1月18日、京急の横須賀中央駅に降りて記念艦三笠から米軍基地ゲート、どぶ板横丁、そして海岸沿いのヴェルニー公園を歩き、軍艦などを右手に見てきた。
公園が尽きたところがJRの横須賀駅である。
12:26
JR横須賀駅
ずいぶん変わった駅である。
駅舎が1940年建築(改築、3代目駅舎)という古さではない。
雰囲気である。
まず商店街あるいは住宅街がない。駅前の華やかさ、猥雑さがまったくない。
さらにふつうは駅舎が線路に平行、すなわち玄関が線路を背に垂直に向かって作られるが、ここは45度である。
どこを向いているかというと、海である。岸壁はすぐ近く。
明らかに帝国海軍の本拠地、軍港のために作られた。
下り(写真左方面)は踏切を超えるとすぐトンネル。
横須賀駅は明治22年(1889)6月、官設鉄道が大船駅から開通、その終着駅として開業した。東海鎮守府が横浜から移って横須賀鎮守府となって5年後である。
三浦半島には陸軍の東京湾要塞の一つである観音崎砲台、敵の上陸想定地点の一つである長井があったから鉄道開設は海軍だけでなく陸軍からの要請もあった。
横浜駅(初代)-国府津間が延伸開通したのが、明治20年(1887)だからすぐである。
横須賀鉄道の建設はこの年(1887)の3月の閣議で可決され、翌4月から測量が開始、5月には45万円の予算を東海道線建設費から流用することとなり、7月には東海道線からの分岐点予定地に大船信号場を設置、翌1888年1月に着工、1年半で完成させた。
三浦半島は山が海のそばまで来て平地が少ないから用地取得は大変だっただろう。いまの北鎌倉駅付近では円覚寺境内を横切り白鷺池の半分を埋立てた(以前円覚寺の参道に踏切があってびっくりした)。また鎌倉では鶴岡八幡宮の段葛を寸断して線路が敷設されるなど、かなり強引につくられた。
(ちなみに横須賀鉄道もあわせ、新橋ー神戸間が「東海道線」という名前になったのは明治28年である)
駅舎はシンプルで、改札と玄関の間のがらんとした空間に屋根が乗っかっているだけ。
商業施設や駅ビルなどない。
普通の駅のように住民に供されるものなら、もう少し南まで延伸すべきであるが、予算も限られ鉄道用地の捻出も困難であったことから、現駅舎のある海軍用地が終着駅になった。
市民のための駅、京急の横須賀中央駅が湘南電気鉄道の駅として開業したのが1930年。
国鉄(省線)が横須賀から延伸して久里浜まで開通したのが1944年である。
12:26
広場の向こうは軍港横須賀の岸壁である。
戦前、連合艦隊司令長官のような高官の着任のときは、ここから岸壁まで赤いカーペットが敷かれたとか、どこかで読んだ気がするが、本当かどうか知らない。しかしこの近さなら、簡単に敷けるだろう。
岸壁から内火艇あるいは水雷艇にのり、兵員が舷門に並んで出迎える旗艦に乗り移ったのかもしれない。
いまどき、これはかなり珍しい。
12:27
改札を通った景色
行きどまりの(右、海側から)1番線、2番線。
終着駅だった名残り。
大船から横須賀までは戦前から複線だが、下りの久里浜方面は単線である。
現在使われているのは3番線のみ。これを上りと下りが半々に使う。
かつては海軍基地への物資輸送のため、海側にも山側にも貨物線、貨物駅があったらしいが多くが撤去され、山側には、ウェルシティ横須賀として市の公共施設や超高層住宅「天空の街」(2000年、31階)などが建てられた。しかし当時の名残で山側、海側に数本の側線がいまも残っている。
戦後、帝国海軍は消滅したが三浦半島はベッドタウン化し、横須賀、逗子、鎌倉から東京への直通電車が出た。しかし熱海・小田原方面からも東京への電車があり(1950年から湘南電車と呼ばれた)、大船ー東京間は過密となった。
その混雑緩和のため1980年、貨物線を利用して旅客線を複々線化し、東海道線、横須賀線の列車が分離された。すなわち東京 - 品川間ではトンネルを掘削して地下別線をつくり、品川 - 鶴見間は貨物線だった品鶴線を使って、ここを横須賀線が通った(このとき新川崎駅ができ、その後、1986年に西大井、2010年に武蔵小杉の駅ができた)。
また、横須賀線は東京駅の地下に1976年から来ていた総武線快速とつながり千葉方面まで直通運転するようになった。
1988年7月には東海道線もここを通って新宿まで行くようになった(湘南新宿ライナー)。一方、この年3月、東北線、高崎線も田端、貨物線経由で池袋に行くようになり、2001年、これがつながって湘南新宿ラインとなった。すなわち、新宿、品鶴線経由で宇都宮線が横須賀線に、高崎線が東海道線に乗り入れるようになった。
当時を含め32年も埼玉に住んでいたから馴染みがある。
個人的には何とも思わないが、それにしても関東北部に広がる路線なのに、なぜこの名前なのか、名付けた人は埼玉の人を何とも思わなかったのか。あるいは路線名は地方より都会の名前を付けたがるものだが、それほど湘南・新宿がハイカラなのか、不思議だったことを思い出す。
12:28
上りも下りも同じホームから出るというのは、首都圏近郊区間の駅では珍しい。
単線区間でも駅だけはすれ違いができるよう線路が2本あるものだ。
次の上り電車は4両編成、東京方面に行くかと思ったら3つ先の逗子どまりだった。
すなわち、2001年に始まった横須賀駅、久里浜駅始発の湘南新宿ラインは、2004年から逗子、大船始発に一本化され、横須賀から東京方面の直通は総武線に入る横須賀線だけになった。
大正時代は全国21位、関東地方では東京、横浜に次いで第3位の人口を誇った横須賀市の駅も、いまや田舎のような駅で、2016年には業務委託駅となった。
がらがらの電車がきた。
9:17に京急の横須賀中央駅に着いたから3時間余りの見物であった。
それでも多くの記憶が呼び覚まされ、もう行くことはないと思うので、6本もブログを書いてしまった。
前のブログ
20260223 横須賀5 地方総監部と「はるな」観艦式の記憶
20260220 横須賀4 陸奥、鎮守府長官、潜水艦の名前と艦番号
20260215 横須賀3 どぶ板通りの古本、I-605、ヴェルニーと小栗
20260202 横須賀2 日米ネイビー友好協会、キティーホークの記憶
20260128 横須賀、神奈川歯科大、三笠、秋山真之
彼は工学部機械科出身で職業柄、兵器、装備に興味があり、歴史、人物に関心のある私とはほとんど会話しなかったから、横須賀に行っていたことを知らなかった。





















































