2020年10月25日日曜日

紅蓮華で知覧を思いだした

鬼滅の刃の「紅蓮華」がテレビから毎日流れている。

「紅蓮」というのは 仏教用語で、八寒地獄の七番目である紅蓮地獄の略。
真紅の蓮の花。猛火の炎の色に例えられる。 
不動明王が背負うのは紅蓮の炎と書かれる。
この言葉でもう一つ思い出した。

30年ほど前の1991年、別冊歴史読本にあった知覧特攻平和会館の壁画。

「紅蓮の炎で燃える隼の機体から特攻隊員の魂魄を、6人の天女たちが救い出し昇天させていく・・・」と書いてあった。
一度見たら忘れられない「特攻鎮魂」。
宮崎市仲矢勝好画

これを見た後、ちょうど知覧町がふるさと1億円で平和論文スピーチコンテストを始めた。
(今調べたら令和2年で第31回だから、第2回だろうか)書類選考で通れば現地の発表会に招待される。
「なぜ戦争はなくならないか」ということを生物学的本能、人間の本質から結構真面目に書いたのだが落選。
参加賞は開聞岳のテレホンカード。
参加者は学校教育の一環か、鹿児島の中学生と高校生ばかりだった。

その後、もう応募はしなかったが知覧はずっと気になっていた。


2014年3月、日本生理学会は鹿児島だった。
18日の学会最終日。午後は帰る人もいる。
この時行かなければ二度とこないだろう、と
午前の演題をきいたあと、12:54、鹿児島大キャンパスの東、騎射場から直通のバスにのる。すいていたので車中で昼食。一人だと身軽でいい。
14:10知覧平和観音着

2014-03-18  14:17 小雨も上がる。
両側に石燈籠。散華してここの平和観音堂(1955建立)に祀られる隊員の数1036人。その数を目標に関係者から寄進をうけたが、この時1258基に達していた。
2014-03-18  14:20
特攻平和会館(1985竣工)は入館料890円
例の壁画ももちろんあったが撮影禁止。
皆真剣な面持ちで、こちらも涙が出そう。
撮影禁止が分かる。
2014-03-18  15:04
外に出た。

2014-03-18  15:09

2014-03-18  15:09
隊員たちが出撃まで過ごした三角宿舎が復元されている。
空襲に備え目立たぬよう低く作ってある。

2014-03-18  15:11

意味のある品物が多すぎて、見入ってしまい、読んでしまう。
しかしバスの時刻が迫っている。

15:56 特攻観音停留所発
16:28 平川停留所着 540円

2014-03-18  16:39
誰もいないバス停で乗り換え
16:54 平川停留所発
17:50 鹿児島空港着 1450円
19:10 飛行機発
20:40 羽田着

中で写真を撮れなかったので一番資料性のありそうな本を買ってきた。
「魂魄の記録 旧陸軍特別攻撃隊知覧基地」

下は別冊歴史読本増刊・日本陸海軍航空隊総覧(1991)

6年後の2020年10月25日、ほとんど読んでいなかったので家族のいない小春日和、のんびりページをめくった。


滑走路は現在畑に戻っている。
特攻平和会館は地図の中央あたり。

陸軍沖縄戦特別攻撃隊名簿。未来ある若者ばかり。
知覧から片道燃料で出撃、開聞岳を最後に見て敵に向かったのは436人。名簿は1036人。
これは知覧基地にあった本部の命令によって飛び立った万世、都城、台湾、熊本、鹿屋などの隊員もまつられているからである。このうち134人については一人半ページずつ顔写真と遺書が掲載されていた。
終戦の日まで続いた特攻作戦では、海軍は2535人、陸軍は1844人が南冥の空と海に散った。


大変な時代があったものだ。
しかし現実である。
私が生まれるわずか10年ほど前のことだ。
いまの我々とそれほど変わらない、同じ日本人が引き起こしたことを忘れてはならない。
戦争なんて大部分の人はいやだと思っていたのに、だ。

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