5月16日、母の3回忌、父の17回忌で信州中野に行った。
いつもは自宅に菩提寺の坊さんが来て行うのだが、今回はお寺でやった。
菩提寺は曹洞宗月宮院。
むかしは岩船の家から田んぼの向こう、山を背にした更科の部落の上のほうに見えたのだが、今は岩船、西条に家が立て込み、多分見えないだろう。
妹夫婦、弟夫婦と3夫婦6人だけでの法事、11時からだが早く着いた。
10:43
お寺の駐車場から見る北信五岳
昔はなかったビニールハウスが景観を損ねている。
母は1月、父は2月と寒い時期に亡くなったのだが、弟は命日など関係なく、一番季節の良いときにやってくれるから助かる。
もう少し前なら桃の花がきれいだっただろう。
北信五岳は北から「まみくとい」
それぞれの山名と標高は
斑尾 1382
妙高 2446
黒姫 2053
戸隠 1904
飯縄 1917
これだけ標高が違うのだが、距離の関係で良い場所だとほぼ同じ高さでしかも等間隔で見える。
かつて存在した東京南千住の「お化け煙突」のように、見る場所によって高さ、間隔が変わってくる。北信といっても長野市、飯山市では全く見えず、須坂では飯縄が大きすぎる。中野の西部、北部では手前の山が大きくて五岳が見えない。北信五岳というのは中野、小布施の、さらにごく一部だけで成立する言葉である。
帰るときに見た北信五岳
月宮院からの五岳の形は良いほうだと思っていたが、今回改めてみると、黒姫、戸隠、飯縄の間隔が近く、100点ではない。
妙高の左に小さく雪をかぶった山がある。地図を見れば北アルプスの白馬岳などではなく、その手前、金山(2245)、新潟焼山(2400)のようである。
戸隠も雪が残る。
子供のころ、五岳の標高を知った時から戸隠が黒姫、飯縄より低いのに遅くまで雪があるのが不思議だった。理由を探せば、他より西のほうにあり北西からくる季節風で積雪量が多いということくらいか。
西にある金山、新潟焼山が、同じ高さの妙高より雪が多いということも、この推測の確からしさを裏付けている。
本堂に向かう。
10:43
山門への参道
両側に常夜灯、入ると右に六地蔵。
10:43
常夜灯
裏に父や近所の「ひろちゃん」町田弘治の名前が彫ってあった。
「小林東助」は中学の時の担任の先生ではなかろうか。生きていらっしゃるだろうか。
この常夜灯はそれほど古くないから存命かもしれない。
10:44
山門の前で庭木の剪定をしている若者が二人いた。
一人に声をかけると長野市から来ている、とても感じのいい青年だった。
もう一人はあまり敏捷ではなく、切った枝を袋に入れるべく小さくしているのだが、年寄りのように地面に座り込んでいて、のんびり作業していた。
10:44
山門。
観光寺院でもなく檀家も少なく、これを維持するのは大変だ。
10:44
山門の中には農機具などがしまってあった。
と思ったら、除雪機だった。
冬、和尚さんが使うのだろうか。
10:45
本堂・金谷山
菩提寺の山号を初めて知った。
しかし寺号がなく、いきなり月宮院である。
「院」というと大寺院の子院・塔頭が多い。
上野寛永寺はかつて子院三十六坊を誇ったが、いまは護国院、養寿院など19の子院が周りに残っている。
ふつう、
寺:正式寺院、
院:寺内施設・子院・僧坊、
坊:僧侶の住居などをいう。
つまり「院」は本来、独立寺院ではなかった。
浄土宗の総本山、京都の知恩院は法然が比叡山を下りて、現在地に庵を立てて住んだのが始まり。天台宗など旧仏教側からは攻撃されたが、死後、弟子が再興し、四条天皇から華頂山知恩教院大谷寺の「寺号」を下賜されたが、院が寺の前にあり、知恩院の名が今に残った。
また青蓮院、三千院、妙法院は天台宗延暦寺の門跡寺院として皇室の子弟が入ったもので独立した寺ではない。
江戸時代以降、地方では地蔵堂、念仏道場、隠居寺などから発展した小さな寺では、正式寺号をもたず院だけ称する例が増えたというが、月宮院は近隣の寺と比べ、むしろ立派なほうである。
10:45
本堂の右(南)は和尚さんの住まい部分
私的なほうの玄関はこの裏(南)にある。
この広い寺に一人で住んでいらっしゃる。
たぶん私より二つ年少ではなかろうか。
独身であるため最近岡山のほうから後継者?がいらしたらしく一昨年の母の葬儀の時はその人もいたが、弟によると、このところ姿が見えないという。
地方の寺は檀家が減って大変とはよく聞くが、住職の跡継ぎもいない。
10:46
本堂の正面は開いていないので、住居部分との間の廊下から上がる。
10:47
本堂に上がるのは二度目か。
法事はいつも自宅だったから、ここに来たのは和尚さんを送ってきたときだろう。
いつもは隣の自宅のほうに送るのだが、ある時、ここに入った。
祖父母の法事のころから弟が運転して私が話し相手兼荷物持ちという丁寧な送迎だった。
私がまだ30歳そこそこ、和尚さんは私より若いが話好きで読書もかなりしているようだったから、私も当時読んだ面白い本の話などした。ロボット工学者・森正弘の「仏教入門」、「非まじめのすすめ」などを車中で紹介した覚えがある。
10:47
和尚さんは法事の準備をしていた。
正装前の姿は寝間着のように見える。
「月宮院」の扁額はここにかかっていた。
信州中野は曹洞宗が多い。
日本全体で寺院は約7万7,000箇所(コンビニの総数は約5万5,000店)。
最も多いのは浄土真宗の21,000。いっぽう曹洞宗は14,600あり、単一宗派としては最大だが、それでも19%である。
しかし、中野市では宗教法人として登記されている48か寺のうち、22寺(46%)が曹洞宗で圧倒的に多い。(リストはgemini)
曹洞宗が中野に多い理由は分からない。
単一宗派で1万以上もあれば、その指示系統というか組織の構造を知りたいが、知らない。
赤岩の谷巌寺がこのあたりの触れ頭のようだ。
ちなみに、北隣の飯山市は40寺あり、やはり19寺の曹洞宗が最大である。しかし浄土真宗が13寺もあるのが中野と違う。そういえば、「故郷」「朧月夜」の高野辰之が下宿し、また島崎藤村の「破戒」で主人公も下宿した「蓮華寺」のモデルは、その名もずばり真宗寺である。
・・・
さて、本堂の中を見回せばよく掃除が行き届いている。
10:48
本堂正面の入り口はいつ開くのだろう。
向こうに「一般東司」と書いた紙が貼ってある。東司(とうす)とは雪隠とともに寺院におけるトイレのことである。しかし参拝客用にという意味だろうか、「一般」という語が添えられているが、この二語のバランスは「微妙」である。
せっかく紙が貼ってあっても皆わからないのだろう、結局、となりに「トイレ」と書かれた紙が貼ってあった。
家から持ってきた両親の位牌と、農協に頼んだ花と料理を飾る。
和尚さんが卒塔婆を持ってきた。
戒名は静岳美生居士と玅覚澄性大姉
この和尚さんは亡くなると家族にどんな人だったか十分取材して、その意味を込めた戒名を作ってくれる。4文字のうち、1文字は俗名からとり、2文字は生前の人柄を表す。私をはじめ葬儀の時に初めて見た人でも皆納得する戒名であった。
読経が始まった。
いつものように冊子が渡され、6人が和尚さんと一緒に読み上げる。
しかし毎回思うのだが意味が全く分からず、早く終わらないかな~と、ぼーっとしたりたまに参加して声を出したり。
宗派によって読むお経は違うのかどうか。そんなことすら知らず、毎回退屈だけを感じながらこの年齢になってしまった。
私だったら経典の全体像(体系)と本日読むお経の立つ位置、すなわちなぜそれを読むか話し、皆で読む文言の意味も大事なところは講義したい。もちろんその都度、解説する場所は変える。そのほうが参加者も心を込めて読経すると思うのである。
この和尚さんの性格だとそのようなことを喜んですると思うのだが、どっぷり昔からの習慣に浸かってしまうと、そういう素人の発想にならないのかもしれない。
やっと終わった。
和尚さんがお茶の準備に退出されたので少し写真を撮った。
11:38
法事の場所
古い「征露忠死者霊位」と最近の「再建帰依十方施主」といった大きな位牌のほかに一般人の位牌のようなものもある。
11:38
本堂の正面の須弥壇
本尊よりも人形のような僧形の座像が目立つ。
二体は昔の住職だろうか。中野は土雛で有名で、檀家の誰かが作って奉納したのだろうか。
それにしても本堂の掃除だけでも大変である。それが庫裏から境内まで掃除、手入れはとても一人ではできないだろう。もしやられているとすれば、彼の時間はほとんど掃除になってしまう。
11:40
妻が便所に行った。
案内の目印を見れば4枚もあり、「お手洗ひ所」、「一般東司」、「トイレ」の順に貼っていったのだろう。
上を見れば太鼓と鐘がある。
ここで叩けば外に聞こえず中はうるさいし、物置ならばほかに場所はいくらでもあるだろうし、下支えの柱もない高いところに置く理由が分からず。
11:40
我々6人へのお茶も、熱いお湯を7つの湯呑にくぐらせてから急須にいれ、丁寧にお茶を入れてくださった。
以前、お茶をごちそうになったときは母屋(庫裏)の、山のほうを向いた座敷で、斜面を借景にした良いお部屋だった。そのことを言うと「いや~、もう草だらけで荒れてていて」と、私がほめたことで却って庭を見せてもらえなくなってしまった。
話題は20年ほど前に本堂の大規模修繕をした鵤(いかるが)工舎の職人さん、松を手入れする植木屋さんのことから教育のこと、ご自分のことも含め農村の後継者問題など。
読書をされ、市内のあちこちに出かけられるから話題は豊富で、発言量は彼が70%、弟が25%、私が5%ほど口をはさむ。後の4人は完全に聞き役。
昼時なのであまり長居はできず、30分ほどで切り上げた。
12:18
お茶をいただいた部屋
12:18
お茶の部屋から本堂前の庭と、例の、変わった仕立ての松が見える。
靴を履いて外に出た。
卒塔婆、位牌、花、料理を持ったのだが、料理(豪華な弁当のようなもの?)はどうするのか?
和尚さんに食べてもらえば良いと思うが、弟は仏前からの下がりものを上げるのは失礼と思ったのだろう、「料理は皆さんどうするんでしょう?」と聞いた。多分美味しいだろうが、和尚さんのほうも下さいとはいえず、「いや、持ち帰る方もいらっしゃいますし、いろいろです」としか言えない。二人で遠慮しあって、結局「できれば食べていただきたいのですが」と弟は渡した。
12:22
本堂を修復した鵤工舎(いかるがこうしゃ)はよくテレビなどに出た。
奈良の斑鳩にあると思っていたら本社は栃木県らしい。
1977年、29歳になった彼は技術の継承の必要性を感じ、徒弟制を基礎とする寺社専門の建設会社「鵤工舎」を設立。1990年には株式会社として、本社を小川の故郷、栃木県塩谷郡塩谷町とした。
いま会社のHPをみれば、奈良斑鳩の他に九州にも作業所があるらしい。
平成30年以降の施工例も載っていて、その中に
月宮院 設計・施工 庫裏改修工事
長野県 平成31年4月ー令和3年12月
とあった。工期は2年8か月。割と長い。
これとは別に本堂の工事は父が生きていたころだから20年ほど前だ。その時もずいぶん長い期間、和尚さんは工事を見ていたのだろう。
それ以来、法事のたびに、読経の後のお茶の時間、和尚さんは、職人さんたちの、仕事ぶり、掃除から道具の手入れまで、「感心したこと」などを話してくださっていた。
12:22
真新しい庫裏の反対側(表)へ向かう道
12:22
昔から自宅での法事の後、和尚さんを送ってくるときはこちらの庫裏のほうに来た。
そのころとすっかり雰囲気が変わってしまった。
鵤工舎はたぶん仕事は丁寧、立派でも、ふつうの工務店よりは高いだろう。
農家ばかりの檀家も年々減ってきて、経済的に楽ではない月宮院にいたら、私なら、檀家がくる本堂は少し力を入れても庫裏のほうは、少し安普請にしてしまうかもしれない。
12:24
法事の後の会食は福田屋ですき焼き。
12:30から予約してあるというから急がねばならない。
12:25
ところが妹の旦那が、和尚さんにつかまり、本堂の屋根の説明を受けていた。
話が長そうで、弟が「すみませんが」と中断させた。
ようやく乗り込んだ2台の車は寺を離れる。
12:28
北信五岳をみながら更科の部落の坂を下りていく。
都会に出て行った若者は、親が死んだら戻ってこないから檀家はどんどん減っていくだろう。立派なお寺になったものの、和尚さんの後はどうなるのだろう。
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