2017年7月13日木曜日

上野三碑は世界記憶遺産の価値があるか?



平安時代より前に作られた石碑というのは全国でわずか18基しか残っていない。
そのうちの3基が高崎の西、吉井町あたりの直径3kmほどの円内に集まっている。その多胡碑(西暦711年)、山上碑(681年)、金井沢碑(726年)をあわせて上野三碑(こうづけさんぴ)という。     
高崎市のパンフレットから

7月12日、近くで用事が出来たので訪ねる。
今年5月高崎駅に降りたとき、駅のコンコースに3碑のレプリカがあったのだが、今回はその場所に高崎祭りの大きなダルマが座っていて、ちょっとがっかりしたが、上信電鉄乗り場に行ったら、しっかりあった。
しかも世界記憶遺産を目指すということで、2か月前より力が入っている感じ。
よくできたレプリカで石のように見えるが、載せてある台からして、非常に軽いのだろう。簡単に持ち運べるようだ。

上信電鉄のホームは非常に長く、しかし電車ははるか先のほうにいる。なぜ駅入り口に近いほうに止まらないのか謎である。世界遺産富岡製糸場への団体客の整列場所かとも思ったが、ここが一杯になるようなら電車に乗れない。

右に里山がせまり、左が畑というのどかな風景のあと、急に開けたところ、馬庭駅の手前で見たソーラーパネル。
お騒がせ鳩山前首相が畑や水田の上にパネルを設置すればいいと発言したら「光合成も知らないのか」とたたかれた。

しかしちゃんと理屈はある。
パネルの間隔をとって、地上から2メートルくらい離せば、植物は成長する。
光はふつう過剰量あたっているから、少しさえぎったほうが焼けなくていいかも。

用事の目的地は吉井駅。
三碑のひとつ、多胡碑の最寄駅でもある。
小さな駅舎は多胡碑一色。
かなり前から飾られていたようだ

米粒に碑文を書いたという人がいる。
なんか田舎っぽくて微笑ましい。

懐かしい感じの駅内部を撮っていたら駅員さんが走り出して、偶然写ってしまった。
お婆さんが自転車を置き場に入れようと難儀しているのを助けにいったようだ。

上信電鉄の人は、数少ない駅員も、運転手も(無人駅が多く、ワンマンカーだから降りる人の切符も受け取る)皆丁寧、親切である。これは社員教育だろうか、県民性だろうか?

用事を済ませて、夏の昼下がり、上州の農村を歩きながら多胡碑に行った。
農家の混じる住宅地の中に公園がある。
初代群馬県令、楫取素彦(松蔭の義弟でしたね)が重要性を訴え、周辺の土地を政府が買い上げたという。

覆堂に大事に囲われている。

昭和初期の多胡碑。
すでにお堂に入れてある。
仏像でもないのに、信仰対象になっているのは興味深い。
「ひつじさま」と言われていたらしい。
碑文の人名といわれる「羊」から来たと思われるが、昔の人は難なく解読できたのだろうか。

石碑というのは露天にあるものだと思ったが、これだけ古いものだとずいぶん大事にされる。戦時中は保護のために一時桑畑に埋められたという。

それにしても転倒防止のマットみたいなもの、もう少し雰囲気のある展示方法はなかったものか。昭和風のお堂にして、床も一緒に動く(免震構造)ようにすれば良かったのでは?


碑文の意味や、もろもろはネットにあるから省略。

この地が古くから開けたことを地理学的に考察してみたいが、別の機会に。
覆堂の裏には多胡碑記念館(200円)もある。
保存、展示にずいぶん力を入れている。来ただけで十分なので入らず。
周囲には誰もいない。

毎年、碑文から4文字を選ばせて書道展をしているようだ。

吉井町のほかから移設してきたという古墳2基。

レプリカを作ったというなら分かるが、古墳を移していいものか? 
作られた場所の地形は大切な情報ではないか?

さて本題。
世界記憶遺産とは大げさだろう。
群馬の人々は好きだし、三碑が貴重であることは認めるが、ちょっと違う気がする。

世界記憶遺産とは、後世まで記憶して伝えるべき歴史的に重要な文書などである。
黄帝内経や本草綱目、マグナ・カルタとかベートーベンの自筆楽譜、アンネの日記などだ。日本では筑豊の炭鉱図や、舞鶴への引揚げの記録が登録された。

上野三碑の碑文は、
300戸ほどの多胡郡を設置した記念(多胡碑)、
三家(みやけ)一族が祖先の供養と一族繁栄を記念したもの(金井沢碑)、
ある僧(筆者)と佐野の屯倉を管理した一族の関係(山上碑)であり、
文章自体に歴史的意味はない。内容もばらばらである。
鳥獣戯画とか日本国憲法、朝鮮通信使資料、五か条のご誓文とか、意義ある文書は他にあるだろう。

平安以前の18石碑のうち3基が高崎の西に集まっていることだけが有名、貴重なのであり、しかしこれは世界記憶遺産に推薦する理由にならない。
古い石碑など中国、朝鮮に山ほどあるだろうし、3つが選ばれるなら、国内現存、残りの15碑も世界遺産にするのだろうか。

この三碑が高崎の屋外になければ、たとえば博物館にあったなら申請はなかったであろう。
つまり、イベント好き自治体による観光資源化である。

しかし私が住民だったら、記憶遺産として認定されるための運動や、駅周辺だけでなく村内いたるところにやたら目につく幟(途中の道だけでなく、全く違う場所にもある)、さらにはパンフ、ポスターなどに税金を使ってほしくない。

ずっと残ってきた貴重なものを後世に残すのは義務だから保全に税金を使うのは当然である。しかし、価値が分かる人だけに知られればいいのであって、世界中の人に知られる必要はない。

そろそろ日本人(とくにゆるキャラ好きの自治体)は、なんでもかんでも世界遺産に申請するのはやめたらどうか? 
NHK大河ドラマに便乗する観光業者や、イベントなら何でも立ち上げ、仕事を作りたがる自治体。。せいぜい三碑まんじゅうを売るのが目的では、世界遺産の価値が下がる。

古い駅舎に飾られた様々な額や、碑文の書道展など、素朴に長い間守ってきた地域住民は素晴らしい。それだけでいいと思う。


高崎市のパンフレットから


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