2019年2月7日木曜日

目黒・防衛省3 遺物を探す

(続き、その3)
自衛隊幹部学校のある学校地区を出て、うろうろする。
崖下の粗大ごみ置き場。
応接間のソファやスチールロッカー、カラーボックスなどが捨てられている。
東大だったら自転車でもらってくるのだが、自衛隊ではちと怖い。

90番棟 放射性物質のマークがある。

北朝鮮で核実験をしたら集塵装置を付けたT3(練習機)あたりが日本海上空を飛んで、放射能を測るらしい。ここで測定するかどうかわからないが、とK氏はいう。



直径10センチ以上の樹木は国有財産になるらしい。
写真を撮らなかったが、ほんとに小さい木にまで数字が振ってあった。
こんな細かいことをしている一方で、まだ使える調度品など捨てている。
バランスが悪い。

敷地の切り売りだって本当に国のためになるのか。
わずかな金額のために貴重な国有地を民間マンションにしてもいいものか。
森友事件のように、国有地の払い下げというのはたいてい、いい加減な金額である。そのいい加減さと樹木管理という厳密さがどうしても結びつかない。

坂の途中の石段を上がり、艦艇装備研究所地域に戻る。
K氏によれば、先端推進センター、航空装備研のひとなども実験に来ているらしい。


https://www.jstage.jst.go.jp/article/technom/875/0/875_KJ00003227190/_pdf
から引用(佐藤隆一、2003)


これなど旧軍のころのものだろう。
何だろう?
背丈の高い車両などを横付けさせて修理するための足場だろうか。
上がってみる。

上は平らで何もない。
高射砲陣地でもあったのか?

柱のようなものがある。
国旗掲揚台? 物見台?

右奥が留学生寮。
将来南シナ海で協力できるように、ベトナムやフィリピン、インドあたりから来るのかな?

その奥の白いマンションのような建物は独身宿舎。
ここは都心にあるから研究所というより官舎としての需要が高い。

一枚板の戸棚が雨ざらしになっていると思ったら、アメリカからの木製コンテナだった。

高速水槽棟に戻ってきた。

大水槽は養鶏場のようだ。

研究棟に囲まれた空き地、こういうところに記念碑などがひっそりあるものだ、と入ったらほんとにあった。しかし雪だるまか砂遊びかと思うような構造物だった。説明板など一切なし。


はっきり旧軍時代のものと分かるような記念的痕跡はなし。

再び本館の前に来る。




東の端に来たら高台にあがる階段があった。
立ち入り禁止の表示もゆるいので、のぼってみる。
覆いに囲まれ、進入できず。

正門にもどる。
左側が防衛研究所のあった高台。


近くの看板地図。
防衛省技術研究所、防衛省第一研究所、防衛研究所、とある。

恵比寿駅前のドトールで休憩

恵比寿駅前の地図
 
帰宅して少し前の地図を見たら原町住宅というのは大蔵省の官舎だった。
1995年
今の中目黒公園の場所は、科学技術庁金属材料技術研究所と書いてある。
1956年海軍跡地に設立、1979筑波に移転した。

goo地図 1963
まだ旋回実験池がある。


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