2019年5月12日日曜日

ひたし豆と落花生をまく

昨年とれた枝豆、黒豆はすべて食べてしまい、種を残さなかった。

そこで年末に長野の実家に帰った時、野菜直売所のようなところで豆が売っていたので、種まき用に買ってきた。
250グラム250円。
「ひたし豆」とは聞いたことがなく、調べると鞍掛豆あるいは青大豆のことのようだが、これは後者か。大豆より少し楕円で緑っぽい。
4月14日まく。
2019-04-23 発芽
鳥に食べられないようにかごをかぶせた。
2019-04-28
発芽率は良い。22粒で18個発芽。(右)
(左はオクラで15粒で7発芽)
2019-05-03 
地植えする。
衣装ケースの不織布が破れてスチール骨格を捨てるところ、支持柱代わりに廃品利用。

一方、落花生。
良い豆は昨年秋にすべて食べてしまい、小さいものばかり残っていた。
右の千葉産食用と比べると大分小さい。
2019-04-21 
千葉産は食用、炒ってあるので左の小さいほうをまく。

落花生の方はひたし豆と違って発芽率が悪い。
3週間経っても27粒中4つだけ発芽。
2019-05-12
掘ってみたら多くが腐っていた。
また6粒が根を出したものの地中で豆が開かない状態だった。

大きな豆粒をまいていた昨年まではもう少し発芽率が良かった。
小さい豆は発育が悪くとも芽だけは出ると思っていた。
しかし発芽率も悪いのかもしれない。

根は出ても葉が出ないのは、豆の一部がくさっているものもあるが、健康そうな豆もある。死んだアサリが口を開かないのに似ている。

2019-05-12
こちらはひたし豆(2次、4/30まく)。20粒中19発芽

ひたし豆(一次、4/14まく)は順調

2019年5月8日水曜日

南池袋公園と根津嘉一郎

5月4日、雑司が谷墓地に行った。
すぐ西を都電がのんびりと走る。
線路脇の家を覆いつくすツタがすごい。
というか家がすごい。
人が住んでいたらもっとすごい。

新しい豊島区役所の下を通ると日出小学校の碑があった。
2011年まであったそうだ。
日出小学校は高田町立第四尋常小学校が前身という。すぐ北のサンシャイン、巣鴨刑務所は西巣鴨町だったから、町境に近い。

グリーン大通りを駅に向かって歩いていると左に公園がちらっと見えた。
南池袋公園。
ずいぶん長い間、工事中のフェンスに囲まれていたが、2016年ようやくオープンした。
芝生がきれい。寝転んでいる人もいる。
カフェがある。Racines FARM to PARK
店員に勧められたのがオリジナルビールのRich Island.....豊島か。
しかし 330mL 880円は高い。


それにしても、この一角、地図で見ると
周辺と違って、きれいな正方形で碁盤の目のようになっている。
昔なんだったのだろう?
調べてみた。
昭和32 すでに区画整理されている。
なるほど日出町だ。
昭和7 1932 
ぽっかりと空き地になっている。
日出町三丁目のほかに雑司が谷旭出という地名が読める。
旭出から日出は来ているのだろうか?
 地図マークから針葉樹と広葉樹の林である。
明治42 1909 
巣鴨監獄の南を流れる川が高田村との境
池袋駅はあってもほとんど人家がない。
問題の場所は広葉樹林(地図マークは現代と少し違う)
ここに「根津邸」とある。  
上の拡大図(明治42 1909)
本立寺の北はすべて根津邸。
一帯は根津山と呼ばれていた。

そう、山梨市出身、東武財閥の根津嘉一郎の別邸であった。

ずっと東上線がなぜ東武なのか疑問に思っていた。
明治44年、1911年11月11日(意識的?)、東上鉄道創立総会が開かれ、取締役社長に根津嘉一郎が就いた。本社は彼が社長を務める本所区小梅瓦町(現・墨田区押上一丁目)の東武鉄道本社。後に合併する。

根津邸と東上線社長のどちらが先か知らないが、二つの間に関係はないだろうか?

昭和4年(1929)
西巣鴨町の地図だから高田町にはいる根津山は範囲でない。
しかし、明治通りの拡張がすすみ、今のグリーン大通りの計画が見える。
南池袋公園の正方形は大通りを1辺にしたことがわかる。
すでに根津山、根津邸は官有地になっていた。

なお、明治42年の地図を見ると雑司が谷霊園(→)は今よりだいぶ小さいことも分かる。


2019年5月6日月曜日

5月連休の菜園、エンドウ収穫と桜の消毒

今年、平成から令和に移る黄金週間は世間で10連休という。
27(土)は普通に仕事
28(日)畑
29(月)ダンス競技会
30(火)休みだが自主出勤

2019-04-30
満開から一か月、桜の枝が道にかかっている。
個人的には都会でこういう道は好きなのだが、ふつうはダメそうだから切る。
5月1(水) 日帰りで長野へ
   2(木) 自主出勤。
朝、フキ、ツワブキとる。
ネット掛けなかったキャベツ青虫いるため抜根処分。

2019-05-02
温州ミカンにつぼみが出た。

2019-05-02
さくらの根元のひこばえに毛虫
マラソンで駆除した。
それにしてもこれだけひこばえが旺盛ということは、本体がそろそろ寿命ということだろうか?

2019-05-02
前日長野で買ってきたトウモロコシの苗。昨年の雪辱を。

3(金)柴又行く前にひたし豆の苗を地植え
2019-05-03

4(土)ダンスのレッスン、練習行く前に草取り
5(日)自主出勤前に道路を掃く

2019-05-05
スナップエンドウ初収穫
2019-05-05
もう少し大きくするべきだったか?
6(月)今日から出勤
2019-05-06
ナスに花。ピーマンは数日前に開花

2019-05-06
落花生、3つ発芽

2019-05-06
長野から昨年持ってきたセリ
どのくらい日陰で育つかこれから実験する予定。

2019年5月5日日曜日

雑司が谷霊園の歴史

5月4日、池袋でレッスン、練習をして外に出ると明るかった。
まだ16時半。
雑司が谷霊園に行ってみた。
北側から入っていきなり、いずみたくの墓。
本名は今泉隆雄
夜明けのスキャット、恋の季節、など昭和40年代の名曲を思い出す。

メインストリートか。

雑司が谷は谷中霊園と比べて、はるかに区画が整然としている。
これなら迷うことはない。
また染井霊園も谷中より整然としているが、雑司が谷は墓の両側に通路があって、一区画が広いこともあり、全体としてすっきりしている。

この差は何だろう?
谷中、染井、青山と比べて造成されたのが遅いのではないか?
と思って調べると、1874年(明治7年)9月1日に開設。
意外にも、これは他の東京府墓地と同じであった。

なおも調べると、豊島区郷土資料館だより「かたりべ47」http://www.city.toshima.lg.jp/129/bunka/bunka/shiryokan/kankobutu/kataribe/documents/kataribe47.pdf があった。

それによれば、現在の霊園は、最初からこの広さ(110,106平米)でなかったらしい。
1874(明治7)年、明治政府は今の墓地の北西部分(現在の3分の1から4分の1)にあった幕府の御鷹部屋を埋葬地にした。(雑司ヶ谷旭出町墓地)
「復元江戸情報地図」朝日新聞社
明治11年 実測東京全図
この地図では、護国寺の西に陸軍埋葬地、左下に鬼子母神と法明寺があるが雑司が谷墓地はない。
一方、右上、いまの染井霊園の場所には谷中、青山と同様に「埋葬地」とあるから、やはり雑司が谷の本格的開設は他より遅かったのだろう。

その後1902年、南の畑地などを東京市が買い上げ、墓地を拡大した。
立ち退かされた農家の古老は、墓地内に残った樹木を見て、自分の屋敷、自分の畑地の場所を偲んだという。
1909(明42)陸地測量部
なるほど、北西の一部しかない。
上に巣鴨監獄が見える。
1932(昭和7) 墓地が拡大された図
豊島区になっている。

雑司が谷のすっきりした雰囲気は、他より遅れて造成したことが理由だろう。

墓地の北西部分に松があった。
御鷹部屋の中にあったものという。

全く予備知識がないまま、初めて歩いた。
知っていることといえば漱石の墓がどこかにあることくらい。
目立つ墓石があれば近寄って、有名人のものだと喜んだりする。
荻野吟子の墓
家紋は足利二つ引きに似ているが少し違う。
生家のある妻沼は新田、足利の本拠地に近い。

妻沼町が建てたという左の新しい石碑にはあきれた。
撰文は妻沼町長の高橋茂氏

 「日本女医一号 荻野吟子抄 妻沼町長高橋茂撰
・・・昭和45年(1970)小説「花埋み」で紹介されるや、根性と愛が読む人の心を揺さぶる。更に故里で武観戯曲「荻野吟子抄」舞台化要望の高まりに、平成10年(1998)妻沼出身松竹(株)茂木近専務が奔走し、10月名優三田佳子主演「命燃えて」の新橋公園が喝采を博す。次いで平成12年(2000)2月埼玉女性の根性と三田の熱演に感動した土屋義彦埼玉県知事の英断で埼玉公演が成功し・・・・」
「命燃えて」という題字の下に「埼玉県知事 土屋義彦書」とある。

こういう碑文は淡々と故人の功績を書くものだが、小説が「心を揺さぶる」、「奔走」、「名優」、「感動した土屋知事の英断により」などと今の人へのゴマすりみたいな文章で、本人以外のことばかり。
私だったらこんな政治家の売名行為のような石碑を建てられるのはごめんだ。

木が多く、枯れ木もある。

継承者のいない墓も多い


日本医大学長 塩田広重については以前ブログに書いた(→ )

伊沢修二の墓は大きい
信州高遠藩士の子に生まれる。音楽取調掛に任命されると西洋音楽を日本へ移植し、『小学唱歌集』を編纂。貴族院議員にもなった文部官僚。

伊沢修二の向かいは伊沢多喜男(内務官僚、東京市長、貴族院議員)
修二の弟であるが、この笹の茂り具合はどうだ。
親戚なのに、墓の手入れの差の違いにびっくり。

漱石の墓を初めて見た。
あまり好きなデザインでない。

ジョン万次郎の墓
中浜家累代の墓とあるから、中浜東一郎もここに眠るのだろうか。
東一郎は万次郎が帰国してから生まれた長男。東大医学部卒、東京衛生試験所の所長を務めたから我々には彼のほうがなじみがある。

中浜家の隣は洋画家の東郷青児

東京の4つの都営霊園で一番美しいと思う。



 帰る途中に大きな墓石が目に入り、近づくと東条英機。
珍しい家紋
東条英機はA級戦犯として悪者扱いされているが、とくに彼が悪いわけではない。
しかし、もう少しおとなしい墓石のほうが良いと思った。
名刺入れに2枚入っていた。ひとつは○○塾という右翼っぽい人のようだった。

永井荷風の墓は生垣できれいに囲まれていて、墓前にはゴールデンバットが2箱供えられていた。

顔を上げると池袋の高層ビルが目に入る。

近くに用事があって通り抜けたことがあるが、墓をじっくり見るのはこの日が初めて。
何の下調べもして来なかったが、簡単に有名人の墓にぶつかって楽しめた。


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