1月以来、再び飛鳥に乗った。
前回は連続3つの航海だったが、今回も2泊3日の駿河湾クルーズと6泊7日姫路・高知・日向の2航海が連続した8泊9日。
前回全部で10泊したから豪華客船飛鳥IIに対して物珍しさはなく、食事が一番の楽しみになっている。
3月21日、横浜で乗船。
最初の2泊は部屋が空いているということでツインの部屋に一人。もちろんオーシャンビュー。
部屋で荷を解いて簡単な避難訓練のあと、さっそく11階で2か月ぶりのビーフハンバーガーを食べた。フルコースディナーも勿論おいしいのだが毎晩だとありがたみがなく印象に残らない。むしろハンバーガーとか朝食のアンパン、夜食のお茶漬けの旨さのほうが頭に残っていたりする。
3月21日乗船日のイベント表
食事メニュー 3/21夕食、3/22昼食、3/22夕食
3/22夕食のゲスト・シェフの片岡護氏はイタリアンの巨匠として有名らしいが、毎日豪華だから皮肉にもあまり違いが分からない。
2025‐03‐22 12:42
昼御膳(メニューは一つ前の写真)
料理は他でも見るものだが(もちろん私は普段こんな豪華ランチは食べないが)、咲く直前の桜の枝が添えられているのが飛鳥IIである。7~800本も用意したのだろうか。部屋に持ち帰ってコップに差している人もいた。
2025‐03‐22 14:05
3/21夕刻に横浜を出港、3/22目が覚めると駿河湾。
午前中湾内を一周してから三保の松原の沖を御前崎のほうまで南下し、午後になって伊豆半島を周り相模湾を目指す。
富士山は海抜ゼロメートルから見えるから地上からよりずっと大きい。しかし前回より霞んでいた。春霞なのか黄砂なのか。
そもそも日本古来の春霞自体も黄砂がメインだったのかもしれない。
2025-03-23 8:59
大さん橋の向こうに大型客船 Norwegian Spirit。
この船は正装不要のカジュアルシップで、豪華さはそれほどないがその分値段を抑えている。
75,904トンだから飛鳥II(50,444トン)より大きい。
乗客定員/乗組員数=サービスレシオは2,018名/912名=2.21(飛鳥は872名/490名=1.78)
夕方、横浜出航。
ここから6泊7日、2回目のクルーズ。
この日下船したWさんの代わりに乗船したIさんと同室。
3/24
西に向かって一日クルージング。
ダンスの仕事以外の時間は、11階のEスクエアで先日の近江見物のブログ書き。
PCを打っているとウェイトレスが「お飲み物はいかがですか?」と毎回笑顔で聞きに来てくれるが、普段からお茶は飲まない体質なので、笑顔でお礼を言って、断る。
この日の夜は春野恵子の浪曲ステージがあったが、見に行かなかった。
21:00₋23:00のダンスの仕事のあと、11階の大風呂に行った。
体重測ると増えていたが、食べ物というより競技ダンスの練習をしないことが大きい。ふだんはレッスン受講2日、練習3日、週5回かなりエネルギーを使って運動しているが、船のダンスは穏やかな社交ダンスだから運動にはならない。しかし床の硬さと波による揺れとで、足は痛くなり脚は疲れる。
3/25
朝、姫路入港。飾磨4号岸壁。
上陸する人と船内でのんびり過ごす人といろいろ。
上陸する人はほぼ全員が飛鳥が用意した無料バスでJR姫路駅までいき、そこから姫路城の見物に行く。
しかし私はこの名城を一度見たことがあるので、ひとり姫路駅から電車に乗って播州赤穂にいった。
(別ブログに書く予定)
03‐25 17:05
夕方、姫路出航にあわせ、姫路市立琴丘高校吹奏楽部がお見送り演奏をしてくれることになった。船内放送を聞いて7階のプロムナードデッキに行く。
17:07
高校生が演奏準備中に反対の海側の舷で港内消防船が噴水のお見送りをするというので行ってみた。観客がほとんどおらず、また噴水船が飛鳥に比べて小さすぎるので「お見送り」のセレモニーらしくない。
ちなみに、7階デッキの頭上救命ボートはテンダーボートといい、緊急避難用のボートよりも大型で設備が充実しており、接岸できない港との行き来に使われる。
第二次大戦前、水雷艇や潜水艦など長距離自走能力が不十分なころ、これらは母船の支援を受けながら活動した。これら母艦をtenderといい、保守、支援を行う付属船をtender boatといった。
17:12
演奏中の高校生。おそらく技術はまだまだだろうが、選曲がいいのか生演奏がいいのか、ちょっと涙が出るくらい感動した。
毎回思うのだが、デッキまで出てくる乗客はごく一部なため、感謝の気持ちを伝えられないのがもどかしい。もっとも乗客はそれぞれ自分のペースで過ごしたいのは当然であるが。
姫路で乗り込み、船内1泊だけで翌朝高知で下船するらしい。
メガネを持ってきていないので部屋のテレビで見ようかと思ったが、それでは茶の間のテレビと同じになってしまうので生ステージを見に行った。
18:52
前回の由紀さおりは全く年齢を感じさせず昔通りの歌声だったが、彼の喉はさすがに衰えを感じた。1948年生まれだから今年77歳である。
しかし歌の合間のトークは面白かった。
歌手時代は(今も歌手だろうが)、ほとんど表情を変えずまったく喋らないと言う冷たい二枚目キャラクターであったが、途中で「欽ちゃんのドンとやってみよう!」に起用されると笑いの才能も認められるようになった。のちに、初期の無口キャラも「欽ドン!」時代の朴訥な大ボケキャラも「演技だった」と告白している。
ふつう本性とは別のキャラを演じる場合、一つであるが、彼のように両極端を演ずる場合、むしろバランスがいいかもしれない。
今回も歌よりトークで盛り上げていた。
終盤になって
「ここに来る前、観客の皆さんがどういう人か不安でした。でも拝見しまして若い人はほとんどいらっしゃらず、皆さま私と同じような方がたで安心しました」「年をとると記憶があやふやになり、今日のステージも実際にあったのか夢だったのか、はたまた船に乗ったかどうかも分からなくなります。幕が開く前に「録画、撮影はご遠慮ください」と注意がありましたが、写真があったほうが思い出しやすいでしょう。どうぞ、お写真、録画、ご自由にお撮りください」(大意)
といって、ステージを下りて観客席のあいだを歌いながら歩き始めた。
18:59
あちこちでスマホに向かってピースサインをしたり、握手したり。
ああいうサービスをしながら歌詞を間違えない(あるいは間違えてもそう思わせない)のがプロなのだろう。
19:00
長崎の高校を2年で中退、フランスベッドやダスキンなど転職しながら長崎市内のキャバレーで歌っているところを見出された。最初は内山田洋とクール・ファイブの楽器運びなどのバンドボーイとして付いていたが、のちリード・ヴォーカルとして起用され、1969年2月「長崎は今日も雨だった」でメジャーデビュー。
1971年に藤圭子(1951‐2013)と結婚したが翌年に離婚。
(ちなみに藤圭子は1982年に音楽プロデューサー宇多田照實と再婚、宇多田ヒカルを産むが2013年死去。精神疾患を患い自死という)
19:01
一番後ろのほうにいた我々のほうまで来てくれ、会場全体を盛り上げた。
我々はこの後夕食、21:00からダンスの仕事。
その間、船は夜通し走った。
同室のIさんは浪曲が好きで、今回のクルーズで春野恵子のステージが24日と27日の2回あったこと(彼女は東大卒、俳優から転じた異色の女流浪曲師)、また私がこの日25日の昼に播州赤穂城に行ったこと、夜の前川清が藤圭子と結婚していたこと、などから、私に藤圭子の「刃傷松の廊下」の動画を送ってくださった。ちなみに藤圭子の両親は全国を行脚する浪曲師だった。ベッドに寝ころびながら再生すると、Iさんは一緒に歌いだした。春野恵子のステージもぜひ行くべきだと勧められたが辞退した。
3/26
朝、高知新港入港。
03‐26 9:02
第7ふ頭2号岸壁。
向こうにはオランダ船籍の客船・ノールダムNordamも停泊していた。82,500トン。
Holland America Line社の船はすべてdamの語尾で終わる。
03‐26 9:03
海側は浦戸湾の入口にかかる浦戸大橋がみえる。
橋の先の島のような森が桂浜。
浦戸湾は入り口幅140m・奥行き6kmの縦長の湾である。太平洋の荒波がもろに押し寄せる土佐湾とちがい、その深い支湾として、古くから天然の良港であったが、近年は大型船が入れず、湾の外に高知新港ができている。
1月の飛鳥クルーズで上陸した名古屋、広島、新宮は、岸壁から歩いて交通機関の駅に行けたが、今回の姫路、高知、細島はいずれも歩ける範囲に駅、バス停はなく、飛鳥IIのシャトルバスを利用せざるを得ない。無料であるが、時間が限られる。
高知新港から飛鳥の用意したバスで桂浜に行き、そこから路線バスに乗り換え、高知市内にいった。高知城、桂浜の様子は別のブログで書く。
午後、船に戻ってきてからランドリーでせんたく。
16時すぎに11階で軽食をとり、外を見たら岸壁でよさこい踊りのパフォーマンスをしていた。出航時のお見送りイベントとして和太鼓やひょっとこ踊りもあったらしい。向こう側からノールダムが出航していったが、そちらはイベントがなかったように見える。
地元物産の出店やイベントは船の運航会社と、地方自治体(観光協会)との連携によるものだから、これは外国籍と日本籍の客船の違いかもしれない。
夜、風呂に入る日だがさぼる。
高知城や浦土城跡の石段、坂道を登り、さらにダンスで疲れたのか、夜中に足がつる。
3/27
九州に向けて夜通し走り、宮崎県の細島に入港。
天気は雨が降ったりやんだり。
飛鳥のシャトルバスで日向市駅まで送ってもらう。
天気が悪いこともあり大半の人はそこの「道の駅」で買い物をして帰ったようだが、私はひとり電車に乗って延岡に行った。(別ブログの予定)
17時ころ細島港を出港。
この日は船が揺れた。
ダンスタイムの遅番で24時を過ぎ、疲れていたので風呂は翌朝入ることにしてこの日も即眠る。
3/28
朝食後、風呂に入る。露天風呂は誰もおらず、天気も良かったが海だけ見ている習慣もないので普通の大風呂に戻り頭を洗って出た。昨日以来、船はまだ揺れていて、体重計に乗るも数字が一定しない。
この日は太平洋をひたすら東に向かう。
3/29
朝、横浜入港。
(続く)
前回のクルーズ
20250201 クルーズ5 瀬戸内海と船内の食事
20250120 クルーズ4 名古屋、駿河湾、土佐沖、広島まで
20250116 クルーズ3 飛鳥IIの船内施設
20250114 クルーズ2 乗船、出航、ベイブリッジ
20250109 クルーズ船と海運会社の一覧
20250205 新宮2 丹鶴城と附家老の水野氏、徐福
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