2018年1月7日日曜日

谷中七福神は自転車で1時間半か

1月6日、午後3時すぎに帰宅して急きょ谷中七福神に行こうと思い立つ。

正月は10日まで七福神が御開帳となり、普段入りづらい寺院も堂々と入れる。
千駄木に引っ越して5回目の正月、
いつもお出かけブログを書いているのに谷中七福神を書かないのはおかしい。
晴れ、風なし。
いつでも行けると思っていると、行かないで終わってしまう。
というもろもろ理由で出発。15:20

北の端、東覚寺から始めると、最後は寛永寺不忍池となり、帰ってくるのが面倒なので自転車で行くことにした。というより冬の弱弱しい夕日を見ると、17時の閉門までに7つ回るには自転車しかない。
東京には七福神が多いが、明治(深川七福神)、昭和(東海七福神)あるいは戦後(下谷七福神)始まったものも多く、260年前に始まったという谷中七福神めぐりは江戸最古と言われる。

1.福禄寿 東覚寺。

動坂を下るとすぐ。家から700メートル
田端駅を使う時、いつも赤紙仁王がみえるところ。
全く意味のなかった補助第92号線の建設と区画整理によって無残なまでに境内が削られ、一般住宅のような堂宇が20メートル道路に面し、樹木もなく、外見的な魅力は全くなくなった。

前はよく通るが入るの初めて。
15:27
本堂に上がると、今日は一番前に福禄寿。

中に入ると豪華な仏像群

15:28
右を見ると閻魔大王。こちらのほうが立派。
何人か御朱印をもらっている。
こちらは急いでいるので外に出た。
15:30
いつ見てもびっしり貼られている。
一定ということは、分からないように少しずつはがしているのだろう。

赤紙をはがすと阿吽石像がでるというが、今や、ただの石に入れ替わっていても分からない。
15:31 となりの田端八幡。
最初に神社ができて、神仏習合の時代、その雑用、管理をする寺(別当寺)としてできたのが東覚寺。今真っ赤な仁王像は明治に移されるまで、神社の参道入口にあったという。


さて、次に向かう。
家から東覚寺、青雲寺を経て修性院まで3つ回って1.7km


2.青雲寺・恵比須 

15:42
日陰になっているが、左手に抱える鯛が見えるだろうか。
15:43
青雲寺といえば、裏の道灌山まですべて敷地で、明治になり一部を前田家に墓所として売った。いまそれは西日暮里駅ホームから見上げる西日暮里公園となっている。(以前ブログに書いた)。第一日暮里小学校も、もとは工場だったか民有地だったが、明治以前はこの寺の敷地だったと思う。

3.修性院・布袋

しゅしょういんと読む。
ここは千駄木に引っ越して最初の正月に来た。
以来2回目。布袋像は記憶にある。
本堂に入ると、いきなり布袋さんのように太った(僧服ではない)男性が布袋さんと同じ形で正面に座っている。彼の役割は代役なのか(ジョーク?いくらなんでも騙されはしない)、よく分からない。
右側のほうにも寺の関係者らしき人が数人。
写真を撮ってもいいかと聞いて左側の布袋像を撮影。
他の寺もそうだが、賽銭箱は本堂階段上、本堂の中、仏像の前といくつもある。
入り口で賽銭を出したが、声掛けしたものだから、じっと見られている気がして、ここでも出す。
15:46 
仏像と言えば決まった形、あるいは仁王像のように力強さを誇張したものが多いが、このように餅が崩れたような、妖怪のような姿は江戸中期としては斬新だったのではないか?

15:49
4年前に来たときはもっと暗かったような気がするので、内部の漆喰を塗りなおしたかどうか、例の布袋おじさんに聞くと、右奥で御朱印を押している人々に聞いてくれた。
白く塗りなおしたのは20年位前だという。
ところが耐震補強がしてある。これは2011年大震災の直前で「仏様のお告げがあったかのように、直前だったんですよ」と言われる。じゃあ、この白さは20年前でなくて7年前ではないか、と突っ込みたく思ったが、どっち道4年前はこの白さだったというので聞くのをやめた。

あと4つ。道を急ぐ。
15:52

六阿弥陀道をとおり
夕焼けだんだんの下から七面坂を上がって
諏訪台通りを南へ。

4.長安寺・寿老人

この寺は初めて。
小さい。
天王寺や不忍池弁天堂などは年中観光客が来るが、ここは七福神がなければほとんどひっそりしているのではなかろうか。
15:58
入って左(南側)が墓地になっている。
本堂に入ると正面、右側に本尊などあり、お坊さんたちもいらっしゃる。ここでも御朱印をもらっている方が多い。写経している女性もいた。
私は左側の神棚のような高い所にある寿老人を撮影して退出した。

15:59

5.天王寺・毘沙門天
自転車を走らせ谷中墓地に入り、交番前を左折、(かつて天王寺の参道だった)広い桜並木を一気に天王寺まで。
ここは日暮里駅に近いから日頃から外国人観光客も多い。

我が家を訪ねる人がいると、日暮里駅で待ち合わせ、この寺を見せてから、谷中墓地、蛍坂、谷中銀座をとおって連れて来るのがコースの一つだった。
16:01
さて、毘沙門天はどこだろう?
右側に、美術館のような新しい建物。
「谷中七福神」「御朱印」と書いてあり、皆入っていく。
しかし中では御朱印もらっている人だけ。
外に出て戻ったら右の古い建物に毘沙門堂とあった。
中を覗くと誰もいない。
16:05
毘沙門天は武将の姿であるはずだが写真ではよくわからない。
16:05
天王寺は上野戦争で彰義隊をかくまい堂宇のほとんどを焼失、残った五重塔も昭和32年に放火で焼失。この火事で焼け残った下層部の古材を使って昭和36年に再建されたのが、この毘沙門堂だという。
16:06
大分暗く寒くなってきたので
学童守護の観音像の説明は読まず、天王寺を後にした。

16:10
谷中交番をすぎて愛玉子のむかい、岡埜栄泉。
竹隆庵岡埜の会長(創設者)が修業した店だが、なんか(建物も商売も)潰れそうな姿。でもこの姿が谷中らしくて良い。


6.護国院・大黒天

ここも4年前の正月に来ている。
16:12
お寺の名前の場所に仏像名があるのも珍しい。
まるで彼の家の標札みたい。

16:15
これまでの5福神は、本尊の脇だったり、別の堂だったりしたが、ここは本堂内正面、本尊の場所に大黒様がいる。

16:17
護国院は、寛永寺の最初の子院。関東大震災のあと第二東京市立中学上野高校)ができるとき境内の大半を譲渡し、本堂を現在の位置に移した。

ここまで家を出て1時間、6か所回れた。

16:22
両側に校地が分かれる上野高校の陸橋をくぐり道を急ぐ。上野高校と言えば小椋佳。かつては進学校だったが、この日の垂れ幕を見ると文芸部とかバレー部が活躍しているようだ。

16:23
清水坂を池之端に下る。
上野から千駄木に帰るときは清水坂下から根津に出るか、あるいは上野公園から桜木に出て谷中三崎坂を降りるかどちらかだから、この有名な坂は通った記憶がない。暗闇坂ともいう。
レンガの建物は旧都電変電所。都の財産だから動物園の倉庫になったらしいが、今も使われているのだろうか。この近くに円地文子の家があったらしい。

16:25 鴎外荘水月ホテル
鴎外が留学から帰って、千駄木52番地に引っ越す前まで住んだ上野花園町の旧居あと。


7.不忍池・弁財天

何とか閉門の17時までに間に合いそうだ。
自転車を止めたら、動物園出口の係りの人が自転車はあちらに止めてくれ、と言われたので、そちらにいくと駐輪禁止の看板が。
もう暗くなっているし短時間なので許してもらおう。
16:30
清水堂下の石段をおりたところの池のほとり。ここにはテラス食堂があった。
海の家みたいなテーブルとイスが24時間外に出ていて、夏の夜など、自動販売機のジュースなどをここに座って飲んだ。

撤去と同時に木も切ったようだ。
また公園整備という名で税金を動かし、誰かが儲かるのだろう。
お役所は金を使わず頭を使わなくてはならない。
逆だと税金を使って環境破壊しか残らない。
オリンピックでくる外国人観光客を増やすために、とは腹が立つ。
競技場さえあればオリンピックはできる。
公園、景観は観光客、業者、仕事を作りたいお役所のものではない。
一旦破壊されたら元に戻らない。
16:30
いままでの6か所と違い、外国人ばかりになる。
両側の露店も日英中韓の表示がある。
16:31
木が明らかに少なくなっている。
16:32
まさかの行列。空港のセキュリティでは並んでも、レストランや観光アトラクションは並んでまでも行きたくない私。
16:48
でも最後だから寒い中16分並ぶ。
みなお賽銭を上げてお参りすると帰っていく。
よく見ると靴を脱げば入れるようだ。
お坊さん(もちろん寛永寺の)にご挨拶していろいろ説明してもらった。
16:50
弁財天はこのミニお堂(厨子)の中に入っていて、1年に一回だけ(9月)御開帳になるという。特別にパンフレットと冊子をいただいた。
16:50
昔の不忍池の話などおしゃべりしたが、天井画の説明は聞かなかった。
龍は千駄木に住んでいた児玉希望の筆。

動物園、博物館、美術館だけでなく池まで境内だったのだから、寛永寺の大きさ、堂宇の壮麗さを想像すると、かえすがえすも上野戦争は残念である。残っていたら我が国の世界遺産などすべて陳腐に見えるほどの観光資源になっただろう。
 
16:59
裏のボート池のほうに行くと、茶店がなくてびっくり。両側にあって、南側が先になくなり、北側の勝亭は最近まであったのだが。
写真を撮っておけばよかった・・・。
傾いた床、半分池にはみだして落ちそうな店だった。ところてん、あんみつ、焼きそば、おでんなどあった。

16:59

17:00
上野駅から池を近道する人は、左に見える渡り廊下の下をくぐる。
77年秋ボート場から通学していた時、
80年池田氏を駅まで送っていたとき、
就職してから大学に遊びに行っていたとき、
87年から88年にかけて14か月、週6日朝晩くぐったとき。
1000回近くくぐっているかも。
17:01
表に回ったら弁天堂は閉まっていた。
時間正確。行列はどうしたのだろう?

この後まっすぐ帰宅。
正月料理が大量に余っているが、これだけ動いても空腹にはならない。

家を出て、東覚寺、青雲寺、修性院が1.7㎞ 徒歩21分
修性院から、長安寺、天王寺、護国院、弁天堂をへて家まで
5.3㎞、徒歩1時間4分と地図にはある。
7か所歩いて1時間半だが、見学時間を入れると自転車で1時間半か。


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