2018年3月21日水曜日

六本木の陸軍跡地、ミッドタウンと国立新美術館

1年前に入籍した長女が、春分の日に結婚式をした。

妻は髪のセットや着付けで早々に出かけ、私は家で一人きり残された。
テレビを見ていてもつまらない。
式場は六本木の東京ミッドタウン。

あのあたりは近年歩いていないので、早めに出て、外苑東通りを挟んだ反対側、国立新美術館にいこうと思った。
目的は印象派展ではない。

ここは戦前、陸軍第三連隊が置かれていた。

1928(昭和3)に建てられた兵舎は震災の教訓を生かし、鉄筋コンクリート、エレベーターもある東洋一と言われたモダンな建物だった。
戦後米軍に接収されたが返還され、1962年、東大生産技術研究所(生研)が千葉から移ってきた。

生研の前身は、戦時中の1942年、軍事関連技術者を増やすために東大工学部の定員を大幅に増やし、半分を第二工学部として西千葉に作ったもの。学生の学力は本郷の第一工学部と均等になるよう調整された。
戦後、改組縮小に続いて学生募集停止、最後の卒業生が出た後、第二工学部は廃止され、西千葉には後身の生研が残った。その生研が六本木移転後の西千葉キャンパスは、千葉大になる。

生研はさらに2001年、駒場に移転、跡地は国立新美術館になった。
この場所がどうなったか、見たかったのである。

前回来たのは1995年6月3日、埼玉から赤坂にやってきて乃木邸見学のあと、足を延ばした。

第一連隊跡地にあった防衛庁はもちろん入れなかったが、近くの第三連隊跡地、すなわち兵舎を使っている生研は自由に入れた。
1995年発行 東京地図出版

中央左の「 日 」?「中」?の字が第三連隊、赤坂9丁目防衛庁が第一連隊である。
なお、第三連隊を麻布連隊というのは、昔の住居表示では麻布新龍土町にあったから。いっぽう第一連隊は赤坂檜町で、六本木町というのは今の六本木駅の南の狭い範囲だった。

生研のHPから

1995年、壁の貼り紙、学会ポスターなどみながら、廊下を歩いた。天井には暖房などの太い配管が裸で何本も走り、人がほとんどいなかった記憶がある。
外の木々の間に銅像の台座だけあった。これが誰のものだったか、当時はインターネットの情報もなかったし調べなかった。せめて写真でもとっておけばよかった。

なお第三連隊の南部分、いまの政策研究大学院大学の場所にあった東大物性研(生研とは別。1957年設置)は柏に移った。

旧第三連隊兵舎の廊下を歩いたときから23年。


戦前の貴重な建物であったから、南の一部分だけ残されている。

左の小さな欠片(かけら)が旧連隊兵舎


美術館はここでなくてもよかったのではないか?
お台場や品川あたりに作り、ここは歴史建造物として残してほしかった。
頑丈だから北の丸公園の近衛師団司令部(いま国立近代美術館分室)のように、新しい目的で十分使えたはずである。

西側に残る木々は戦前からあったものだろうか。
フェンスの向こうは、今も立ち入り禁止。
1995年は、はっきりアメリカ軍の警告看板があったことを覚えている。

生研から外苑東通りに戻る道は中央に植栽された分離帯があり、これは戦前からある。

この交差点の景色から見れば確かに、多くの人は生研も防衛庁も場所柄ふさわしくないと言うだろう。

いつのまにか結婚式の時間が迫ってきたので第一連隊、防衛庁跡のミッドタウンに移動。

ここは明治維新の前は萩毛利家の下屋敷だった。(上屋敷は日比谷公園の北西部分。なお、六本木ヒルズは分家の長府毛利家の上屋敷)
宴会場から。このあと雪に変わる。

檜町公園は芝生が広がり、どうみても、毛利家の屋敷も、第一連隊も、防衛庁も、いずれの名残もない。草彅剛が裸で寝ていたのはどのあたりだろう。

防衛庁時代、95年の地図を見れば崖のようなものが描いてある。いまの大規模開発は地形から変えてしまう。

51階のホテル客室から。
中央四角が国立新美術館。その左に三角の離れ小島のようなものが旧第三連隊兵舎(かつ東大生産技術研)の一部。写真左上に(米軍用?)ヘリポートが見える。

 北西方面、巨大ビルはパークコート赤坂檜町ザタワー
中央の森が乃木神社。その向こうの白いビルは乃木坂パークハウス。
赤坂小学校が右下、右上の森は青山御所。

長女は初めての子供だったから、3人の中で一番かわいがり、常人離れした能力の高さから一番期待した。その分、干渉しすぎて(良かれと思ったアドバイスが命令のようになり)、大学院進学のころから関係は悪化した。
彼女は就職で苦労したことが決定的となり、父を許さず10年たっても修復しない。親しく話したことなど、ずっとない。昨年の結納、今回の結婚披露宴に当たっても、彼女が一人で準備し、様子は妻を通して伝わり、私は客のように出席しただけだった。

この日は親族だけの集まりだったから、花嫁父親として、あいさつを振られるかもしれないと、少し話のネタを考えていたのだが、指名されることはなかった。

しかし、優しそうな新郎の隣で、幸せそうな、かわいらしい顔を見ると、父親として心から良かったと思った。


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