2023年3月9日木曜日

練馬区役所展望ロビーと光が丘団地

東京23区の地図を集めている。2月までに15区まわった。

3月1日、練馬区の光が丘区民センターで午後からダンスパーティに行くことになり、この日は地下鉄一日乗車券を買って、できるだけ23区内を周ろうと思った。

朝から効率よく江東、千代田、中野、杉並の各区役所を回れた。
次は練馬区。

杉並区役所を出て時計を見ると12:02。
区役所の真下にある丸ノ内線南阿佐ヶ谷駅を出発。

光が丘には13:15に行けばよい。
練馬区地図は、最悪、光が丘区民センターでもらおうと思ったが、余裕ができたので確実に地図のある練馬区役所に行こう。幸い、区役所は都営大江戸線で光が丘の手前、練馬駅のそばにある。途中下車すればよい。

12:11 中野坂上駅に到着、乗り換え。
12:18 深いホームから大江戸線が発車。
12:29 練馬駅着

練馬駅は地下に大江戸線、二階に西武池袋線があり、西武豊島線との分岐駅でもある。1994年からは小竹向原駅から来る有楽町線も乗り入れている。区役所の場所としてふさわしい。
2023‐03‐01 12:36
目白通りと練馬区役所。
ここは初めて歩くが、見慣れている。
長野までの高速バスは練馬インターに上がる前、左の区役所前の停留所で乗客を乗せる。息子にレンタカーを運転してもらうときもここを通って高速道路に乗る。

ここに目白通りの上を横断する構造物がある。
毎回、車からぼんやり見ていたが、西武線か、あるいは練馬駅の一部だと思っていた。

12:38
ところが近くに行くと、区役所への専用歩道橋だった。トンネル型連絡橋を渡り、役所に入るとすぐ案内ブースがあり、区の全体地図について尋ねると、すぐ下さった。
12:39
地図をもらった案内ブースから1階を見下ろす。
なかなか立派な区役所である。

「牧野富太郎博士 NHK連続テレビ小説のモデルに」という垂れ幕があった。

牧野は江戸時代末期、文久2年(1862)高知県生まれ、家は造り酒屋で裕福だったが小学校を中退、植物採集に熱中した。19歳で上京。1957年に94歳で亡くなるが、大正15年(1926年)最後の31年間は練馬区で過ごしたという。
1500種類に上る植物を発見、命名。40万もの植物標本を収集したというから、都心よりも緑が多く広い土地が得られる練馬に住んだのだろう。
もっとも、派手な研究業績と多数の著作とが、帝大など権威者側から疎まれ、47年間も助手の地位にあり、彼らのいた本郷、小石川などより練馬のほうを好んだのかもしれない。
大泉学園駅から徒歩7分の邸宅跡は1958年から公開され、いまは区立の記念植物園になっているらしい。いつか行ってみよう。

さて、練馬区役所は、来るとき目白通りから見ると高いビルだった。
ひょっとして、とエレベーターのところに行くと21階建ての20階は展望ロビーになっている。もちろん高いところが好きな私は上がってみた。
12:42 北東方面
手前、右下に目白通り、右の遠くに白い塔が見えるのは池袋の清掃工場。
窓の手前に2012年撮影の写真で説明版があった。
12:43 北方
中央の緑地は豊島園。2012年の説明写真では遊具が写っているが、2020年に閉園し、今、遊具は見えない。
その向こうの白い塔がある一帯が光が丘だという。

12:44 西
富士山がうっすら見えた。
12:46 南東方面
左方向に新宿の高層ビル群が林立する。
近くの豊玉小学校の西の道路の延長線上に小さく見えるビル群は、2012年の写真には何もない。
たぶんこの10年で変貌著しい渋谷駅だろう。

12:48 東方面
目白通りの先は池袋のビル群
さらにその先にスカイツリーが見えた。
ちなみに地下鉄大江戸線は目白通りの下を東に進み、山手通り(環状6号、下をC2首都高中央環状線が走る)にぶつかると、それに沿って西新宿まで南下する。

時間がないので急いで降り、区役所から地下鉄練馬駅に向かった。
パーティ会場で待ち合わせする人に、少し遅れる、とラインする。
12:56
練馬駅そばに懐かしい雰囲気の本屋があった。

少々遅れたが光が丘区民センターにつく。
2015年、娘のバレエの発表会に来て以来。
高層住宅のほか、公共施設、公園、学校、スーパー、ショッピングモールなどが集まっていて暮らしやすそう。

区民センターの多目的ホールに上がる。
ここのダンスパーティは練習がてらに初めてきた。
おそらく皆、光が丘の住民であろう、多くの年配者たちがダンスを楽しんでいた。この雰囲気だと、パートナーと練習をすれば迷惑になりそうだった。はるばる来たけど、早々に出た。
14:02
光が丘区民センター(右)
14:03
左の光が丘IMAは駅直結のショッピングモール。
練馬区最大の商業施設で、中にIMAホールがある。
清掃工場の白い塔は練馬区役所からも見えた。

この並木の先に広大な光が丘公園が広がるが、行かなかった。

この一帯は戦前、大根などの畑だったところに1942年、成増陸軍飛行場ができた。
戦後、GHQに接収されて米軍家族住宅のグラントハイツになった。1973年、全面返還され都営、公団の光が丘パークタウン(光が丘団地)と光が丘公園が造成された。
1983年住宅への入居が始まった。広大であるため、住居位置によって東上線の成増・下赤塚、有楽町線・副都心線の成増・赤塚・平和台、西武池袋線の練馬高野台へ徒歩・バスなどで出たらしいが、1991年に大江戸線が開通した。

(続く)

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