2024年6月9日日曜日

実生の桃を切る、そら豆が黒い

先日、実生リンゴを抜いたことを書いたが、実生の桃もあった。
種が混じる生ごみを庭に捨てていたら何本か生えてきたものの一本で、発芽してから丸4年か5年経っている。
しかしリンゴ同様、一度も花が咲かない。
2024₋05₋25 7:16
3日前からすぐそばで桜の切り株を掘り出していて、腰を伸ばしながら眺めていた。
ふと、リンゴを抜いた勢いで抜こうと思った。
理由は花も咲かず、実が生る保証もなかったからだ。
あかつき、白鳳は受粉樹が不要で一本でも実をつけるが、白桃、川中島白桃は単独では実をつけない。ここにあるのは長野から送ってもらった桃だが、いまや品種は分からない。
アブラムシなど害虫もつき、かんきつ類と比べると世話が大変そうだし。

少し迷いながらも思い切って切った。
9:09
しかし切ってみるとちょっと惜しかったような気がした。

今更仕方がないのに、種から発芽した桃が最初に開花、最初に実が生るのはいつだろうと調べたりした。
もう切ったんだからいつまでもくよくよしてもしょうがない、と妻は言う。

たとえは悪いが、別れた女性を忘れるのに一番いいのは次の恋人を探すことだ。
何だか分からない種類の桃よりも、素性のはっきりしたモモの苗を買ってくればいい。
季節外れだが島忠ホームズに電話してみた。
しかし取り扱いはないということだった。

2024₋05₋26
せとかの葉っぱに小さな球。アゲハの卵だろうか?

2024₋05₋26
ソラマメの莢が黒くなっている。
よくあることだが、下を向いていないのに黒くなるのは生理的なもの(ポリフェノール蓄積)ではなく、病気だろうか(タバコモザイクウィルス)?

ま、とにかく収穫した。
2024₋05₋26
隣のノラボウ菜に圧迫されたからか、9本からたったこれだけ。
中の実は黒くなっていない。

ソラマメは、枝豆、落花生と違って単独で食べてもあまりうまくない。
妻が料理に使うこともなく、私は一人で電子レンジにかけ、マヨネーズをつけて全部食べきった。
2年続けて作ったけど、来年はもういいかな。

桃がなくなって、切り株掘り出し作業がやりやすくなり、2週間かかって無事切り株をすべて取り出した。
2024₋06₋04 
7番畝に一時置いていた掘り出し土を穴に戻すとそこそこのスペースができた。
2024₋06₋05
7番畝の向こうは8番畝にしようかな。
2024₋06₋09
桃と切り株の跡。

新しくできたスペースの中央には、この春に買ったセトカの苗をうえ、その周りに下仁田ネギ、九条ネギ、雑ネギを配置した。
桃のあったところには、未熟玉ねぎと、サトイモをもってきた。
これらを移植したということは、元あった場所が空いたということである。

桃を切ったおかげで菜園全体に余裕が生まれ、新しい作物に挑戦できることになった。
迷ったけれど、桃を切ったのは間違いではなかったと思いたい。

2024年6月4日火曜日

桜の切り株、3年目に掘り出し成就

今年も毎晩イチゴを食べた。潰してから砂糖と牛乳をかける。蟻に食われ穴があいたイチゴもあったが、もったいないから食べた。
イチゴのシーズンが終わり、残念に思うどころか、このときを待ち望んでいた。
イチゴ台地の下に桜の切り株がある。その掘り出しに3度目の挑戦だ。

2022年4月に桜を伐採したとき、業者は切り株の掘り出しは諦めて引き上げた。その後、自分でチェーンソーを買い、何日も頑張った。しかし無理だった。そこで切り株に土を盛って腐らせることを狙い、1年放置した。

翌2023年、腐っていることを期待してイチゴ台地の土をはがす。
悪戦苦闘して切り株中央部に小さな穴が開いたが、全く歯(刃?)が立たなかった。チェーンソーは音だけ威勢よく、前年のようには切れない。数回かけると全く切れなくなった。結局そのまま再び土をかぶせた。

そして2024年、埋めてまる2年。
今年は何としても株をとり除きたい。その理由は、「せとか」をここに育てるつもりで苗を買ってしまったからだ。せとかはいちご台地の横に仮植えされ、定植を待っている。

5月22日、水曜。
朝、目が覚めてすぐ庭に出た。
2024₋05₋22 6:20
6:43
7:23
1時間かけて土を除いてみるが手の付けようがない。2年、二回にわたり頑張って小さくしたのだから、これ以上は簡単にはいかない。

それでも何かしなくてはならない。
毎日少しでも小さくすれば、理論的にはそのうちなくなる。
14:38
ほんとうに少しだけ小さくした。
わずかばかり飛び出ている部分を何個かのこぎりで切るが、全体には全く影響はない。
少しでも何かすることに意味がある。

2日目。木曜。
この日も5:50に目が覚める。
父は目が覚めたらすぐ起きるといった。
母も私も目が覚めても二度寝したりしてぐずぐずしているほうだったが、父は起きたらすぐ畑に行ったのだろうか? 毎朝早く見たいものがあったのかもしれない。
2024₋05₋23 6:40
あちこち掘ってノコギリを入れるべく手掛かりをさがす。
16:32
夕方になっていくら掘っても壁のような胴が地面深くまで続いている。
手掛かりなし。

ノコギリが使えるような突起がないとなると、巨大な塊に正攻法で行かなくてはならない。チェーンソーがないとダメではないか? 切れなくなった刃を研ぐべきか、あるいは思い切って新品チェーンソーを買うか?
16:32
外からアプロ―とするのは諦め、昨年少し腐食して中空となった切り株中央部の穴を大きくすることに集中した。

ここでハンマーが有効なことに気が付いた。
ハンマーは、ノコギリで根を途中まで切った後、最後に一撃で折るのに使うつもりだったが、腐っているところを叩けば割れる。
また、最初から根株の表面の樹皮も削るように剝げることに気が付いた。まともに叩いたら跳ね返されるが、横からこするようにたたく。
18:15
切り株が少しでも痩せれば、手掛かりが見えてくるかもしれない。
そして薪割のように、木には割れる方向がある。尖っている角を木目方向に叩けば、木っ端として割れる。

今回もまた青の洞門を思い出す。
江戸時代、30年かけて鑿(のみ)と槌だけで掘られた。絵本の影響か、諸国を行脚した僧・禅海が一人で掘ったような記憶があるが、さすがに途中からは村人や領主の援助を受けた。

3日目 金曜。

前日同様、ノコギリを一切使わず、切り株をハンマーで叩き続ける。
しかしハンマーは危険でもある。
全力で叩いていて空振りすると、持っていた右手の小指、中指の第2関節が周辺に当たり、激痛が走る。軍手を脱いで見ると皮がむけ血がにじんでいる。
叩いた拍子に土や木っ端が飛び散り顔に当たる。一度目に(たぶん土か)入った。

1000回繰り返すと3回ミスがあり、4回目が重大ミスとなるという話を昔聞いたことがある。
空振りは何回もして、痛めている右手が何度も切り株に激突した。

ハンマーは1.3キログラムあって重い。力強く振り下ろさねばならないから、両手に力が入りマメができる。マメはすぐ潰れ、血が出てくる。
こういう状態でも切り株が少しでも小さくなっていくのが快感で、やめられない。
2024₋05₋24 17:14
この日使った道具。
鉄パイプ、ハンマー、スコップ、かすがい。
錆びたかすがいは2,3年前に庭を耕していた時に出てきて、金属ゴミに出そうと思って隅に置いていたら役に立った。これを切り株の溝などに突き刺して泥や樹皮をはがしていく。
17:13
ここまで3日間、眺めながら叩き、削り、だんだん手掛かりが見えてきた。
地面を深く掘ると、円筒型となった切り株の一部は、底で外側と内側がつながった。

ここで妻が見に来た。
ほとんど変わっていない切り株を見て
「もう諦めたら?イチゴの台でいいじゃないの。掘り出しても何にもならない。無駄なような気がする。」
「じゃ、お前のスマホゲームは無駄じゃないのか」
「あれは趣味だからいいの」
「これも趣味と言えば趣味だ」
青の洞門クラスなら家族は猛反対するだろうが、この程度なら放っておかれる。

4日目 (曜日の感覚はないが)土曜。

地面から浮いている部分にノコギリを入れる。
切り屑が燻製のように匂う。
焦げているわけではないのに、桜チップの燻製の香りがする。
2024₋05₋25 6:28
円筒の切断を目指すノコギリ。
10:09
朝食のあとも切り続け、ついに下まで到達。
これだけでは何の変化もないが、さらにその隣にもノコギリを入れ、2回目の切断。
こうして楔形の木片を切り取って巨大な切り株に「裂け目」をあけた。
18:18
さらにその隣にもノコギリを入れ、裂け目を広げた。
360度のうち10度程度だが、これで内側へのハンマー攻撃ができる。

また、ここを入り口として切り株の下を堀り、太い根を一本切ると東側部分(写真のハンマーの乗っている部分)が浮いた状態になった。
18:21
丸4日間がんばって、根株から取り除けた部分はこれだけ。
18:23
こんなに小さな木片をとるのに、ノコギリをこんなに(しかも2面)かけている。
つまり、ノコギリを異常に必死にかけても、切り株全体をこれしか小さくできない。

5日目 日曜
朝は近所迷惑になるからハンマーは使えない。
何しろ巨大な木魚のような音がする。工事現場でもこんなに響く音は出ないだろう。
慣れてくると音で割れそうか割れないか分かってくる。

前日に浮いた東側部分は狭い部分で株本体とつながっているだけだから、ここにノコギリを入れる。
2024₋05₋26 5:57
ある程度ノコギリを入れてから、東側部分の上で何回かジャンプした。
6:08
私のジャンプと株の自重で、東側部分が割れ、ずどんと落ちた。
落ちたほうをA(全体の5分の2)、残った本体(5分の3)をBとする。
Aは切り株から分離できたものの、落ちたまま動かせない。
それでも周辺部を割って小さくして、何とか立てた。
14:05
Aを小さくするための手掛かりを探す。
15:38
あちこち叩き続け、調子は乗ってきたが、ダンスの練習のため中断。
足は不安定な場所で突っ張るからパンパンとなり、もちろん重いハンマーを振る上半身も肩は凝り、両腕は疲労で棒のようになってだるい。
左手はマメがつぶれ、右手は指に挫傷。
ダンスで手をつかまれると痛かった。

ダンスと言えば練習場の床はたいてい桜材である。それだけ桜は堅い。

6日目 月曜

ハンマーもノコギリも使うような手掛かりがないので、AをBの下にかませ、Aの上に乗っかりジャンプし、梃子の原理でAを割ろうと試みる。
2024₋05₋27 5:49
大きく重いものほど、自分の形を維持できず壊れやすい。
原子核も豆腐も。
簡単に動かせないほど大きい切り株も、その重さを利用できるかもしれない。
5:51
ブロック塀に手をかけ、Aの上で何回もジャンプするが割れず。
ノコギリで狭いところに切れ目を入れ、ジャンプを続けると割れた。
これをA1とA2とする。

朝食後、A1、A2を移動するとBへの作業がしやすくなる。
穴を深く掘り、Bの下の根を二か所切ると少し揺れるようになった。固有周波数に合わせて力を入れるとだんだん揺れが大きくなり、ついにバキッと折れ、久しぶりに尻もちをついた。
9:53
折れて斜めに倒れたB。
(A1、A2は右のほう、掘って出た土に埋まっている。)
さて、Bをどう分断するか?
10:04
Bの上面を見るとチェーンソーの跡がいっぱいある。
2022年、2023年、しっかり根を張っていた切り株に悪戦苦闘していた跡である。

この日から3日間はダンスのレッスンも練習もないので、切り株に専念できる。

しかしBはAよりずっと重い。
(少し斜めに)穴の壁に背中が着いた状態と、もとの(垂直に)起きている状態の二通りしかとれない。
全く動かず、横の地面を掘ってそこに滑り落とす形で仰向けにしたら、ここでまた動かなくなってしまった。

7日目 火曜
雨。
右手中指の傷が腫れて曲がらず、左手のマメが割れて痛い。さらに体中が筋肉痛。
どう攻めたら良いか分からず、雨がうれしい。
さぼりたい時に自分のせいでなく休めるのがうれしい。
もう定年退職したのだから好きなだけ休めばいいのに、目の前に課題があると片付けないと気が済まない。
2024₋05₋28 9:00
穴の底で全く動かなくなってしまったB。
きょうで丸一週間。
山を越えたらと思ったがもっと大きな山があった。

昼から雨が上がったので再開する。
ダンスがない3日間でなんとかしたい。

両手の傷から黴菌が入って敗血症にならなければいいが。
割れた真皮から血が滲み、表皮との間に土が入っているが、私は自分の免疫に根拠のない自信を持っている。
人を殺せるほどハンマーを強く振り下ろしながら1000分の3の話も頭に浮かぶ。

薪割では、鉈(なた)や鉞(まさかり)が楔形だから、小さな力でも横に割る力が強い。木目だけ気にして振り下ろせば小さな力で割れる。
しかしハンマーは斜めに打ち込む力の横方向のベクトル成分のみが割る力となるから強い力が要る。さらに打った表面で滑るから難しい。だから木目だけでなく、支点となる硬い地面を選び、どこを割るか(作用点)、どこに打つか(力点)頭を使わないといけない。切り株は非常に重いが、苦労しながらあちこち向きを変え、打つ場所を探す。
しかし、そもそもハンマーはこんな使い方をするべきではない。こんな面倒なことをせずに、ナタかマサカリをホームセンターに買いに行けばいいのだが。

しかし何とかなるものだ。
17:02
小雨の中、とうとうBを分割。
左(北)からB1、B2、B3、B4、
B3以下は持ち出せる。
B1、B2は動かせるようになったが、まだ重くて穴から出せない。

8日目、水曜。
この日はゴミの日。
2024₋05₋29 7:17
木っ端20リットル肥料袋に2つ、大きな塊2つ。
(長靴は大きさの比較のため)

今日出すのはこれくらいにする。
一度にいっぱい出すと収集業者が大変だから。
ふだんから家庭ごみはごく少ししか出さないから、たまには大目に見てもらおう。
7:40
土をかぶっていたA1,A2を掘り出し、B1,B2と並べる。
いずれも重くて穴から出せない。

この4つは、今まで掘り出したザクロ1、ザクロ2,ハナミズキ、キンモクセイ、山茶花の切り株(丸ごと)のどれよりも重い。この中で最も重くて2017年、根を全て切ったまでは良かったが穴から出せず、再び土に埋めたザクロ1より重い。

桜は区の保護樹木、公式に地上1メートルで周囲3メートルだった。周囲1メートルの樹木と比べて切り株面積は9倍。もし高さも太さ(周囲長)に比例するなら実に27倍の体積となる。ザクロ1は周囲1メートル程度だったとすれば、桜は小片を大量に除いても残った4つの部分ともザクロ1全体より重いとして不思議はない。

4つの塊を小さくする前に、周辺の根っこを処理した。
8:33
この根はブロック塀の下に潜り込んでいる。
外のアスファルト道路を盛り上げていたのはこれだろうか?

さて、4つの塊にハンマーを打ち続ける。
地面から離れ自由に振動できるようになった巨大木魚は、太陽で乾いたこともあり、いっそう大きな音を出す。
近所に遠慮して10回たたくより、力いっぱい5回たたいて割ったほうが良い。
しかし力いっぱい10回たたいても割れない。
11:11
切り株の脇の不知火とせとか。
アゲハが飛んできて、こちらも休憩して腰を伸ばす。
17:54
この日、A1,B2は小さくなって外に出た。
重くて穴から出られないのはA2,B1のみとなった。
もうこれ以上小さくならない。

まだ明るいけれど体力の限界。
腕は棒のようになっている。
いざとなったらこの2つは再び土に埋めるかもしれない。
今の場所ではなく、いま残土を盛り上げている、畝7番(サツマイモ)の下に埋めておけば来年再開するとき作業が楽だろう。

5月30日 木曜 9日目
朝、最後の手段としてマイナスドライバーを打ち込みA2を割ろうとするが、巨木にくぎを打った程度で何の変化もなし。
手詰まり。
その手は傷だらけ、腕は棒のように疲れている。
 
5月31日 金曜 10日目
朝から雨。
パカーンと割れるのは乾燥した木材というイメージがあるが、濡れるとどうだろう。

6月1日 土曜 11日目
雨は上がったが何もせず。
やりようがない。
夕方からダンスのレッスン、練習。

6月2日 日曜 12日目
畑バイト、途中から豪雨、夕方からダンス。木曜から4日連続の練習だが、切り株掘り出しも幸か不幸か4日連続休みで体力が少し回復し、両手の傷も癒えてきた。

6月3日 月曜 13日目
バイトは1回行くと3300円くらいになる。
何のために働いているのだろう? 経済的に苦しいわけでもない。
バイトのお金は何に使うのか?

13日目だが作業したのは9日間。9日間の労働をバイト時給で計算したら5万円くらいになるか。業者は5万円では引き受けてくれないだろうが、新しいチェーンソーは買えたな。

とにかく切り株をパカーンと割る道具が欲しい。
薪割り用の鉈(なた)でも買ってくるか。
近くにホームセンターはないが、北千住の駅前丸井に東急ハンズがある。
(2022年にカインズの子会社となりハンズとなった)
2024₋06₋03 12:23
鉈も鉞(まさかり)もなかったが、鑿(のみ)とバールがあった。
いずれも切り株に当てて金づちで打ち込む。
切れ味は鑿のほうが良さそう。力いっぱい打つときは頑丈なバールのほうが良い。
値段をみると鑿の大中小3本セットが1550円と5680円の2種。
バールは200㎜が1320円、300㎜が1760円。

どれを買うか迷う。
全部買うお金はあるが、4つ買ったら3つは使わない。この年齢では一生使わないからもったいない。(お金も使い切れないがもったいないという感覚が勝つ。)
鑿の2種類は同じ3本セットで値段が4倍近く差があり(どちらを買うにしても)その差が気になり、結局、切り株に打ち込むに最も頑丈そうな300㎜のバールにした。

帰宅後4日ぶりに作業を再開。
2024₋06₋03 13:44
早速バールをA2に突き刺し金づちで叩く。
14:00
しかし薪割のようにはいかず、バールは刺さったまま抜けなくなった。
早くも文字通り、使い物にならなくなった。

何とか抜けたものの、やはりノコギリが主役となり、バールは小片を取り除くだけとなった。
15:22
それでもこの日は夕方までにA2を分断することに成功し、外に出した。
残るはB1のみ。

6月4日 火曜 14日目

ノコギリという正攻法でいく。
初期のころは大木を前にほとんど進まぬノコギリが蟷螂之斧のようで無力感があった。
しかし残りはB1のみというゴールが見えると、延々と単純作業を続けるノコギリも、なんとか頑張ってみようという気になる。

一点集中というか一塊に集中。
2024₋06₋04 15:07
最後に残ったB1も、ついに分断。
ここまで長かった。

1年ぶりに切り株全貌を見て、その巨大さに圧倒されたとき、また、果敢に挑んでもほとんど進まなかったときは、もう一度土をかぶせて来年まで待とうかと思った。

そして起死回生のハンマー作戦で切り株を4つに分けたものの、2つが穴から出なかったときは、やはり土に埋めるのが最良の策と思われた。

しかし、続けると何とかなるものである。
雨だれ岩を穿つ、は実際にあった。
これが若いころに経験していたら人生の財産になるかもしれないが、定年退職した今は疲れただけだ。もっとも若いころは、一つのことにこんなに手間暇かけられない。目標が切り株掘り出しではなおさらだ。

人生、何でも無駄になることはないとはいっても、この年齢で掘り出しに2週間もかけるというのは時間の無駄使いだったか。

いや、掘り出しは作業でなく、老後の趣味、遊びだったのである。
16:47

過去の切り株ブログ

2024年6月1日土曜日

花の咲かないリンゴを切る決断

家にリンゴの木がある。

20年以上育てているが実が生らないどころか花さえ咲いたことがない。
11年前の引っ越しのときも一緒に持ってきたのはなぜか。
2024₋05₋21
これは34才になる息子が昔、種から芽を出したもの。
彼は小学生の夏休みの自由研究で、スーパーで買ってきたあらゆる野菜、果物の種を蒔いて発芽するかどうか調べた。大人も結果を知りたい良い研究だったが、学校では大して評価されなかった。
リンゴは夏休みに種をまくとは考えにくいから、その流れで秋に調べたのかもしれない。同時にブドウも発芽したことを覚えている。
息子は生ごみからいくらでも発芽するグレープフルーツに期待して実が生ったら無人販売に出す、とか言って、私が地面に移したリンゴのことはすっかり忘れた。

リンゴはひょろひょろ伸びたが花は咲かず、長野の父が家に来たとき枝が張るよう先端を剪定してくれた。しかし、もともと庭の端の日当たりの悪いところにあったから大きくならなかった。

2013年4月、埼玉から千駄木に引っ越したとき、このリンゴも持ってきた。
まだ可愛らしかった小学生の息子と、亡くなった父を思い出すからだ。
しかし無造作に引っこ抜いてきたから枯れてしまった。そのまま放置していると下から芽が出てきて、育ったのがこれだ。
生垣の脇の、またも日影であったため育たず、花も咲かなかった。
息子はもちろん関心なく(存在すら知らず)数年前結婚して家を出た。

このリンゴを育てていた理由は父と息子の記憶につながることと、リンゴそのものが私にとって特別だったからだ。

専業農家の長男として生まれた。
信州中野は夜間瀬川の扇状地で、集落は伏流水が湧き出るところ、つまり等高線上に並び、集落より下は水田、上は古くは桑畑、1950年代からは果樹園となった。
私が物心ついたとき、養蚕はすでにやめ(物置にはカイコ棚など資材がまだ残っていた)、畑の多くはリンゴだった。

当時のリンゴは紅玉と国光が主力。他にお盆リンゴと言った祝(イワイ)、旭。漬物にも入れた黄色のインドもあった。
梯子が届かず取り残された紅玉が青い空に映えている。
大人は無理でも子供は細い枝まで登って、それをもぎ取りかぶりつく。普通より大きく熟した紅玉は蜜が乗って果汁が口いっぱいに広がった。
1976年3月、剪定する父

リンゴの木も寿命があるし、新しい品種がどんどん出てくる。国光、紅玉と入れ替わるように出てきたのは尻が尖ったスターキングと黄色いゴールデンデリシャスだった。スターは渋みがあってあんまり好きではなかったが、独特な酸味のゴールは袋をかけずに日に当てると(ジョナゴール)甘みが増して旨かった。
次の世代は「ふじ」。これは果汁が多く保存がきき、日持ちが良くて春先でも旨かった。
このころから水田を畑に変え、メインは巨峰だったが、リンゴの矮化栽培もはじめた。そして、元のリンゴ畑は桃を作り始めた。

ふじと同じころ出てきた「世界一」、「むつ」は家では作らず近所からもらって食べた。
あかね、王林、つがる、は上京してから送ってもらっただけだから何の思い出もない。
ましてやシナノスイーツ、シナノゴールドなどは、ただ旨いというだけで、有難味は何もない。
2024₋05₋21
赤い紐は今年真っすぐに矯正しようとしたから。

リンゴは食べたことより農作業のほうが記憶に深い。
当時は子どもも手伝うのが当たり前だった。
春は一斉に花が咲くが、花摘みがある。花は集団で何群もつく。小さな枝に一群だけのこるように、ほかの花群を摘んでいく。残した花群もその後、実が膨らんでくると中央の1つだけ残して残りの実をとる。摘花と摘果とは同じ発音となるから前者は花摘みといった。

一番いやだったのは消毒のときのホース持ち。
我が家は庭先から上の畑までパイプラインが引いてあり、大きな3つのセメント製の桶で消毒液を作ってエンジンポンプで畑まで送っていた。消毒薬が沈殿しないように竿でかき回すのは祖母の役目だった。畑では父が噴霧竿をもってリンゴの木にかけていく。
当時はリンゴの木の間にネギなど野菜が植わっていて、ホースがそれらをなぎ倒さないように、ホースを高く持って乗り越えさせなくてはいけない。若かったころの父はせっかちだったのか、「ぼやぼやするな」とよく怒られた。ホースは消毒液で濡れて泥だらけ。子供だった私は必死にホースを抱え、全身泥まみれになった。いつもは穏やかな父がなぜ、あんなにせっかちだったのか、ひょっとしたら噴霧竿には止水栓がなく、消毒液が流れっぱなしで、素早くやらないと液が途中でなくなる恐れがあったのかもしれない。まあ、あったとしても彼は噴霧のほうに集中しながらあちこち動いているから、ホースがしばしば引っかかったら仕事にならない。
中学になったころは人が乗って運転するSS(Speed Sprayer)という消毒用自動車が導入され、ホースもちから解放された。

ゴールなどは実が大きくなると袋掛け。袋はスポーツ新聞から作ったものが多く、小さな紙片の記事の一部分から全体を想像した。その野球の記事を読みながら、ピッチャーの真似をして落ちたリンゴの実を離れた木の幹を狙って投げて遊んだりした。

さらに実が大きくなるときれいに着色するように葉を摘んで日光を当てる。
着色と言えば、お盆のころ未熟なものをとってきて、葭簀のある台に並べる作業もあった。水をかけて冷やしながら日光に当てることで、赤くして着色するためだった。
1985年8月
左上:母の実家の下を流れる千曲川。
左下:りんごの人工着色
右上:りんごの古木
右下:区画整理される前のリンゴ畑
リンゴは木も役に立った。
1991年まで我が家の風呂は薪だったが、冬に剪定した枝は風呂焚きに使った。また小学生のころ、えのきだけ栽培を始める前の2,3年は信州シメジ(ヒラタケ)を栽培したが、その栽培床はリンゴの幹を輪切りにしたものを地面に埋め、切り藁で覆ったものだった。

収穫したリンゴを入れて運んだ木製の箱は、(ブドウ、モモに切り替えて)栽培を縮小してからも農作業で使い続けた。箱は大きく重かったが、えのき栽培でおがくずを入れて運んだり、農産物を入れる容器に使った。軽いプラスチック製のものに置き換わったのは私が上京してからだ。
1976年3月、えのき栽培で使うリンゴ箱を運ぶ祖父。

母は木のリンゴ箱に包み紙だったか千代紙だったか貼って本棚を作ってくれた。今のカラーボックスと同じである。このようにリンゴは生活すべてに入り込んでいた。

1975年3月末、長野を離れ大学の寮に入ったとき、布団などの荷物と一緒に父はフジを1箱置いて行ってくれた。

つまりリンゴは私の成長期と常に一緒にあった。
そして今千駄木にある木には息子と父の記憶もある。全く花も咲かず成長しなかったにもかかわらず20年以上切れなかった理由はここにある。

しかし、この日、ついに引き抜いた。
20年以上このままだったということは私が死ぬまでこのままだろう。またリンゴは柑橘類と違い、実を生らすには受粉樹が必要なものが多いことも、抜こうと決断した理由である。

ところが、
2024₋05₋21
私はいったいどのくらい未練がましいのだろう。
抜くことは抜いた。
しかし、そのあと急いで鉢を探してきて、もう少し生かすことにした。
鉢植えにしたが、根が大分切れてしまったから枯れるかもしれない。
それならそれで諦めがつく。
2024₋05₋21
私の幼少期にリンゴの存在はあまりに大きく、自分の性格にも大きな影響を与えた気がする。

父は2010年に、母は今年亡くなり、息子はまったく関心なく数年前に家を出た。
この鉢を見続けるのは私だけだ。


千駄木菜園(庭と野菜と植物)目次