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2017年3月19日日曜日

忘れられているスペンサーの微小球体

セレンディピティの代名詞、ポストイットの誕生秘話として、
研究者が失敗して、くっつかない接着剤ができて、
使いようがなかったのを
別の研究者のアイデアで栞として生まれ変わったと言われる。
「くっつかない接着剤」
「失敗」
こればかり面白おかしく強調されるが、重要なことが抜けている。

単に接着成分の合成に失敗した例なら山のようにあり、研究者は捨てて顧みることもない。
「接着力が弱い」といっても、例えばデンプンのりを薄く塗っただけでは、すぐ剥げるだけである。何回も使えない。
S.シルバーが作った接着成分は、A.フライが栞として本に貼っても薬剤が本に移らず、また乾いた状態で何回も使えるという特徴があった。

シルバーは、アクリル接着成分を微小な球体 tiny, indestructible acrylic spheresにした。
ウィキペディアの電顕写真を見ると

押しても粒はつぶれず(つまり広がらず)紙と接触するだけだから、剥げやすく、また何回でも使える。感圧接着剤というものである。
接着テープの側は、(製法は知らないが)例えば、粒がつぶれるくらい圧をかけて紙の線維の中に成分を入り組むようにしておく。こうすれば接着テープのほうは薬剤がはがれない。
さて本とポストイットの接着面を考えると、本の側は、微粒子が点で紙と接触、ポストイット側は他の微小球体に囲まれている。だから、ポストイットは本から簡単に離れ、接着成分(微小球体)が本の側に移らないのだろう。

ポストイットのセレンディピティは、フライのアイデアだけはなく、材料がユニークで本物だったから、ヒット商品になったのである。

2017年3月13日月曜日

ポスト・イットは偶然ではない

セレンディピティの例として有名なものにポスト・イットがある。
3M社の研究者が接着剤を作ったのだが、弱くて使えなかった。
ここで別の研究者が登場する。彼は教会で讃美歌集の栞がすぐ落ちてしまうことをみて、この接着剤のすぐ剥げることを逆手にとった。
栞につけてみると具合がいい。
その後すぐ剥げるメモ用紙として爆発的に売れたという。

セレンディピティが失敗作を大成功に導いたという例である。
多くの人はこの段階で話が完結したと思っている。
しかし、この例にはもっと重要なことが隠れている。
つまり、どうしたら(どういう環境なら)セレンディピティが生まれるかという問題である。

この舞台が3Mであったということだ。
3M社は、以前Minnesota Mining & Manufacturing Coといった。
名前の通り、ミネソタ州でコランダム(鋼玉)を採掘する会社として1902年に設立された。コランダムは砥石に使われる硬い鉱物である。しかし期待に反して品質が悪く、会社は採掘事業を止めて他に生きる道を求めた。

1914年 酸化アルミニウム(コランダムの主成分)を使ったサンドペーパーがヒット。
濡れた状態でも使えるようにと
1921年 耐水性サンドペーパーの発明
これが自動車のさび落とし、塗装落としに使われたことで、塗装に進出。
塗装したくない部分を一時的に覆うものが必要ということに気が付き、
1925 マスキングテープを開発した。

この粘着テープの技術、ノウハウから
1930 セロハンテープ
1931 接着剤
1945 ビニールテープ(絶縁用)
1960 サージカルテープ
1980 ポストイットと、次々と新製品を生み出す。

さらにサンドペーパーの延長に
1958 床磨きの不織布研磨材
1959 家庭用ナイロンたわし
研磨作業時のダスト吸引防止用に
1967 不織布防塵マスク

一方、サンドペーパーの粒子の研究(材質だけでなく形状も)の流れからは
1938 交通安全の反射シート
1947 磁気記録のオーディオテープ
1954 ビデオテープ
1950年代 オーバーヘッドプロジェクター
1992 液晶の輝度上昇フィルム
などを生み出していった。
(参考:田島慶三『世界の化学企業』東京化学同人)

つまり、もともとアイデアを商品に結び付ける会社だったのである。
ポストイットの発明は、S.シルバー(1941-) が1968年に作った接着剤を、1974年A.フライ (1931-)がセミナーで知ったことに始まる。

これはアクリル接着剤を微小な球体にしたもので、押しても粒はつぶれず(つまり広がらず)紙と接触するだけのものである。
ただ使い道が分からなかった。

ここで3Mの社風が効いてくる。
15%ルールというものがあり、彼らは本来の仕事と別なことを全体の15%だけしてもいいという決まりがあった。
Fry used 3M's officially sanctioned "permitted bootlegging" policy.
P.Henry (1992). “The Evolution of Useful Things.”

ここでbootlegというのは内緒の仕事というようなものである。
つまり、フライは本来の仕事とは別に、栞を固定するという自分のアイデアが使えるかどうか実験できる状況にあった。
セレンディピティは本来の仕事とは別に1割2割は別のこともやって良いという環境で生まれたのである。

2017年1月14日土曜日

カビ餅とコッホの培地

長野からもらってきた餅にカビが生えた。
暮れの30日についたものだから、16日経っている。おやつ用に大学に持ってきて冷蔵庫に入れっぱなしだったから気が付かなかった。
しかし捨てるわけにはいかない。
食べ物を捨てることと、家庭菜園の収穫物を無駄にすること(優先的に使わずにスーパーから買ってくること)には異常なほど抵抗感がある。

自然科学者として、「皆捨てるから」、「ふつう食べるものじゃないから」という理由は納得できない。学生時代、水野伝一先生が「私は床に落ちたパンでも平気です。汚いという意味を考えてください。」と言われたことをずっと心にとめている。

カビの美しい色というのは共役二重結合が伸びた化学物質ができていることを示す。これは肝臓で酸化されてエポキサイドができやすいから、大量に入れれば高分子と結合し肝炎、へたするとガンになる。
ただし私は動物実験からこのくらい食べても大丈夫だと思う。しかし、かび臭いので削ることにする。削っても白い菌糸は内部まで入っているが、これは毒性がないものと思われ、体内で繁殖することもないので食べる。

さて、この色鮮やかな斑点。
19世紀、ロベルト・コッホが、この餅と同じようにジャガイモの切れ端に生えた色鮮やかなカビを見た。その斑点1つが同じカビのコロニーになっていることに気が付き、固定培地を思いつく。日本の寒天を使った培地を工夫した。多種雑多な細菌の混合物でも希釈してここにまけば、別々のコロニーとなり、単一の細菌が得られる。

ライバルのパスツールが無菌培地に微生物が発生しないことを示した時にフラスコを使っていたように、当時は液体培地で実験していた。これでは病原菌の単離が難しい。ごく少量とって新たな培地に移し、繰り返すことにより純化できるかもしれないが、不可能に近い。
コッホの研究室から続々と病原菌が単離され、ノーベル賞受賞者のベーリング、エールリヒや北里など、多くの著名研究者が育った要因には、このかびたジャガイモがある。

固定培地の発見こそノーベル賞ものだが、誰もが目にするありふれた光景だから、賞にはしにくい。
しかし、これこそ偉大なセレンディピティの典型であろう。

『セレンディピティと近代医学』では、コッホが初めてジャガイモを使ったかのように書いてあるが、1872のJ.Schroeterが先である。しかしジャガイモでは栄養成分が変えられないから生える菌が限られる。コッホはゼラチン培地を考えたが、37度で溶けるばかりでなく、菌が増えても溶ける。

それを解決する寒天は、「オランダ領東インドに赴任していたある同僚の妻から教わった」(p51)とあるが、彼女はコッホ研にいたWalter.Hesseの妻である。彼女もコッホ研で実験助手をしていたからジャムやフルーツゼリーに使っていた寒天を教えられたのである。
彼女はアメリカで育ったドイツ人で、母親がアメリカでジャワで暮らしたオランダ人から教わったようだ。いずれにしても、ジャワからドイツまでは遠い。コッホは頭もよかっただろうが、運も良かった。


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2016年12月17日土曜日

ゴキブリホイホイのヒント


庭の掃除で紙切れを拾ったら、古い粘着テープ(紙)の切れ端だった。
裏を見てびっくり。
蟻がびっしり張り付いて死んでいた。


ゴキブリホイホイの出る前に、私がこれを見てあのようなものを商品化できただろうか。
自分にセレンディピティはあるか? 
反省する。


この蟻密度は、彼らがたまたま通りかかったのでなく、惹かれて集まったように思わせる。粘着剤の成分はニカワ、デキストリンなどらしい。


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