2018年1月18日木曜日

第43 リンからヒ素ができた??

燐を砒素に変化せると云ふは誤謬なり
薬学雑誌1900年度1116頁(明治33年)

“元素”物語といった本には、リンが1669年、その同族ヒ素が1250年に発見されたと書いてある.錬金術のおかげか意外と古い.

しかしこれは恐らく、この“元素”を含む単体が最初に得られた年代であろう。
そのカタマリの存在を知った人であっても、元素の概念はなく、彼らの化学水準は分子どころか、純物質、混合物の区別さえ危うかったと思われる。
つまり、今当たり前となっている「元素とは化学反応では変化しないもの。原子。」という概念などまったく存在しなかった。

では、いつ頃、元素は変化しないものと考えられるようになったのだろう。
この記事を読む限り、意外と最近までそれは常識ではなかったようである。

1900年、F.Fitticaは、リンを硝酸アンモニアと加熱したら一部で亜ヒ酸As2O3ができたことを堂々と発表した。さらに、

2P + 5NH4NO3 = (PN2O)2O3 + 10H2O + 3N2 
 であるから
 (PN2O)2O3 ≡ As2O3

つまり、ヒ素AsはPN2Oだとした。
ヒ素は元素でないと言っているのだ。
しかしC.Winklerは、すぐに(1900年)同操作でヒ素の生成は確かに認めるものの、

2P + 5NH4NO3 = 2H3PO4 + 7H2O + 10N

という反応式を出し、ヒ素の出る余地はないという。
リンを他の方法で酸化しても同じ濃度(2%)でヒ素(!)を得ることから、ヒ素は、リン酸カルシウムからリンを製するときに用いる硫酸に含まれていた不純物だと反論した。
(ドイツ化学会誌 Berichte der Deutschen Chemischen Gesellschaft, 1891)
薬学雑誌の記事はこれを紹介したものである。

メンデレーエフの周期律表は、明治維新の翌年1869年に発表されているが、まじめに論文上で議論になっているところを見ると、30年たっても元素が変化すると考える科学者がいたのだ。
見えないものを見る化学というものは、考えてみれば魔法のようであり、昔はいろんな説が出たのも当然か。

リン化合物へ同族体のヒ素が不純物として混入していたといえば50年前の森永粉ミルク事件がある。これは純度の低い工業用Na2HPO4を食品製造に使ったことによる悲劇である。昔はしばしば話題になったが最近は忘れられている。

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