3月12日、野田市を歩いている。
幸い私が歩くところは外国人どころか日本人観光客もいなくて雰囲気が良い。
野田は銚子とともに醤油の産地として習ったが、実際来て高梨本家から茂木一族の各豪邸、キッコーマン本社など見て歩くと、その存在感は関東の醤油同様、じつに濃く、何本もブログを書いた。それでも書いてないことがあった。
1781年、野田の醤油醸造仲間は7軒であったが、1824年には19軒に増えた。江戸への近さに加え、醸造先進地の上方に負けぬまでの技術向上があったのだろう。
そして明治20年、主な14家による野田醤油組合ができた。その組合には参加しながら、大正6年、有力8家による野田醤油株式会社(のちのキッコーマン)が成立したとき、大手でありながら唯一参加しなかった醸造家がある。白木屋・山下平兵衛家である。1830年(天保元年)に山下家第10代が創業、いまもキノエネ醤油で知られる。現社長は平兵衛を襲名せず、山下博之氏。
キノエネ醤油は茂木一族が占める市内中心部から流山街道を愛宕神社に向かって歩くと左側にある。
12:19
キノエネ醤油
キッコーマンが近代的なタンクの並ぶ食品工場であるのと対照的に、昔ながらの醸造蔵という雰囲気。醤油の町という野田の景観は、絶対王者キッコーマンでなくここが残している。
12:20
正門のそばの建物は事務所兼主屋
特に立派なわけではないが明治30年(1897)建築、2020年に国登録有形文化財に指定された。2022年から直売所がオープンし中が見学できるようになったが知らずに入らなかった。
12:20
道に沿って蔵が並ぶ。
妻部分の壁に「子・きのへ」と書いてある。
本来「きのえ」は陰陽五行説の木火土金水の5つそれぞれを二つ(陰陽、兄弟)に分け、十干(甲乙丙丁、、)に当てはめ、たとえば甲、乙を木(き)の兄(え)、弟(と)とし、きのえ、きのと、とした。
さらに十二支(子、丑、寅、)と合わせ、年の名前にした。すなわち甲子(キノエネ)、丙子(ヒノエネ)などである。
だから子はネでありキノエとは読まない。しかしキノエ醤油とも言ったようで、それがこの壁の文字になったのだろう。
ちなみに創業の1830年は庚寅(かのえとら)であり、甲子(きのえね)ではない。また、山下平兵衛商店がキノエネ醤油合名会社となった昭和11年(1936)も丙子(ひのえね)である。
キッコーマンの近代工場では感じなかった懐かしさがあった。
その懐かしさは子供のころではなく、もっと大人になってから嗅いだ匂いだった。
少し不思議な気持ちになりながら近くにある野田醤油発祥地という場所に行ってみた。
12:26
野田の醬油発祥地
亀屋・飯田市郎兵衛の蔵があった場所である。
野田市の公式サイトやネットでは室町時代の永禄年間(1558から70)に飯田家は川中島御用溜醤油と称して甲斐武田氏に納めたという。しかし当時野田は後北条氏と関東管領上杉氏の争っていたところである。また野田の醤油(豆油)が武田氏支配の甲斐、信濃あるいは駿河、上方と比べて特に優れていたとも思えない。だから史実としては考えにくく、私は江戸時代の創作だと思っている。
川中島は信州千曲川と犀川の合流点だが、江戸川、利根川にはさまれた野田の地形をいったのかもしれない。その名前から生まれた話か、あるいは飯田家先祖が信州から来たか(つまり野田とは関係ない)、つまり武田とは全く関係ない話なのかもしれない。
と、ここまで書いたら深井吉兵衛氏の「醤油の由来とその発達」https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1915/48/10/48_10_378/_pdf
で武田文書にその記述があるとの文章を見つけた。当時の野田近辺の目吹城にいた佐々木義信が甲斐武田氏に属していたというのである。
ま、その昔はさておき、近代の話にする。
この場所にあった旧亀屋の醸造工場は、飯田家が1853年に醤油醸造を廃業した後、茂木房五郎家にわたり、野田醤油(株)を経て最終的にキッコーマンとなった。
大同合併と近代化により合理化がすすみ、この日歩いてきた野田の各所でキッコーマン管理の広い更地、駐車場をみた。
この元飯田家の醸造蔵などはまっさきに不要となったはずである。かつては北側の山下平兵衛商店(キノエネ醤油)と地続きであったと思われる。しかし、この祠のスペースを残し住宅地などになり、すぐ隣にマンションができていた。
そのマンションが気になった。
結婚したころ、妻の伯母夫婦が野田に住んでいた。
伯父は、妻の実家一族の本拠地、竜ケ崎で会社を経営していたが、業績が悪化した。本人たちは子供がなく年も取ったので、会社と南柏の自宅を処分、従業員たちに十分退職金を出して、自分たちは野田にマンションを買った。キッコーマンとは何の関係もなかったのになぜ野田だったのか分からない。
妻は子供のころから可愛がってもらっていたようで、結婚して1986年1月、1987年7月と2回、遊びに来た。その後、伯父が脳梗塞を患い、こちらの足が遠のいた。1993年1月、里帰り出産した妻と生まれたばかりの次女を自宅に連れてくる途中、野田に寄った。長女と息子のどちらかが風邪をひいていて、年寄りにうつすとまずいというので、妻が赤ん坊の顔を玄関で見せることにして、父子3人は道路上の車で待っていた。
小雪が舞い、醤油の匂いがした。
薄情というか、(私は)その後はお見舞いにもいかず、2005年伯母がなくなった。安孫子の葬祭場で福祉の女性に車いすを押された伯父に会った。彼は言葉も発せなくなっていて、翌年亡くなった。18年ぶりだった私が分かったかどうか。
(グーグルビュー)
左:キノエネ醤油
右:ローズハイツ野田愛宕B棟
伯父伯母の家は3回行ったけれども、自分で車で運転していったのは93年の1回だけ、それも妻のナビだから、道順、マンションの場所は全く覚えていない。
しかし、今回野田を歩き回って醤油の匂いがしたのはここだけだった。
後ろ髪を引かれる思いで帰宅、妻に伯父伯母の住所を聞いたら、やはりここだった。
その時生まれた次女は今年34歳、二人目の子がおなかにいる。
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20260312 野田 駅名とキッコーマンの存在感





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