2026年8月22日土曜日

佐久市の合併前の町と小海線の路線名

8月15日、信州の実家に帰省した。今年、叔母、叔父がなくなったが葬儀に行かなかったので新盆に線香をあげようと思った。
日帰りだが、途中、佐久に寄ってみようと思い、朝一番の新幹線に乗った。

最寄りJR駅は西日暮里だが、ふだん新幹線は大宮から乗っている。
退職前は大宮まで定期券をもっていたし、定期がなくなってからもそう。長野まで乗車券、特急券とも西日暮里を起点とすると大幅に上がる。片道8130円。一方大宮からなら6580円。1550円も違う。大宮までの運賃を普通の乗り越しで払っても1150円違うのだ(2025年)。そのうえ、上野から乗るときはいったん逆方向に行くのと、上野ー大宮間は速度も大して上げていないのか、時間はほとんど変わらない。
それに今でもダンスのレッスンを受けに大宮まで通っているので、大宮まで行くのに慣れている。

ところが今回指定席をとらなかったので、座れる確率が高い上野から乗ることにした。
6:32
東京駅から来たはくたか551号はガラガラ
15日の早朝ということもあるだろうが、これなら大宮から乗ってもよかった。

日暮里駅のあたりで地上に出た。
いつも通る田端、王子、赤羽などは少し高いところから見るだけで景色は新鮮だった。
写真を撮ろうとしたが、どれも過ぎてしまい、大宮についてしまった。
6:52
大宮駅
1981年から2013年まで大宮周辺の3か所に住んだからここは通過、乗換、買い物駅としてずいぶん世話になった。千駄木に引っ越してからも勤務先は大宮の先だった。
1982年に東北新幹線の始発駅となり、埼京線が開業した時は東日本最大の駅といわれ、大宮はどんどん発展するかと思ったが、そうでもなかった。

はくたかは大宮を出ると熊谷、本庄早稲田、安中榛名をとばし、高崎、軽井沢に止まって佐久平についた。ここで小海線に乗り換える。

佐久は国道18号、信越本線という軽井沢、小諸、上田を経て長野に向かう主軸から外れている。これらは北佐久郡を通っているが南の佐久市は通らない。だから今まで行ったことがなかった。上信越自動車道、北陸新幹線が佐久市を通るようになっても素通りするだけだった。
7:50
佐久平の駅舎から浅間の裾野が見える。
小海線の発車は8:02だが、外は古い街がなく駅から出たいと思わなかった。
あとで調べたらショッピングモールとか新しい商業施設ができているらしい。

佐久は東信の中心である。「信濃の国」にも一番後半で「松本伊那佐久善光寺、四つの平は肥沃の地~」とうたわれた。しかし、長野県の他の市すなわち松本上田飯田などが中心となる町を核に大きくなったのに対し、佐久はそうではなかった。市の名前も他が核となった町の名であるのに対し、佐久はもっと広い、ぼんやりした郡、地方の名である。
千葉や仙台などではなく、相模原市のようである。

もともと南北の佐久郡すなわち千曲川沿いには岩村田、野沢、中込、臼田といった古くからの町があり、前3者が1961年に合併して佐久市が誕生した。日本の多くの市ができた昭和の大合併は1953年から始まり信州中野、須坂、飯山、小諸など多くは1954年にできたから、佐久市というのは比較的遅い。
おそらく3つの町がまとまらなかったのだろう。
岩村田は岩村田藩(内藤15,000石)の陣屋町、中山道の宿場町で明治22年の町村制施行と同時に町となった。野沢は明治30年には町制をしき、1901年には上田中学分校として旧制中学が設立された(のちの野沢北高)。1911年には町立野沢実科高等女学校(のちの野沢南高)もできた。
中込は町となったのは1919年だが、明治8年(1875年)に完成した旧中込学校(県宝、国の重要文化財)がある。国内の学校建築のうち現存する最古級の擬洋風建築物である。
この佐久市に、2005年平成の大合併で、北西の望月町、浅科村と南の臼田町が吸収され、人口は飯田を抜いて長野県4位となった。望月町は中山道の宿場があったし、臼田町は1893年には町制をしき、農村医療で有名な佐久総合病院(本院)がある。
要するに佐久市は核が一つではない。
だから佐久市を見ようと思ってもどこに行ったらいいか分からない。

小海線乗り場のほうに通路を歩いていくと、改札もなくいきなりホームがあった。
無人駅と考えれば当然なのだが、新幹線の駅舎の新しさから意外性がある。
7:59
小海線の佐久平駅は1997年新幹線が交差することで地元負担によって新設された。
普通、在来線と新幹線が交差するときは新幹線が上を通るのだが、ここは在来線が上である。
幅広2本の線路を高く作るより単線を高架にするほうが簡単なのかと思ったが、ちゃんと理由があったらしい。新幹線はこの駅の東も西も地下トンネルに入るため勾配関係から地上にしたほうが良かったのだという。
8:01
新幹線の駅だが小海線のほうはプラットホームが一つだけ。
二本あれば電車が来る方向がわかるが(左側通行)、これだとどっちから来るかわからない。
殺風景な景色に浅間がないから右から来るかな、と思ったら当たった。

列車に乗り込んでから切符がないことに気が付いた。
新幹線改札を出てから落としたらしい。降りて探そうか、いや、そんな時間はないだろう、と思っているうちにドアが閉まった。
小海線はワンマンカーと無人駅だから降りるときにごたごたすると迷惑になると思い、次の駅で停車中に運転手に申し出た。
「新幹線を降りるとき2枚のうち1枚とらなかったんですかね?」と言われた。確かに1枚とったのだが、いいえ取りましたといっても意味がないので、そうかもしれませんといった。
「途中で運転手が変わるので申し送りしておきましょう」といってくれた。

先日も地下鉄24時間券(700円)を買ったらすぐなくしたばかり。年だろうか?
8:15
列車ドアの上の駅名一覧は絵地図になっている。
小海線は小諸と小淵沢を結び、八ヶ岳高原線という別名もあるらしい。

佐久平を出ると岩村田、北中込、滑津、中込、太田部、龍岡城、臼田と続き、その先は主な駅として八千穂、小海、信濃川上、野辺山、清里などを経て小淵沢までいく。

中山道岩村田宿と甲州街道韮崎宿を結ぶ佐久往還(信州では甲州往還)は野沢(中込の西)から南はずっと千曲川の左岸(西)を通っていたのに対し、小海線は小海まで人家の少ない右岸(東)を通る。

野辺山は日本の駅で最高地点(1345m)で、その清里側に1375メートルの線路最高地点がある。全国の駅の標高の高さ1位から9位までが小海線という高原鉄道である。また小海と臼田の中間にある海瀬駅は海岸から一番遠い駅らしい。
8:18
中込駅で運転手が交代した。

小海線は一度だけ乗ったことがある。
大学2年の1976年暮れ、山梨県回りで実家に帰る途中、信濃川上に降りて由井克之君の家に泊めてもらった。一緒に訪ねた高倉仁史君と由井の兄上と4人で夜遅くまでポーカーをやった。
彼は剣道班の同級生で信大医学部に進学、根っからの学者肌で、ペンシルバニア大で研究室を持ち、のち長崎大医学部の教授になった。
高校時代の彼は実家(信濃川上)から東京へ行くときは、北回りの小諸経由でも南回りの小淵沢経由でも変わらない(運賃同額)から、円を描くような切符を買った。そうすれば東京で乗り降り自由となる。

そんなことを思い出しているうちに降りるべき龍岡城駅に着いた。
さて、私は切符がない。
田舎だが駅間が狭く、佐久平から6駅なのに220円である。
前の運転手さんが「あ、そうですか」といったのは払わなくてもいいとも取れたが、払う気でいたら代わった運転手さんも「あ、いいです」と言ってくれた。
8:27
お言葉に甘えて、お礼を言った。
そして南に去っていく電車に(運転手さんからは見えないだろうが)最敬礼した。

龍岡城駅は近年はやりの観光地風の駅名だが、1915年大奈良停車場として開業、戦時中に廃止され、1952年新設の形で営業再開された時から龍岡城駅である。

ちなみに小海線の小海は平安時代に八ヶ岳の噴火で千曲川がせき止められ湖ができたことからの地名(小海町役場HP)というが、沿線でも小さな目立たぬ町である。
そんな町がなんで路線名になったか?

もとは佐久鉄道だった。
1915年 、小諸駅 ー 臼田駅間(21.08 km)開業
1919年、臼田ー小海 延伸開業
つまり終点だった。

いっぽう、1932年鉄道省が小海から南の佐久海ノ口まで鉄道を敷き、その部分を小海線とした。当然の路線名である。
さらに、1934年鉄道省は南のほう、小淵沢ー清里間を開業(小海南線)、また佐久鉄道線を買収し(小海北線)、1935年、清里ー佐久海ノ口が延伸開業、小諸から全通して、小海線と改称した。
国は当初から中央本線と信越本線をつなぐということが国家的利益になると思ったのだろう。佐久鉄道を買収する前は、小淵沢から小海までの路線だから、小海線という名前は不自然ではない
8:28
龍岡城駅
佐久市に合併前は南佐久郡臼田町
ホームの観光地図は龍岡城ではなく「星のまち・うすだ」
夜空がきれいというのはどこでもあるが、JAXAの臼田宇宙空間観測所が設置されている。
1986年に来るハレー彗星の観測のため、1970年代から日本も惑星間宇宙探査機を打ち上げる計画があった。
当時、人工衛星を打ち上げる技術はあったが、探査機を地上から操作する通信設備がなかった。その建設を目指し国内10地点を調査し、標高が高く湿気が少ない、また電波雑音も少ないということで臼田の国有林が選ばれ、1980年現地調査、1984年開所した。
一般見学施設もあるらしいが、駅に看板を作るほど、利用者はここで降りないだろう。

また近くの野辺山(南佐久郡南牧村)にあるのは電波天文学の聖地といわれる国立天文台の野辺山宇宙電波観測所である。

時間がないのでさっさと出発。
緩い上り坂を東に歩いていく。
8:36
左の畑は獣害除けのネット
右は大豆のように見えたが、別の畑でインゲンが生っていた。(背丈が短いインゲンは初めて見た)
このあたり、有名な佐久の高原野菜、すなわち広大なレタス、キャベツ畑は見えない。
足早に通り過ぎる。
8:39
目的地 龍岡城址に到着
しかし道路のわきに石垣があるだけで着いた感じがしない。
地図を見れば「桝形跡」とある。城の端だったのだろう。
しかし回りは普通の農村。
さらにまっすぐ歩き、右折すると五稜郭の稜の一つについた。

8:44
龍岡城の北の稜
五稜郭・龍岡城と城主大給家のことは別のブログで書く。

小海線の列車は9:20発で、それを逃すと11:43までない。
城に滞在できる時間は15分。
大手門跡の前の資料館の見物もあわただしく9時過ぎには城を後にし、駅から真っすぐ来た道に戻った。

正面に立派な寺がある。
9:05
蕃松院
このお城と寺の間の道は江戸時代からあったようだ。

道路標識をみれば右(東の山のほう)へ行くと新海三社神社という。
ん? 新海?
アニメ「君の名は」「天気の子」などを監督した新海誠は佐久の出身、野沢北高卒である。
この神社と関係あるのかと思ったら、彼の本名は新津誠で、出身地の南佐久郡小海町から海の字を入れたようだ。

さらに東へ行くと日本で最も海から離れた場所があるらしい。
〒384-0412 長野県佐久市田口 字榊山209-1
群馬県甘楽郡南牧村との境界付近。
最寄りの海岸からの距離: 114.86 km
1996年、国土地理院の調査で決定した。

それ以前は海から遠い場所がどこかはっきりせず、北海道の内陸という話も聞いたことがある。ちなみに、北海道で海から一番遠い地点は、美瑛岳から東へ約7 km離れた山中で、最寄りの海岸から 108.2 kmである。

新海三社は遠いから行けないが、蕃松院はすぐそばだから寄ってもよかった。しかし列車に遅れるのが怖かった。真っすぐの道をずんずん歩いて龍岡城駅に戻ってきた。

9:20
やがて左から小諸行きの列車がやってきた。
列車が止まると超満員。こんな田舎でなぜだ?!と思うほどの満員。
乗ると南アジア系の外国人ばかり。
インド人のような顔もあるし、中国人に似た顔もいる。共通するのは皆あどけないほど若くて日に焼けていること。

話しかけるほうが自然なくらいぎゅうぎゅうに彼らに囲まれた。
どこから来たのか? インドネシア。(多民族国家だから納得)
どこへ行くのか? 佐久平。
新幹線に乗って東京へ行くのか? ノー
じゃあどこへ行くのか? 佐久平。
ファームで働いているのか? そうだ。
 
後で思ったが、彼らは佐久平のショッピングモールに行くのだろう。

川上村などの高原野菜の産地ではかなり前から外国人が働いている。
2023年の数字だが、人口4000人の川上村は農家の約8割(400戸)が外国人技能実習生を受け入れていて、農繁期の在村実習生は1,100〜1,200人という。(NBS長野放送)
最低賃金や有給休暇、深夜割増賃金の遵守も当局から指導されている。
8月15日、土曜だかお盆休みだか、彼らはその休暇で遊びに行くものと思われる。

9:42 
無事佐久平についたが、混雑のため50年ぶりの小海線の景色は見られなかった。

(続く)


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