2018年12月26日水曜日

谷中天眼寺とパン屋のリトルマーメイド

12月16日、長野の弟がきた。
私が長岡へ行った話をしたら、彼は小千谷会談の慈眼寺に行ったという。
「じがんじ」というから、
「いや、寺はふつう呉音だから、ガンじゃなくてゲンじゃないか?」 
ネットを調べたら、同名の寺は、染谷墓地の裏をはじめ全国あちこちにある。
「じがんじ」と読むのもあり、結論付かず。

そのあと皆で根津のはん亭と横山大観記念館に行く。

解散後ひとり歩いて千駄木に戻る途中、言問通りに出た。

寺がある。
このあたり珍しくもないから無視しようとしたが写真を撮る。
なぜなら「天眼寺」。
朝の会話を思い出す。
てんげんじ? てんがんじ?

山門不幸とは住職がなくなられたか。
このまま通り過ぎるところ、はっとした。
太宰春台の墓があると看板が出ている。

長野県人なら皆知っている。
しかし私を含め誰も、彼が何をした人か知らない。
とにかく県歌「信濃の国」で子どものころから皆大声で歌った。
5番は偉人をうたう。

旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛も
春台太宰先生も 象山佐久間先生も
皆この国の人にして 文武の誉れたぐいなく
山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽きず

しかし、木曽義仲はまだしも、信玄の五男・仁科信盛、儒学者の太宰春台とは地味すぎる。1900(明治33)年、浅井洌(1849 - 1938)が作詞したときの、長野県の偉人とはこんな人しかいなかったのだろうか。
まあ、真田幸村、小林一茶も偉人という感じじゃないし、明治以降の人をあげると差しさわりがあるし。


そっと入るが、都会の寺らしく境内は狭い。
建物の間から奥に墓が見えた。

奥平松平家?
それほど大きな墓域ではないのだが春台の墓は見つからず。
諦めて帰ろうとして看板をよく読むと
円頭角柱形の桿石、隷書で「太宰春台先生の墓」と題、高さ1.32m、
とあるので、再び戻るもやはり見つからず。不思議。

天眼寺を出たあと、言問い通りを北にわたる。
ここは善光寺坂という。
江戸切絵図(近江屋)にすでに善光寺はないけれど、天眼寺の上にセンコウシサカ、善光寺前町、善光寺門前の文字がみえる。松平伊豆守(大河内)の上は寛永寺。
寺、坂、道の多くは今もある。

1978 -80年頃、その坂の途中に、今は駅ビルなどでよく見るリトルマーメイド、アンデルセンのパン屋があった。

現在自炊すれば多分スーパーの安い食パンばかり買うであろう私としては、信じられないことだが、40年前はここのパンをよく買った。

理由は食器がもらえたのである。
コーヒーカップ、スープカップ、小皿などAndersenと書かれた食器は、1981年就職と同時に箱に入り、大宮寮を出て団地住まいとなった1983年復活した。
翌年そこへ妻が嫁に来た。
ほとんど使ってもらえなかったが、彼女も覚えていた。
どこかにあるかもしれないと言われ引越しの段ボールを探したがなかった。
捨てられたらしい。

谷根千74号(2003)にリトルマーメイド根津店のことが書いてあった。
ここにあった善光寺湯(「時間ですよ」のモデルとか)のオーナー松田橿雄さんが廃業、1976(昭和51)年にビルに建て替え、広島と青山にあったアンデルセンのフランチャイズ店になり、彼自ら青山店で修行したという。当時はまだ珍しく車で買いに来る人もあったとか。

15年前、2003年の時点でも、毎月15日のリトルマーメイドの日に600円以上買うとオリジナル食器がもらえたようだ。40年前はどうだったのだろう?

その場所がいったいどこだったか、以前来たときは分からなかったのだが、今回、天眼寺の並び、少し上に「マツダフラット」というマンションを見つけた。名前からして多分ここの右側1階だろう。
残念なことに、いくら見ても当時の店内の記憶は浮かんでこない。


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