2019年1月8日火曜日

上野公園1 聚楽台と映画館あと

上野駅不忍口を出れば、上野公園の山下。
すっかりおしゃれになった。

UENO3153   2018-12-23

3153は西郷さんというらしいが、暴走族の落書き「4649」みたい。
高輪ゲートウェイを思わせる。わざと田舎っぽさを出したとも考えられるが、単にバカな中学生みたい。

ウィキペディアから写真を借りる。
2007年4月
かつては一階に小さな土産物店が雑居し、二階が聚楽だった。
一階の迷路のようなアジア的アメ横的雑多な感じは、今外国人が見たら喜んだであろう。

二階のレストランは、谷中にいたころ、妹と母と3人で入った。
一人ビールを飲んでいる男性と相席にさせられた記憶がある。

母が一人で上京したとも思えないが、父はいなかった。
母は寿司だったが、箸の使い方が気になった。
滝を模した水流もあったというが、見たような見なかったような。

ホテルチェーンのテレビCM「じゅらくよ~ん」からてっきり聚楽だと思っていたが、「聚楽台」であった(秀吉のは聚楽第)。1959年から2008年まで株式会社聚楽が経営。
なお建物全体は上野百貨店あるいは西郷会館といったようだ。

そのときはまだ崖の中に入っているという感じだったが、今や上野の山をそっくり隠すビルである。

一階はロッテリアなどが入るフードコートになっている。
聚楽がなくなって初めて入ったのは、2014年1月。今中氏とピザかなんかを食べた。
2014年3月には出張で上京した岩田氏に会った。
夜は練習があったので、朝、ここのベーカリーでパンを選び、日当たりのよいテーブルでガラス越しに歩く人を眺めながら食べた。そのあと公園を散歩。私が突然転職、転居して1年、いろんなことを聞かれた。

いま聚楽台はガード下にある。
「じゅらく」と改名。
台をとったのは、下に降りたから? 
ひらがなになったのは読めない人が増えたから?
じゅらくも、こうなってしまっては入る気がしない。

なお、アメ横入り口、Tax freeのヨドバシカメラの場所はカバン屋だった。
山のように商品をぶら下げていた。
一つくらい買ったかもしれない。

2018-12-23
聚楽台のならび、公園口改札側には映画館が並んでいた。

1981年ころ、池田さんが新聞屋さんからもらったチケットをもってきたが、ヤクザ物や時代劇ばかりで見る気がせず、ボートに乗りに行った記憶がある。


今やこうなった。(Google view)

整理すると
北から

1 上野パーキング(上野の森美術館の下)
30分250円
家のそば(千駄木小前)でも30分300円だから、場所を考えるとそんなに高くない。

2 上野東宝ビル 
1954年 上野東宝(一階)・上野宝塚(地下一階)開業。
2003年8月閉館
2005年4月 上野バンブーガーデン
焼肉土古里のランチはお得

3 上野の森さくらテラス
1953年 上野大東ビル 上野松竹デパート、2階に「上野松竹映画劇場」「上野セントラル」地下1階に「上野映画劇場」と「上野名画座」
2006年映画館は閉館 
2012年解体 
2014年オープン

4 UENO3153 
1959年聚楽台(西郷会館)
2008年閉店 
2010年解体、2012年営業開始

バンブーガーデンだけ早い。
こうしてみると2003年までは3つともあり、2010年でも懐かしい景色が見えたのだ。
写真を撮っておくべきだった。残念。

ビルの名前をもう一度考えれば、
さくらテラスは、花見の名所上野を表すものとして分かりやすい。
バンブーガーデンは、パンダの竹ではなく、かつて上野の山が竹の台と呼ばれたことから来ているかもしれない。東日暮里の都立竹台高校は、1935年寛永寺の塔頭、西洋美術館辺りにあった凌雲院内で創立した(市立第四高女)。
こうしてみると、3153も上野に関係した名前がよく、旧名西郷会館であったこともあり、無理やり作ったのだろう。


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