2018年10月6日土曜日

奥本大三郎先生とファーブル昆虫館

家から通りに出ると「虫と詩人の館」(ファーブル昆虫館)で木々の剪定をしていた。
一人杖をついて立っている方がいらした。雑誌で見たことがあるので、館長の奥本先生だとすぐわかった。

フランス文学者でエッセイスト、ファーブル昆虫記の翻訳者としても知られる。全8巻のジュニア版を1992年に出版、さらに完訳版全10巻20冊を十数年かけて刊行したことで、2017年に菊池寛賞を受賞、昨年はお祝いの垂れ幕があった。

御幼少のころから昆虫採集が趣味で、ついに2006年、ご自宅を昆虫館にしてしまった。
先生は「車が来まーす」「人が来まーす」「自転車が来まーす」
と枝を落とす樹上の業者に声をかけていらっしゃる。
上品な静かな声だから、上の人に聞こえないのではなかろうか。しかし、上を見上げているから、皆、何事だろうと立ち止まり、上を見て、業者もそれを確認して枝を落としている。
立っていらっしゃることが大事なのだ。
2018-10-06
初対面であったが「緑は貴重ですが、管理は大変ですね。うちも、この間の台風では倒れたら困るとひやひやしていました」とお声がけすると、親しく話してくださった。

背中合わせだが、二軒隣になる我が家の桜はよくご存じで、「あと、立派なザクロの木がありましたが」と言われてしまった。
「いや、ザクロは枝の先になるから剪定するとなかなか実がならなくて、棘が危ないので切ってしまったのです」と言うと残念がられた。
相変わらず「車が来まーす」と声をかけながら
「あの木は、xxが好きなんですよ」
「あの草は、○○蝶の幼虫がよく食べるんですよ」
木だけでなく、ただ生えていると思っていた草なども、すべて様々な虫が好むものを植えているようで、説明していただいたが、覚えられず。

我が家では野菜の根を食べるコガネムシの幼虫が地中に大量発生し、目の敵にしていることや、本日もアゲハの幼虫を二匹駆除したことなど、とても口にできなかった。

共通の話題にできたものは、この近所もどんどん緑が減っていくこと。
代が変わると、広い庭のあった家も3軒、4軒に分割させ、緑がなくなっていく。
我が家へ入っていく土の道の角にあった銀杏の大木が突然切られたことは残念だった、と思いが一致した。

ひっきりなしにくる車や歩行者の見張りをしながら、お隣の細井医院の先生が生きていらした頃の話や、千駄木の昔などを話してくださった。

昆虫館を含む4軒は、昭和40年まで旭電化という会社の社宅が4軒あったそうだ。
先生は神明町(本駒込5丁目)にいらしたが、ここに転居、2006年、昆虫館を作るまで住み、今は池之端にいらっしゃるそうだ。74歳という。
(今思えば、1944年のお生まれだから昭和40(1965)は21歳、東大在学中。ご実家が本駒込から千駄木に移られたのだろうか。)

その4軒の社宅跡は今も4軒、奥の2軒の間の隙間から我が家の洗面所の窓が見えた。


二軒隣に引っ越して6年にもなるのに昆虫館に入るのは初めて。
そうだ、引っ越した頃、根津に住む医科歯科の黒川洵子さんが、息子さんを連れてここから帰るところに出くわしたことがあったな。

地階はファーブル少年の部屋を再現している。

一階には甲虫類の死骸がびっしり。そばに実体顕微鏡があった。
子供たちは楽しいだろうな。ただ、先生に言わせると、来るのは小学校低学年まで、高学年になると塾が忙しいそうだ。我が家はここに引っ越した時すでに末っ子も大学生だった。孫ができたら連れてこよう。

外に出ると相変わらず、先生は通行人の見張りをされていた。
我が家に来る植木屋さんだったら、電動のこぎりで太いところから枝を落とし、下で細かくする。ここで作業されている方は、樹上で細い枝を手のこぎりで落としているから非常に時間がかかっている。アドバイスしようとも思ったが、余計なことだ。

冬になる前にもう一回切るらしい。
剪定の費用と、光熱費が支出の大部分を占める。入場料(任意、寄付)はいくらでもなく、運営が厳しいようだ。
文京区も剪定か、運営かに補助金出してくれればいいのに、と再び意見が一致。
今は住んでいないからここの固定資産税も2倍だそうだ。
「いまも2階では、みんなで運営会議をしているんですよ。私もあとで顔を出さなくちゃ」

先生は、自分が死んだ後のことを心配していらした。
二階には、ご自身が海外で採集したものや、交換したもの、何千箱、何千種だか、何千匹だかの貴重な昆虫標本があるらしい。いまは採集、取引禁止になったが、アマゾンの焼き畑などでどんどん種類が減っている。そのうち、ここだけにしかない標本というのも増えてくるだろう。ところが、誰も相続しなければ、昆虫館は閉鎖、土地ごと没収されるらしい。標本の行き場はなく廃棄されるかもしれないという。

文化的なものに興味がない文京区なら考えられる。
サトウハチロー記念館は、相続の時、遺族は区に寄付しようとしたのに、不快な目にあったため怒って岩手県北上に新たな記念館ができてしまったし、樋口一葉の通った伊勢屋も区は何の手も打たず、マンションになるところを跡見が代わりに買ってくれて保存された。
一葉といえば、ほとんどの活動期間を過ごした文京区は何もしていないが、台東区は一年もいなかったのに記念館を作った。荒川区は出身の吉村昭や小松崎茂を大事にしている。

文京区は人口を増やすことと子育てには熱心。マンション建築など開発には規制をゆるめる。しかし文化的なものの保存には無関心。
経済だけを考える、もっとも知性がない区かもしれない。


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