2019年1月13日日曜日

上野公園5 正岡子規球場と大噴水

不忍池から石段を上がり、上野駅公園口に向かう途中、
中央通りと韻松亭からの道などが集まる交差点のそば。

昔、ここに桜の木があった。
2019-01-06
今見ると一本だけ、途中で折れている桜がある。
これだろうか?
31年前の1988年4月8日、都心で9cm積もるという記録的大雪。
ここの桜が花の付いたまま折れた。
薬理の遠藤實先生、飯野正光先生のところに内地留学してちょうど1年、
この道を毎朝歩くのも残り2か月となったころ、折れた桜の枝を研究室にもっていった。
飯田さんが飾ってくれたかどうか、記憶にない。

この桜からすぐ東に小さい山がある。
摺鉢山という古墳。
あがると平地。

間隔をあけていくつか直方体の石が置いてある。
焼けた寛永寺の伽藍のどこかに使われていたものだろうか。

1980年、池田さんを駅まで送っていったとき、
たまにはこの石のどれかに座って話をした。

摺鉢山を西に下りると、かつて空き地があった。
通りからは木立で遮られ、ホームレスの人たちが青ビニールシートを張っていた。
たまにイランかパキスタン方面の人々が立ち話をしていることもあった。
昔テレホンカード偽造事件のニュースのときは、この場所を想像した。

2019年来てみると、土の地面もすっかり舗装されきれいになっていた。何やらいろんなものが置かれてフェンスに囲まれている。もはや落ち着いて住めるような場所ではない。

・・・・
この反対側、摺鉢山と東京文化会館の間に小さな野球場がある。
いつの間にか、正岡子規記念球場という名前がついてしまった。

調べたら上野公園開園130周年を記念し、2006年につけたという。
しかしなぜこんな名前を付けたのか?
 

私は反対である。
子規は野球が好きで、上野公園の空き地で野球したことは「筆まかせ」に書いてある。
しかし、彼はいろんなところで野球をしただろう。
公園内でも(あとで述べるが)東京都美術館のところにも野球場があったし、この場所が子規と関係深いわけでもない。

もし子規が住んでいた場所を記念して(忘れないように)、子規記念公園と名付けるなら分かる。しかし、とくに関係のない土地に、勝手に「記念」とつけた名前を付けるべきではない。各地の王仁記念史跡(→上野公園4)のようになってしまう。

また、公園内に球場が一つしかないのだから、とくに名前は必要ない。

台東区だか東京都だか知らないが、上野公園は十分有名なのだから、話題作りはいらない。もう上野公園は、余計なことをしてほしくない。

さて、この野球場の前に公園管理事務所がある。
1979年ころ、早朝、谷中から自転車でここに来た。
この野球場を予約するためである。
他の研究室との対抗試合で、普段は御殿下とか農学部とかのグラウンドを使っていたのだが、一度くらい、この球場で野球をしてみたかったのだ。
どのくらい競争率が高いか分からないので、まだ薄暗いうちに来たら誰もいなかった。

覚えているのは、このとき別冊マーガレットを読みながら、ひとり軒下で座り、開くのを待っていたこと。
いつもは辻申三郎(ギター部から新日鉄)から借りて読んでいたのだが、このとき初めて買った。
というのは、愛読者プレゼントで「伊賀のカバ丸」のふんどし型「ふんどバッグ」がもらえたからだ。
今探したら出てきた。
亜月ゆう「伊賀のカバ丸」
 なぜこれが欲しかったかというと、
うらのカバ丸マークが私の名前「力」だったからだ。

この正岡子規記念球場(あれ? 名前がついていると便利かも)は2回くらい使ったと思う。
しかし軟式ボールでは、内野ノックの練習ならいいが、試合をすると藤井勲氏や渋谷雅明氏の外野フライは簡単にフェンスオーバーした。

・・・・

さて、2019年の正月、噴水のところも行ってみた。
1979年ころ、ここでグラビア撮影中の相本久美子をみた。
私は、あまり有名人に出くわしたことがない。
他には1981年ころ石川ひとみが「待ち伏せ」を歌っていたのを國枝と柏そごう屋上で見た。あと天皇皇后両陛下(伊奈町と伊勢神宮の2回)くらいである。

上野の噴水は大分小さくなった。
下の写真2枚から明らか。

当局は外国人観光客4000万人とかいう馬鹿らしい目標を掲げ、上野公園もターゲットになってしまった。今後、税金を使って森を削っていくのだろう。


1963年 Goo地図
西洋美術館と科学博物館の間には何もない。
東京都美術館のところに野球場?がある。

1980
噴水は大きく、森が近い。
ベンチに座ると枝が頭に触れるくらい近かった。

・・・・・

東京文化会館の南側は、公園を通り抜ける人もいて交通量が多い。
以前は高さ2メートルくらいの密林になっていた。
下のほうに潜って入れるような小さな穴が開いており、文化会館の壁のほうにホームレスの隠れ家があったようだ。
密林消失は、公園からのホームレス締め出し策の一環か。
木まで切ることないのに。

パンダ橋

右側、公園口改札の北側に日本食堂のレストランがあった。
池田さんと1,2回入った。


2020年訪日外国人4000万人計画の一環として、当局は、改札口を出たら上野公園に直接歩いて入れるように改造したいらしい。
そのために、公園口改札を北に移動させ、文化会館と西洋美術館の間のメイン通路と直結させる。そして分断された車道は、歩行者用メイン通路(公園口改札前広場となる)の両側に2つのロータリーとなり、車は南北からきてUターンする。

しかしそのロータリーと、広げざるを得ない車道のために、木を伐り、公園を削る。

もうやめてほしい。
上野公園をこれ以上、いじるな!!

訪日外国人は増やすべきではない。
京都も軽井沢も破壊されつつある。

もっとも、賑やかでおしゃれな店が増えたほうがいい、という日本人(業者も観光客も)が多いから、政府もそうするのかもしれない。
しかし、壊したら戻らない。
観光資源は今の人だけのものではなく、将来の人のものでもある。


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