沼津にいく。
上野東京ライン、湘南新宿ラインの終点の一つとして駅の表示でよく見ていたが、初めていく。
三島の次の隣駅とは知らなかった。
御殿場線の終点というのも知らなかった。
御殿場線は北の下土狩から降りてきて、東海道線と並行になって沼津に向かっている。
鉄道が近くに二本あるというこの不自然さは、当初の東海道線が国府津から大きく迂回する御殿場経由であり、1934年丹那トンネルの開通によりより直線的な小田原、熱海、三島経由の新線ができて沼津にこれら2本が入ったことによる。
その後、真っすぐな新線が東海道本線になり、御殿場線三島駅は下土狩駅と改称し、三島駅の名を三島大社の近く(=町の中心)にできた新線の駅に譲った。
御殿場線に乗ってみよう。
千駄木または西日暮里から沼津まで運賃と時間をネット検索すると
地下鉄・小田急・御殿場線 1855円 3時間30分
地下鉄・小田急・東海道線 1890円 3時間
横浜/熱海経由・東海道線 2420円 2時間30分
小田急・御殿場線経由は一番時間がかかるが、一番安かった。
朝、5:09、6:04に乗れば、8:37、9:29につく。
10月4日、目が覚めたら5:50だった。
目覚まし時計をかけなかったが(ここ数十年かけたことがない)早く起きようとは一応思っていた。しかしそれほど体は都合よくできていない。いつも目覚める時間だった。
急いで家を出たが、千駄木駅が6:10。
6:15の千代田線に乗った。
小田急・代々木上原で来た最初の急行は藤沢行き。とりあえず乗ったが、新百合ヶ丘でおり、急行小田原行きを待った。10分遅れただけで、ずいぶん乗り継ぎが悪い。
乗客に登山姿のシニアが多かった。
高尾へ行く中央線、京王線ほどではないが、かなり目立つ。
2026-10-04 8:03
本厚木から各駅停車になり、鶴巻温泉、東海大学前、秦野、渋沢のつぎが新松田。
これらの駅で登山姿の人々は降りていくが、近くに山はない。バスに乗るのか、車の友人と待ち合わせなのか。
新松田で降りた。
改札を出ると駅前広場の向こうに戦前のような雰囲気の小さな駅が見えた。
8:18
御殿場線の松田駅である。驚くほど近い。
オレンジ色のJRのマークが見えた。
そう、御殿場線は沼津から国府津までJR東海なのだ。
(東海道本線は丹那トンネルの手前、熱海までJR東日本だから、JR東海としては関東地方に入る唯一の路線である)
振り返って小田急の新松田駅を見ると、こちらのほうはそこそこ立派である。
8:18 小田急線・新松田駅
同じ電車で降りた人はバスを待っている人が多い。
いままで小田急に乗ると路線図で新松田という駅に気づいていたが、改めて「新」の意味が強く感じられた。
JR松田駅は御殿場線(当初は東海道本線)が開通した1889年(明治22年)に開業した。いっぽう小田急小田原線は1927年(昭和2年)に開業、新駅を新松田とした。(小田急はこの年、新宿―小田原を一気に開業した)
松田は矢倉沢往還(赤坂御門から沼津に至る大山街道)の宿場町として栄えたが、明治に入って衰退、しかし駅の開業で町は再び活気づいた。
ところが駅自体は新松田駅ができると、東海道本線より速く東京へ行けるために利用者は新駅に流れた。さらに丹那トンネルが開削され、1934年(昭和9年)に沼津 - 熱海 - 国府津間が全通すると東海道本線は新線経由に変更され、松田駅から東京へ向かう直通列車がほとんどなくなった。いっぽう、神奈川県西部の中心・東海道線小田原駅と新宿に直通する小田急の新松田駅はさらに利用者が増えた。
太平洋大戦中、東海道本線は根府川駅近くなど艦砲射撃を受けて不通になる恐れがあった。そのため、小田原線と御殿場線によってその代替ルートを作ろうという案が陸軍から出され、この松田に連絡線を設けることにした。それに伴って用地の確保と連絡線の橋脚が完成したが、まもなく終戦となり工事は中止された。
戦後の1955年、小田急が連絡線を完成させ小田急と国鉄の直通運転が開始。1968年には御殿場線の電化により直通列車も電車化されロマンスカー「あさぎり」が走った。2018年からは直通列車の愛称が「ふじさん」になった。
ここまで書いて、41年前に御殿場線に乗っていることを思い出した。
1985年9月7日、新宿からロマンスカー「あさぎり」に乗った。ロマンスカーも御殿場線もこの一度きり。結婚した翌年、まだ子供はおらず、妻と並んで車内販売のアイスクリームを食べた。終点御殿場で義姉一家と合流した1泊旅行、そのアイスクリームと富士サファリパークしか覚えていない。
上の航空写真を見ると新松田駅と松田駅の間の道はロマンス通りという。田舎っぽい寂れた道だった。ロマンスカーに乗る人はこの通りを歩くはずはないが、それ以外にこの名前の由来は分からない。
8:26
駅付近をぶらぶらしたが何もなく松田駅に戻ってきた。
千代田線に6分遅れただけで非常に接続が悪い。
ここにいても仕方がないので改札に入った。
8:32松田駅ホーム
人がいない割にはホームは異常に長い。
西のほうに歩いて行くとホームは3本ある。よく見ればかつてはホームが4本あったようだ。
さきの航空写真を見れば西のほうにも改札があり、今入った改札は小田急との連絡口のようだ。
ベンチがあったので座ってコンビニパンを食べた。
松田駅の駅番号はCB04
関東のJRはJY、JKなどすべてJと路線名の頭文字だが、CBとは何だろう? JR、Tokai、Gotemba、いずれも入っていない。
JR東海の英名はCentral Japan Railway Companyで、そのC。 路線コードは東のほうから割り当てていて、A:東海道、B:御殿場、C:身延、D:飯田、などである。
(全国各社のエリアコードは北海道:H、東日本:J、東海:C、西日本:地域によってK,O,H,S、四国:なし(路線記号はある)、九州:Jである。)
御殿場線の駅番号は国府津をCB00とする。
電車が来て乗った。
やがて酒匂川の谷を山深く入っていく。
箱根八里は馬でも越すが汽車は越えられず、なだらかな御殿場回りとなったわけだが、こちらもなかなか険しい。
8:59
普通名詞のような駅名、山北を過ぎる。箱根の北という意味だろうか。しかし四方が山だ。
ここからは蛇行する谷川の右に行ったり左に行ったりして走る。
写真がなぜか緑色になってしまった。
夕焼けと同じく緑の光が強いと画面全体にハレーションを起こすのだろうか。
9:03
谷峨(やが)
テレビに出てくる秘境駅のよう。
たった今書くまで、すっかり谷「蛾」だと思っていた。
峨という文字は京都の嵯峨野にあるが、意味を知らなかった。山が険しいさま。
緑のハレーションは続く。
08:47 松田 出発
08:51 東山北
08:56 山北
09:05 谷峨
09:10 駿河小山
09:16 足柄
とてもかつて日本一の路線だったとは思えない。
ここで鉄道唱歌(東海道編)をかいておく。
大和田建樹作詞。1900年だから御殿場線が東海道線だったころである。
汽笛一声新橋を早わが汽車は離れたり、で始まり、12番から今の御殿場線に入っていく。
14.はるかにみえし富士の嶺は はや我 そばに來 りたり 雪の冠雲の帯 いつもけだかき姿にて。
15.こゝぞ御殿場 夏ならば われも登山をこゝろみん 高さは一萬數千尺 十三州もたゞ一目。16.三島は近年ひらけたる 豆相線路のわかれみち 驛には此 地の名をえたる 官幣大社の宮居あり。
この歌から谷峨駅は当初なかったことがわかる。
山北と駿河小山の間は確かに鉄橋とトンネルがいくつもある。
明治の初め、人力でトンネルを掘るのは相当困難だったはずで、今では短いトンネルも当時は歌になった。
ちなみに駿河小山(おやま)は当初歌の通り小山駅であった。
1906年日本鉄道を国有化すると栃木に小山駅があった(1885年奥州線の駅として開業)。鉄道院では御殿場線のほうを変えようとしたが地元(六合村と菅沼村)が反対、改名は延期された。その後、静岡県知事が両村の合併と新町名を駿河町にすることを諮問、それを受けて鉄道院は1912年駿河駅とした。ところが地元は駿河町という町名も反対、小山町となった。そして戦後、1952年、今の駿河小山に改称されたという。
9:16 足柄駅
新しい駅舎の前にクマと金太郎の像があった。
全国でクマ出没の騒ぎは、童謡やこういうのどかな像と全く正反対である。
昔の熊が今より優しかったことはないだろう。
むかしは人里にいなかったから相撲や、またがってお馬の稽古というあり得ない話も成立したのである。
ちなみに足柄は相模・神奈川県の古くからの郡名だが、足柄駅、東名足柄SAとも静岡県にある。この足柄は巡洋艦の名前にもなった足柄山地による。最高峰の金時山は神奈川県南足柄市、箱根町と静岡県駿東郡小山町の境にある。
足柄駅は小田急線にもある(1927年開業)。こちら御殿場線の足柄駅は戦後1947年だが、1903年に開設された足柄信号所を前身とする。
ここで列車を乗り換えた。もう山は遠い。
車窓から見ると豆相線路も宮居もない代わりに、駅前には「ながいずみ美術展開催中」という文化会館があった。
9:24 御殿場駅
駅番号はCB10。
御殿場市は人口 8.5万
標高が高く冷涼多雨から霧がでる。これが以前のロマンスカーの名前「あさぎり」になったのだろう。ちなみに今のロマンスカーの名前は行き先によって、ふじさん、はこね、さがみ(小田原止まり)、えのしま、である。
御殿場は1912年に陸軍が演習場を開設、いまも陸上自衛隊の3つの駐屯地と東富士演習場があり、市域の3分の1が防衛関連で占めている。
09:28 御殿場 発
09:32 南御殿場
09:35 富士岡
09:41 岩波
09:47 裾野
09:51 長泉なめり
09:55 下土狩
09:58 大岡
10:02 沼津
御殿場線の運賃は860円
9:36 富士岡駅
雲に隠れた右のすそ野は富士山だろうか。
9:54 下土狩駅
昔の三島駅である。鉄道唱歌にある豆相線路も宮居もみえない。
1898年ここから伊豆長岡まで豆相鉄道が開通したが、1934年丹奈トンネル開通で新駅ができ、その現三島駅が発着駅となり、線路は撤去された。会社は豆相鉄道から駿豆電鉄、駿豆鉄道となり、1957年、今の伊豆箱根鉄道(西武鉄道の子会社)になった。この会社は1923年から堤康次郎の箱根土地の傘下にあった。
下土狩駅は三島市でも沼津市でもなく、静岡県駿東郡長泉町下土狩である。
三島でないのになぜ三島となったか?
東海道の宿場町、三島大社のお膝元として三島の知名度は抜群だが、鉄道が来なかったことに彼らは大きな危機感を持った。鉄道側としても「行政上の正確な所在地」でなく「広域の利便性や付近のもっとも著名な地名」を駅名にする方針であった(東京の目白や目黒もそう)。このことから、三島の政財界が豆相鉄道を作るなどして強力に運動、ついに駅名にして三島の玄関口にした。
長泉村としては、それらの動きを拒むほど力がなかったということだ。
1934年「三島」が東海道線に去った後、駅は村名の長泉とはならず、その大字、下土狩を駅名とした。
となりの「長泉なめり」は2002年、静岡がんセンターの最寄り駅として開業した。なめりは大字の納米里である。
乗り換えて沼津に9:03につく。特急料金は1560円。西日暮里からの運賃総額は3523円。
しかしロマンスカーなど考えてもみなかった。
まあ、西日暮里を 6:13発だから寝坊してどっちみち間に合わなかったし、各駅停車でも悪くはなかった。
(続く)












