2018年2月16日金曜日

熊谷3 八木橋の中山道、入れない熊谷寺

熊谷は埼玉北部の中心都市として知られる。
埼玉県の4つの旧制中学の一つがここに置かれたし、埼玉で市制施行したのも川越に次いで2番目である。
江戸時代は中山道の熊谷宿であった。前後の宿場と違ったのは、西の秩父、東松山、東の行田、館林、太田などから中山道に出るときが熊谷だったという、地理的環境だろう。
現在でも17号(中山道)のほかに、南北から407、東から125、西から140号が入っている。

2月16日、中山道沿いの埼玉慈恵病院の近くで用事があった。終わって、街道沿いを江戸方面に歩いた。東京、大宮あたりに住んでいる人間の頭では、江戸は南という感覚だが、この道は東にすすむ。確かに中山道は東海道とともに東へ向かう道だったことを思い知る。
まもなく、八木橋百貨店にぶつかった。

中山道跡と石碑があるが、この横に走る通りは中山道でなく、昔の新田道(太田道)。利根川を渡って群馬へ通じる。中山道はこれを横切って、なんと、このまま百貨店の中を入っていくのだ。

ふつう、百貨店の1階は婦人物のカバンや貴金属などが多いが、
八木橋百貨店、なかなかやるじゃないか。
旧中山道のあとは、老舗の和菓子中心の店が(街道脇に)並ぶ。
団子を食べられる長椅子があればなおよい。

かつて地方都市の中心にあった地元密着百貨店が中央の資本に買収され、その百貨店が郊外量販店に押され、つぶれていくなか、川越の丸広などとともに残っている。春日部ロビンソンも残ってほしかった。
デパート西口から入り、東口からでると、ここにも石碑。
かつてこの地点から南に石尊街道(鎌倉街道)が始まった。鎌倉時代から交通の要衝だったのである。


前回訪ねた片倉シルク記念館がそばにある。

八木橋百貨店から出て、ふと横を見たら、なんか立派な寺があるではないか。
 浄土宗 熊谷寺(ゆうこくじ)
すべての入り口は閉ざされていた。隣の稲荷神社に入っても、そこから地続きの寺に入る道はない。徹底して閉じている。
「参拝・観光等 一切不可」
「カメラの焦点を合わせる前に手を合わせましょう」
とある。

・・・・・
(2021年10月訂正)
(理解不足から不適切な表現があったため、深く反省し、ここにあった文章をそっくり削除しました。)
・・・・・

帰宅して調べたら熊谷寺は、熊谷次郎直実が出家して住んだ庵のあとに建てられたそうだから、彼の名前からとったのだろうか。もちろん熊谷の地名はそれ以前からあり、次郎直実(平氏)もそれを苗字にした。

なおも歩くと高城神社があった。
隣で結婚式もできる。熊谷はなかなか文化度が高い。
日本一長いおみくじ(1メートル)で有名。
イチョウか。
枯れた部分が多く、神々しさがない。
下のケヤキもそうだが、木々の神々しさは古さではなく、大きさである。この2本とも途中で折れ、枯れそうな状態では、ありがたみがあまり感じられない。

町の中心を流れる星川。
両側は石畳を敷き詰め、飲食店が並ぶ。大宮や浦和よりおしゃれな町だった。


4 件のコメント:

  1. ご意見ありがとうございます。熊谷寺じゅうしょくでございます。
    以前は当山も限定的ですが日曜日のみ開門しておりました。(現在は特定日のみです)
    ところが檀家さんの法要中にも本堂へ入ってきて大きな声で話をしながら写真を撮り続けるといったそういう方が少なくありませんでした。立入禁止区域もお構いなしです。
    法要中ですのでご遠慮くださいと申し上げても「観光ですけどダメなんですか」と拝観目的なら何をしてもいいような返答しか帰って参りません。
    49日等でまだ悲しみも癒えないお檀家様もいらっしゃいます。
    それ故、お檀家様達と話しあい、特定の開門日以外の観光は一切お断りさせていただくといった結論に到り現在のようになっております。

    お寺は「祖先の恩に感謝し、共に浄土へ生まれんと願い合掌しお念仏を称えるところ」であって、観光で訪れ写真を撮るための所ではありません。ご理解のほどお願い致します。

    寺の人間と雖もみな凡人です。特別な存在では無いことは私も承知しております。それ故、このような掲示しかありませんでした。ただ、何故このような掲示がされているのかもお考えいただけると助かります。
    長文、失礼しました。

    返信削除
    返信
    1. そちらのご都合を考えずすみません。
      どうせ誰も見ないブログだと思い、失礼なことを書いてしまいました。
      近頃珍しいくらい閉じられたお寺でしたので、つい感じたことを(自分の記録用)書いてしまいました。

      思えば、昔は今ほどお寺、墓地には入りませんでしたよね。
      私の住む谷中でも寺はいっぱいありますが、私は遠慮していました。それが最近、寺社や自治体が入口に縁起や有名人の墓について紹介する案内板を立て、招いているかのような寺も増えました。散歩ブームで休日ともなれば堂々と入る人が増え、私も4年ほど前から、それに便乗している一人です。

      挨拶したほうが良いとも思うのですが、外で作業されていらっしゃらないときなど庫裏のまえで声を上げてお呼びするのも憚れ、そっと入りそっと出てくることが多いです。
      ごくたまに住職とお話しできることもあり、感激することもあります。
      https://tkobays.blogspot.com/2020/01/blog-post_6.html

      しかし一方では、ブログにも書きましたが、黙って入るのは住職、檀家の人は面白くないだろうな、とは思っておりました。文字通り境内、墓域に土足で入っていくわけで(不法侵入)、全く申し訳が思いつきません。熊谷寺は立派ですから余計散歩人が入りたくなるのでしょう。ましてやお書きになられたように法要の最中に本堂に入るとは言語道断ですね。普通の人は何もなくても建物には入りません。

      これも本文に書いてありますが、門を閉じる寺があるのは、当然のことで、私どもが不満を言うことではありません。この張り紙に至るまでに大いに悩まれたことも理解しました。すみませんでした。

      ご不快なこのブログを削除したいほどですが、なかったことにするのもルール違反と思われますので、恥をさらし、私への戒めとして残します。
      すみませんでした。

      削除
  2. 早々のお返事ありがとうございます。気づかずに数日過ぎてしまい申し訳ございませんでした。

    寺院には観光を生業としているところもあります。当山はそういった趣旨では無かったのですが、以前、埼玉国体の会場のひとつが熊谷になったとき、熊谷に見てまわるところが無いので当山を開けて欲しいとのお話しがあり、そうした期間もありました。
    ですが、「何もねえなぁ」と言いながら帰る人たちの声を忘れることができません。
    そもそも何もないのです。国宝や重文があるわけでもない。本尊が安置してあって、それに手を合わせるしかすることは無いのです。信仰というものをお持ちで無ければ何もなくて当たり前なのです。

    実際に、門前で手を合わせている方を偶然お見かけして、「もう少し近くで拝んでいってください、中へどうぞ」と申し上げても、「ここで充分です」とご遠慮されるかたがいる一方、門扉を開けて玄関まで来てチャイムを押し、「見られないんですか?」という方もおられます。

    すべて受け入れるか、すべてシャットアウトするか、どの程度の具合にしたらよいのか、実は私自身は結論がでておりません。
    今後もはっきりした答えは出ず、試行錯誤の繰り返しに成るかと思います。ご迷惑お掛けして申し訳ございません。

    このブログですが、削除なさらなくて結構です。いろいろな意見や感想があって然り、またそれに対する答えもいろいろあって当然です。
    他の読者の方が、これを機にいろいろと考えてくだされば喜ばしい限りです。

    返信削除
  3. なるほど、そんな無礼なことがありましたか。
    ひどいですね。
    前のコメントでのお話に加え、そのような状況では門をお閉じになるのは分かります。
    私も絶対門を閉じます。
    あの注意書きには、想像力が足りず、逆の方向に反応してしまいました。反省してます。

    返信削除