2019年1月9日水曜日

上野公園2 昭和38年の西郷像と広小路

上野といえば西郷さん。

2019-01-06
この日は外国人と七福神めぐりの団体年配者が多かった。

私が信州から始めて上京したときの写真がある。
1963(昭和38)
恒さんの結婚式で祖父母が上京した時、妹とついてきた。
小学校に上がる直前、3月のこと。
川口の安雄叔父が上野動物園に連れてきてくれた。

このとき叔父は西郷さんの前の崖上の塀に我々を腰掛けさせた。
すぐ下は屋根だか土だか少しあったと思う。それでも怖かった記憶がある。
叔父は、あえて後姿を撮るような芸術趣味はなかったが。
(ひょっとすると安雄叔父でなく真叔父だったか)

下にはできたばかりの聚楽台(1959ー2008)があったはずである( → )。

2019年、塀のかわりにフェンスと3153の屋根。
近づくこともできず、下も見えない。

1963
真ん中に都電停留所
都電利用者は、横断歩道でもないところを車をよけながら渡っている。
協和銀行の向こうのビルに「お買物は赤札堂」と書いてある。
いまのABABである。甘味「みはし」などもあったはずだが、わからない。

写真手前の看板は「仕事のことならまよわず上野公共・・・」
小さい文字の一つは上野警察署のように見える。自殺防止?

同じ場所の2019年
3153の設計者は自分の建物のことだけ考えて、眺望を楽しみに公園に来た人にまで頭が回っていない。
床面積を確保し、美しいデザインにしたとしても、眺めを保てたはずである。

昭和38年の航空写真がある(goo地図)
西郷さんの前は聚楽台の屋根になっているが、腰かけた塀のすぐ下は植え込みのようなものが見える。こちらの設計者の方が優れている。

さて、2019年、3153への入口が西郷さんの前にあり、
降りる途中、通りが見えた。
ABABビルが見える。

店舗からなら見えるかもしれないと、昼時でもあり「薩摩魚鮮」に入ってみる。
ランチは990~1490円
2019-01-06

まあまあ1963年に近い写真が撮れた。

さて昭和38年に戻る。
車は精養軒に止めたようだ。
3月はまだ寒く、楽しみにしていたライオンなどは外に居なかった気がする。
室内にいた象などの記憶がある。

昭和38年、小諸あたりの国道18号線沿い。
祖父母、叔父、妹。
叔父は長い一人暮らしのあと、2018年6月28日、86歳で亡くなった。
喪主は私。 ほんとうは今年、喪中。


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