2020年7月30日木曜日

椿山荘冠木門から芭蕉庵、水神社まで

江戸川橋から西に歩く。
江戸川公園は大滝橋、大洗堰跡をすぎると終わり、遊歩道は神田川と椿山荘・藤田観光(会社?寮?)の建物の間をいく。

2020-07-26 14:27
椿山荘
「南口」ではなく「冠木門」と書いてある。
冠木門の定義が昔から分からない。
コロナで閉鎖中。

千駄木に越して、家の近くから早稲田行きのバスは神田川の南に止まるので、1回だけ、この門から入ったことがある。迷ったせいもあり講演会の会場まで遠かった。

14:28
右は椿山荘・木春堂の裏壁
向こうに見える二階建ては五慶庵。
京都・二条城前にあった三井邸の建物を譲り受け、昭和29年に移築。
東急五島慶太の名前を借りて命名されたという。
いずれも入ったことはない。

椿山荘のとなりは関口芭蕉庵。
14:29 
 バショウがあるから分かる。
ここの正門は常にしまっている。

芭蕉が二度目に江戸に入った後、主筋の藤堂家が請け負った神田上水の改修工事に携わり、1677年から4年間、当地付近にあった竜隠庵と呼ばれた水番屋に住んだといわれている。

そのご、芭蕉の33回忌にあたる1726年、芭蕉堂と呼ばれた芭蕉やその弟子らの像などを祀った建物が敷地に作られたのが芭蕉庵の始まりとされる。

芭蕉が改修工事に携わったというのはとくに意外ではない。
絵師や仏師とちがい、俳人というのは天才的なひらめきさえあれば良いから、大部分の時間は副業や他のことも可能な気がする。読み書きそろばんができれば、現場監督もできただろう。

この日、門前に野間記念館閉館のお知らせがあった。
不思議に思って帰宅後調べたら、ここは無料公開されているが、光文社・キングレコードを含む講談社グループが中心となって設立された「関口芭蕉庵保存会」によって維持管理されているらしい。

14:30 胸突坂
芭蕉庵の角を曲がれば、右に芭蕉庵入り口がある。
石段を上がり蕉雨園(田中光顕旧宅、非公開)と和敬塾の間を抜け、目白通りに出る。
魅力的な坂だが上るのは次回に回すことにし、まっすぐ川沿いを西に進んだ。


胸突坂の西も森である。
14:31
水神社(すいじんじゃ)
見ざる言わざる聞かざるの像あり。順番は決まっているのかな?
というより水神社と三猿の関係は何だろう?

いい伝えによれば、水神が八幡宮社司の夢枕に立って、「我水伯(水神)なり、我をこの地にまつらば堰の守護神となり、村民をはじめ江戸町ことごとく安泰なり」と告げたため、ここに水神を祀ったという。日本最古の神田上水は徳川家康の命により大久保藤五郎によって開かれた。井の頭池を水源とし、神社の前を流し、すぐ下流の大滝橋あたりに堰を築き、水位を上げて上水を水戸屋敷に入れ、樋(とい)で地下を神田や日本橋方面に流した。(文京区公式サイト)
水神社といえば、築地市場にもあった。あれは日本橋魚河岸水神社の遥拝所であった(神社は神田明神境内)。
水神をまつる社は全国各地にある。主に淡水にまつわる神で、私の実家、信州中野・岩船の氏神、岩水神社もそうである(神社としては諏訪系で6年ごとに御柱祭もする)。

14:34
江戸川橋から細川庭園まで緑の遊歩道に、民家は水神社の西側に2軒あるだけ。
このあたり、都心、山手線内側でもっとも夏が涼しい場所ではなかろうか。
森を背に、素敵な家が並んでいる。


・・・・・・・

(追記 2020-08-05 )
梅雨が明けて近くに来る機会があったので水神社を再訪した。
2020-08-04
鳥居の内側に、日本の大イチョウが鳥居のように並んでいる。

2020-08-04
左は肥後細川庭園の森、右は胸突き坂の石段と関口芭蕉庵。
江戸時代は胸突き坂の両側に水神社があった。

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