2026年3月30日月曜日

宗吾参道駅と佐倉惣五郎

 3月23日、京成の宗吾参道駅にきた。

昔、海外の学会に参加していたころ、成田空港までの電車から沿線をみていた。
臼井を過ぎると印旛沼とオランダ風車がみえ(佐倉ふるさと広場)、佐倉を出ると酒々井、宗吾参道、公津の杜、と記憶に残る駅名が続く。
いつか降りてみたいと思っていたが、行きは飛行機の時間があったし帰りはまっすぐ家に帰りたかった。一度だけ、2011年2月、早めに家を出て佐倉で降り荷物を駅のロッカーに預け、佐倉城址と佐倉順天堂をみた。

成田空港に行くことがなくなって早14年、しかし先日たまたま宗吾参道の近くに行く用事ができた。

7:49
宗吾参道駅
ひとつ手前は酒々井(しすい、1926開業)、JR成田線にも酒々井駅(1897)があるから、正式には京成酒々井駅だが、ホームの表示は酒々井である。

すぐ先に短いトンネルがあって、ここが印旛郡酒々井町と成田市の境になっている。
成田市側の隣の駅は公津の杜(こうづのもり)。こちらは杜をモリと読ませるあたり、いかにも一昔前に流行したネーミングだが、実際、京成がニュータウンを開発し、駅は1994年4月開業した。すなわち成田空港に初めていった頃はなかった。2016年国際医療福祉大学医学部が駅前に開学(大田原キャンパスとは別に成田薬学部、成田看護学部なども併設)、発展しつつある。
7:50
宗吾参道駅は車両基地がある。
京成成田駅の2つ手前で、上野から出てここが終点の編成電車も何本かある。

7:51
1928年開業だが、駅前広場や商店はない。
駅名の通りすぐ参道があり灯篭が立っている。
参道以外何もないところによく駅ができたものだ。
7:52
灯篭の下に案内板。タイルが風霜で割れている。
踏切のすぐ左がトンネル。

長野にいた子供のころから佐倉惣五郎の名前はテレビで見たか本で読んだかで聞いていた。
凶作と過酷な年貢で苦しむ農民のため、自らの命を顧みず直訴して、本人だけでなく家族すべて処刑されたと記憶する。
あれ、惣五郎だと思ったが駅名は宗吾である。
説明版のタイトルにも「義民佐倉宗吾様」とある。
しかしさらに読めば本名は木内惣五郎というらしいから「佐倉の惣五郎」であっている。

宗吾は通称だったらしい。
直訴で農民は救われたが、本人は4人の子とともに公津が原で見せしめとして磔にされたらしい。1653年、42歳の時という。
7:53
灯篭の先に山門がある。
普通は寺社の敷地にあるものだが、公道にあるのは珍しい。これなら駅名になるだろう。
鶯が鳴き、歩道わきの桜はぽつぽつと開花しつつあった。
ゆるやかな坂を上がると桜の古木が5本並んでいたが、ここは旧道ではなく新道。桜の樹齢も60年くらいか。
と考えているうちに到着。
8:05
宗吾霊堂
ふつう人を祀るのは神社である。
神社らしく鳥居らしきものが見えたが鳥居ではなかった。
「鳴鐘山東勝寺」というらしいが山門に掲げられた扁額でもなく、入口の石柱でもなく、交通安全の標語のような看板に書いてある。
8:06
平日朝ということで誰もいないが、境内には売店が並んでいる。
宗吾霊堂の公式サイトから
8:07
宗吾父子のお墓
宗吾霊堂というが、この墓があることで神社でなくお寺であることがわかる。
神社なら魂だけを本殿にまつる。
実際、東勝寺は真言宗の寺である。桓武時代の創建というから1200年前か。磔にされたとき、この寺の住職が遺骸を処刑の場所に葬り、のち、その場所に寺院を移したという。だから公津が原の処刑場は、印旛沼のほとりとかでなくこの場所だったことになる。
ちなみに真言宗の本尊はふつう大日如来だが(浄土真宗は阿弥陀如来)、ここでは代わりに「宗吾様をおまつり」(本尊)しているという。
8:07
大山門。
両袖には香取正彦(人間国宝)作 阿吽の金剛力士像(仁王像)。
楼上には、高村光雲作の聖観世音菩薩像が安置されているらしい。

ちなみに香取正彦の父は地元印旛郡出身の香取秀真で、大正時代、田端文士村の住民だったことは以前書いた。
昭和27年宗吾霊300年祭記念事業として鐘楼が建立されている。その梵鐘は香取秀真・正彦父子の共作。
本殿
なるほど、本殿扁額は「宗吾霊」

8:09
境内は思ったより広い。
東京浅草寺、成田山新勝寺に負けないくらいだから、どこにでも出没するインバウンド客がきても良さそうだが、日中は観光客が多いのかな? ただ仲見世、門前町やほかの観光スポットがない。「義民」も外国人に受けるかどうか。
8:10
宗吾霊宝殿
建物は大きく、磔になった人の遺品がそれほどあるものかと思ったが、公式サイトには
「昭和10年に開館。本尊宗吾様の遺品や関係文書、什器、当山の寺宝、各時代の参考品、郷土出土品などが展示してあります。なかでも、惣五郎様の存在と持高を証明する名寄帳、宗吾様着用の袴と奥様ご使用の鏡、宗吾様とお子様4人の法号を記した過去帳な貴重な品々を修蔵。」(原文ママ)とあった。
8:11
宗吾御一代記念館
入場料700円、本日休館(月曜)。
「宗吾様のご生涯を偲び、甚兵衛渡し・妻子との別れ・直訴から処刑に至るまでを人形66体13場面の立体パノラマでお楽しみ頂けます。」(同公式サイト)
8:12
本殿裏から霊宝殿をみる

ここから2キロくらい北のほうに子孫の方の家があるらしい。
「宗吾旧宅」と地図にあり、「義民ロード」として観光地化しているが、個人の住宅のようである。行ってみたい気もしたが、雨も降っていたし、本来の用事の時間までに帰ってこれないので割愛した。

代わりに、前々から見たかった印旛沼の干拓地に立ち寄ることにした。
8:22
低地に下りていく道は木々に覆われている。

このあたり、低地と里山が入り組み道路も羊腸のよう。印旛沼干拓地から駅にいく途中、道に迷った。
近道するはずが、結局、宗吾霊堂からくる広い道に出て、来た道を戻ることにした。

歩いていると広い道路で新しく区画整理された場所があった。
8:57
「宗吾台」という石と門柱のような対の街灯。
30分前に印旛沼に降りるときに下から見上げた新興分譲地のようだ。
この団地入口は駅のそばの宗吾参道の灯篭を思わせる。
さすがに山門を作るわけにはいかないだろうが。

続く

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