2018年日本薬学会の会頭は奥直人先生である。
それにしても会頭、理事,各種委員はどうやって決まるのだろう.
ほとんどの会員は知らない.私も知らない.しかし,明治の頃は全て総会の出席者全員による直接選挙だったことが分っている.
(第23話 岸田吟香と薬学会選挙)
以下は、7年前ファルマシア「薬学昔むかし」に書いたものを改変。
(参考)薬学雑誌 1890年度 p69-94 (明治23年,薬学会総会記事)
生の意見が残っているのは珍しいので紹介する。
当時の役員選挙は、明治30年代を見れば,会頭(長井),副会頭(下山),幹事(丹波敬三,山田董)はいつも満票に近い.
ところが10名の常議員を選ぶ段になると,一人が10人を書くため,丹羽,平山,高橋秀,飯盛,田原といった上位は序列を反映するかのように固定しているが,下位は無秩序にばらばらとなる.
得票数二票,一票といった者が多く出た.自分の名前を書く人もいたかもしれない.
ただ,最初からこのような「直接」選挙ではなかったようだ.
その10年前、明治23年1月18日,麹町区富士見町富士見軒での第10回総会のことだ.
長井会頭が開会を宣言.
須田勝三郎による前年の事務報告,福原有信による会計報告のあと,会頭は
「会員からほかに建議ありや」と尋ねた.
すると村上栄太郎が立ち上がる.
「会頭! 会頭に質問あります.昨年11月の薬学雑誌に役員候補者が出ておりましたが,この候補者選定の根拠は何でありますか?」.
出席会員78名の間にたちまち反駁,論弁がおき,喧騒に至る.
講演会を後に控え,到底まとまりそうもなかったため,会頭は予定された選挙も延期して後日臨時総会を開くとしてその場を収めた.
そして1月27日夕方5時から,東大薬学教室で臨時総会が開かれる.
村上「いかなる精神をもって斯様な名簿を作ったか?役員の説明をお願いする」
長井「地方会員は総会出席が難しいから人物が分らない.従って誰が適任か分からないと察する.故に,名簿はひとえに地方会員の便利を図るものだ」
平野一貫「候補者は名誉ある役員と同格なれば,ただ便利というだけで定めてはならないだろう」
村上「候補者を決めておいて,そのうえ,その他の人も選んでよいとするなら,そもそも最初から候補者名簿など要らない」
長井「村上君は役員の精神を分かっていない.手段は稚拙であったかもしれないが,便利と親切を考えたものであるから,会員から非難されるものではない」
長井のライバル、下山副会頭が間に入ってとりなす.
「名簿を作った役員の老婆心にも一理あるが,人として名誉を重んじないものはないから,候補者に漏れたる会員の不愉快にも納得する.
しかし過ぎたことの過失を問うことは無益であるので,今後候補者名簿を作るか作らないかの問題を討議したい」.
薬学会のナンバー3、丹波もこの意見に同調した.
こうして議論は候補者選定をするかどうかに向かう.
村上「役員と被選人の全員の名を掲げて,次の総会の節に一般投票者の参考にすればよいのではないか」
細井修吾「私は候補者選定に賛成だ.しかし今回は承諾も得ていない.むしろ承諾を得てから,これを「候補者」ではなく「役員承諾人」とすればよい」
下山「候補者の資格を定めるのは難しいから,これは廃したほうがよい」
須田「余も候補者に漏れた一人であるが,これは己の至らぬところと覚悟し,あえて不平は言わない.むしろ候補者選定に賛成だ.しかし会員に不平の者がいては,薬学会の不幸である.だから村上君の説がよい」
このあと村上説,細井説(候補者名簿維持),下山説(全廃)について挙手により決をとり,村上説に決まった.
続いて,この日出席した21人で選挙を行った.
長井下山丹波は不動だが,資生堂福原がもう一人の幹事として入っている.
この年より5人から10人に増えた常議員は,田原,丹羽,柴田,山田,古川,嶋田,柴山,細井,平野,高橋順だった.
100年後の我々薬学会会員にとって,長井長義は大恩人である.
御子孫による青山の屋敷地,軽井沢の土地を含む莫大な資産の薬学会への寄付は尋常でない。それ以前に,理科大学の最初の博士5人のうちの一人であり、本来なら理学部の中心にいたはずが、薬学の有機化学発展のため、丹羽らが強引に引っ張ってきた。第一人者として薬学の学問レベル、地位を押し上げ,初代会頭に就任すると亡くなるまで42年間その職を務めた.
だから彼が現役会頭のころは,会員から神様のように崇められていたのではないかと想像していた.
しかし(少なくとも初期は)村上,平野氏のように長井会頭に異議を申し立てる人がおり,会頭もまたごく普通に対応していたようだ.
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