2019年1月15日火曜日

谷中墓地の茶屋と瑞輪寺

初詣と言っても、いつもの散歩と変わらない。
とくに手を合わせてお参りもしない。
それでも、年のはじめに立ち寄った寺社を思い出してみると

2013年1月 千駄木のリフォーム始まるもトラブルで散歩どころでなかった
2014年 1/2 弟と田端から谷中、上野博物館まで歩く
     1/4 妻と修性院、浄名院、護国院
2015年 1/4 夜、大宮氷川神社 
    1/12 日暮里諏訪神社
2016年 1/17 自転車で本郷散歩
2017年 1/9 吉祥寺、南谷寺
2018年 1/6 自転車で谷中七福神を1時間半で回る

で、
2019年 1/6 瑞輪寺
    1/13 本妙寺、慈眼寺

まず1月6日
日暮里で練習のあと、駅を通り過ぎて谷中墓地へ。
天王寺はパスする。

途中、
花屋というか茶屋というか、墓地に来る人の休憩所であり、花や線香を世話した所が、いまも古い日本家屋のまま営業している。
いつかきちんと撮ろうと思っていたが、突然建て替えられたりするので、撮っておく。
左(南)から花重、三原家、おもだかや
車のある右は3(4?)階建てマンション

三原家とおもだかやは明治33年に家を建てたときは二階がつながっていたそうだ。
三原屋は2代続けておもだかやから嫁を迎えたそうで、親戚である。

参道東側は
一番天王寺側がふじむらや

つぎが金子家

なお、この南にある2階建ては坂本家。
おもだかや(姓は坂本)の一人が水谷屋という茶屋を買い取り今の坂本屋になったとか(谷根千7号)

寄り道したが、ようやく目的地、
日蓮宗本山、瑞輪寺につく。
谷中随一の大寺と言われる。

開山、慈雲院日新上人は、家康幼少のときの学問教育の師範。
その関係で、家康入府(1590)のあと、
1591(天正19)  日本橋馬喰町に敷地をもらい、創建。
1601(慶長6)  神田に移転。
1649(慶安2)  現在地に移転。
1868(明治元) 上野戦争により全山焼失。以降再建された。
40年前、最初来たとき谷中にしては広い道と思ったが、参道のようだ。

車が来ないから、よく子供たちがキャッチボールをしているのに出会う。
なお、江戸切絵図や明治11年の陸軍地図にこの道はなく、一帯全部が瑞輪寺。

いまは参道?両側に瑞輪寺の塔頭が並ぶ。
右の東側は手前(南)から
・久成院
・正行院
・躰仙院(谷中鬼子母神)
・浄延院 
・迦葉谷中マンション (1981築、名前からして瑞輪寺のお坊さんの宿舎かと思ったが、一般の不動産情報にも載っている。44平米、月11万円くらい)

なお、浄延院の北側の入り口には谷光学舎という扁額あり。
よく見ると表札のように「谷中学寮」とも書いてある。
2014年4月から6月にかけて、根津ふれあい館でダンスの練習をしていた。毎週水曜夕方6時ころ、日暮里駅からこの道を通ると、いつもこの中から大勢のお坊さんの読経が聞こえた。

左の西側は手前から
・本妙院
・?熊谷荘への入り口 (以前は奥に前田輪業という自転車屋があり、看板が出ていた)
    (岡倉天心が一時住んだ竹やぶのある平屋だったという)
・日本美術院 (かつては谷中初音町の天心記念公園の場所にあった。
      天心死後の大正3年、横山大観が中心となり、この地に移転)
・瑞輪寺駐車場

かつては15坊あった塔頭も、いまは上記の5院のみ。

 この葵のご紋はさすが、家康ゆかりの寺である。
家光の寄進(といっても再建)による鐘楼

来年除夜の鐘をつかせてもらおうかな。
お汁粉や酒などふるまいが出るらしい(おひねり用意)
他に谷中でつかせてくれるところは、全生庵、妙行寺、宗林寺、
養福寺があるそうだ。

今年は一人で年越し、布団の中でどこかの鐘を聞くうちに眠りについた。

本堂。これも明治に彫られたのだろうか。

本堂東側に建物
押尾川の乱(1975)で元大関・大麒麟らが二所ノ関部屋を飛び出し、籠城したのはこの建物だろうか。
航空写真を見れば、奥にいくつもの棟がある。
16人の力士が暮らせるくらい十分広い。

江戸水道の開設者、大久保主水の墓があるそうだが、見なかった。

寺を出て山門前から東へ行くと民家が並ぶ。

この手前の路地は瑞輪寺の私道だから、この民家も寺の土地だろうか。

どの家も住んでいないようである。
土地と建物の持ち主が違うと、売買できずに、ツタの絡まる家ができそうだ。

アッと驚く家があった。
家の中にツタが充満している。
グーグルのストリートビューでもこの状況が確認できる。
写したのが夏だったのだろうか、ガラス戸ごしの葉っぱが青々していた。
こういうのを見るとツタを育てている私としては心配になる。

なお、北東に隣接する東京七面山、飯匙祖師堂は、入り口が向う側の道路に向いていて独立した寺院のように見えるが、瑞輪寺の一部である。

このあと上野公園に向かう。
40年前、ここをいつも通ったはず。
しかし不思議なことにヒマラヤスギの記憶がない。
谷中にいたときは谷中の良さに気が付かなかった。


6 件のコメント:

  1. 記事中に有ります熊谷荘の大家で前田輪業の店主です。
    腐食した看板を撤去致しましたが現在も前田輪業は営業致しております、ちなみに私の父親で昭和43年に逝去しました独立美術協会会員、洋画家熊谷登久平の居宅です、朝日新聞令和2年1月14日の抑止力夕刊に洋画家長谷川利行の未発見スケッチブック発見で記事にもなりました、警視庁下谷警察暑を始め所蔵展示作品も多数ございます。

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  2. 熊谷寿郎様でいらっしゃいますか? 初めまして。
    40年近く前に住んだ谷中でまた暮らしたくなり、数年物件を探して隣の千駄木に越してきました。谷中は知識が増えるごとに散歩が楽しくなる土地で、これからも楽しみです。
    岡倉天心の旧居跡かつ、ご尊父熊谷登久平画伯のお宅に住まわれているとは羨ましい限りです。今後ともよろしくお願いいたします。

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  3. 小林力様
    はじめまして熊谷でございます。
    三原屋さんを検索していて拝見させて頂きまして、家の旧宅の状況を覚えておられる方がいらっしゃる事に嬉しく成りまして突然お邪魔させて頂きまして誠に申し訳ございませんでした。
    こちらの周辺も昨年の台風19号でヒマラヤ杉が折れたり、高齢化と相続の性と思われるますが古いお宅が壊されて新築のアパートやマンションに替わり景観も徐々にですが変わって来ていて寂しい限りです。
    晩年に成って貰った嫁が父親の事等をブログにしておりますので宜しければご覧頂けましたら幸いです。
    https://tokuheikumagai.hatenablog.com
    こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します。

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  4. 引っ越してから8年の間にも景色はだいぶ変わりましたね。素敵な家から消えていきます。
    ブログを始めた理由の一つも近所の景色を撮ることでした。
    奥様のブログも拝見しました。
    さすがプロ、分かる人にしか分からない短い文章が心地いいですね(私は長く書きすぎる)。
    最初のほうの
    ”東京に住めて良かったと感じているお上りさんです。 ”
    は私と全く同じ感想です。
    東京でも谷中、上野、本郷は一番面白い。長野の弟が来ると必ず散歩です。彼は谷中墓地でもいちいち碑文を読むから閉口してますが。
    絵画には疎いですが、今後少しずつ知識を増やしますので、また教えてください。

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  5. こんにちは、熊谷登久平の次男の寿郎の嫁の熊谷明子です。
    上野の山、本郷台地、田端に駒込あたりまで、地方出身の元に文学少女には極楽であります。
    上野の山の文化人地図を上野桜木町会さんが制作されているのですが、それも凄いです。
    それと諏訪様の向かいの太平洋美術さんが無料で配ってくださっている地図も楽しいです。
    機会がありましたら是非手に取ってください。

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    1. こんばんは。午後、いくつかブログを拝見しました。
      新聞勧誘員さんのお話に笑い、いくつか深刻な話に引き込まれ、文化的なことから家庭の小さな(大きな?)出来事まで、興味深く読ませていただきました。
      まだごく一部しか拝読していないので、これから楽しみです。
      ご紹介いただいた地図2枚とも興味があるので、今度探してみます。ありがとうございました。

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