8月6日、クルーズ船飛鳥で青森に来た。
昼はひとりで三内丸山遺跡、自衛隊青森駐屯地を見物した。
この日は昼も夜も珍しくダンスの仕事がない。しかし、おいしい夕食を食べるためだけに飛鳥に戻った。
もどる途中、アスパム(青森県観光物産館)を通った。
15:41
ここはねぶたの格納庫が並んでいる。
一帯は青森湾に面した青い海公園の一部で、らっせランド(ねぶた小屋)といい、毎年ここで大型ねぶた二十数台が製作され、祭りの期間が終わるまで待機場所となる。
15:42
夜の出陣を待つ各ねぶた。
今年は8月2日から6日の夜5回と7日の昼、合計6回市内を練り歩く。
我々が見るのは最後の夜ということになる。
船内に戻り、少しベッドで寝転んだあと、ダンス講師仲間4人で早めの夕食をとった。
ふつう飛鳥の夕食は和食も洋食も1品ずつ供されるフルコースなのだが、竿灯まつり、ねぶた祭り、青森湾花火大会の日は、イベントに間に合うように17時くらいから大きなお盆に全部載せて出される。この日はうな重だったかステーキ重だったか。うな重と言っても重箱のほかに肝吸い、漬物だけの町のうな重ではない。刺身など、いくつもの小鉢、フルーツまでついた豪勢なもので、それほど空腹でなくても美味しいから全部食べてしまう。
食後、のんびり薄暮の中、歩いて出かけた。
会場は飛鳥のいる新中央ふ頭クルーズターミナルから南にまっすぐ柳町通を歩くと着く。
ねぶたは柳町通と新町通りの交差点、柳町通と国道4号の交差点の2か所から出発し、反時計回りに練り歩く。
我々の席は遠くはないが、4人で歩くこと、だんだん人が増えたことなどから、遅々として進まず、そのうち動き始めたねぶたに遭遇するとますます歩みが遅れ、暗くなってきてしまった。
18:45
柳町通り
最初に見たのは金魚のねぶた。
ねぶたには大型の武者ねぶたと子供ねぶたがある。子供のねぶたの題材によく使われるのが金魚。江戸時代弘前城下では武士による金魚の養殖がおこなわれ「津軽錦」として知られた。そして子どもたちが夏祭りの宵に金魚の形をした灯籠を持ち歩く「金魚ねぷた」が風物詩になっていた。青森は弘前津軽藩の外港であったからねぷた祭りも行われ(同じ青森の主要都市八戸は盛岡南部氏の一族の藩だからねぶたはない)、子供たちも楽しめるように大人の武者ねぶたのほかに金魚ねぶたも普及した。
18:50
柳町通と新町通りの交差点。ねぶたの出発点の一つである。
今年は何台作られたか知らないが、日によって(各ねぶたの都合により?)出陣台数は違う。大型ねぶたに限って言えば、8/3は14台だし、我々が見る8/6は23台である。つまり6回全部出るねぶたもあれば、登場4回のねぶたもある。目当てのねぶたを見たいなら町中に置いてあるプログラムをみなくてはならない。
18:53
この日は雨予報のため、和紙でできたねぶたが濡れないようにビニールをかぶっているものが多い。ビニールは巨大な袋で継ぎ目がなく、特注のように見える。
中の電球は10~100Wのもの1000個以上という。
19:02
やはりビニールがないほうが迫力ある。
ねぶた運行は18:45から始まっているのだが、我々の席はここではない。
19:07
飛鳥の乗客は出不精なのか、席はガラガラ。
公式サイトでは一人3500円という。指定席設置場所以外は自由に観覧できる。
19:09
こちらのほうから来るはずだが、まだ来ない。
ねぶたは新町通りを西にいき、八甲通りを南に練り歩き、県庁の角で曲がって国道4号(我々の席がある)を東に進む。
(どうでも良いことだが、この道路は西から国道7号、東から国道4号が来る。どこが境か、それぞれの終点はどこかと調べたら、青森駅でも青森港でも県庁でもなく、県庁の東の青い森公園の南側だった。碑もあるらしい)
19:22
ようやく最初のねぶたが来た。
最初は青森市PTA連合会。
三菱グループの青森菱友会のねぶたが続く。
19:28
飛鳥の乗客が混じっていたようだ。
ちなみに、はねと(跳人)衣装を着れば誰でも行列に参加できる。
事前登録も受付もなく、ただ運行スタート前に好きなねぶたの待機場所に行き、そこから参加すればいいらしい。行列が終われば自由解散。
19:29
跳人で参加するならラッセー、ラッセー、ラッセーラと叫びながら乱雑なほうが楽しいだろうが、見るほうとしては整然としたパレードのほうが目を引く。
とくに笛の集団は、楽器の性質から全員が体をひねった状態で固定して歩くから美しい。
ねぶた祭りは台車に乗ったねぶたが中心となるが、前後を固める跳人と囃子方も重要である。囃子方は笛のほか、太鼓と手振り鉦(てぶりかね)の行列が祭りを盛り上げる。
青森菱友会のあとは、マルハニチロ佞武多会。
19:37
ショッピングセンター・サンロード青森の太鼓。
19:49
東北電力ねぶた愛好会、日本通運ねぶた実行委員会、プログレアねぶた実行プロジェクト、日立連合ねぶた委員会、と続く。一台2000万とも3000万ともいわれる制作、運行費用を出せるのは町内会というより大企業ということだ。
日立連合の行列は、大提灯を先頭に、小提灯(多数)、小ねぶた、のぼり隊、跳人集団、大ねぶた、大太鼓、笛隊、跳人集団2次、という布陣だった。(ふつうは手振り鉦組も含め囃子隊は大ねぶたの前らしい)
日立は8月1日の前夜祭、ねぶたラッセランド の特設ステージで行われた、ねぶた囃子コンクールで9年連続の囃子賞を受賞した。
行列は続く。
しかし、雨が激しくなってきたので席を立った。
昼間行った自衛隊の「後藤伍長ねぶた」を見たかったが、プログラムでは行列のだいぶ後ろだったので諦めた。
20:02
会場を後にして4人で飲みに行った。
飛鳥では毎晩ダンスパーティがあるから、スタッフ4人で飲むことなど普通はあり得ず、もちろん今回が初めて。理由は分からないまま、とにかく青森で飲みに行けることが乗船前から話題になっていた。
そのとき誰かが「青森は刺身が旨いでしょうね。大間のマグロとか」と言っていたが、私は黙っていた。
しかしねぶたの帰りにリーダーのM先生が「ここ、はいりましょう」と指さしたのは、たまたま前を通った串カツ田中だった。
正解である。
もうさんざん飛鳥で旨いものを食べてきている。どんな店に入っても出てくる料理は飛鳥に及ばない。初めての4人で飲むことに意義がある。ごちゃごちゃした店でジョッキを傾けながら安っぽい皿の串カツとお通しの生キャベツも美味しい。M先生が飛鳥のエンタメ部門と専属契約を結んだばかりのころの失敗談などを面白く聞いた。
そのうちガラガラだった店内が混んできて、我々の隣にも20歳くらいのねぶた衣装の女性2人組が座った。どこのねぶただったの?と聞くと「ヤマト運輸で跳ねてました」と元気に答え、その後、田中名物チンチロリンのサイコロを振ったりして盛り上がっていた。
夏休みに(久しぶりに会ったかもしれない)友人と二人でふらりと参加し、終わって串カツを食べて飲む。自由でいいお祭りだと思った。これは観光資源というよりも、青森市民にとっても大きな財産なのではなかろうか。
21:43
逆さ富士ならぬ逆さ飛鳥
もちろん船内の電気は自家発電。
夕食が早い日は21:00からブッフェスタイルで夜食が用意されているが、さすがに満腹、時間も22時過ぎ。ゆったりと大風呂に入ってそのまま寝た。
せっかくなので天気は悪かったが市内を歩いてみた。
10時過ぎに船を出て、歩いて青森駅まで行き、お土産に南部せんべい(津軽せんべい?)を買った。そのあと県庁、善知鳥(うとう)神社をみて、飛鳥がみえる青い海公園まで来たら向こうからトミーさんが歩いてきた。ヨーヨー元世界チャンピョンのエンターティナーとして船内でショーやヨーヨー教室をやっている。
秋田竿灯まつり以来、会っていなかったので、青森市内でどこに行ったかという話になった。自衛隊駐屯地の八甲田山資料館に行ったのだが、昨夜は残念ながらそれを題材にした自衛隊ねぶたを見られなかったというと、「私見ましたよ。近くにありますよ」と、公園内ねぶた村の自衛隊の陣地まで連れて行ってくれた。
12:02
後藤房之助伍長が戦っているのは手と口から吹雪を吹き出す白魔(しろま)だという。
兵士が二人いるが、ひとりが後藤伍長、もうひとりは仲間・亡くなった兵士たちの象徴 として配置されたらしい。
12:03
12:12
ねぶた祭はこの日が最終日。
最終日は夜に花火があるため、運行は13:00~15:30である。
出陣の時間が近づき、みな集まって来た。カップ麺を食べている人もいる。
市中の会場よりもここで見るのが一番いいのではないか?
私は運行行列を見に行かず、美味しい昼食を楽しみに船に戻った。
(続く)
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