2018-1-17
道の右側、手前が364、その奥が359番
赤い鳥は、童話と童謡の児童雑誌である。
大正時代、それまで文部省が主導する唱歌や童話に対し不満を持っていた鈴木三重吉が、子供の純真な心を育むための話・詩を創作し世に広めると宣言して創刊。一流の作家が賛同し寄稿した。
「蜘蛛の糸」「杜子春」(芥川龍之介)「一房の葡萄」(有島武郎)「ごん狐」(新美南吉)などは『赤い鳥』で発表されたものである。
また発表された西條八十や北原白秋の詩に、後の号で成田らが曲をつけ、楽譜掲載すると大きな反響を呼び、児童文学運動が音楽運動にまで発展した。(当初は唱歌の道徳的な詩に反発した文学運動であった)。
これに刺激を受けたのが、斎藤佐次郎(1893・明26-1983・昭58)。
多くの文化人の賛同を得て、『赤い鳥』創刊の翌1919年、キンノツノ社から『金の船』を創刊した。赤い鳥はその後、童謡の掲載が少なくなり、むしろ中山晋平らのいた『金の船』が童謡普及運動をけん引した。
1922年、独立した金の船社は、社名も誌名も『金の星』に変更した。
震災後の1925年、動坂359に近代的アパート・金の星ハウスを建て、会社もそこに移転した。昭和5年に根津の曙ハウスに移転したらしい。金の星社は現在も台東区で児童書の出版をしている(社長・斎藤健司)。
『赤い鳥』 | 『金の星』 | |||
創刊 | 1918(T7) | 1919(T8)年『金の船』 | ||
発行所 | 北豊島郡高田村大字巣鴨字代地3559(現目白3丁目、三重吉の自宅) | 根津で創刊、滝野川移転 1925に駒込動坂町359 |
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1929年2月から1931年1月まで休刊 | 1922『金の星』に社名、書名変更 | |||
主催者 | 鈴木三重吉 | 斎藤佐次郎 | ||
寄稿者 | 芥川龍之介、有島武郎、泉鏡花、北原白秋、高浜虚子、徳田秋声、菊池寛、西條八十、谷崎潤一郎、三木露風、成田為三、草川信、山田耕筰 | 野口雨情(初代編集長)、島崎藤村・有島生馬・若山牧水・中山晋平・本居長世・沖野岩三郎・岡本歸一・寺内萬治郎 | ||
廃刊 | 1936(S11) | 1929(S4) | ||
童謡 | カナリヤ、カラタチの花、雨、赤い鳥小鳥、この道 | 十五夜お月さん、七つの子、青い眼の人形、証城寺の狸囃子 |
goo地図(昭和38年) 当時は緑がいっぱいあった。
中段左寄り、敷地に斜めに大きな建物が立っている場所が、動坂359番地、その下、家2軒あるのが364番地である。下に一部移っているのは千駄木小学校。
金の星ハウスは1945.4.13の大空襲で焼けたから、この建物は違う。
戦前は芸術家たちの住むモダンなアパートだったようだ。(谷根千22号)
ついでに言うと我が家の場所は、敷地西端に小さな家があり他は庭になっている。
google
金の星ハウスの跡は、昭和38年の航空写真で分かる通り戦後大きな建物があったが、現在はエステート千駄木、メゾネット千駄木と二棟になっている。
別ブログ
20180117 細井医院と吉丸一昌、金の星ハウス
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