古いものを調べるのに東大は便利。
中国人観光客が我が物顔で芝生に入り写真を撮っていた。
あっちでは男がポーズをとり、こっちでは4人の女が動きのある写真にしたいのだろうか、踊ったり体をゆすったりしている。
不愉快だが、確かに震災後に建てられた堅牢な建物や樹木は、観光客から見ても魅力的だ。東京でこれだけのところはない。
しかし、観光客というのは、もっとオドオド、キョロキョロ、控えめであるべきではないか? 堂々と我が物顔というのは可愛げがない。
さて、
この日は明治文庫(法学部付属の近代日本法政史料センター 明治新聞雑誌文庫)。
総合図書館の建物の地下一階。
2006年、薬学昔々を書きはじめたころ初めて来た。
明治初期の薄っぺらで崩れそうだが、貴重な雑誌の実物が手に取れる。
薬学雑誌は他の図書館にもあるが、製本されるときに広告や後付けが捨てられていたりする。ここは製本されていないものがあり、今となってはより重要な情報がある。
2018-11-14
こういう建物は残してほしいな~
東大の人は専門の勉強ばかりしていて価値が分からないのだろうか、平気で建て替えたりする。
資料は劣化しているものが多く、コピーはダメなものが多い。
最初はメモしていたが時間かかるので、こっそり携帯で撮影したことがある。しかし事務室の隣の閲覧室は誰もいなくてシーンとしており、シャッター音が聞こえてしまうだろう。
あるとき撮ってもいいかと伺うと、写しやすいように照明や、紙抑えの重しもあって、お手伝いまでして下さった。もっと早く聞けばよかった。
最近は息抜きに都新聞を読む。
複製版が外に出ていて気軽に読める。
浅田飴を売り出した堀内商店は信州伊那の出身。
「良薬にして口に甘し」は当時としては旨いキャッチコピーだ。
「たんせきに浅田飴、すき腹にめし」は意味不明。
中庭をのぞくと思い出した。
藤井勲先輩がよく、ここでテニスの壁打ちをしていた。四方が壁だからボール拾いが楽。
しかしよく怒られなかったものだ。
薬学からは経済学部側からの入り口から入った。
・・・・農学部図書館もいい。
千駄木から一番近く、薬学雑誌などもある。
2018-11-27
地方の青年団が発行したような冊子もあり、蔵書のタイトル数は学内図書館でも多いほうだ。
この日は、月刊の農芸化学会誌が戦中、戦後にどのように発行されていたか調べた。
昭和18年 12冊
昭和19年 12冊
昭和20年 0冊
昭和21年 2冊
昭和22年 0冊
昭和23年 4冊
昭和24年 6冊
昭和25年 9冊
戦後の方が大変だったようだ。
紙不足や空襲の影響もあるだろうが、研究が再開されず原稿(論文)が集まらなかったことも大きい。
千駄木菜園 総目次
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