2021年1月9日土曜日

西日暮里の養福寺と六阿弥陀道の空き家アパート

初詣でお祈りする気持ちはないけれど寄った。

西日暮里の修性院

2014年、2018年の正月にも来ているから3回目 (別ブログ)

2021-01-05 15:40
ここは谷中七福神の布袋様がいる。
コロナのせいか誰もいなかった。
前回は中に坊さんたちがいっぱい座っていて、我々も堂内に上がり布袋の直前まで行けたし、御朱印をもらっている参拝客もいた。
しかし今回は外から布袋を見るだけ。

六阿弥陀道を南に歩く。
冨士見坂下を過ぎると法光寺
15:43
捧・為陸軍少年飛行兵慰霊という石碑がある。

15:47
隣は瑞応山南泉寺
臨済宗妙心寺派

ここにも戦死の墓という碑あり

グーグル地図だと南泉寺の南から細い道で諏方台通りに出られそう。
その路地に入ってみる。
15:48
煉瓦敷きの不思議な道。

2021-01-05
東京とは思えない不思議な長屋のような建物。工場のような物置のような。
うらは南泉寺の墓のはず。

地図では忍荘を回り込んで台地に上がれそうだが、行き止まり。
15:51
井戸の残骸と共同炊事場?
昭和の風景

上に行けなかったので六阿弥陀道に戻り次の路地に入る。
15:55
ここも行き止まり。
何やら老いた男性が見上げている。上は延命院(別ブログ)の墓地
左は和泉荘

右は神谷ハイツ
ネコが多い。
彼は猫にエサをやっているようだ。
神谷ハイツの奥は2軒とも空き家。
ネコにとって天国

15:57
食べ物さえあればいくらでも繁殖していく。


15:59
この路地は少し手前に枯草のはえた空き地が2つあった。
その一つから裏がみえるアパートも、窓が開きっぱなし、空き家のようだ。

このあたり寺社が多く緑もあり、西日暮里駅、日暮里駅まで5分くらい。
戸建てもアパートも需要があると思うが、なぜ空き家のままなのか?

地主(寺?)と家主が異なり、権利関係が複雑なうえに双方年を取って建て替えなどが面倒になっているのかもしれない。
あるいはこのアパート2棟は入り口が分からないほど道路がないから、再建築不可物件なのだろうか。

16:01
先ほどの路地でも諏方台に上がれなかったので次の路地を覗いてみる。
こちらも両側は古いアパート。
一番奥は夕焼けだんだん上にある冨士見ホテル(廃業)の裏で、崖上に廃墟が聳えていた。

このあたり、すなわち六阿弥陀道の東、諏方台の崖下というのは、古いアパートと戸建てが密集、かつ空き家が多いという特殊な地域のようだ。
山手線の内側、駅が近く、史跡が多くて住むに最高の場所なのに。

結局、六阿弥陀道は冨士見坂を過ぎると諏方台にあがれず、夕焼け段々を登る。

延命院の角で諏方台通りを少し北に入る。
16:07
養福寺。真言宗豊山派
自堕落先生(俳人)の墓などあるらしいがこちらに知識がない。

谷中には珍しく仁王門がある。
宝永年間(1704年~1711年)に建てられたという。
阿吽の金剛力士像が入っており、運慶作といわれるが、あまり迫力なく本当かな??

徳川時代、将軍は鷹狩で度々道灌山に来た。隣りの浄光寺は御膳所に充てられ、その間、浄光寺の僧たちは同宗派寺院のよしみで当寺に来ていたとか。(別ブログ)

姸斎落歯塚
歯の供養塔や塚は各地にある。
昔は歯の抜ける人、そのご苦労する人は今よりずっと多かっただろう。
姸斎は談林派の俳人、島津富(しま・しんふ)の号らしい。
16:13
鐘楼もある。
家から歩けるところでは他に本郷通りの吉祥寺、谷中の宗林寺、瑞臨寺、妙行寺などにも鐘楼がある。先日の大晦日、今年こそ除夜の鐘をつかせてもらおうと思っていたが、寒くて面倒になり、コロナで同じ綱を不特定多数がひくことから中止になるだろう、と言い訳して暖かい布団に入った。

・・・・

養福寺を辞すと、西の崖のほうに行く道が目に入った。
この先行き止まり、とある。
左は延命院の墓地。空が広い。
路地の右側は植木も静か、時間が止まったような閑静な住宅。
そっとはいっていく。
16:14
西の崖を下りるところに柵がしてあった。
なるほど行き止まり。
このあたり夕焼けがきれいだろう。
柵から左の崖下をみるとアパートがあった。
まわりに猫のいた和泉荘のようだ。
空き部屋が多そうに見えた。

16:15
路地は柵の前で右に曲がり続いていたが、やはり行き止まりだった。
このあたり昭和から時間が止まっているのではなかろうか。
地図だとここから忍荘の脇を通って六阿弥陀道に降りられるように書いてある。
しかしあまりにも民家の敷地のようで進むのがはばかれ、そっと引き返した。




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