7:59
3月10日、火曜。3月に入って何日か4月並みの暖かさのあと、真冬に戻る寒さ。
野田市駅に到着。
冷たい雨の中、家を7:10分頃出て、日暮里、柏で乗り換え、野田に来た。
柏からの東武野田線は高校生で満員。なぜかみんな女子高校生だった。やがて女性専用車だということに気が付き、次の駅で隣の男子高校生の車両に移動した。
8:23
目的の野田市駅に近づくと線路は高架になり、見晴らしがよくなる。
タンクの並ぶ工場が見えた。
8:23
電車が進むとタンクに赤いマーク。
亀の甲に萬の文字。
元亀天正、亀鶴はキだが、亀の甲はキッと促音になる。
社会科で「野田、銚子は醤油」とは習ったけれど、これだとテストに出るから覚えるというだけになる。野田のキッコーマン、銚子のヤマサ、と習ったほうが楽しい。(どっちがどっちだか分からなくなるかもしれないが)。(ヒゲタは銚子だがキッコーマン傘下)
高架になったのは最近のようで、ホームも駅舎も新しい。
8:25
改札を出たところで駅の外(東口)をのぞくといきなりキッコーマンの工場。
8:26
駅というのにほとんど人がおらず、観光案内所もないので壁の地図をスマホに撮った。
稲荷蔵とか給水所とか、キッコーマンを冠したものが多い。
8:27
駅名の看板はおしゃれ。
小さく「野田市駅」。
こういう駅名の場合、たいてい近くの別路線に「野田駅」があるものだ。(川越、行田、足利などのように)。しかし野田に野田駅はない。大阪にある。(薬理学会などが開かれた大阪国際会議場の最寄り、福島駅の隣)
「野田駅」は、明治29(1896)年に房総鉄道(いまのJR外房線)に設置された。続いて明治31年に西成鉄道(いまのJR大阪環状線)にもつくられた。さらに、明治34年(1901)に入間馬車鉄道(1917年廃線)、明治38年(1905)には阪神電鉄でも「野田駅」が設置された。
野も田も地名によく使われる文字。全国各地に野田はあった。
野田市に鉄道がきたのはこれらに遅れて明治44年(1911)。
駅名原案は当然野田駅だった。
しかし、鉄道院へ出願すると、国有鉄道はじめ同名の駅がすでに複数もあったため名称変更を求められ、「野田町駅」として開業した。
大正3(1914)年には、JR外房線の野田駅(いま千葉市緑区)が誉田駅と改称されたが影響なく、ここは野田町駅のまま。1950年の市制施行に伴い駅名も野田市駅になり、現在に至る。
8:31
野田市駅遠景
ふつう駅舎がこの外観なら飲食店など入っているものだが、二階のように見えるところはホームの壁であり、要するに壁だけの看板駅舎といえる。
それにしても駅前は何もない。更地である。
キッコーマン以外何もない。人もいない。
昔はどうだったのだろう、駅前は何だったのだろうと国土地理院の航空写真を見てみた。
国土地理院1995
20年前、駅前が更地になる前も、駅の周りに住宅はなく、すべて工場のようである。
東武野田線から引き込み線のようなものが見える。
いまの駅前広場は二つの線路のあいだ、Yの字のなかにある。
国土地理院1984‐10‐15
40年前はもっと引き込み線ははっきりしている。
醤油の出荷に使われていたのだろう。
ちなみに明治44年の柏ー野田町が開通した鉄道というのは、千葉県営の軽便鉄道である。
設立には野田の醤油醸造組合の強い要望があり、県債をすべて組合が引き受けて建設された。野田町駅は終点だったから、この引き込み線は野田線が北に延びるまで本線だったのかもしれない。
野田線は大正時代に千葉県から民間に払い下げられ(北総鉄道、のち総武鉄道)、昭和に入って1928年春日部、大宮まで延伸する工事が始まり、社長が醤油醸造組合の重鎮、茂木七郎右衛門に交代した。1930年に船橋ー柏ー大宮が全通、そして各地で鉄道の統合が行われた戦時中の1944年に東武鉄道に吸収合併された。
国土地理院2024-04-10
いまでも上空から見れば引き込み線の跡はうっすら見える。
東京は氷雨でも野田は曇りだった。
しかし、こちらも雪交じりの雨が降ってきた。
8:31
繰り返すが駅周辺はキッコーマン以外は空き地である。
ひょっとして空地も全部キッコーマンの土地だろうか?
8:33
駅から見えた工場の正門に近づくと「もの知りしょうゆ館入口」の看板。
野田に来るにあたり、見学したかった。
無料で、昔の地図をはじめ歴史的なものの展示から、現在の製造現場をみてお土産までもらえるという。前日、電話で予約すると9:00開館、見学は1時間かかるという。しかし9:45までに某高校に行かなくてはならない。30分くらいで退出できないか?常設の展示だけでも見られないか?と聞いたが駄目だという。よく手を洗い、無菌服に着替えて工場に入るのだろうか? 一人別行動はできないようだ。
用事が終わってから見学しようとしたが、予約枠で空いているのは14:30といわれ、諦めた。
8:33
正門の外から和風の建物が見えた。見学コースになっている御用蔵であろう。
宮内省(現宮内庁)に納める醤油の専用の醸造所として1939年につくられた。江戸川沿いの敷地のほうにあったが2011年、ここに移築された。
工場見学に未練を残しながら西の江戸川を目指す。
8:35
左:キッコーマンフードテック(株)
右:総武物流(株)
総武物流は1924年、醤油の運送から始まったが、いまは車両のリース、倉庫業などを行う、キッコーマンのグループ企業である。
駅からこのあたりまで県道46号(野田牛久線)はあたかも企業内道路のようだ。
電柱広告にキッコーマンの名が入っている。
町全体がキッコーマンなのだから入れる必要もない。しかし広告費として電柱管理者(電力、NTT?)、看板業者に払い、野田の経済をまわす。寄付しているつもりなのだろう。
全国に企業城下町はあまたあれど、市の中心の駅の周りがすべて企業という、これほど圧倒的な存在感を示す町はみたことがない。
そのキッコーマンの歴史をみるべく、かつて醤油を積みだした江戸川べりまで歩いていく。
(続く)















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