだ葉が青かったりして全部掘らなかったのだが、このあと2番畝にはエダマメ、7,8番畝にはサツマイモを植えねばならないため、そろそろ全部掘らねばならない。
2026-06-19
日陰で発根させているサツマイモの苗。

サツマ芋は根のある株ではなく茎を植えるから、発根するまでに晴れが続くと乾燥死することがある。2020年以来7回目だが、当初は植えた直後に直射日光が当たらないようにしていたが、最近はいきなり植えるず、2,3日水につけて白い根を出させてから植える。そのほうがだんぜん活着しやすい。

植え付けるべきサツマイモの苗は自家製。
昨年室内で越冬させた芋づると種芋を土に植えて、そこから伸びたつるを使う。
この時期になると種芋用に保存した芋以外の、食用芋もどんどん発芽してくる。
芽を見ると捨てるのも勿体ないからすべて土に植えて育苗した。
2026-06-19
食用さつま芋から出た芽
しかし苗が増えすぎて、千駄木菜園には場所がなく、これらは廃棄した。

2026-06-19
6番畝のサツマイモ
土饅頭を作り、一山に10本ずつ植えた。

2026-06-20
左、6番畝、右、5番畝
5番畝も少し残っていた玉ねぎを片付けたので、植え付け開始。
2026-06-21
左5番、右6番
手前のキャベツは、昨年11月に一つだけ発芽したもの。
本来、6番は20株近くキャベツを取る予定だったが、昨年晩秋、例年使っているダイソーの種が発芽しなかった。そのため6番は不本意ながらF2のロマネスコ(F1から採種したためか食用にならず)とノラボウ菜であった。
2026-06-22
この日の収穫。
この時期のキウリはまっすぐ。
キャベツの穴はヨトウムシの古傷。一玉だけだったから消毒はせず、たまに夜、見回って2,3匹捕殺した。
2026-06-23
7番8番のジャガイモ掘り。
ここらはファミリーマートで古くなって安売りしていたジャガイモを植えてあった。緑になっていたり発芽したりしていたもの。
2026-06-23
7番8番は柿の木の下で日当たりが悪かったが、5.63㎏とれた。
翌6月24日には残っていた2番畝も掘った。2.37㎏。

4回分を合わせると13.75㎏
ジャガイモは年に二回取れるからスペースパフォーマンス(土地効率)が良い。
今までの成績をまとめると

2026春 13.75 (2番,78番畝)

2025秋 5.62 (1番畝) 
2025春 6.77 (6番畝のみ) (2番畝モザイク病)

2024秋 0.89 (4番畝 
2024春 5.4 (4番畝 

2023春 2.8(2番畝 モザイク病)

病気がなければ、半期、1畝につき6~8キログラムは取れそうだ。
ジャガイモは2畝で年間30キロを目標とする。
2026-06-30
5番6番(向こう)に続き、ジャガイモを片付けた78番畝にもサツマイモを植えた。(手前)
結局、
5番 22本
6番 35本(うち饅頭に20本)
78番 21本
合計78本植えた。千駄木菜園の畝部8分の3を使っている。
植えてすぐ雨だったので元気である。
秋が楽しみ。

2026-06-30
3番畝、メロン、スイカ

梅雨に襲ったダブル台風による長雨の影響か、メロンの木が腐っていた。もともと雨に弱く、農家はビニール栽培で作る。しかし昨年は露地でも何とか枯れずに済んだので今年もそうしたのだが、実が生る前に甘かった。
同様に雨に弱いスイカのほうは何とか持っている。

今日は6月末日。半年過ぎた。
さっき、紙兎ロペで1年365日のちょうど半分は7月2日の正午だと言っていた。