2025年8月9日土曜日

夏のクルージング、初めてのサウナ、ヨーヨー

8月3日。

3月以来、5か月ぶりの飛鳥IIにのる。

3回目のクルーズバイトは東北祭り巡り。

15:15
乗船、荷ほどき、避難訓練のあと11階カフェでハンバーガーを食べる。
17時出航。

18:23
三浦半島・観音崎
部屋は5067。右舷側なので津軽海峡までずっと太平洋側、これが陸地の見納め。
もっとも11階のカフェに行けば両舷の景色が見られるが。
全体スケジュールと初日の催し物

8月4日
蒸し暑い千駄木の家と違って睡眠の質が良かったのか、5時過ぎに目覚める。
昨夜は23:30まで踊って部屋に戻ってすぐ寝たが、5時間半くらいしか眠っていない。もう少し眠るべきだが頭がさえてしまったので起きた。
11階の展望大風呂に行ったら掃除中でオープンは6時からだという。
そこで隣のジムに行って時間をつぶした。
5:42
ジムは24時間オープン。
先日たまたま知人がブリッジの話をしたので私もやってみた。
マットの上で仰向けになって試みたが、手首が向こう側に曲がらず手のひらが床につかない。
よく考えたら手首が固くても他の股関節とか肩が柔らかければ手首の曲げが少なくて済むことに気づいたが、それでもできる気配がない。
頭を床につけたまま、腰を浮かせるのが精いっぱい。

そうこうするうちに6時になったので風呂に行った。
髭をそり頭を洗ってから、ふと目に着いたサウナに生まれた初めて入ってみた。

先客が二人いらした。
間に座り、こういう時は話をしたほうがいいのか、よく分からず、正面を見ていると、目の前の壁に温度計があり、95℃だった。
そうか、95℃って、こんな感じか。
まず第一に金星の表面を想像し、もちろん温暖化されていく地球を想像した。
次に思ったことは、人間は何度まで生きられるかということ。

高等生物の酵素は40度くらいが限度であろう。反応速度は高温ほど良いが、タンパク質構造が保てなくなる。例えばペプチド結合₋NH-CO₋は-N=COH-と共役しているから二重結合的要素もあって平面構造をとる。これが高温になると自由回転してしまい、酵素の形が変わってしまう。もちろんβシートやαヘリックスなど水素結合で成立している構造も保てない。

地球温暖化のスピード(=人口増加、社会活動の増加の速さ)は進化のスピード(高温に適した酵素の出現)よりはるかに速い。今年は全国各地で40度越えの日が報じられるようになった。

冷蔵庫に水を入れると数時間で冷える。
外に出せはすぐ外気温になる。
42度の外気温にいたら体は何時間もつか?

低温下で体温をあげるのは服を着て糖を燃やせばいいのだから簡単だが、体温を外気温より下げるのは熱力学的に容易ではない。熱は原理的に低温から高温には決して流れないから、体温が40度になっても外気が42度なら、体内の熱を出しようがない。汗の蒸発(液体から気体への変換)で熱を引き抜いてもらうしかないがそれも限度がある。

たぶん食料生産地も含め、地下に潜るしかないだろう。
そこで発生する熱は地表に放出するから外気温は45度くらいになるのではないか。
地下世界の建設は数十年かかるだろうから、その前に夏はシベリアやアラスカへ引っ越すような、渡り鳥のような生活になる気がする。今、中国人などが日本に移住してきているが、今度はみな寒冷地に移住する時代になるのではないか。

何分座っていたか、入った時刻をみなかった。
それにしても95度である。水ならば、ものすごい数の水分子が衝突し体内のあらゆる分子にエネルギーを与える結果、とっくに茹で上がって死んでいる。
気体であってもものすごいスピードで肌に衝突してエネルギーを与えるが、数が少ないから耐えられる。

この暑さの中で耐えることが体に良いことなのかよく分からない。運動と同じく適度なストレスが快感に思う人もいるのだろう。そんなことを思いながら初めてのサウナを出た。

この日は一日太平洋を北上する日。
午前、午後に45分ずつダンス講習会があるが、あとはフリーなので11階のカフェでのんびりした。
フィリピンバンド「ナマナ」の歌は相変わらず素晴らしい。
読書もいいが目をつぶって聴いているのもめったにない贅沢である。

外に出ると夏。
船は三陸沖を北上している。
14:39
岩手県宮古市の沖。
宮古は東日本大地震で有名になったが、それ以前で知られたのは戊辰戦争での宮古湾海戦だろう。
海戦と言っても大砲を撃ち合ったわけでなく、幕府軍の「回天」が新政府軍の新鋭艦「東艦(旧名・甲鉄艦)」を奪おうとして、停泊中の敵艦に近づいて飛び移って切り込もうとした海賊のような江戸時代あるいは中世のような戦いである。
操艦を誤り回天の船首が東艦に突っ込んだため、幕府軍の兵士が狭い船首から一人ずつ3メートルもの高低差を飛び降りねばならなかった。そのため鉄砲の格好の餌食となり、指揮官含め多数が戦死、作戦中止、回天は命からがら脱出したという舞台の海である。
山影の間が低く薄くなったところが宮古湾であろうか。
14:40
1月、3月のときと違い、今回はプールを楽しむ人もいる。

夕方、5階のレセプションホールでTOMMY(渡邊富之)氏のヨーヨーのパフォーマンスがあった。
前夜のディナーのとき、同じエンタテイメント系の業務乗船者でお一人ということで、我々と同じ円テーブルに案内され、私の隣だったので色々話を聞いた。
愛知県の大学生時代、大道芸人系のサークルに入り、愛知万博のステージに立って以来、ヨーヨーの技を磨き、世界チャンピョンに3回なったという。
17:06
音楽に合わせて様々な技を繰り広げられるのだが、素人にはそのすごさが分かりにくい。一番拍手されたのは観客の一人の手のひらに布とペットボトルをおき、ヨーヨーを投げて瞬時に布を絡ませテーブルクロス引きを成功させたときだった。技の難易さよりも分かりやすさとトークが大事なようだ。

ヨーヨーは18世紀に世界的に流行し、長崎から入って江戸時代の日本でも流行した。「お蝶殿の手車」などと言われたらしい。二度目の世界的流行は20世紀初め、1929年カリフォルニアのヨーヨー製造会社が毎日30万個を送り出すほどの大ヒットを飛ばし、1932年にはイギリスで世界大会が開催され、翌年、その熱波が日本へも押し寄せたという。
しかけが単純で、遊び手の技量が大いに要求されるおもちゃは、国境をこえてヒットする。
18:18
夜は今回のクルージングにふさわしく津軽民謡のショーがあった。
三味線、和太鼓、歌い手、踊り手、いずれも一流の人らしいが、こちらに鑑賞する力がまったくない。それでも「手踊り」の手首の返しの「キレ」には感心した。

(続く)

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