2020年5月4日月曜日

千石緑地、明化小、白山通りの工事

今回は白山台地の東の縁をたどり坂道の写真を撮る。

この台地は、
東は白山通りを谷にして傾城台地・本郷台地と
西は千川通りを谷にして小石川台地とに挟まれている。

江戸時代から台地の上はきれいに区画整理され旗本御家人の幕臣が住み、
西側斜面にあった幕府の御薬園はいま東大植物園となっている。

 別ブログ
 20200429 白山神社の地形、傾城か鶏声か
 20200428 鶏声台地と酒井家、土井家、暗闇坂




国土地理院の地形図を見れば、不忍通りの北も、わずかに谷の凹みが続いているが、行ってみると写真に撮ろうと思うほど勾配はなかった。

2020-05-02 不忍通り。
白山通りとの交差点から西を見れば少しへこんでいる。

そこでスタートは不忍通り。
へこんだあたりを南に入ってすぐ、通りの西に千石緑地というものがある。
道路より高く、白山台地の東縁と分かる。

広くはないが遊歩道がある。
1989年、徳川 宗敬(むねよし、1897- 1989)の死後、緑地として残すことを条件に一橋家から寄付されたという。

緑地の奥に徳川マンション
上から見れば雁行型。1971年2月(築50年)地上11階/地下1階建
総戸数80戸
1909(明治42)
中央上部、巣鴨病院(のち理研、グリーンコート)の北を不忍通りが通った。
南西の護国寺前へ道路が延長されていく、すぐ南に徳川邸と書いてある。

江戸時代末期、一橋刑部卿(慶喜)の抱え地はこの辺りから一行院の東に回り酒井雅楽頭下屋敷に接し、今の白山通りに沿って寂園寺の向こうまで2万坪もあった(嘉永年間の切絵図では二か所に分かれているが)。
明治後、一橋家はそのうちこの部分に屋敷を構えた。
徳川宗敬は水戸徳川家12代篤敬(あつよし)の次男で、一橋家を継ぎ12代目当主(伯爵)となった。東大林学科を出た農学博士である。
彼については染井霊園の松戸徳川家や、本郷学園の銅像のブログでも書いた。

なお、一橋家9代当主であった慶喜は、将軍、謹慎、復権後、ここから少し北の巣鴨駅線路の近くに屋敷を構えたが、山手線開通でうるさくなり小石川、小日向第六天町に転居した。

千石緑地から南へすすむと小さな坂がいくつかあるが名付けるほどもない。
明化小学校にぶつかると、ようやく坂道らしい坂道。
明化坂とする。
文明開化の時代、明治7年8月、少し南の小石川区原町37番地浄土寺を借用、
第1大学区第4中学区第7番小学、明化学校として開校。

宅地化が進み児童が増えると次々と周囲に小学校が新設された。
1911年 (明治44年) 、林町小学校開設 児童 487 名移籍
1914年 (大正3年) 、御殿町小学校開設 児童 315 名移籍
1917年 (大正6年) 、指ヶ谷小学校開設 児童 228 名移籍
1924年 (大正13年) 、 旧駕籠町小学校開設 児童 637 名移籍
(明化小学校公式サイトから)

しかし林町小学校とは300メートルくらいしか離れておらず、やはりすぐそばの第十中学と合わせて統廃合の計画があるらしい。

別ブログ
20180109 文京区立中学・生徒数一覧
20180108 文京区立小学校・児童数一覧と通学区


坂を上り明化小学校の西を通り南に回ると
一行院
日蓮宗のような石柱だが南無妙法蓮華経ではなく南無阿弥陀仏。浄土宗である。
同名の寺は信濃町駅のそばにもある。
山門から覗くと、幼児を遊ばせる母親が二人芝生の上に座っていたので入らなかった。
徳本行者の墓があるらしいが、よく知らない。
門前の坂を下りる。
一行院坂 
坂下、白山通りから見る。

白山通りを南下する。
浄土真宗東本願寺派、法輪山寂円寺
ちょっと入れない雰囲気。

このあたり西に上っていく道がない。
ようやく坂道。
目印がないので名前を付けようがない。

白山4-36を巻き込むようカーブして上がっていく細い坂

浄土寺の裏に当たるので浄土寺裏坂とする。

白山通りをさらに南下する。
白山4-34と35の間をあがると左(南)に本念寺、右に浄土寺がある。

本念寺には大田南畝(なんぽ)の墓があるという。
田沼時代の幕府御家人であったが、天明期の文人、狂歌師として知られる。
蜀山人も彼の号。

向かいは浄土寺
特に惹かれるものがなく入らなかったが松平忠直の墓があるという。
家康の次男結城秀康(越前福井藩祖)の嫡男だが、大坂の陣の褒章をめぐり不満をもらしたことから大分に流された。
2つの寺の間から坂下の白山通りをみる
すっきりとした佇まいの寺にちなみ、本念寺坂とする。


坂上は江戸時代旗本、御家人の屋敷が並んでいた。
豪邸はないが落ち着いた街並み

逸見坂(へんみさか)から坂下、白山通りを見る。
通りの向こう、わずかに見える緑は白山神社。
坂の途中に旧幕臣、逸見某の邸があったという。

逸見坂の南に並行する坂

蓮華寺坂の一本北の坂道

2020-05-02 蓮華寺坂

不忍通りから白山下の交差点まで、すなわち蓮華寺坂下まで歩いてきた。
白山通りから白山台地の東縁を登る坂は何本かあるが、名前を付けようと思うのは少ない。

なお、この日歩いてきた白山通りは思ったより新しい。
国土地理院の航空写真(1975-1-20撮影)を見れば、昭和50年はまだ工事している。
徳川マンション(左上)はあるのに白山通りは工事中である。
日土地原町ビル(中央上部、合流点近く)のところは勧銀の社宅が並んでいる。
東洋大のキャンパスも今とだいぶ違う。

調べれば、道としてできたのが1975年の終わりか76年の初め、
開通はそのあと、76年の秋か77年になってからのようだ。

75年初めに東京に来て、77年は本駒込に住んでいたが、本郷通りから西は来ることがなかった。

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