先月、1月18日の朝、33年ぶりに記念艦三笠を見て、27年ぶりに米軍基地の前を通って、昔の記憶を呼び出した。
米軍基地の正門前で国道16号を渡るとどぶ板通りがある。
10:09
どぶ板通り
名前から勝手に、かつて臭い側溝に汚れた木の板が蓋してあったのかと思っていた。しかし、戦前、道の真ん中に小さな川があり、通行に支障があるから海軍から鉄板をもらって蓋したとか。
そう、ここは海軍横須賀基地の門前町だったのである。戦後はアメリカ兵相手の店が増え、いまも横文字だらけの通りである。
10:12
たぶん1998年11月の空母、USS Kitty Hawk 見学の後だと思うが、この通りを初めて歩いた。
ある店で子供向けのアメリカの古本が売られていた。カラフルな図鑑や絵本が一冊100円、図書室のラベルが貼ってあった。米軍横須賀基地内には小学校2つ、中学校1つあり、少し離れた池子地区にも米軍管理の小学校がある。それらのどこかが放出したものか。
自分が英会話で苦労しただけに(というより、苦労もせずに劣等感だけあった)、子供たちには英語を学ばせようとしていた。その日、Kitty Hawk の売店で英語のアニメビデオを買った後で、ここでも古本を両手に持てるだけ、20冊くらい買った。厚くて大きな本が多かったから駅まで歩き埼玉まで帰るのに苦労した記憶がある。しかし子供たちは見向きもせず、その後、処分したか、どこかの段ボールにあるか、知らない。
並行する国道16号に戻った。その角に石柱があった。
10:13
「明治天皇横須賀行在所入口」
文明開化の象徴、黒船や製鉄所など見に来られたのだろうか。
「行在所跡」でなく「入口」においてもこんなに立派。
「605」というバーの看板。
アメリカの国道、Interstate、すなわち州間のハイウェイの標識である。その605号。車社会だからI-605の沿線の人は毎日見ているはずだ。アメリカのISは、系統的に南北方向に走る道路は奇数、東西に走る道路には偶数の番号が、南西から北東にかけて付けられている。つまり5号はアメリカ西海岸を、サンディエゴからLA、SF、シアトルなどを結ぶ。逆に95号はフロリダ半島マイアミから東海岸の主要都市を結びカナダ国境までいく。10号はLAから東へメキシコに近い南部をニューオーリンズからフロリダを結び、90号はシアトルからボストンまで大陸横断・世界一長い自動車専用道路である。
(南北方向の、主要なものは下一桁が1番、5番、東西方向の主要道は下一桁が0番という決まりがある。そして大都市のバイパスは、その2桁の前に数字を加える。)
例えば真ん中より北東部に寄ったシンシナチはI-71、I-75が南のケンタッキーからきて北のクリーブランド、デトロイトに向かい、I-74が西のインディアナポリスに行き、そしてI-275がI-75に付属する環状のフリーウェイだった。
I-605というのは西海岸のI-05の補助道路だから軍港のサンディエゴ(第3艦隊司令部)か、あるいは空母打撃群の母港・北西部のブレマートン、エバレットのあるシアトル周辺と予測した。しかし帰宅して調べたら軍と関係なくロサンゼルス近郊のフリーウェイだった。
さて、日本の米軍基地を結ぶ国道16号に出ると斜め向かいに大きな商業施設があった。
10:15
昔来たときはなかったから調べると、住友重機・横須賀分工場(旧横須賀海軍工廠)と林兼造船・横須賀造船所の跡地に、2020年開業したらしい。
10:17
90年代前半のアメリカのショッピングモールに似ていた。
近年、あちこちの駅ビルや、ショッピングモールができて、こういう中央に吹き抜けがある店も珍しくはなくなったが、それらよりもアメリカらしい。
これは横須賀のせいなのかと思ったが、買い物で来る米軍関係者は建築、設計に携わることはないから、なぜアメリカらしいのか分からない。10:20
エスカレーターで二階に上がると、海側が外に出られるようになっている。
出ると、右の米軍基地側に潜水艦が2隻、左の海上自衛隊のほうにヘリ空母・いずも型護衛艦が停泊していた。
6階建てのCoaska Bayside Storesは、シネマコンプレックスやボーリング場もあるが、二階だけぶらぶらして外に出た。
Coaska Bayside Storesから先の海沿いは米軍基地も切れ、JR横須賀駅までヴェルニー公園として歩ける。
10:41
遠くにいずも型護衛艦が見える。
33年前も潜水艦を見ながらこのあたりを歩いたが、ヴェルニー公園の名は知らなかった。
戦後開園した臨海公園を2001年、リニューアルしてこの名になったらしい。
10:41
軍港巡りの観光船が帰ってきた。
こぼれんばかりの満載に見えるのは、景色を見ようと上に集まっているのだろう。
10:42
軍港巡りの遊覧船が出る桟橋。
料金はいくらなんだろう? いってみよう。
10:44
海水はきれい。
良港の条件、川がないということはこういうところでも分かる。
10:45
戻ってきた船から客がみんな下船するまで長い行列で待っている。
大人2200円。毎正時に出発する45分くらいのクルーズか。
10:46
コースは横須賀本港から本土と吾妻島(米軍)の間の新井掘割水路を通って田浦港のほうに出て、ぐるっと回って米軍基地の前を通って帰ってくる。米軍空母がいれば帰りに見られるだろう。
この日は日曜のせいか、行列は長かった。
ふたたびヴェルニー公園に戻って歩いていく。
10:51
潜水艦は艦尾に旭日の自衛隊旗を掲げていた。
半島はほとんど米軍管理地だが、一部だけ、すなわち第4号ドックのとなりに自衛隊施設がある。第2潜水隊群司令部である。しかしここへ行くには米軍基地内のKing Stを通らねばならない窮屈な場所だ。
33年前の1993年、ここで「なだしお」を見た。
その5年前、1988年7月遊漁船「第一富士丸」と衝突、30名が死亡し、17名が重軽傷を負った大事件で有名になった。なだしおは潜水艦だから内部は見えず、真っ黒なクジラのようなものが寂しくうずくまっているように見えた。
2026年は潜水艦の向こうに軍艦の艦橋が見えた。写真を拡大すると艦首に番号がほんの一部だけ見える。4とか7とかの数字ではない。横須賀を母港とするアメリカ海軍の艦船を調べると、イージス駆逐艦USS Lassen (DDG-82)の「82」が一番近そうだった。
なおもヴェルニー公園を歩いていく。
10:54
ドライドック
右から1号、2号、3号と並んでいて今も使われているらしい。
横須賀は海軍基地として知られるが、横浜に置かれた東海鎮守府が横須賀に移転してきたのは明治17年である。幕末、海軍など影も形もないころ、幕府はここに造船所と製鉄所を作った。
ドライドック1号は明治4年に作られた。その後、海軍と横須賀海軍工廠の拡充にともない、ドックは増え、6号では大和型戦艦の信濃(のち空母)が作られたことは前のブログで書いた。
10:58
その製鉄所、造船所の建造で日本の近代化を推進したのが小栗上野介忠順(1827–1868)であり、また、幕末1865年に来日、横須賀製鉄所の長として指揮を執ったフランソワ・ヴェルニー(1837-1908)であり、二人は並んで銅像になっていた。
小栗上野介は幕末の混乱する幕府と日本をささえた天才的勘定奉行、外国奉行であった。当初、徳川慶喜の薩長への恭順に反対し主戦論を唱えたため罷免され、領地(上野国高崎)に謹慎、静かに日々を送っていたが、薩長軍に逮捕され取り調べもなく、翌日、斬首された。なんと革命とは乱暴なことか。
今は米軍、自衛隊の軍港として有名な横須賀は、もちろん戦前から帝国海軍の本拠地だった。しかし当初はそうでなかった。
横須賀が歴史に出たとき、すなわち幕末は対外戦争など思いもよらず、幕府の国内治安、外国からの国土防衛が目的で外国から蒸気船、軍艦を購入した。しかし修理施設がない。いっそ国産を目指した造船所が欲しい。
(当時としては)大きな船が入れるところというと横浜だが、ここは外国人居留地になっていて狭い。次の候補として横須賀だったのだろう。帝国海軍東海鎮守府が明治9年横浜に置かれたことからも、当初は軍港ではなかったことがわかる。
20260202 横須賀2 日米ネイビー友好協会、キティーホークの記憶
20260128 横須賀、神奈川歯科大、三笠、秋山真之
















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