2018年12月12日水曜日

上野駅の思い出、昭和と平成

千駄木は上野に近い。
この日も日本医大(薬剤部)、東大経由という遠回りになったが、歩いて上野駅まできた。
2018-12-05
公園口改札の内側

上野駅。
6年前、32年ぶりに谷根千に戻り、近くに住んだら、皮肉にも上野駅に降りることはなくなった。
中央口

しかし、ずいぶんお世話になりました。
学生時代、長野から信越線で着くのは上野駅。
帰省するとき、寮から渋谷に出ると、上野は山手線で対角線上にあり一番遠い駅だったが、ここが故郷と東京を結ぶ場所だった。

谷中に住んでからは、しばしば公園口からアパートまで歩いた。
薬学ボート部にいたときは、秋になると戸田の艇庫に泊まり朝練、川口―上野間の定期をもっていた。
M2のときは取手に帰る女性をしばしば上野駅まで送って、そのあと実験に戻るか、そのまま歩いて帰ったりした。

32年間の埼玉時代、
大宮寮2年、東大宮6年、伊奈町7年、指扇17年、
都内に出るときは宇都宮線か高崎線で必ず上野に出て乗り換えた。
出張で東京駅、千葉、神奈川、羽田へ行くのもまずは上野駅。

そうだ、妻の実家の取手に行くときも上野乗り換えだった。

1987年は大学に出向したから、1年2か月、毎日上野駅から歩いた。
81年からずっと、生協で本を買うとき、
薬学、遠藤研、長尾研などに行くとき、
いろんなとき、公園口か不忍口から歩いた。

それが6年前引っ越してからめっきり減った。
千駄木だと山手線、地下鉄に乗るから上野に降りることはない。
大学含め、かつて上野から歩いたところも今は歩きか自転車

先日、小川潔先生(学芸大名誉教授)主催の上野しのばず学習会に初めて参加した(12/1 谷中の家)。
彼は彰義隊隊士のご子孫として上野公園で生まれ育ち、最も上野を知る人。
テーマは「上野駅の歴史」。
一番の収穫は小川先生にお会いしたことだが、自分にとっての上野駅の記憶も確認した。

そんなこともあり、ひさしぶりに駅構内を回ってみた。




不忍口から入るといきなり低い天井。
山の手、京浜東北はすぐ上がれるのだが、埼玉に行くには狭い通路を歩く。
かつての日々、たいてい急いだ。

5番線以降の下に出る。
時刻表を見て、大宮駅先着の列車が13番線以降だと、さらに急いだ。
この辺りは変わっていない。

公園口のレベルに上がると
入谷口
正面玄関のデッキに出られる改札だが、ほとんど使ったことはない。
昔はどんな形だったか記憶なし。

エキュート。あれアトレ?
いや、改札内だからエキュート。
しかし、アトレとルミネの違いは知らない。
そういえば、ルミネになった新宿マイシティの景品手鏡を、今もたまに引き出しから出して顔をみる。卒研生で来られたWさんに1978年もらったもの。

ここは昔何だったか?


書棚の1986年の時刻表を見ると大連絡橋広場とあるが、景色が浮かんでこない。
85年新幹線開通前の時刻表もあるはずだが、見つからない。

公園口から入ってトイレの前を通ると13~番線への連絡橋になる。
ここはすべてのホームに降りられる。

 

帰省するときは、急行は赤羽から乗るときもあったが、ほとんど上野から乗った。
たいてい自由席で、ホームに並んだ。
あるとき座るのは難しいかな、という位置にいたとき、前のほうにいたおばさんが手招きする。
「この子が上田まで行くんだけど連れて行ってもらえないかね」と少女を預けられた。座れただけでなくお菓子までもらった。安全そうな男に見えたようだ。

特急は二人席だったが、急行は4人ボックスだった。
いつもかわいい子と一緒になればいいな、と期待したがそんなにうまくはいかない。
若い男はいつも同じことを考えていたようで、剣道班の1年先輩、マンガ家の井浦秀夫さんも自伝的作品「夜明けの探検隊」(あれ、「あっぱれ桜田」だったか?)で描いている。主人公は上野から長野に帰るとき、かわいい子をみつけ、隣に座りたいけど、周りがガラガラで、座るかどうか迷っているのだ。

各駅停車で帰省したとき、熊谷女子高の生徒と同じ席になり数学を教えたことがある。当時の高崎線は高架でなくても富士山がよく見えた。

写真中央奥、11,12番線の向こう、突き当りは食堂だったが、

その場所は本屋になっていた。

長女が幼いころ、正月に取手で風邪をひいた。帰省の戻り客で混雑する中、熱でぐったりした娘を抱く妻をこのあたりで出迎えたことを思い出す。

16番線は常磐線などの特急列車がでた。
当時は階段を下りるところに特急券の改札口があった。

なつかしの13番線に降りてみる。
地下ホームは中央改札から来る最後尾と、ここから降りる先頭部分しかホームに行けない。

上野東京ラインになり、多くの列車が地上階の5番6番を使うようになった。
行き止まりだった地下ホームは空き、新しい使い方を考えているはず。
ひょっとしたらもう変わっているかもしれない、と行ってみると、
13番線
全く変わっていない。
古びて埃がたまっているかと思ったら、むしろ昔よりきれい。

行き止まりというのはいい。
京都駅嵯峨野線、長崎駅、

昔よりきれいになっている理由が分かった。
四季島利用者の専用待合室

10両編成なのに、展望、ラウンジ、ダイニングに4両とり、客室は6両。
あの長い車両にわずか2~3室しか作らず、全部で17室、32人。
1両当たり3人という贅沢。
スタッフの方が多いのではないか?

12月は2泊3日のコース、一人100万円くらい。
最低3日以上空けなくてはならないから、出発が8,11,15,22,25,29日。



大宮から乗って地下ホームに到着すると、先頭方面まで歩き、中央改札の前で右に曲がって山手線などに向かった。
そうだ、ダンスを始めてからは、この中央改札(写真左方向)から出て日比谷線、銀座線に乗り換えた。

近年の新幹線と上野東京ラインの開通で、明治以来の上野駅の重さは軽くなる一方、
上野公園を擁するため外国人が非常に多い。
昭和は遠くなりにけり。


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