2019年11月4日月曜日

入間航空祭の招待券を頂いた


11月3日、朝10時前の池袋駅。
JR改札を出ようとすると女性の行列、なんだと思ったらトイレだった。
まさか、みんな入間に行く人で、トイレが混雑するからここで入ろうとするんじゃないだろうな・・・・
と思ったら10:04発急行飯能行きはものすごい混雑。
途中駅で降りる人はほとんどいなかった。

稲荷山公園駅で下車
付近に民家はなく、駅の西を通る道路の向こうが稲荷山公園と東京家政大。
ここも昔は軍用地だったのだろう。
さて、駅舎の南も北も入間基地。
入間基地も家政大も駅名にしにくかったか。

臨時改札出たところで検問。
ごく簡単な手荷物検査だけど、人数が多いから大渋滞。

とにかく人が多い

招待券を頂いていたので、ちょっと優越感で招待者入り口に行く。
全く待つことなく、待機するマイクロバスで専用観覧エリアへ。

そこで受付。
士官の制服の係員が招待状の番号を入力して、しっかり確認したあと首から下げるカードをくださった。
紐の色が赤と白とあり、私は白。

赤の人は記念品がもらえ、会場では階段席のほうにも行ける。
みれば、花リボンをつけている人もいる。
招待の中にもいろいろランクがある。
昔、観艦式のとき話した人は東芝だったか軍需産業のお偉いさんの家族だった。
胸に「所沢支部長」と書かれた来賓リボンを付けた人はOBの偉い人か。
一般席は満員
YS-11のようなプロペラ機もとまっている。
飛行機には詳しくないのでよくわからない。

招待者エリアは快適

座ってすぐ、左から輸送機C-1が低空で飛んできた。
小型戦車も載せるずんぐりした機体なのに、目のまえで急上昇し、なんと90度近くまでバンクして旋回する。これにはびっくり。そして次々と何機も同じ軌道でやってきて急上昇、旋回し、迫力満点。

つぎに右から1機やってきたと思うと、ばらばらと人が落下。
花火のように開いた落下傘が21個。みな拍手した。

降りたのは、堂々と「精鋭無比」をモットーとする習志野の陸自第一空挺団。
大戦初期、パレンバンに降下し油田を制圧した「空の神兵」を前身、手本とする。
第一空挺団は師団に属さず、陸上総体の隷下。(第二、第三はない)
3個普通科大隊、特科大隊、後方支援含めて定員1900人の大所帯とは知らなかった。

赤いリボンの人は祝賀会にも出られるようだ。

行列は空挺団のユニホームで落下傘を付けられるサービス


入間基地は1938(昭和13)年、航空士官学校が来たことに始まる。
1940、飛行場完成(豊岡飛行場)。
1945、敗戦とともに米軍が進駐、「ジョンソン基地」として運用した。
朝鮮戦争では、ここと横田基地から飛び立ったB29によるが爆撃が全体の8割を占めた。
1954年から航空自衛隊・入間基地ができ、数回にわたり返還され、完全に日本に返還されたのは1978年。

入間に戦闘機はいない。百里基地からきた戦闘機(F-2?  F-15?)がいた。
むしろ入間は人と物流の輸送の拠点という。

尾翼に1から7まで番号が付いた練習機が並んでいた。
なんと、これがブルーインパルスとは知らなかった。

駐機しているのは兵装のない練習機が多い気がする。

演奏会などの催し物会場へ行こうとするが、ものすごい人で途中で諦めた。
20万人という噂もあったが、いま入間基地の公式サイトを見たら、今年の来客数は125,000人。
これは基地に入った人だろうか。航空ショーは離れていても見えるから、隣接する北の稲荷山公園、南の彩の森入間公園にも多くの人が来ているはずだが。

売店は外部の業者が入っている
行列で近づけず。パンを買ってきて良かった・・・

ブルーインパルスは松島が本拠地。
全国の航空ショーに出張する。

この日は昼から雲が低く、宙返りはせず水平での編隊飛行のみ。
それでもデルタ、スター、ピラミッド、スワンなどをかたどった密集編隊の低空飛行は迫力あった。
7機のうち1機は予備で、6機で演技
編隊は過ぎ去ると、見えなくなり、別の方向から再び現れる。
空戦では今はレーダーがあるが、かつては肉眼でいち早く発見したほうが有利な位置をとり、すなわち生死を意味した。それを思い出し、観客の誰よりも早く発見しようと目を凝らしたりした。
ネットでブルーインパルスを見れば、曲芸飛行演目は多くが垂直方向。
この日の水平演技のみは残念であった。
しかし初めてだったので十分満足した。

ブルーインパルスが終わって帰り始める。
異常なタバコのにおいに襲われ、みれば喫煙所。
今どき珍しい、と思うほど、久しぶりに大量のたばこの煙を吸った。

線路の南も行ってみようとするが、踏切と駅に行く人々とでなかなか進まない。

上空を爆音がしばしば過ぎる。
展示してあった外来機の帰投。
自分の基地に帰っていくまえに、低空を旋回してサービス。
バンクして腹も背も見せてくれた。

やっと踏切を越えたが、まだ人がいっぱい基地の奥に入っていく。
今頃の時間から皆何を見るのだろうと不思議。
(後で分かったが、通り抜けて正門、修武台門の外に何十台も止まっていたツアーバスへ帰る人々だった。)
西武池袋線の南側は滑走路がなく施設の建物がならぶ。
いかにも戦前という建物もあるが、黄色いテープで近づけず。

装備展示もいろいろある。円筒形の移動式3次元レーダー。

地対空誘導弾パトリオット(PAC3)

PAC3を見て思い出した。
イージスアショアはなんだ!
あんなものでミサイルを打ち落とせるわけがない。
野球のピッチャーとバッターのように、さあ行くよ、と1発ずつ発射してくれるなら別だが、突然一度に何発も発射されたら無理だとは子供でも分かる。

打たれたら終わりだから、抑止力が自衛のすべて。
ビルを壊す程度の通常爆弾では、都市を壊滅させる核の抑止にはならない。
仮想敵国が核ミサイルを持ったら、防衛は核ミサイルの抑止力しかない。
核を持てないなら、アメリカにすり寄ってかの国の核の威を借りるしかない。

本気になった敵のミサイルを一発残らず打ち落とすなんてできるわけがない。
それなのに導入するのは、アメリカ兵器産業への単なる献金。
莫大なる税金の横流し。
敵国は、核ミサイルなどもっと安い値段でいくらでも作れる。

国民の命を守るなんて真っ赤な嘘。
マスコミ、野党は閣僚失言の揚げ足取りじゃなくて、こういうことを質すべきではないか。
もっとも九条、九条と念仏のように唱えているのでは話にならない。
平和は九条ではなく外交で決まる。
九条に自衛隊を追加明記したら、何の心配があるというのか?
わざわざ駅を過ぎてこちらに来たのは修武台記念館をみるため。
昭和13年、陸軍士官学校から分かれ、ここに陸軍航空士官学校が創設された。
航空兵科を志す者は、予科士官学校卒業後、ここに進んだ。

ここは当時、入間郡豊岡町といったが、昭和16年昭和天皇が行幸し、学校の場所を修武台と名付けられた。
同様に昭和12年、生徒数の増加と広い演習地確保のため市ヶ谷から相模原に移転した陸軍士官学校は天皇の行幸を機に相武台と呼ばれ、昭和16年、朝霞に移転した予科士官学校は、振武台と呼ばれた。
(だから小田急相武台前は、白洲次郎の武相荘とちがって相模と武蔵ではないことがわかる)
当時の校舎は戦後、アメリカ軍の司令部として使われ、返還後は旧軍、航空自衛隊の資料館となっていた。
しかし老朽化で2005年閉館、改装して2012年「教育講堂」として完成した。
2016年に初めて一般公開され、回数もだんだん増えて、いまは月に一度くらい抽選当選者に公開されるようだ。

しかしなんで一部を壊して四角い箱をくっつけてしまったのか?
土地はいっぱいあるのだから、校舎は保存して別棟にして渡り廊下でつなげれば良かったのに。
1995年ころ、あちこち出かけていたころ、外観だけでも見に来るべきだった。

修武台門の外には団体ツアーのバスが何十台も止まっていた。

稲荷山公園はホームにも入れないことが分かっていたので入間市駅まで歩く。
基地と駅の間はずっと公団住宅。周辺も学校ばかり。昔の入間基地は広かったと思われる。

入間市駅は、日常的な夕方ほどの賑わいに過ぎず、すんなり改札入れて一安心。
次の駅は稲荷山公園、ホームは帰宅客でいっぱい。
おそらく入場規制している。

満員となって走り始めた車窓から、片づけている隊員など、広々した基地の様子がよくみえた。

メモ
1995年6月厚木航空祭、恒文と。
1995年10月29日 観閲式(朝霞)恒久にチケットもらう
翌96年から陸海空持ち回りの3年に一遍となる。
2000年10月 観艦式 上林将人さんと
2019年11月 入間航空祭



2019年11月1日金曜日

長良川と命がけ岐阜城登山


薬史学会の会場は木曽川の中州のような各務原市川島。
交通不便なところなので事務局は閉会後、尾張一宮駅への送迎バスを出してくれた。
バスを降りて皆と別れる。
駅ビルは思ったより大きく、一宮市は人口37万、愛知県第四の都市という。
2019-10-26 19:25
古代より豊かならむ尾張の国。
一人歩いてきたのは、その第一の御宮、真清田(ますみだ)神社を見たかったから。
一宮は太平洋戦争の空襲(7/12, 7/28)で総戸数の8割にあたる1万戸が罹災。
社殿も焼失した。
終戦後、昭和天皇の行幸で励まされ、市民は復興のシンボルにと昭和26年に社殿再建に着工、復活させた。
背後は山と見まがうほどの森
(実際はそれほど広くはないのだが)

 なお二宮は大縣神社(犬山)、三宮は熱田神宮という。
2019-10-26 19:36
参道はアーケードの商店街になっていた。

この日は2駅先の岐阜に宿泊。
若いころは翌日の学会プログラムや抄録をチェックしたり、テレビの地方ニュースを見たりしたが、最近は翌日の早朝散歩に備えて早く寝る。

2019-10-27
岐阜駅6:19、朝一番のバスで長良川へ。
着くと大勢の人が川一帯の掃除に出ていた。
対岸にも袋を持った人がいっぱい。
きけば、年3回、町中の人々がボランチアで参加するらしい。ソフトボールのチームだったり、町内会だったり、真如苑などの団体だったり。
帰京後、ネット新聞を見たら74団体約2200人が清掃活動に励んだとか。8月の花火大会の後は113団体の約6千人がゴミ拾いしたという。
6:36
川には入江のようなものがあり、屋根付き客船や、鵜飼い船が停泊していた。
鵜飼いは5月11日~10月15日、シーズンオフなのに船を陸揚げしないのだろうか。

鵜飼い見物は3400円。持ち込み自由。
弁当付きパックは5000円。そんなに高くない。

6:43
近くの川原町は古い町並み
振り向けば山の上に岐阜城

6:51
長良橋で陸閘倉庫という珍しいものを見た。
閘とは水門のこと。
ここは国道256号が川を渡るので、橋のところは堤防が少し低い。
1959伊勢湾台風と翌年の台風でここから水があふれたため、「ふた」が設置された。電気でレールを動く大掛かりなものである。
昨年7月の西日本豪雨のときも閉鎖された。この付近では大小100もあるらしい。
堤防に隣接して岐阜公園 
金華山(稲葉山)中腹に三重塔、頂上に岐阜城が見える

6:59
公園は広い。岐阜市は良いものを持っている。
菊をまとった信長の横の女性は誰だろう?
濃姫(齋藤道三の娘)?

信長居館跡の衛兵も菊人形
菊人形というのは頭部と手のひら以外、菊で覆われるものだから、これだけ少ないとオシャレな花かざりというべきか。

信長は安土へ行くまでここで天下布武、天下統一を目指した。
ちなみに信長(1534~1582)の居城は
 那古屋 ~1554
 清州 1554~1563 桶狭間は1560、26歳である。
 小牧山 1563~1567
 岐阜 1567~1576 義昭追放1573、長篠1575
 安土 1576~1582

この先にロープウェイ乗り場があるがまだ動いていない(9じ~)
しかし最初から乗るつもりはなかった。
歩いて登らねば昔のことは分からない。
7:06
登山道・めい想の小径。
別名・水の手口。急峻だが山頂への近道とある。
関ケ原合戦の前哨戦で東軍・池田輝政の兵がこの道を山頂まで駆け上がったという。
2300メートル、50分らしい。
目標40分。
7:09
いきなり、写真ではわからないが、かなり急。

7:14
丸山頂上。伊奈波神社跡地

ふと見ると、ここから別の登山道がある。
馬の背登山道。
案内板を見れば「急峻な近道」である「めい想の小径」よりさらに近道にみえる。
7:14
「老人・幼児には無理です」
この看板をみて、冷や水を選ぶ。
7:16
降りてくる女性に挨拶した。
「まあ、そんな恰好で上がって。スーツは汗びっしょりになるわよ。
靴もそれだと歩きにくいでしょ。
まっすぐ上がらずジグザグに行けばいい」
彼女は軍手をして本格的な登山スタイル。67歳という。
「週に2回上り下りしているの。ここで鍛えて四国のお遍路さんやろうと思って」
7:17
しかし、この道を選んだとことをすぐ後悔。
写真だと急峻さが分からないが、これは両手を地面について登らないと無理。
そこでエーザイでもらった大型写真集など書籍の入った紙袋の荷物をなんとかリュックに押し込む。

すると重いリックが背中で動いてしばしばバランスを崩す。
どこにでも足を出せるならバランスを崩しても次の足で調節できるから問題ない。
ところが、ここは次の足の場所を自由に選べない。
バランスを崩して慌てて置いた次の足の場所が悪いと、さらにバランスを崩し、崩しても手で捕まるものがないから転倒、転倒したら急斜面を落ちるのみ、死ぬかもしれない。

命には替えられれない。
そこで再び、リックから荷物をだし、重い紙袋を持ったまま石や根っこをつかみ上がることとなった。
7:19
もう引き返したかったが、下りだと手を使えない。
この服装、荷物で下りるのはもっと危険。 
戻るに戻れず、そのまま上ることにした。
手ぶらだったら何のことはないのだが。
いちいち断崖を目の前にして、どこから上がろうかとコースを考え、数歩先まで決めて踏み出す。
県庁所在地の城山なんてハイキングコースだろうと思っていたら甘かった。
7:39
ほんとに死にそうな場所。
山は土がほとんど流れ落ちて岩だけになるほど急峻なのに不思議と樹木がある。
でも引っかからず滑落するくらい隙間がある。

7:48
やっと到着。45分かかった。
登山に精魂使い果たし、もはや城に興味がわかない。
上着を脱いでしばしベンチで休息。
途中少しでも軽くするため捨てようかと思ったペットボトルのお茶を飲む。
全山が岩と言っても、この石垣の石は大きい。
足場の悪い中、どうやって積んだのか。


しかし、ここは天守閣を作る必要があるのだろうか?
麓からは米粒にしか見えないから、権力を示すものにならない。
なにも建てなくても見晴らしは十分だから、楼もいらないだろう。

長良川
7:57 東方面
帰りは6本のコースのうち百曲がり登山道を下りると決めた。
下山始めてすぐに井戸があった。
この城では普段生活しないだろう。
戦時に籠城する時のためか。

8:00
観光客はロープウェイで来てここから山頂を目指す。

この下にロープウェイの駅があるから手すり付きの道がしっかり作ってある。

8:04
南半球でできた堆積岩チャートがプレート移動でここまで来たという。
地層が斜めになっていて地殻運動の激しさを物語る。

チャートという岩石を久しぶりに見た。
平野小学校5年のとき、中庭に岩石園ができた。
PTAの人たちが広い長野県中を車で周って集めた大きな石たち。
当時、花壇造成なども業者任せにせず、親たちが作り、先生をして「平野のPTAは日本一だ」と言わしめた。
長野が教育県というのは生徒の学力が高いということではなく、学校に協力する親が多かったということではないかと思う。(実際生徒の学力は低い)
そのとき堆積岩のコーナーに、貝殻の入った砂岩、泥岩、石灰岩、礫岩、などとともに、チャートがあった。小学校は建て替えられたが、あの石はどうなっただろうか。
8:17
ロープウェイ駅から下は、途端に悪路となった。
数か所危ないところはあるが、馬の背道と比べたら楽ちん。
8:21
やっと地上に降りると足はがくがく。
8:35
正法寺。こんな形をしているのは中に大仏様がいるから。
ここもまだ開いていない。

岐阜も空襲に遭っている。7月9日、B29、135機。
死者818人、被災2万戸。罹災10万人。
しかし、この辺りの家は古い。

8:44
岐阜市のバスは駅を発着地点とせず、すべての路線が途中で駅を通過する。
もう二度と岐阜には来ないと思うので歩くことにした。

伊奈波神社入り口
先に述べた馬の背登山道の入り口にあったが、齋藤道三が築城に当たりここに遷座させた。
白うさぎの因幡も古くは稲葉と書いたらしいから、ここも稲葉か。
しかし、遥かに見える本殿まで行く元気なし。

8:55 東別院
真宗大谷派岐阜別院のこと。
市内には真宗本願寺派(西本願寺)の別院もあり、本願寺岐阜別院という。
ここも立ち寄る元気なし。

岐阜市役所の横断幕は、
「体験学習・市岐商デパート・開催11月3日」とあった。
なるほど、市立高校なのだから市役所が応援するのは当たり前だ。

これこそ体験学習だ。
薬科大の体験学習というと病院、薬局の見学ばかりだが、体験とは言えないのでは?

9:03
フローレンス・ヤナガセ
美川憲一「雨の降る夜は~心も濡れる~」
アーケードになっていると雨でも濡れない。

この「ヤナガセ」通りもアーケードになっている。
ところで柳ケ瀬ブルースは歌詞の後ろの方に、長良川とか金華山とか入っているのだろうか? 「鵜飼い」「信長」は無理でも何か岐阜らしさを入れないと締まらない。

9:11
駅の近くまで来ると、金(こがね)神社ではラジオ体操をしていた。

神社の表と裏が公園になっているが、もとは境内だったのだろう。

9:20 名鉄岐阜駅
右の十六銀行本店は立派だった。
日曜の朝は人がいない。
さて、朝食をどこで食べようか。