2019年1月16日水曜日

慈眼寺と谷田川の源流

1/13 上中里の滝野川体育館でダンスの練習。
自転車できたので、早めにやめて散策。

本郷通りを越えて住宅街の中の坂を下りると商店街にぶつかる。
ちょうど西ヶ原商店街(手前)と染谷銀座(向こう)の境である。
川筋が暗渠になっている。

下流に向かって染井銀座のつぎは霜降り銀座、田端銀座(少しずれている?)、谷中よみせ通り、ヘビ道、と続き、暗渠の川も、谷戸川、谷田川、藍染川、と名を変え、不忍池に入る。

この暗渠を上流に向かってみる。
西ヶ原みんなの公園の南、勝林寺の北塀を染井霊園の北縁をなぞって低地を行く。
昭和のアパート

先月弟と読み方を話した慈眼寺の前に出た(→天眼寺)。
河井継之助、小千谷会談が行われた寺と同名。
15:53だが山門は閉まっている。
それでも墓は門外なので見学できる。


芥川龍之介
塀の向こうは染谷墓地

ところで昨年、北区は田端の龍之介旧宅跡地を買い、記念館を作る計画を発表した。
一葉記念館を台東区にとられ、サトウハチロー記念館は北上市に逃げられた文京区とは大きな違いである。

司馬江漢(1747-1818)は、狩野派に学ぶも浮世絵師となり、その後、漢画、西洋画に移る。平賀源内、前野良沢らとも交わり、蘭学も学んでいる。

司馬江漢の墓の後ろに井戸がある。
三方が舗装されていない墓地、しかも台地だから浸みこんだ雨水も水量を増やしているだろう。



寺の案内にはなかったが、谷崎潤一郎の墓もあった(分骨)。

寺を出て、慈眼寺(右)の前。
左は染井霊園。
ちょうど間が暗渠だったようだ。

谷戸川の水源はどこかと、この細道をたどると、
左は染谷霊園のままだが、右の高台が中央卸売市場豊島市場(やっちゃば)となり、道も上り坂になって国道17号にぶつかった。三方が高くなった窪地。
谷根千の多くの芸術家、文化人の親しんだ川の水源はこのあたりのようである。
あちこちの湧き水を集めた細流が、西ヶ原あたりで旧石神井川の川床に入り、川となったのであろう。


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