2022年5月27日金曜日

牛乳パックとクリアファイルで山芋クレバーパイプを作る

 桜の大木を切ったことから、日差しがもろに窓に当たるようになってしまった。

あの木の役割は、一時の花よりも古木として風格を家に与えたことだと思っている。
しかし家族にとっては、日陰で暑さを和らげてくれていたことのほうが大きい。

そこで緑のカーテンで日陰を作ることにした。ミニトマトとキウリは他の窓の前に植えた。そこで考えたのは山芋。家のあちこちに昨年こぼれたムカゴから若芽が出ている。
2022‐05‐26
ちょうど父の十三回忌で実家に帰ったとき、長野駅で乗り換えると長野電鉄が副業として改札口で野菜を売っていた。ここは農家直送、自家製おやきや味噌漬けなども売っており、以前泥付きネギを買ったことがあった。今回も長い待ち時間に覗くと松代産ヤマイモの種芋があった。
5月21日購入

今までは台所の生ごみ(山芋の皮)から出たものを適当に放置、
日陰で育つこともあり通路の塀際に植えていたものだから、物理的に狭くてうまく掘れなかった。
しかし、今回立派な種芋を買ったので、緑のカーテンにするだけでなく、きちんと芋を取るように育てようと思った。

ヤマイモを育てるには、掘るのが楽なようにクレバーパイプというものが売っている。


タキイネット通販の公式サイトから

要するに浅く斜めに誘導し、深く掘らなくても済むためのパイプだ。

しかしこれを買う気になれなかった。
第一に高い。

アマゾンだと10本で4929円もする。

種芋は5つ、5本だと送料かかり3000円近くになる。

第2に、(これが大きい理由だが)芋がうまくカップに入らないかもしれない。
普通の種芋は、前年のムカゴが春に発芽、秋に10センチくらいになったものを使う。
これは上部が細くなっていて、芋は「浅首」と呼ばれる肩のあたりの発芽点からまっすぐ下に伸びていく。
いっぽう通常の根はカップと種芋の間に広がるから、種芋はカップから15センチ離す。

これだと芋となる根が上手くパイプに入ってくれるだろうか?
とくに長野駅で買った種芋はむかごから作ったものではなく、大きな芋を輪切りにしたもので、どこが発芽点か分からない。

そこで、自分でクレバーパイプを作ることにした。
雨どいに受け皿を付ければいいのだが、そんなものはない。
次に思いついたのはデパートなどの入り口に置いてある傘入れのビニール袋。
しかし受け皿をどうするか? 接続部分は?

家の中を見回すと、定年退職して書類を整理した人なら大量に廃棄するクリアファイルがあった。

これを使おう。
筒の部分は牛乳パックが使えないか?
2022‐05‐26 7:09
クリアファイルは縦の部分にハサミを入れ、長辺が2倍となったシートを作る。
そしてそれを筒にして、片方を開いて受け皿にする。

牛乳パックの中に通すと、クリアファイルが筒状の形で維持され、されに補強された。
ガムテープで固定してないので、現場で牛乳パックの位置を変えれば、受け皿部分の広がりを自由に変えられる。

9:28
埋めてみた。
筒の中に土を入れてから埋めたほうが良いと分かった。
筒の一方をビニール袋などで塞ぐべきだった。
今回は現場で気づいたので応急処置として苗用ポットをはめて手で押さえながら土をいれた。

9:39
見た感じでは市販のクレバーパイプより芋が入って行き易そうだ。
牛乳パックが4つしかなかったので、クリアファイルの筒は4本並べた。
残った種芋一つは比較のためビニールの肥料袋に埋めてみた。

さて、秋にどうなっているか?
何やら鰻の仕掛けを沈めた気分である。大物が入っているだろうか?
掘っている私は66歳になっているはずだ。
今は毎日庭仕事だけで過ごしているが、いい仕事は見つかっているだろうか?


別ブログ

2022年5月21日土曜日

トウモロコシと落花生を混ぜて植える、立体栽培


2022‐05‐19 5:55
寝室からの眺め
寝たきりになったらこの景色を毎日見る。
様々な野菜の一番向こうに桜を見るはずだったが、なくなってしまった。

2022‐05-17
桜の切り株は掘り出せず、腐らせるために土を盛った。
しかし、土が足りず、株の真上は土が浅い。雨で流れてしまうかもしれない。

05-19 7:22
そこで、株の部分だけ区切って土を盛った。
ギアナ高地のようになった株の上も利用可能になった。
土の厚さは10~20センチくらいか。
支柱を必要とするナス科はダメだ。根が横に広がるものがいい。
水はけが良すぎるから乾燥に強いネギかな?

05‐19 11:37
そのネギ(左)はいま雨の当たらない乾燥した軒下に植えてある。
ここはネギくらいしか植えられない。
右はキウリのネット。

ギアナ高地の上も、利用できるめどが立ったが、下にカボチャやサツマイモを植えて、弦を上に這わせるのもよい。これならテーブルマウンテンの斜面を立体的に使える。

05‐19 11:37
キャベツはヨトウムシに少し食べられたが順調。
右のスナップエンドウ、ホウレンソウはほぼ終わり。今種をとるため生かしている。

寝室(右)の前はミニトマト、ナス、手前がジャガイモ
左はトウモロコシ(向こう)、枝豆。

ほとんどが自家採取の種をまいて発芽させたから苗が余っている。
しかし植える場所がない。
ここでも立体的な土地利用を考える。

落花生は地面を這い、7月ころから繁茂していく。
一方トウモロコシは上に伸び、7月に収穫する。
ひょろひょろ細いから落花生の光合成を邪魔しないのではないか?
両方とも30センチ間隔で植えるから、余ったトウモロコシを落花生のあいだに、一緒に植えてみた。

また、トウモロコシだけ植わっている区画は、やはりトウモロコシの光合成を邪魔しないもの、背が低いサニーレタスなどの種を株の間にまいても面白い。どうせ雑草が間に生えるなら、食べられるものを生やしたい。
これらがうまくいったら来年からは土地が2倍使えることになる。


2022年5月18日水曜日

桜伐採の後始末2、好太王碑

2022‐05-02 11:43
4月19日から3日間かけて伐採された桜の巨木。
芳樹園さんは切り株は取り除いてくれなかった。
(作業量の見当がつかないほど、難しいらしい)

放置すればシロアリが来るかもしれないから何とかしなくてはならない。
それに取り除けば他の木や野菜を植えられる。
それで翌日からひとまず周囲の密集した根を掘り始めた。
チェーンソーが届いた4月28日からは、株の切り出しに着手した。(前のブログ)

2022‐05-02 14:53
ゴールデンウィークはどこにも行かず、作業が進む。
といっても定年退職したのだから、サンデー毎日、いつでもできる。
時間だけはたっぷりある。

芳樹園、高辻さんは、モミジや巨木ザクロを伐採した後、私が放置された切り株を自力で掘り出したことを知っている。
最終日、「ひょっとしたら、旦那さん(彼は私のことをこう呼ぶ)、切り株を時間かけて掘り出しちゃうかもしれませんね」とニヤニヤしながら帰られた。

そう、毎日少しずつでも切り株を削るように小さくしていけば、増えることはないのだから、いつかはなくなるはずである。

それに始めて見て分かったが、楽しい。
ただの穴掘りも好きだが、それとは比較にならないほど楽しい。
頑張れば頑張るほど(切り株はなかなか小さくならないが)四方にはびこる根は片付き、その分、野菜を植えるスペースが広がるからだ。

奈良時代初期まで、農地は国有だった(口分田)が、農業生産を上げるため、荒れ地などを開墾したら私有化してよいという三世一身の法、墾田永年私財法ができた。そこで貴族や大寺院がこぞって荘園開発に乗り出し、律令制が崩れたわけだが、そのエネルギーは大変なものだった。

スケールは全然違うが、千駄木菜園でも土を掘るだけで新たな土地が増えるというのはとてつもないエネルギーを生む。座布団1枚でも耕地が広がればうれしいのだ。
そのための労力は惜しまない。
今までの勉強や遊び、恋愛、仕事と比べても、かける情熱は相当なものだ。
それが定年退職と重なった。

毎日、切り株や根っこを見ているから頭に形が入ってしまい、ふろに入っているとき、布団に入ったとき、食事、電車、ダンスの練習のときでも根の形が浮かんでくる。
あの根を切るにはこちらの根を先に切ったほうがいいな、
あの出っ張っている部分はチェーンソーで切れないだろうか・・・・・
最近風呂が長くなったと妻に言われた。

05-07 7:02
チェーンソーは音が大きいので早朝は手掘りが中心。
前日切った丸太を取り除くと(上の写真)、
その下にさらに新たな丸太が出現(下の写真)。
2022-05-09 7:44
ワニのような太い根

2022-05-09
ワニの根は北に延び、家に向かっていた。
その下にさらに太い根。

2022-05-09
ワニの根は死んでいて一部がボロボロになっていた。

2022-05-10
地上1メートルの高さで幹回り3メートルだった堂々たる文京区保護樹木。
切るとき取りはずした表示板が藪の中から出てきた。

2022-05-10
セミの幼虫がいた。
昨年夏、リモート会議のとき「うるさい」と言われたほどセミが鳴いていた。彼らにとってサクラが全世界だったのに、それがなくなった。ヒキガエルとともに彼らの住まいを奪ったのは申し訳ない。

2022‐05-11  6:49
株の北側はこれで終わり。
幹の下は寸胴になっているが、死んでいた。
しかしボロボロ崩れるのは外側のごく一部だけで、これ以上は掘れない。
太い根はどんどん死んでいき、新しい根は順にその上から出ていくようだ。

2022‐05-12  6:10
株の西側に着手

05-12  10:35
この日はこれを切っただけで終わった。
チェーンソーは木が太いと極端に難儀する。
最初のころは怖かったから取扱説明書にあるように保護メガネ、軍手をしていたが、慣れるに従いメガネなし、素手、そして力が入ってくると顔がいつの間にか切り口、すなわちノコギリのそばまで近づいている。なにかの反動で刃がこちらにはねたりしたら大けがするだろう。

05-13  8:32
この日は雨なので作業せず。2枚前の写真(前日の朝)と比較するため撮った。
まるまる1日やっても進展はわずか。
傘を差しながら眺め、切れそうな出っぱりを探す。

2022-05‐13 13:14
昼は歩いて本郷通りのふじ芳にいく。
海鮮五色丼は刺身が普通の店の2倍ほどあって800円か850円。

食後、ついでに東洋文庫美術館まで足を延ばす。
入るのは3回目だが、今回はいつも見る江戸の地図の隣に好太王碑の拓本があった。
実物大という大きさに驚いた。

百済・新羅はもと高句麗の朝貢国であったにもかかわらず、倭軍が侵略してこれらを臣民としたために、現状回復したという高句麗王をたたえた内容である。
しかし韓国では日韓併合のはるか前に日本が半島を支配した歴史が面白くないため、主語を変えて〈新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が辛卯年(391年)に来たので(高句麗は)海を渡って(倭を)破り、新羅を救って臣民とした。〉という説が主流らしい。

雨が続き作業がすすまない。
05-17  7:10
曇りという天気予報だったので作業開始。

05-17  10:56
時折小雨の中、西側終了。
上の写真と比べて株の近くはほとんど切れないことが分かる。

05-17  12:51
南側、太い根を1本切断、2本目にかかる。

作業は足場が悪いからたいてい片足に全体重がかかり、しかも足を曲げているから太ももが疲れる。チェーンソーを持つ腕もノコギリ部分を押し続けるからくたくたになる。当然腰も痛い。

しかし作業はやめない。

05-17  13:52
南側は半島のように出っ張った根の集合体が難物。

腹が減ったな、と思ったら15時近く。朝7時から働き通し。
飲まず食わず、休憩なし、トイレにもいかない。
そのくらい切り株崩しは夢中になる。

ここで断念した。
幹の太さまで周囲を切り整えたかったが、幹の近くは根が融合して塊となっていて切除不能、これ以上無理だった。

あとは土をかけて株を腐らせることにした。

05-17  15:08
土を盛ったらますます桜のお墓のようになった。

昼飯はまだだったが、空腹を通り過ぎた。
しかしトイレに行きたくなったので朝以来の長靴をやっと脱ぎ、足を洗った。


2022年5月14日土曜日

65歳からの職探し(6)ベーカリー

(注意:このブログは自分の記録なので長文御免)

パート従業員というのは正社員と違って、仕事内容は単純でも即戦力が求められる。いきなり一人前を目指さなくてはならない。それが未経験の職種だと、老人にとっては難しい。かなり才能が必要だ。

パンを焼いてみたいと思った。

そば打ち職人のほうが似合うと言われたが、蕎麦よりパンのほうが好きだ。それに作るにあたって蕎麦というシンプルな完成した形を目指すより、いろんな形、味、新作のあるパンのほうが変化があって面白そうだった。

タウンワークで駅構内のベーカリーがアルバイト、パートを募集していた。
年齢不問、時給1050円。未経験者でも丁寧に教えてくれるという。
3月4日応募、翌日面接。

店は非常に狭かった。
美味しそうなパンが並びイートインもできる店舗部分と、整形したり焼いたりする調理室部分、それから控室にもなっている事務所部分は床の高さが違い、おそらく駅の改修に伴い何度も増設拡張したのではなかろうか?

面接した事務所は畳を縦に3枚くらい並べた廊下みたいなところで、PCをするため座れば後ろが通れないほど。一番奥はカーテンで仕切れる更衣室部分だが、電話ボックス程度しかない。その手前で昼食休憩できるスペースも一人程度。

「なんで応募されたのですか?」と人のよさそうな店長は30代か40代の男性。
「一度パンを焼いてみたかったのです」と正直に答える。

後日採用の電話をもらった。
「皆に聞いてみたら“仲間としてやっていきましょう”ということでしたので、ぜひお願いします」という、なんとなくうれしい話だった。
チームワークが大事な職場のようだ。
3月16日免許証、銀行通帳を持参して雇用契約を結ぶ。

4月7日初出勤。
言われた通り上履きと黒ズボン持参。
6時から9時までの3時間、
15分前の5:45に到着。

しばらくすると店長も出社。
店長から渡された横縞のTシャツはLでぶかぶか。
エプロンの紐の締め方が分からず聞く。頭髪をしっかり不織布ネットで覆い、さらに帽子をかぶる。鏡を見るとやはりTシャツが大きすぎてひどい恰好。まあ、どうせ老人の初心者だし、気にしない。

調理室に行く。
泡石鹸で手を洗いペーパータオルで拭いてからアルコール消毒、そのあとビニール手袋。かつて実験室で使っていた手術用手袋より使いやすい。銘柄の差なのか、この20年の進歩なのか、どちらだろう?

調理室はただでさえ狭いのに、ここでいろんなことをする。
1.工場から運ばれてきた生地を小分け、整形し(中に具材のあるものは入れる)、お盆(鉄皿)に並べて膨らませる(発酵)。この過程が2~3人(とんかつなど揚げ物もする)。
2.発酵が終わり、お盆に乗ったパンにトッピングして焼くのが一人
3.サンドイッチなど調理パンのところが一人

店長は2のトッピングして焼くところ、すなわち窯のすぐ横にいき、仕事をしながら丁寧に教えてくれた。

すぐ後ろのラックから、1で作られたお盆をとる。
「そら豆ベーコンロール」の台の部分が16個乗っている。ここにいろんなものをトッピングするのだ。順に、
1.ベーコン3枚、
2.ブラックペッパーマヨネーズ3筋(何グラムか忘れた)、
3.チーズ8グラム、これがどのくらいの分量か、引き出しから電子測りを出し、ペーパータオルの上でひねり出し測って見せてくれた。
4.そら豆28グラム。これはボールに入っているのを16等分すれば良いから量はわかりやすい。焼いたときこぼれ落ちないように、どの豆も下のチーズにくっつくよう平たく盛るのがコツ。

ここまでやったら、空のお盆に半分移し、窯に入れるときの8個ずつ2盆にして、いったんラックに置く。
ラック一段の高さはぎりぎりで、トッピングしたものが上のお盆の底につかないか、心配。

次にオニオンベーコンロール。
これはそら豆ベーコンと同じ温度、時間で焼く。だから、同時に準備する。
1.角切りベーコン7グラム
2.チーズ11グラム
3.玉ねぎ8グラム。
4.マヨネーズ。
マヨネーズは業務用の細長いビニール袋に入っているから、ハサミで隅をほんの少し切る。切ったビニール小片がごみ箱に確実に捨てられたことを確認すること。パンの中に入ったら大変。お客さんの口に入ったらもちろん問題だが、窯で燃えたら他のパンにもにおいが付くだろう。
マヨネーズをパンの上に絞りだすときは、力加減と動かすスピードで分量(筋の太さ)が決まる。乳しぼりの手つきで持つとやりやすい。

必死にメモしながら、一緒にやらせてもらったが、ここで求められるのは当然ながらスピードと正確さ。チーズやスライスした玉ねぎなど、うまく乗らずこぼれ落ちてしまう。そのまま焼けばトッピングが少なくなるだけでなく、下の鉄のお盆が焼け焦げて後の掃除が大変。

戦場のような忙しさに拍車をかけるのが、ひっきりなしに鳴る窯のブザー音。
窯は3つあり、縦に積み上げられている。鳴ったらすぐ出さないと余熱で焦げてしまう。素早く皮のミトンの手袋をはめ、取り出す。窯一つにはお盆4枚が入り、奥の二つは手が届かないから鉄のひっかけ棒で手前まで引き寄せてから出す。

アツアツのお盆は、出したらテーブルに叩きつけてパンにショックを与える。こうしないとしぼむらしい。しかしパイなどは叩かなくてもいい。

そのまま完成品というパンもあるが、仕上げに何かを塗る。
1.追加バター(塩バターパン、ガーリックバターパンなど)
2.オリーブオイル(そら豆ベーコンロール、フォカッチャなど)、
3.ジャムウォッシュ(アップルパイ、ダークチェリーなど)
熱いうちに塗らないと伸びないからここでもスピードが求められる。かといって乱暴にすると塗り残し、ムラができてしまうし、宇治抹茶デニッシュやそら豆ロールは、豆が取れてしまう。

ここで問題は窯から出すお盆の置き場所がないことだ。
すなわち、それまでバタバタとトッピングしていたテーブルを使うしかない。トッピングが途中であってもブザーが鳴れば、お盆をラックにいったん避難する。

食パンが焼けた時は、テーブルにゴム板を敷いて、そこに金属の型箱ごと落としてショックで中のパンを箱から剥がし、竹で編んだお盆の上にスポっと落とすように出す。
一つの窯から直方体の金属箱が6本出てくるから、これを急いで6回やらないと後のほうの食パンが焦げてしまう。

窯が空いたらすぐ、トッピングが終わっているお盆をラックから取り、入れる。窯の上火温度、下火温度、時間を設定しスタートボタンを押す。パンによってはスチームを1回か2回かける。店長は数多くあるパンの焼く条件をすべて覚えており、温度設定の操作も素早くてメモする暇もない。

6時から9時まであっという間の3時間だった。

帰宅して朝昼兼用の食事。

ダンスのレッスンを受けるときと同じく、A4の紙を小さく3回折りたたんだメモ用紙(裏表でメモ面16ページできる)を持っていったが、バターだかマヨネーズだか、あるいは鉄容器の焦げた油だか、染みとしわでボロボロ、メモも単語のみの走り書きが多くてよくわからない。

思い出しながら小さいノートに清書した。エプロンのポケットに入る大きさのノートを捨てずにとっておいてよかった。
1ページにパン1つ。
蜂蜜エトランゼとかクイニーアマンとか、メモにあるパンの名前を見てもどんなパンだったか思い出せない。公式サイトに商品一覧があるが、完成品からトッピング中のパンの形が連想できない。

2回目は4月10日。

また店長について教わる。
各パンの焼き温度設定(上、下、時間)、焼成条件(塗り玉、蒸気)などを書いた一覧表をもらった。2022年4月度のもので、パンは全部で46個あった。4月1日新発売のものはコーンロール、窯出しフロマージュなど7つあった。こんなに覚えられるのだろうか。

前回と同様にトッピングをいっしょにやる一方、窯にお盆を入れたり出したりすることもやらせてもらった。熱い窯の底や壁を触らないようにしてお盆を入れ、3枚目、4枚目で先に入れた2枚のお盆を押し込む。
温度設定の操作が意外と難しい。
例えば190度から210度に変更するとき、表示と設定のタッチボタンの位置が微妙にずれているため、慌ててやると桁を常に間違えて動かしてしまう。これは単純に操作パネルの設計ミスだろう。

ブザーが鳴ってお盆を出すときは、もちろんスピードが大事。忙しい時はミトンでなく軍手のまま触ることがあるが、熱くてほんの少しの時間しか持てない。

食パンを金属ケースから取り出しているとき、やけどした。
触れないように万全の注意を払っているから、指や手のひらはやけどしない。しかし急いでいろんな操作をしていると、ひとまず脇に置いた金属ケースや鉄のお盆に手や肘などが触れてしまうのである。

若いころ実験室で乾熱滅菌したときなど熱いものに触れたことはあった。そのときは流しに行って流水をかけ続けたものだが、ここはそんなことをする余裕はなく、黙って仕事を続けるしかなかった。家に帰ってみると火ぶくれができていた。その後もこうした接触事故は起き、4か所やけどした。不思議とすべて右手の手首のすぐ上だった。

温度設定をするときにいちいちメモを見ていては話しにならない。何とか暗記しなくてはならないが、50個近いパンの温度、時間は、190、200、210度とか、9分、11分とか、みな似たような数字で覚えられるのだろうか?

この日は「最初は短期間でなるべく長く働いたほうが覚えやすいです」と店長の心配りで11時まで働いた。しかし空腹も感じず、あっという間だった。

帰宅後、もらったリストを見るが、トッピングは書いてないし、暗記しづらいのでエクセルで自分用の表を作った。そこには公式サイトからパンの画像をコピーして貼り付けた。ぱっと目的のパンに目が行くようにとの工夫だった。

3回目は4月12日。

トッピングしていると店舗のほうから店長が呼ばれ、皆でなにやらパンを見ている。塗り玉が雑で塗ってない部分があるらしい。たぶん私が塗ったのだろう。5つか6つ、除外していた。捨てるのだろうか? 戻ってきた店長は何も言わなかったから私も黙っていた。

10時になるとSさん(以下、仮名)という若い女性が出勤してきた。代わりに店長が上がり、事務室のほうに行かれた。Sさんは明るくていろいろ教えてくれながら冗談を言うが、こちらは冗談で返す余裕がない。
「はい、これは何のパンでしょう?」
「上火、下火は何度ですか?」
色々質問してくれる。そのたびに皺くちゃの、油まみれになったエクセル表をポケットから出す。しかし50ほどのパンをA4用紙2枚にまとめたからすぐ見つからない。

焼く温度は店長とSさんとでは微妙に違っていた。
そのことを言うと、彼女はポケットから大きな単語帳のようなカードを出した。パン1つにカード1枚、トッピングから温度まで可愛らしい字で書いてある。こういうベテランの人もきちんと勉強されているのだな、と感心した。

キャラメルキャンディーチップなどトッピングの分量の目安を教えてくれるときは、ペーパータオルの上に出して測ったら捨てるのでなく、パンをはかりに乗せて増えた分を見るとか、逆にミルククリームなどはチューブの重さを測って、トッピングした後の減り分から重量の目安を教えてくださった。

11時になって上がると店長が小さなチョコをくれた。
「今が一番大変な時です。私も最初はつらかったです。頑張ってください」と励まされた。

帰宅後、この日も紙にメモしたことをエクセルに書き加えていく。
すぐ目的のパンを見つけるには表をどのように並べたらいいのだろうか。最初にもらったリストはあいうえお順だが、メロンパンは「とびっきりメロンパン」の場所だし、クイニーアマンは「種子島産粗糖のクイニーアマン」のところにあって見つけられない。
そこで、朝からトッピングした順に並べてみた。
追加の書き込みと並べ替えはエクセルの得意とするところだ。

4回目は4月14日。

10時になったとき、仕込みの従業員の方が店長に「小林さんは10時ということでしたよね?昨日そう言いましたよね?」とおっしゃっているような気がする。どうも邪魔になっているのかもしれない。この日は11時ではなく10時で上がった。

帰宅後、また油だらけ、ぼろぼろ、殴り書きのメモとエクセル表を見ながら、PCのエクセル表を更新していく。
そして温度ごとに並べ替えてみたり、菓子パン系、フランスパン系、パイ系と分類して焼き方(温度やスチームのあるなし)の法則性を探してみたりした。

5回目は4月21日

このころは、出勤したら6時前であっても手を洗って窯の前に出るようになっていた。すでに6時前から数人が働き始めていて、仕込みのAさんがトッピングと窯のほうもやっていらした。
エクセル表を2枚、壁に貼ってもいいかと聞き、家から持ってきたマグネットで貼った。こうすればポケットから出す必要はないし、すでに書いてあるパンの場所にメモを追加することもできる。
彼女は無駄口をたたかず、あまり笑顔も見せてくれないから、緊張しながらトッピングを始めた。まだ出していない材料を冷蔵庫から出してくるのだが、なかなか場所を覚えられないからいちいち聞かねばならない。

そうこうしているうちに店長がいらしたが、窯場を素通りして仕込みのほうに行かれた。ベテランの従業員に教わりながら仕込みをされるようだ。
え?
私はどうなるの?と思ったら9時ころUさんが代わりに窯場にいらした。

彼女は素晴らしい指導者だった。
「温度を覚えるときは基準となるパン、例えばショコラ―ロール、コーンロールなど200‐200を覚えて、アップルレーズン、シナモンレーズンなど菓子パンは200‐190と少し低いです。時間も大抵10分以内です。
金型に入ったデンマークソーセージドックやシリコンの器に入った窯出しフロマージュは、下火を少し高くした200‐210、
一方、ミルクフランスやパニーニ・カスクート、塩パン、塩バターパンなどフランスパン系は210‐210と高いです。
食パンはケースに入っているから高温で時間を長く、LMは200‐220度、38分、イギリス食パンは上が開いているので焦げないように上火を低く、190‐220度、40分です」
理論的に教えてもらえると助かる。
若くないから、何か工夫しないと記憶できない。

彼女はトッピングも「玉ねぎを乗せるときは右手で大体の一回分の量を取り、左手でガードしながら乗せるとこぼれません」
「焼き上がったパンを移すときは一つずつじゃなく、二つ一度にもってください。こうやって持つと形がつぶれません」
「塗り玉は「の」の字を書くように、真ん中を上から下にひいて、そこから左側の側面を向こう側に上がり、まわって右側面を降ろしてくれば、3回の動きでまんべんなく塗れます」

髪をすっぽり覆う不織布カバーと、マスクとで顔はよくわからないが、知的な目をみれば、おそらく美人だと思われた。

この日はまたやけどした。しかし誰にも言えない。

急いで窯から出すときお盆がテーブルに当たり、パンをひっくり返しそうになった。
床に焼き立てパンが散乱することを思うとぞっとする。
「ヒヤッとするのが3回あれば4回目は重大事故」ということわざを思い出す。

そもそも
1.狭いところで
2.複雑な作業を
3.急いでやる
というから、事故はいつ起きても不思議はなかった。

パンは規定通り焼けばいいというものでもなく、窯から出したとき焼きが足りなければ1,2分追加したり、時間が違う二種類のパンを一度に入れ、手前の片方だけ先に出したり、というテクニックも必要とする。

一番難しいのは、窯を遊ばせないように、3つある窯の残り時間を見ながら、次に入れるパンを決めること。
設定温度が違うと窯が新しい温度になるまで入れられないが、同じパンだとそのまま入れられる。Uさんは上の窯は上火が高いもの、中の窯は型に入ったものなど下火が高いもの、下の窯は200-190の菓子パンに決めているようだった。

焼いている間、次のパンの準備をするわけだが、トッピングに時間がかかるパンだと間に合わないばかりか、窯から出すときにテーブルを空けなくてはならないから、作業を中断しなくてはならない。
もちろん仕込み部門から出てくる順番もあり、余り放置すると乾いてしまう(その時は水スプレー)、また遅れると発酵が進み膨れすぎ、ナイフで切れ目を入れるとき感覚が変わってしまう。

一瞬でこうした判断が自分にできるだろうか、と5回目が終わっても心配になってきた。

温度やトッピングは8割くらい覚えた。電車の中でもメモを取り出して覚えた。暗記するなんて大学受験以来ではなかろうか。もう47年前だ。
しかし80点ではダメなのである。90点でもだめ、100点でなくてはならない。
それも瞬時に出なくてはいけない。「ハイジの白パンは蜂蜜エトランゼと同じだから・・・」などと考える暇はない。

そして実験なら失敗してもやり直せるが、チームワークでパンを焼いている場合、やり直しがきかない。失敗が怖くて、記憶がたぶん大丈夫と思ってもどうしてもメモを再確認したくなってしまう。気軽なパートと思ったが、怖い仕事だと思った。

6回目は4月24日。

この日は以前1時間一緒にやったSさんと一緒だった。
Sさんも丁寧に教えてくれるが
「それは前回、一緒にやったよね?」
「このパンはさっきやったよ。もう忘れたの?」
老人はこんなものなんだよ、とは言えない。

業務用マヨネーズがなくなったので新しいものを出してきてハサミで隅を切った。すでに何度もやっているのだが、急いでいたし老眼で見にくかったのか、大きく切りすぎた。
「あーあ」と言われてしまった。
彼女は忙しいのにちょうど空いていた窯をあけ、底の熱い金属部分に切れた部分を当てた。ビニールを焼き溶かして封じるのだ。
それを見ながら、もう私にベーカリーは無理なのではないか、と思った。

このあと、またやけどした。4回目。
もちろん誰にも気づかれないようにした。
Sさんも優秀で優しい人だろうが、やはり私にはイライラしただろう。

トッピングを続けながら、きょう終わったら「やっぱり、できません」と申し出ようと決めた。
この瞬間に思ったのではなく、数日前から考え、迷っていたことだ。

自分でパンを焼いてみたいと思ったのではなかったか? 
まだ自分で焼いたパンを食べていないではないか。
ここまで覚えたのにもったいない、とは思ったが、6回やってみて、戦力になるまでの道が遠いことが分かり、皆の迷惑になるのが嫌だった。

数日ずっと迷っていたことを決めたらすっきりした。

窯のブザーが鳴った。
取り出す準備をしなくてはならないが、あれ?この窯は何を焼いていたんだっけ?
思い出せない。
塩クルミパンと塩パンだった。
店舗側のラックに入れながら「焼き立てでーす」と声を出した。

ほんのわずかな空き時間で使用済みのお盆を掃除して片付けていく。
拭き方が雑だとSさんの指導を受けたが、もうやめると決めたら何を言われても気にならなくなった。あと1時間だ。

11時。
お疲れさまでした、とSさんに言って事務室にいく。

店長はパソコンで何かを打ち込んでいた。
「店長、やっぱり私には無理なようです。今までの給料もいりませんから、やめさせてください」
彼はびっくりしたようで手を止めてこちらを見た。
「せっかくここまで覚えたのに、ここでやめるのはもったいないですよ・・・
 3か月、せめて1か月続けてみませんか・・・
 あのエクセルの表は本部から来たバイザーが感心してましたよ・・・」

こちらの決意は固かったが、彼の引き留めも本気だった。

横で休憩していたAさんも
「せめてシフトに入っている5月の前半までやってみませんか?」という。
彼女は仕事のできる人で、私のような老人初心者を邪魔に感じていたのではないかと内心思っていたから意外だった。

しかしこちらもいったん言い出したら、「じゃあ、もう少しやります」とは言えない。
「みんなの迷惑になってしまいます」と言って押し切った。

店長もUさんもSさんもみんな優秀で優しかった。
私なら初心者に対し、これほど親切にすることはないだろう。感謝しかない。

この日、4月24日の夜は、団子坂下のダ・イシザキにいった。
子供たちが私の退職祝いの食事会を開いてくれたのである。
もちろんこの日の退職ではなく、3月末の定年退職のほうである。
雑談としてベーカリーのパートに挑戦したことを話した。
「へー、面白そうだね」
「えっ? もうやめたの?」
外で見る店の華やかさ、パンのおいしさと、実際の仕事の大変さとのギャップをいうと
「何でもできる、って豪語していたお父さんらしくない」
「私たちがそうしたら、簡単に辞めるな、って絶対怒るよね」
やけどの跡を見せ、難しかったこと苦労したことなど話すと
「そこまで頑張ったなら、今から謝って、もう一度働かせてもらいなよ」

しかしやってみて、無理だと私が一番分かっている。

学生時代のアルバイトから65歳の定年退職まで、自分には一番難しい仕事だった。
大学を出たあと、企業研究所の32年、大学の9年、合計41年間はなんと楽な仕事で恵まれていたことだろう。
幸運だった。
世の中の仕事の多くは大変さと給料が釣り合っていない。

5月7日。
夕方、たまたまこの駅で降りた時、外から店内をそっと覗いた。
店内にいる従業員は高校生か大学生のバイトのようで見たことない人ばかりだった。奥の厨房が少しだけ見えたが、大きなごみ袋があの狭い通路に置いてあり、誰もいないようだった。
右手を見ると、やけどの傷は癒えていた。


(2022-05-25 追記)
2022‐05‐21 8:50
法事で実家に行った。
長野駅で長野電鉄に乗り換える途中にベーカリーの神戸屋がある。
さすが信州、手打ちそばの実演のように、パンの生地をつくるところがガラス張りで通りから見えるようになっていた。左の人はパイ生地を作っているようで、麺棒の動かし方がまさにそば打ちと同じだった。
1か月前の体験を思い出しながら見ていると彼女が会釈してくれた。
もう少し続けるべきだっただろうか。

2022年5月3日火曜日

桜伐採の後始末、根の除去はライフワーク?

 

2022-04-21
4月19日から21日にかけて桜の巨木を伐採した。
無事、木がなくなったが、これで終わったわけでない。
根が生きているとまだ土台を押すかもしれないから気持ち悪い。
死んだとしてもシロアリの心配がある。

そこで根、株をできるだけ掘り出す。
まず、東側の通路。家と塀の狭い間を根が走っている。

2022-04-23
死んだ根が多い。
しかし枝が死ぬことはあまりない。
これは、根と葉っぱ(枝)が対応しているからではなかろうか?
すなわち2012年以来、強剪定を重ね、大枝を落としてきた。
根は栄養をもらう枝が決まっていて、それが切られると根も枯れてしまうのではなかろうか。

生きている根からはひこばえが出ている。

ひこばえを残せないだろうか?
親株は切られたが、その子が生きていれば、我々の気持ちも少しは安らぐ。
ひこばえの両側に伸びる根を切断して短くし、育てることにした。

2022-04-23
この狭い東側の通路(しかも土台側だけ)に走っていた根っこ

東側の通路で根の除去が終了、歩き道が完成した。
桜がなくなってアジサイ、夏ミカンに日が当たるようになった。
悪いことばかりではない。

しかし日が当たると家が暑くなる。
特に南側が問題なので日よけにキウリとミニトマトを植えることにした。
日よけ野菜と家の間を歩行通路にするため、その部分の根を掘った。
うんと深いところはシロアリも行けないだろうと、適当な深さの根だけ除いたが、それでも狭いところに根が何本も並行して走っていた。
4月30日、作業終了。夕方、苗を植えた。

2022-05-02
土台と苗の間の狭いところにこれだけ根っこがあった。

家の土台の周囲と並行して、根株の除去も開始した。
最初植木屋さんに頼んだが、朽ち果てるまで待ったほうがいいと断られたほどの難工事。
人力では無理なので、チェーンソーを買った。
ネット(ヨドバシカメラ)で10,920 円。
4月25日朝注文したらその日についた。そんなに早くなくてもいいのに。

2022‐04‐28 9:25
初めてスイッチ入れるときは緊張した。
素晴らしい切れ味だが、音が大きい。
しかし死んだ根を切って線維が刃にくっついたのか、すぐに切れなくなってしまった。

2022‐04‐28 11:15
結局この日はこの塊を切って終わり。

チェーンソーオイルがなくなっていた。
油が切れたから余計に線維がくっついたのだろうか?
オイルをヨドバシカメラに追加注文。

2022-05-02 11:43
木の塊を切り出すのは大変なので、株の周りをきれいにすることにした。すなわち四方八方に放射する根っこを切っていく。こうすれば株があっても周囲に野菜などを植えることができる。しかし根の間には土、石が食い込んでいて穴掘りが必要なため大変な作業。

2022-05-02  14:53
前の写真との違いが分かるだろうか?
この日はこの根を切っただけで終わった。

「青の洞門」が思い浮かぶ。
地道に少しずつやっていけばいつかは除去できるだろう。
毎日が日曜日、確かに、やろうと思えばできる。
実際毎日やっている。(意外と面白い)
しかし、定年後の貴重な時間を、こんなことに使っていて、いいのだろうか。


別ブログ

2022年5月1日日曜日

退職して野菜つくり、次々と発芽

3月31日、65歳の定年退職。

ヒトと会うこともなくなり、庭の野菜もじっと見るようになった。

2022‐04‐06
ウルイは日陰でも育つのであちこちに植えてある。
しかし職場に行くこともないので差し上げる人もいない。
今年は自分でも食べなかった。

2022-04-11 エンドウ収穫
退職記念に和田さんにいただいたハサミの切れ味がすごい。
長年使っているハサミは堅いものは切れるけど、柔らかいものはイマイチだった。
しかしこれは触れただけで切れる。誤って紐まで切れてしまった。

2022-04-11
トウモロコシ発芽
トウモロコシは2018、2019は市販苗を植えたが、数多く植えないと受粉しにくい。
大量に苗を確保するために、前年の実を保存、種から育てている。今年で種まきは3年目。

2022-04-11
枝豆、落花生を種まきする場所がないので、地中保存していた大根を掘り出す。

2022-04-25
巨大なホウレンソウとトウ立ちしたレタス。

3月中はトウ立ちする白菜、大根を必死に消費していたため、ホウレンソウを食べるのが遅れ、トウ立ちし巨大化した。巨大化すると1株からトウが何本も出る。
同様にサニーレタスは巨大化しないもののトウ立ちした(一番右端が普通のレタス)。

2022-04-26
スナップエンドウは毎日収穫しなくてはならないほど生った。
2017年から6回目だが、最高の出来。
収穫が面倒で大変、という家庭菜園では珍しいほどの豊作。
今までは炒め物に入れていたが、消費しきれないので茹ででおやつにも食べている。

2022-04-26
トウモロコシを30センチx30センチで定植。
割り当てたスペースは21本でいっぱいになったが、苗はまだ余っている。

桜がなくなったので、耕地が増えるかもしれない。
定植の遅いナス科の一部をそちらに持って行って、トウモロコシをもっと増やそうかな。

2022-04-26
枝豆
2粒x15鉢=30粒まいて、24粒発芽。
発芽率 80%
自家採取した種であることを思えば、この数字は立派。
今年は雨で豆が腐らないよう、雨天にはビニールで覆ったのが奏功したか。

枝豆の向こうは落花生。土を盛り上げ発芽しかけているが枝豆より遅い。
これも自家採取した種。
節分用の豆は自分で育てたい。

2022-04-26
千駄木菜園ではほとんど種から育てている。
ホームセンターが遠くて苗が買いにくいということもあるが、ついつい種を取りたくなり、取ってしまうと、翌年それをまきたくなってしまう。

1.自家栽培したものから種、子を取っているもの
(自給自足サイクルが確立)
シシトウ、パプリカ、オクラ、トウモロコシ、枝豆、落花生、ホウレンソウ、スナップエンドウ、ネギ(根を残しているから無限に出てくる)、サツマイモ(芋)、イチゴ(多年草)、野沢菜(昔採種したものを数年に1回まく)
(もちろん一番最初は苗、種を買ったり、スーパーで買った食用野菜の種をまいた)
(ジャガイモ、カボチャ、山芋は捨てた生ごみから発芽する)

2.自己採種はしないが、市販の種、食べたあとの種をまいているもの
大根、ニンジン、白菜、小松菜、キャベツ、ナス、ピーマン、春菊
(ナス、ピーマンは数年前の種が残っているが、なくなったら自家種にする)
ただしナスは早く収穫したいので、苗も2,3本買う。

3.人並みに苗を買っているもの
キウリ、トマト、ミニトマト

その気になればすべて1にできるが、種を取るにはピークが終わっても老いた親株を残さねばならない。都会では土地がなく、次の作物が待っているので、種が成熟するまで残しておけない。