2019年5月2日木曜日

令和の善光寺

5月1日、連休なので信州中野の実家に帰省。
当初は妻と二人の予定が、息子も祖母に結婚のあいさつに行くと付いてきた。

あまり早く着いてもコタツで時間を持て余す。
それで善光寺によることにした。

1972年4月から75年3月まで、高校時代に長野の街に歩いていくときは、上松の住宅街から城山公園、清泉女学園を通って、北東から善光寺の境内に入った。剣道班でランニングに行くときは雲上殿の下を走って長野西高校の西側を下り、北西から境内に入った。
久しぶりに歩いてみたかった。

家を朝6:10に出て、京浜東北線各駅停車に乗る。
大宮駅でパンを買おうと思ったら祝改元・令和のパン発見。 
7:18発の新幹線に乗る。
8:38長野駅着
前回善光寺に来たのは2007年8月。
そのときは東山魁夷美術館に車を止めて東から歩いた。
だから駅からの参道は高校以来かもしれない。

歩き始めると45年前と大分様子が変わっている。
当然建物は変わっている。
歩道が広くなり歩きやすくなったが、店が減り歩いている人も少ない。
かつては一番の大通りだった。

中央通り(参道)と昭和通りが交わる新田町交差点。
違う街のようだ。

ここ、長野市の中心に県内随一のデパート、丸光があった。
祖母や母に連れられ、屋上の遊園地に遊んでいる子供のころの写真もある。
1957年創業。

しかし人の流れが駅前に移り、経営不振に陥った丸光は1983年そごうの傘下に入った。
しかし業績は回復せず、2000年に閉店、いまは信越放送がはいるTOIGOになった。
ライバルの丸善が、ながの東急となるも今も駅前にあることを思うとやはり場所だろうか。

ふつうは廃業して建て替えられても、街並みは残るものだが、空襲にでもあったかのように、空が広くなって、道路の両側一帯の景色が一変した。

この交差点から北の中央通りが石畳になった。車道が狭く、歩道が広くなり観光客が歩きやすくなっている。かつては県庁所在地だったのが善光寺門前町という大昔に戻ったようだ。

権堂駅から続くアーケード
「九条守れ」などとプラカードを持った行列に遭遇。
祝改元の日なのに長野は変わってるな、と眺めたが、今思えばメーデーだったか。

歌舞伎座のような建物もできている。
北野文芸座とあるから北野建設が建てたのだろうか。

蔵を利用した飲食店が集まったパティオ大門。

かつては今ほど観光客もおらず、駅からも遠いこの場所は空き店舗が目立った。平成12年、その一つが売却されるとき、街並み保全のため地元有志の組織である(有)長野大門会館がこの土地を取得した。
奥には蔵や町家もあり、一体化した開発構想が浮上、国からの補助金や地元からの融資も受け、平成17年にオープンした。
まだ開店していない。

かつての本陣藤屋旅館
高校卒業して年末に帰省した時、町田憲一、高見沢秀茂と夜初詣に来てお茶を飲みに入った店はどこだか忘れてしまった。

仁王門

食べ物屋はそこそこ商売になるだろうが、数珠などは売れるものだろうか。

山門の上に上がれるようになっている。500円。


 本堂前で煙を頭と顔にかけ、上がってみる。
本堂
内陣、戒壇巡りは時間がないので入らない。

びんずる様
長野びんずる祭りは1971年に始まった。

本堂の上からみると行列。

なんだろう?

東側に回っても列は続く
並んでいる人に聞けば御朱印をもらうという。
列は2つあった。

帳面書き御朱印と紙札御朱印は別の列になっている。
2つの列が大きな本堂を1周していた。

ネットを見たら
・頒布期間:令和元年5月1日(水)~5月31日(金)
・頒布場所:本堂前 御朱印所
・頒 布 数:5,000枚限定(※無くなり次第終了)
・頒布価格:1,000円
限定朱印
平時は300円なのに善光寺は大儲けではないか。

列はなかなか動かない。
御朱印を集めていなくて良かったと、つくづく思った。
あとでニュースをみたら4時間待ちの人もいたらしい。

収集家としては連休で遠くから信州まで来たから、なんとしても欲しいのだろう、と思ったら、明治神宮で10時間、大宮氷川神社でも4時間の列ができたという。
えっ?
おそらく収集家ならすでに都内の御朱印などは持っているのだろう。
すると「令和」の5月1日だから欲しいのか。
収集家でない一般人か?
地下鉄の記念切符などにも行列ができたというから、人間というのは面白い。

日本忠霊殿と善光寺史料館
まだ新しそう。このあたりは45年前は林というか藪だったのではないか?
経堂

あらためて、この日は令和元年初日ということを思った。
東京では即位後朝見の儀がある。
後でニュースを見ればいいか・・・・
 ちょうど令和の額があったので記念写真。

この時点で9:53
そろそろ実家に行くため長野電鉄・善光寺下駅に向かいたい。
昔見た牛の像をみてから味噌ソフトクリームでも食べ歩きしていくことを提案した。
(なお境内は食べ歩き禁止)
ところが妻が疲れたからカフェに入りたいという。

まだ見ていないところがいっぱいあるのに・・・・
息子は何も考えていないし、しかし反対すると面倒なので、しぶしぶ近くの店に入った。
二階にあがると放生池の向こうに山門が見える。
窓際の席は空いてなかった。
カフェラテだのアイスクリームだの頼んでから時計を見たら、あまり時間がない。
電車が10:33なので、もう出なくてはならない。
結局テイクアウトにして仁王門から東の坂道を下りた。
最初からテイクアウトにすれば懐かしい牛を見られたのに・・・
やっぱり神社仏閣巡りは一人で歩いたほうがお互い良いようだ。

長野電鉄は乗っていた観光客が小布施でほとんど下りた。
つり広告に延徳駅の記念乗車券があった。

延徳という年号は室町時代に2年間しか続かず事件もなかった。
だから、中野の延徳田んぼ、延徳駅を知る地元民でもそれが年号だと知る人はいないだろう。
私も中野氏、高梨氏を調べるまでそれが年号だと知らなかった。


0 件のコメント:

コメントを投稿