大塚駅周辺が変わったというので行ってみた。
改札を出てまず北口へ。
2020-05-17
新しいビルがいっぱい。
番号がついている。
スタバが入っている写真正面はba07
左はまだ工事中だがba05というのは建設順ではないようだ。
前はどんなビル、店があったか思い出せない。
線路際の上り坂と、斜めに伸びる商店街。
「ノルウェイの森」に出てくる大塚の小さな書店はこの商店街にあったらしい。
この二本の道路の間にはピンクサロンが何軒かあったような気がする。
角海老ボクシングジム。
昔から皆見物していたがコロナで休止
再び駅前広場に戻る。
左のba01は、星野リゾートが入る。
前を西(左)に向かうのは宮仲公園通り。
Sizzlerはカリフォルニア発祥、サラダバーのあるお手軽レストラン。1991年上陸、都内で10店舗というが、入ったことはない。
ba01から駅をふりかえる。
右の角、カーブしたビル、フロンティアというホテルは数年前までラブホテルだった。
都電の線路を渡る。
駅前広場はまだ開発中。
ビル番号のbaは、being & association、集まる、泊まる、つながる「場」にも通じるらしい。
この店は昔からあった。
しかしba02という立派な番号を持ち、呑喰ちょうちん横丁のれん街とかいてある。
周辺の小さな飲み屋といっしょに組んでオシャレになった。
インバウンドの外国人目当てであろう。
池袋のとなり、都電が走り、古い小さな店が残る。星野リゾートは、大都会の池袋を避け、夜、ふらりと日本らしい店に繰り出すような富裕層をターゲットにしたと思われる。
建物に番号をつけたのは外国人向けだろうか。
大塚は戦前、三業地があったころは池袋よりも繁華な町だった。
山手線に都電が2路線はいり、車庫もあった。それが西武線、東武線沿線に住宅が建ち、郊外に人口が増えるとターミナル駅だった池袋がさかえ、大塚は非常に地味な駅となった。
つい最近までの駅舎の古さはそれを象徴している。
大塚には昔よく来た。
2001年11月、ダンス大塚会館というダンス教室に入会した。
ダンスを初めて2年、パーティではそこそこ踊れるようになったが、公民館サークルでなくちゃんとした教室で習いたいと思った。しかし個人レッスンは高い。
そこでグループレッスンで有名な大塚会館に、埼玉指扇から通ったのである。
大塚会館へ行く坂の左は民家だったのが新しいビルになっていた。
しかしその先に昔と同じように『ダンス』の文字が。
2003年5月にはオーナーが還暦祝いとかで総額60万円のダンス大会が開かれた。
皆似たような生徒ばかりだから下手くそでもベストドレッサー賞だのベストスマイル賞だの賞金が出て私ももらった。2004年1月にもあり、このときは4つ5つ入賞し、10,500円も賞金を頂いた。
しかし、2004年から競技をはじめ、もっとうまい人の多い教室で個人レッスンを受けたくなり足は遠のいた。それでも2005年6月にはここでパソドブレを習った記録がある。
コロナで休業中
覗くと昔と変わっていない。地下一階から3階まで各フロアで初級から上級まで10種目のダンスについてグループレッスンがあった。自動車教習所の講習時間割のように、先生の名前と種目をみながら目的のフロアに行くシステム。
大塚駅北口は毎週のように通ったのだが、私はあまり人づきあいが得意ではなく、ダンス関係者と飲むこともなかった。すなわち、ほとんど毎回、駅と大塚会館の往復だけだった。
大塚駅北口は谷端川、都電があったせいか、道路が複雑で、島のようになっているところがある。そこらをぐるっと回って駅に戻る。
楠潤一郎ダンスアカデミーは、20年前と同じ、北口の中之島のようなところに存続していた。
大塚は昔ダンスの聖地と言われたくらい教室が多く、私も大塚会館に行く前、いろんな教室を見学したり、お試しレッスンを受けたりした。
都電乗り場は少しきれいになったかな。
雑司が谷の方から庚申塚、王子の方に何回か乗っている。
都電のすぐ東のガードは昔のとおり。
南の春日通りからくる尾根道が線路をくぐり、北へ出ると折戸通りとなる。
古くは幹線道路であった。
このレンガは残してほしいな。
JRの改札口の方へ行く。
駅の改築と自由通路は2009年開通。
ダンスに通っていた15年前は北口と南口は完全に分かれていた。改札を入ると階段があり、そこを上ってまっすぐ行って降りると南口改札、左右に上がればホームだった。つまりバリアだらけ、自由通行口はもちろんなかった。
いまは広い改札までフラット、大きなアトレにおしゃれな店がいっぱい。
南口に出ると右から都電が坂を下りてくる
この坂を見るのは1992年以来かもしれない。
線路の両側に片側車線ずつある景色は、記憶と違っていた。
駅前はきれいな広場。
昔の大塚のイメージがない。
広場は2017年5月にできたらしい。
以前はこのアトレのビルがなく、山手線の線路の下に並ぶ店の前を人がいっぱい歩いていた。北口に行く人はぐるっと都電乗り場を回って行った。
ビルの間の広い道は北口の折戸通りから続き、南に行けば春日通りとなる。
この通りは春日通りと直線関係にあり、広く、かつ都電が通っていたにもかかわらず、大塚南通りという。
春日通り自体はまっすぐ大塚駅まで来ないで、なぜか新大塚駅で曲がり池袋に向かう。明治のころから巣鴨刑務所の北の辺となっていたが、江戸時代も畑の真ん中を通る幹線道路で、曲がっていても春日通の名を継いだ。
大塚南通りの東に並行してもう一本南へ行く広い道がある。
こちらは千川通である。
思いだした。
ダンスに通っていたころ、大塚駅で唯一寄り道した場所は、千川通を少し行って左側のブックオフだった。
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