2024年12月14日土曜日

印象派のモネとルノワール、マネ、ほかを見た

穏やかな初冬の土曜日、12月7日、千駄木から歩いて国立西洋美術館に行ってみた。

ちょうど特別展「モネ 睡蓮のとき」がやっていて、特別展のチケット売り場は行列だったが、常設展は空いていた。

入り口の19世紀ホールからスロープを上がり2階から見ていく。
まず、14世紀〜16世紀(後期ゴシック、ルネサンス)の絵が並ぶ。このころの絵は技術的な面では後世のものにかなわないから、絵としての絶対的な良さは素人にはよく分からない。
10:21
フランチェスコ・ボッティチーニ(1446 - 1498)
「聖ニコラウスと聖カタリナ、聖ルキア、聖マルゲリータ、聖アポローニア」

絵画史のうえでの転換点になった作品なら意味があるが、こちらにはその知識もない。
また、近代の絵は我々が普段見ているものを描いているが、このころの絵は宗教画などが多い。神話や聖書などを十分知っていないと、絵の最も重要な要素である「主題」がわからない。
つまり見ただけでは、色々な意味で、感動しづらい。

クラシック音楽のコンサートと同じで、初心者は自分が知っている絵の実物とか、有名な作者の別の作品がみたいものである。しかしルネサンス期のダ・ビンチやラファエロの作品はそれほど多くないから美術館より博物館のほうがふさわしく、ここにないのは仕方がない。

・・・
展示は17世紀(バロック美術など)、18世紀(ロココ美術など)、19,20世紀(印象派など)、20世紀戦後の作家、といった時代順に並んでいるようだ。

多数あるので先入観なしに目についたものだけ、誰だか作者をみるようにした。

歩をすすめれば、ピーテル・ブリューゲル(子)(1564-1637)「鳥罠のある冬景色」があった。私の好きな同名の父親の「雪中の狩人」とそっくりだった。
フランドル地方の北方ルネサンスの画家としてとらえられる父は5歳のときに亡くなり、長男は父の作品の多くを模写し、さらには何枚も複製した。実際、父親にも「鳥罠のある冬景色」(1565)がある。
親子だからタッチが似たわけではないのである。

さらに進むとフェルメールの「牛乳を注ぐ女」(1657?)を思わせる構図と、光をうまく使った容器の光沢が目を引く絵があった。
10:41
「聖プラクセディス」
これは、あるイタリア人画家の作品を模写したものらしいが、模写したのはフェルメール(1632- 1675)の可能性が高いという。肉体、衣装、壷の質感が素晴らしいと思った。

フェルメールやレンブラントの作品はバロック絵画に属する。写実性がルネサンス期に確立されたあとは、凝った装飾の多用と明暗の対比が特徴である。すなわち陰影を深くして光を強調する。

二階の本館から新館(北側)に移ると日本人を描いた肖像画があった。
ずっと西洋の画題ばかりだったから目立った。
10:45
フランク・ブラングィン(1867-1956年)「松方幸次郎の肖像」
周知のことながら国立西洋美術館は、松方コレクションを収蔵するために建てられた。(前のブログ)

松方の肖像画のあたりから、旧松方コレクションの絵画が中心となる。
松方の買い集めた印象派の作品が続く。
10:49
アルフレッド・シスレー(1839-1899)
「ルーヴシエンヌの風景」

彼の900点近い作品は大部分が風景画という。
「ルーヴシエンㇴの雪」を私学共済の広報紙(利倉隆解説)で見て、いいなと思ったたことがある。
彼はルノワールやモネの1,2歳年長であるが、印象派の中でも正統派とされる。
「ポールマルリーの洪水」もどこかで(本で)見た。

絵画はアルタミラの洞窟のころから、現実世界を固定する、それもなるべく写実的に描くという方向で発展してきた。遠近法が確立したルネサンス期に一応の完成を見て、その後は細部まで写実性を高めていった。
ところが写真機があらわれ、写実性では到底かなわなくなった。

しかし伝統を重んずる保守的な権威者たちは、相変わらず理想化された主題や完成度を求めた。パリの若い画家たちはこれに反発し、細部を丁寧に描くよりも、色や光を大胆に表現することで、見る者に直接的な「印象」を伝えることを試みた。
(印象派の「印象」という言葉はモネの絵のタイトルから来たものだが)

彼らは日常のシーンをリアルに捉えることを重視し、アトリエで時間をかけて作り上げる従来の方法ではなく、屋外での即興的な風景画を多く描いた(チューブ入り絵具の登場が戸外での写生を助けた)。だから彼らの作品数は、フェルメールやレンブラントよりはるかに多い。
そして明るい色調、薄く塗られた絵の具、そして独特のタッチが特徴である。
また、色を混ぜずに隣り合わせに塗ることで(チューブから出したばかりの絵具と酷評された)、目の錯覚を利用する手法も駆使した。

10:50
クロード・モネ(1840₋1926)
「雪のアルジャントゥイユ」(1875)

絵というものは、それが刺激となって見る人が脳内に持つ記憶の景色を呼び覚ます。それにはあまり細かい写実性は必要なく、全体の雰囲気が大切である。

上のモネの雪景色を見ると、雪道を歩く人は写実性のない小さな黒い物体ながら、寒そうで足元がおぼつかない感じが伝わってくる。風が吹くと木々の枝から雪がパラパラ落ちてくるような林。手前の雪原に薄く残る足跡。大雑把な筆使いながら十分に計算されているのだろう、写真に匹敵する現物再現性がある。いや、作為的に(脳に伝わるように)デフォルメできるから写真以上のものができる。
10:51
クロード・モネ Claude Monet
「並木道(サン=シメオン農場の道)」(1864)

道に映る並木の影に、見る人によっては風なども感じるだろう。
一見大雑把な筆使いながら、よく見れば影には濃淡があり、土の質感もあわせて田舎道を再現している。

現在西洋美術館では特別展「モネ・睡蓮のとき」が開催されていて、モネの作品はそちらに行っているのではないかと心配したが、この2つを見られてよかった。

モネは日本人が最も好きな画家の一人だと思われ、それがこの日、特別展チケット売り場の混雑に反映されている。
私も大好きで「アルジャントゥイユのひなげし」「散歩、日傘をさす女」などは美術の教科書にもあったのだろうか、忘れがたい。

モネの隣にルノワールがあった。
10:51
ピエール=オーギュスト・ルノワール
(1841₋1919)
「アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)」(1872)

日本ではモネよりルノワールの名のほうをよく聞く。絵に興味がない人には喫茶店の名前になるなどフランス語っぽい語感が好まれるのかもしれない。

二人は1歳違いで親しかったらしい。
ここで思いだすのは有名な風景画「ラ・グルㇴイエール」(1869)である。
「絵画の見方」別冊宝島(1992)から

当時パリの都心から郊外へ向かう鉄道が敷設され、近郊ブージヴァル、セーヌ川の河畔には新しい行楽地、ラ・グルヌイエールができた。二人はともにブージヴァル近くに住んでいたから1869年の夏に出かけ、並んでイーゼルを立てた。

彼らは水面に反射する光をどのように表現するかを一番に考えたであろう。
28歳と29歳の二人は、絵具を混ぜて濁らせないよう、タッチのひとつひとつを分けておいた。するとわずか数種類の色で、光の反射だけでなく、水面の動きまで再現された。印象派の基本的な技法として知られる色彩分割の威力である。

しかし絵の出来、つまり水面のきらめきは圧倒的にモネが優れている。
いくら仲が良くても同じ構図の絵を後世比較されると分かっていたら、描きにくいであろうが、このときは若く、軽い気持ちで描いたのだろう。
もっともルノワールは人物画、モネは風景画を得意とした。モネは「舟遊び」「散歩、日傘をさす女」などで人物が中心になることがあっても、目や鼻は描かずに風景のようにしている。

私がモネの「ラ・グルヌイエール」を初めて(本で)見たのがいつだったか忘れたが、印象派の魅力を知り、中でもとくにモネを好きになったきっかけとなった絵である。
今回、これがメトロポリタン美術館にあることを知った。松方幸次郎が集めたコレクションに入っていなかったのが残念である。
10:52
クロード・モネ
「しゃくやくの花園」(1887)

ラ・グルㇴイエールより20年近く後だが、この絵は良さがよく分からない。

アメリカでは有名画家の大型豪華本が驚くほど安い。1ドル100円のころ、7.99ドルとか8.99ドルでバーゲン本として平積みされていて、出張のたびに買って重い荷物を持ち帰ったものだった。ネットで本が買えるような時代ではなかった。何冊もあるはずだが、どの段ボールにしまったか、この機会に大判で見てみようと思ったが探すのが億劫になっている。

さて、ゆっくり歩を進めると、黒いドレスの肖像画があった。
今度はモネでなくマネの絵を思い出した。
10:53
ベルト・モリゾ(1841₋1895)
「黒いドレスの女性(観劇の前)」

マネの黒いドレスの絵が浮かんでもタイトルが分からないので調べたら「黒い帽子のベルト・モリゾ」、と「バラ色のくつ(ベルト・モリゾ)」であった。
即ちこの絵の作者、モリゾは(私は知らなかったのだが)マネのモデルをつとめた画家仲間の女性だったのである。説明文を見れば、このモデルのドレスはモリゾのものらしい。
マネの描いたモリゾは可愛らしいが、モリゾの描いたこの女性はあまり可愛くない。

日本人にはよく似た名前のモネとマネは、同じ印象派ながら全然違う。モネが風景画を主に描いたのに対し、マネは人物画が多い。

10年近く私学共済の広報紙で連載された「名画物語」のページを破いてファイルしていたが、利倉隆はマネの代表作として「フォリー・ベルジェ―ルのバー」(1882)を選んだ。カウンター越しに正面を見る女性はやはり黒いドレスである。

10:53
エドガー・ドガ(1834₋1917)
「舞台袖の3人の踊り子」

初めて見る絵だが、すぐドガと分かった。
作者として、画風が一定なのと、作品によって色々変化するのとどちらがいいのだろう?
やはりその人だけの特徴、他人にない個性が世間で有名になっていくほうがいいのだろうな。

ドガの絵は過半数が踊り子を主題にしているらしい。
この絵については人物が右に寄っていること、3人の踊り子の中にシルクハットの男性の影があることなど、よく分からない。
10:54
ポール・セザンヌ(1839₋1906)
「散歩」(1871)
セザンヌもルノアールと同じく名前の響きが良い。絵を知らなくとも名前はみな知っている。
彼は、当初、年の近いシスレー、モネやルノアールとともに印象派として活動していたが、1880年ころから印象派と離れた。すなわち人物、風景を問わず、(石膏デッサンのように)物の形を面取りをし、対象を面の集合として捉え、キャンバス上に小さい色面を貼り合わせたように乗せて立体感を強調した。すなわち印象派が全体の反射光の描写に力を入れたのに対し、セザンヌは対象自体の存在感を追求した。これはピカソなどのキュビズムに影響を与えていく。

上の「散歩」は、それ以前の作だが、モネなどと比べるとごつごつし、すでにモデルの存在が力強い。

10:54
ルノワール
Pierre-Auguste Renoir
「帽子の女」(1891)

10:55
エドゥアール・マネ
Édouard Manet(1832₋1883)
「ブラン氏の肖像」(1879年頃)

私は彼の人物画としては20年前の、無名の若い時に描いた「ギター弾き」(1860)が好きだ。これは「サロン」(フランス芸術アカデミー主催の美術展)へのデビュー作である。
芸術家というのは音楽でもなんでも、若い時と違うものを作ろうとするのだろうか。

2階から1階に降りた。
10:59
中庭が見える廊下に彫刻が並ぶが、見ずに通り過ぎた。

11:03
ジョルジュ・ルオー
Georges Rouault(1871- 1958)
「道化師」

半世紀近く前、本郷通りにルオーという喫茶店があった。
(今も東大正門前にある)
カレーを頼むと食後にコーヒーが出てきた。何回か食べたが、ルオーという画家の作品を今回初めて見た。素人受けする絵とは言えないが、この作者を店名にするとは、店主はかなりの芸術通だったのだろう。調べたら、画家でアートコレクターの森田賢氏が1952年に画廊喫茶ルオーとして赤門前近くに開業、私が修士2年の1980年に今の位置に移転したようだ。
11:04
パブロ・ピカソ
Pablo Picasso(1881₋1973)
「男と女」(1969)

私には良さがよく分からない。

11:05
エドヴァルド・ムンク(1863₋1944)
Edvard Munch
「雪の中の労働者たち」(1910)

あの「叫び」のムンクである。
絵を見ると同じ作者だとなんとなくわかる。
撮影禁止の絵だったので、離れたところから景色として撮った。

西洋美術館はムンクの作品を37点所有するが、多くはリトグラフである。

11:06
パブロ・ピカソ
「小さな丸帽子を被って座る女性」(1942)

素人の何割がピカソを素晴らしいと思うのだろう?
従来の絵画が一つの視点から見たものであったのに対し、ピカソは様々な視点から見た絵を1枚に統合した。我々が物を見るときは様々な視点から見るから、こちらのほうがある意味で自然だとはいえ、一枚のキャンバスに固定されると、素人はついていけない。絵画という芸術は見る者に心地よい感動を与えるものだと思うが、一般人は感動するだろうか。

11:08
ポール・シニャック
Paul Signac(1863-1935)
「サン=トロぺの港」(1902?)

点描法のスーラ(Georges Seurat 1859₋1891)の絵を思わせる。実際シニャックは、4歳年長のスーラの弟子というより友人であったが、その影響を強く受けた。点を打って描く作品は手間のかかるうえ、スーラは早世したから彼の作品は少ない。だからこの手法が評価されたのはシニャックの功績が大きい。
「サン=トロぺの港」の拡大写真
モネは「ラ・グルㇴイエール」の水面で、絵の具を混ぜずに描くことで光の揺らめきを表現したが(筆触分割)、どうしてもキャンバスで絵具は混じり、その分暗くなる。そこでスーラらは完全に分離した点を置くことで(カラーテレビの原理)、色を再現した。これは点描主義といわれる。

光の三原色を明らかにしたのは物理学者のヘルムホルツで1952年のことである。
彼の実験はプリズムを使ったものだが、スーラが点の集合で絵を描いたのは独創的である。

素人にとって絵を描くのに難しいのは、写実性というか、形の再現である。これができないからへたくそと言われる。
しかし点描法の場合、そんなことより、どの色とどの色を置いたら、どんな色に見えるかということを常に計算しなくてはならず、もはや絵を描くという行為ではなくなってしまう。生理学、心理学の問題である。

画家たちは写実的に描く実力はあっても、写真とは違う、さらには従来の画法とも違う、新しい試みに挑戦することに意義を見いだし始めたのではないか?

スーラ、シニャックは新印象派という。
(これに対し、セザンヌ、ゴッホ、ゴーガンらはポスト印象派という)

・・・
どうも館内での順路を間違えたらしく、ピカソのあとに、見なかった壁にいくとまた印象派の絵が出てきた。
11:09
エドゥアール・マネ
「花の中の子供 (ジャック・オシュデ) 」(1876)

手前の花は下(横)から、後ろの芝生と木は上から俯瞰し、顔と植木鉢は浮いているようにみえる。先に述べた「フォリー・ベルジェ―ルのバー」の黒いドレスのバーメイドは、カウンターの正面に居ながら、背中の鏡に映る姿は斜めという、いたずらなのか、何か深い意味があるのか分からないが、マネはよくこういう絵を描く。
11:11
ポール・ゴーガン
Paul Gauguin(1848₋1903)
「海辺に立つブルターニュの少女たち」(1889)

ふつうはゴーギャンだが、西洋美術館はゴーガンである。フランス語だと後者のほうが近いか。
ゴーガンは南太平洋のフランス領タヒチでの絵が有名である。最初のタヒチ訪問は1891年、2度目は1895年。「ブルターニュの少女たち」はタヒチより前だが、十分タヒチ的である。

11:12
ポール・セザンヌ
「ポントワーズの橋と堰」(1881)

素人は特に何も感じないが、セザンヌというビッグ・ネームのため撮った。
遠くの橋や建物の筆使いはさすがである。

11:12
ポール・ゴーガン
「サン=トゥアン教会、ルーアン」(1884)
やっぱりゴーギャンは褐色肌の女性の絵がいい。

11:13
ポール・セザンヌ
「葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々」(1885ころ)

順路を間違えたおかげで、最後にまたモネがあった。
11:13
クロード・モネ
「波立つプールヴィルの海」(1897)

ずっと先延ばしにしていたが、この日、散歩に来てよかった。
また来よう。
11:17
展示室から出ると館内カフェ「すいれん」はこの時間ですでに並んでいた。
ここで食べる予定で朝を軽くして来たのだが、仕方がないので西郷さんの下のさくらテラスにいった。土曜だからどの店も人が並び始めていて、空いていた2階のこて吉でお好み焼きを食べた。1500円くらいだったが量が少なかった。どうせ歩いて帰るのだから根津あたりで食べればよかった。

帰宅後気づいたのだが、西洋美術館の公式サイトはよくできていて、検索に作者名をいれると収蔵するすべての作品が小さな画像で出てくる。モネの作品は上野に18点あるようだ。

今回そのうちの9点が特別展「モネ 睡蓮のとき」のほうに行き、パリのマルモッタン・モネ美術館の所蔵作品50点を中心に、64点が展示されているという。https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/pdf/2024monet_list.pdf

「睡蓮のとき」って日本語で変だな、と思った。睡蓮を眺めている瞬間という意味だろうか。
モネは1883年からセーヌ川沿いのジヴェルニーに住み、自宅に「花の庭」と、睡蓮のある「水の庭」を整えていった。そして1898年ごろから睡蓮の池を集中的に描くようになった。リストをみると特別展には睡蓮以外の絵も多いが、すべて1890年代以降である。「とき」というのはモネのこの「時代」の作品を集めて特別展にしたという意味だろうか。

・・・
印象派(新印象派、ポスト印象派)の画家たちは、当たり前だが(派となるくらいだから)年が近い。そしてみなパリにいた。日本では明治時代である。

文明開化で西洋の芸術が入ってきた時、絵の好きな若者は衝撃を受け、あこがれた。しかも作者たちは同じ年恰好で、異国の空の下、現実に生きている。
これらの絵を見ると、みなパリに行きたがったのもうなづける。

芸術は科学とともに、経済力や軍事力より高尚なものとして尊敬される文明力である。
フランスはドイツに戦争で3回も負けたのに、外交では常に強気で欧州の中心である。これは印象派という独創的な集団を生み、世界の芸術の中心だったという「歴史的な自信」から来ているのではないか?
現代につながっているものとして、産業革命と基礎科学のイギリス、医学・物理・化学と音楽のドイツ。
アジアの辺境にいた日本は仕方のない面もあるが、歴史的に自慢できるものがない。

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